第4話 夢に溺れる(2022/01/26 改稿)
西日が街をオレンジ色に染め上げている。
通り過ぎる人たちは皆すれ違う度にぎょっとしていく。それもそうだろう。
独古はボロボロと涙を零しながら歩いていた。
(情けない、本当に情けない)
周りの雑踏、視界に映るもの全てがぼんやりとしか見えない。泣きながら帰る独古の頭の中は、もうめちゃくちゃだった。
何が悪かったのだろう、自分の何が悪いのだろう。
(「もっと我儘に生きやすく生きればいいんだ」)
そんな方法があるのなら、誰かに教えて貰いたい。
(「な、夏越君、ほ、本当に辛いなら無理しなくていいんだよ!」)
簡単にそんなこと言うなよ。じゃなきゃこんなに傷ついて生きている意味が分からない。
ボロボロと零れる涙を両手で押し殺す。
原因は分かっているのに生きやすくならない。こんなにも頑張っているのに人生は一向に変わりやしない。
(僕が全部、悪いんですか)
胸のうちで問いかけても、答えてくれる人は誰もいない。
それが悲しくてたまらなかった。
「そこで泣いているお兄さん」
ぼやけた視界に赤い包が映った。
独古は歩みを止め、ぼうとする顔を上げる。
「お兄さんポケットティッシュ、良かったらどうぞ。鼻水が垂れて凄い事になってますよ」
少年が立っていた。よく見ると、帰り道にあるカラオケボックスの名前入りエプロンを着けている。バイトだろうか。
彼は困ったように眉根を寄せてこちらにポケットティッシュを差し出している。
「あ、ありがとうございます」
「まあ、店の試供品なんですけどね」
ティッシュの表には、大きく店名が描かれている。
それをぼうっとする頭で見つめていればお兄さんがニコリと笑う。
「あ、ポケット部分に入っているチラシに書いてある曲、良かったら聞いてみてください。うちのカラオケとは関係ない、どこかの会社の広告チラシなんですけど。その広告のテーマソングで使われている曲、今だけ無料公開されているんです。QRコードからMVに飛べるんで。辛い時に聞くと癒されますよ」
「……ありがとうございます」
少年は礼にも及ばないと言わんげに微笑む。
そうして、別れのお辞儀をすると、仕事に戻るべく大通りへと去って行った。
掌の上の優しさが、どうしようもないほどに暖かい。
ポケットティッシュがぎゅっと握りしめる。また、涙が溢れ出しそうだった。
家に帰りつき、独古はカバンを放り出してベッドに倒れこんだ。
ぼうっとする頭で部屋を眺める。
窓の外から騒ぐ声が聞こえた。恐らく、近所の公園にいる学生の声だ。まだ日が明るいから、公園のバスケットコートで遊んでいるのだろう。
鼻水が垂れそうになりすするが、鼻腔が詰まっていて呼吸がしにくい。
鼻を拭おうとして、自分がポケットティッシュを握っているままである事に気づいた。
掌をそっと開く。
貰ったポケットティッシュは握りしめすぎてくしゃくしゃになっていた。先程の優しいバイトさんの顔が脳裏によぎる。
優しさをしわくちゃにしてしまったように思えて、独古は申し訳ない気持ちになった。
そっと皺を直していると、カサリ、と紙が落ちた。
チラシだった。拾い上げてまじまじと見てみる。
そういえばあのバイトさんが、曲をお勧めしていたな。
景気づけにかけようか。
独古はそう思いたって、スマホでQRコードを読み取って某動画サイトを開いた。
流れ始めた動画は何処かで見た覚えのある曲だった。街中の大型広告掲示板で流れていた気がする。これはピアノだろうか、鍵盤楽器のオリジナル曲が流れている。
眠気に深く、引きずりこまれそうな曲調だった。
動画は、終わりに近づくと自動的にはじまりに戻る仕様になっていた。つまりは閉じるまで延々と動画が繰り返される。いちいち操作しなくていいのが気に入り、そのままにしておくことにした。
再びベッドに倒れ込む。
これからどうしよう、漠然とした考えが頭を巡った。
部長と関係性にひびが入ってしまった以上、あの会社で働き続けるのは無理だと感じていた。けれど、転職したとして、今の様な自分が他の会社で同じミスをしない自身が無い。
頭を捻っても、結論など簡単に出なかった。
何処かで電話が鳴っている気がした。
きっと、親友からの電話だろう。でも、今の自分には電話を取る気力などなかった。
ふと、部屋のデスクが見えた。
デスクには紙束やら自己啓発本が詰まれ、至る所に付箋が貼ってある。忘れないようにと注意書きを描いた付箋。書き込み過ぎて何を書いたか自分でも把握できていないメモ帳。
忘れっぽい自分が少しでもミスをおかさないように作ったタスクシート。
虚しいほど寂寥感が胸を占めた。その感情に思わず笑いが出てくる。
「ははは」
この状況が悲しくて笑いが止まらなかった。そんな感情を抱える生き方しかできない自分が、不甲斐なくて涙が止まらない。
人が把握できることが、できない。
覚えていることが、できない。
当たり前の考え方が、出来ない。
何が足りないのか、どうすればできるのか、なぜこんなにも自分はダメな奴なのか。そればかりがぐるぐると脳裏を渦巻いてきて、狂ったように悲しくて可笑しかった。
「ああ、疲れたなあ」
瞳からはぽろぽろと涙が流れ、心臓からは疲れが溢れた。
「生きていたくないなあ」
何時からこんなにも、何かを取りこぼす人生を送る事になってしまったのだろうか。
涙が止まらない。
もう、全てが嫌でたまらなかった。
このまま瞼を閉じて、永遠に眠りに着くことができればどれだけ幸せだろう。
(「嫌なら逃げてもいいんだよ」)
ああ、先輩、僕、もう生きる事に疲れました。
独古はぽつりと、あの時できなかった返事を心の中でした
スマートフォンから流れていく曲が眠りを誘う。音楽に合わせて、疲弊した思考は闇に沈んでいく。
逃げよう、逃げてしまおう。この苦しみを忘れてしまえば、逃げている今だけは僕は幸せに生きられる。
微睡に引きずり込もうとする力に抵抗せず、独古は目を閉じた。
もう、やらなければいけない事など、どうでも良い。一秒でも早く、この苦しみから逃れたい。
そうして独古は誘われるがままに眠りに着いた。
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