【Luke side】敵の力量

香草からハンスの耳にした噂の件を聞いた俺は、一家が寝静まった後に神獣の住処にしている場所へ訪れた。

深夜ということもあり、子供神獣も眠っている。静かな森の中、親神獣にだけ噂の内容を告げると、神獣は最後にスッと俺から視線を逸らし、どこか遠くへ視線を向けた。

香草ならわかるのかもしれないが…大きな瞳からは感情が読み取れない。どちらも何も言わない静かな時間が流れ続け、いい加減気まずさを感じ始めた時、神獣がいつもより弱ったような小さな声でポツリと呟いた。



「…なるほどな。おそらくその噂の神獣は我の番のことだろう。時期も場所も概ね一致している」

「そう…ですか」


この噂が真実だとしたら…内容的に十中八九、この件に関わっている魔女の事だろうと思った。でもまさかそんなわけは無いと自分に言い聞かせながら、ここに来た。

それなのにただの噂では無かったらしい。その事実を知った今、体中に恐怖が走る。

目の前の神獣はどんな事をしても敵うと思える様な相手ではない。きっと魔女であるアリスだってそう思うはずだ。

でもそれは当然。彼らにとっては魔女も人間も大差ない存在。そして俺たちからしたらまさに別格。

だからこそ俺たちは彼らのことを『神』獣と呼ぶ。なのに、俺たちが相手にしている敵はその神獣を殺しているかも知れない?そんな奴と…どう戦うんだ?

受け入れたくない可能性に真っ暗になった視界。脳裏には守りたい人間の顔が次々に浮かび消えていく。そして最後に香草が映った。

仮に、仮にその者が今回の件に関わっているのだとしたら、俺は今よぎった人物をどれくらい守れるのだろうか?いや、一人すら……

そう考えた途端、最悪の結果を想像してしまう。けれども弱気になっている暇はない。どんな相手でも戦うしかない。そう必死に自分を鼓舞しても、臆病な自分は早くも諦めかける。

分裂しかけている自分の意思をまとめたくて、俺は縋るように神獣を見た。



「神獣様、失礼を承知でお伺いします。神獣様なら…不意打ちではなく真正面から戦った場合…その魔女に勝てますか?」


俺が神獣に協力を仰いでも断られるだろう。『あてにするな』と言われるのが関の山。

しかしここで『容易だ』と返してもらえれば…相手の力量に希望が持てる。なんとか自分を奮い立たせられるかも知れない。

一縷の望みをかけて問いかけると、神獣は考え込むような様子を見せたきり、なかなか答えをくれない。それでも何も言わずジッと待っていると、やがて少し掠れた声を出した。



「……わからぬ。前の住処でも我らは気を抜いていたわけではない。今程ではないがそれなりの結界は張っていた。にも関わらず我の番を殺した者共はその結界を破り侵入してきた。それも我に気づかれない様にな。ただ、我が相手にした人間共の中には結界を破れるような力を持つ者はいなかった。もちろん我の番を殺すことも不可能だろう。つまり…おそらく我は実際にその魔女とやらは見ていない。故に、はっきりとした力量は不明だが…我の負った怪我もその魔女の仕業だとすれば……今の我は戦うのではなくコタとサクの命を守るために逃げることを選ぶだろう」

「…そう、ですか」


一筋の希望すら数分ともたずに消え去った。

同時に目の前の神獣にそこまで言わせる未知の相手にさらに慄く。きっと俺は今、あの時のレオのような顔をしているのだろう。

覚悟していた敵は、予想を遥かに超える強大な存在。どこからも希望が見出せず放心状態になりかけた時、神獣は静かに口を開く。



「…香草が大切なら、香草を連れてここから立ち去るのも悪くないのではないか?」

「……残念ですが、俺は逃げられません。ここには香草以外にも大切な人がたくさんいるので。たとえ彼らが許してくれたとしても、俺は…」


逃げられない。逃げたくない。たとえ死ぬ事になろうとも、俺一人なら迷いはない。皆と一緒に最後まで戦いたい。

でも香草だけは…



「…そうか。まぁ、其方が逃げると言っても、香草は残ると言いそうだ」

「…そう、かもしれません」


俺の考えを読んだように呟いた神獣の言葉に香草が拒否する様子が簡単に想像できた。

同時にもう二度と味わいたくなかった、魔を祓う前と同じ恐怖が数百倍にもなって襲いかかってくる。

本当に…幸せな時間というのはどうしてこう呆気なく終わってしまうのだろうか…どうして辛い事ばかり次々にやってくる?

己の人生の理不尽さを嘆いていると、神獣の低くて静かな声が闇夜に寂しく響く。



「…どんな結果になろうとも、自分に出来ることを精一杯しておかないと後悔する事になる。失ってしまえば余計にな…だから出来ることを精一杯励むといい」

「…そうですね。ありがとうございます」


重みのある言葉は自身のことを物語っている様だった。

助言をしてくれたのだろうが、その言葉に希望を感じさせる要素は一切ない。それが俺の未来を暗示しているようで心をさらに重くさせる。

流石の香草もこんな事を知れば絶望するだろう。しなくても絶対に無理をする。それはダメだ。



「…あの、今の話…香草には事実無根のただの噂だったと伝えてもよろしいでしょうか?」

「其方の好きなようにするがいい」


今はミアたちがいるし、魔法薬の件もある。余計な心配をかけたくない。余計な恐怖を味合わせたくない。いずれは知ることになるだろうが…今はまだ、を過ごしていて欲しい。

真実を知った時、隠していた事に彼女は激怒するだろうが…今の俺にはそれが最善に思えた。



*****



まだ意識の半分が放心状態のまま家に戻ると、ダイニングのテーブルに上半身を預けながら香草が眠っている。

眠かったら先に寝ていて良いと言ったのに、俺の帰りを待ってくれていたようだ。夜更かしが苦手なくせに無理する彼女の姿に、強張っていた頬が僅かに緩む。出迎えようとしてくれる気持ちは素直に嬉しいが、今日に限っては眠っていてくれて本当によかった。

察しの良い彼女だ。俺の顔を見ただけで異変に気づくかも知れない。

心底安堵しつつ、気持ちよさそうに眠っている彼女を起こさないよう細心の注意を払って横抱きにし、足音に気をつけながら研究室へと向かう。

またミアに見つかったら面倒になるとヒヤヒヤしたが、幸いにも目撃されることはなかった。この時間に子供が起きている方が驚きか…。



(眠れそうもないし、レオにこの件の報告書でも書くか…)


おそらく、この件を知ればレオの顔はさらに険しくなるだろう。だが、報告しないわけにはいかない。

仮に俺たちが今相手にしているのが、神獣殺しを行った人物なのであれば、いつ攻めて来てもおかしくない。今までわざわざ魔を使ったり、噂を流したり、周りくどい事をする理由がわからなかったが…相手がそう言った存在なら、いくつか理由が予想出来る。

一番可能性が高そうな理由は『楽しんでいる』だ。こうしている今も、どこかで俺たちの様子を伺って笑っていてもおかしくない。

想像しただけで腑が煮え返る。一方で焦る心もあった。

もし敵が現状に飽きてきたとしたら……もう面倒だから直接手を下そうという結論に至ったら…おそらくその瞬間、現状の俺たちでは碌な抵抗も出来ずに滅びる事になるだろう。

それを阻止するためには、もう証拠集めや調査などは捨ておいて、直ぐにでも宮廷内の人間全員で守りの準備をするべきだ。

一国だけでは不安なので可能ならセルムーイ国と二国で共闘したいが…二国中の戦力を総動員して厳戒態勢をとっても、敵うのかわからない。

しかもそんな状況下なのに、どちらの国にも内通者や裏切り者がいてもおかしくない現実。この件を知ったと相手の耳に入る事を避けるためにも、ある程度信用できるやつでないとダメだ。

それを集める?今から?出来るのか?

どんどん弱気になっていく心。縋るようにベッドに横にした香草を見ると彼女は気持ちよさそうにスウスウと寝息を立てていた。



— 香草さんを必ず守ってくれよ。これは王命だ —


レオの言葉が脳裏によぎる。

王命なんてなくても絶対に香草を死なせたくない。いや、香草以外だって一人残らず守りたい。こんな事で失っても良いやつなんて一人もいない。香草と香草以外の存在に優劣なんてない。

それでも…この世界の住人である俺たちの生死は…こんな言葉で片付けたくはないが『運命』とも言えてしまう。

しかし、香草は違う。香草は、本当に無関係なのだ。俺が召喚魔法さえ使わなければ今だって自分の世界で幸せに暮らしているはずなのに…

これ以上彼女の運命を捻じ曲げたくない。この世界で彼女の人生を終わらせたくない。



「…おか…ぁ…さ…ん」


寝顔を見つめながら一人考えていると、香草は突然ポツリと呟いた。

母親を呼んだような小さな寝言を聞いた瞬間、ハッとする。

敵の目的はわからないが、いくら強大な存在だろうと異世界までは追いかけられない。むしろ、異世界という存在すら知らないはずだ。



(香草を元の世界に戻せれば、香草だけは確実に助かる)


絶望の中にわずかな救いが見えた気がした。

ただ、そうなってくると彼女に噂の事を知られるわけにはいかない。彼女の事だ。国の存亡の危機を知れば留まると言い出しかねない。

でも残ったとしても…もう彼女に出来ることはないだろう。きっと…犬死にするだけだ。を解いてくれた彼女の役目はもう終わったのだから…

それなら確実に帰すため、この事は最後まで隠す必要がある。容易ではないが…それくらいならやり遂げられる。問題は帰還の方法だ。



「大丈夫だ。絶対に帰すからな」


ささやきながら香草の頭をひとなですると、彼女の顔がさらに穏やかになった様に見え、俺は早速行動に移す。

もう確実性に欠けるなんて言っていられない。こうなれば王族と一部の人間にしか知ることの許されない禁忌魔法でも良い。禁忌なだけあり、それらは術師が何かしらの代償を払うものらしいが、そんな事は構わない。

報告書と合わせてレオに相談しておこう。そしてなんとしても帰還の方法を見つけなければ…

俺が魔に憑かれてから2年以上経っている。あくまで想像だが、敵の計画は何度か崩されているはずだ。遊びでなく他の目的があったとしても流石に痺れを切らすだろう。



(きっと残された時間は…そう長くない)


根拠はないがこれまでの経験から来る本能がそう強く訴えていた。

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