指輪と魔法
「……何も…できない」
召喚されて1日、私は昨日2人でお茶をした部屋の椅子に座り、ぼーっと窓から朝日を眺めていた。あの後知ったことだが、この部屋はダイニングキッチン。よくわからない石の台は本来は魔具というものを置いて火を使ったり、水を使ったりする場らしい。いわゆるキッチン台だったのだ。
私は木の間から漏れる光を見つめながら昨日のルークとの会話を思い出す。
結論から言うと、この世界は魔法が使えない人間に本当に優しくなかった。水も火も灯りも魔法。魔法が使えなければ生活出来ないと言っても過言ではない。
「…まさか灯りも調理器具もないなんて…」
ルークは魔法が一通り使えるので、この家にはこの世界で一般的に使われているという道具すら存在していなかった。
おかげで、昨夜は窓から差し込む月明かりを頼る他なかったのだが、柔らかい光では何もできずそのままソファーで眠った私。
朝日と共に眠りから目覚めても、水が使えないので顔も洗えない。そして、今に至っている。
「ルーク、まだ起きないのかな…」
彼はぐっすり眠っているのか起きてくる様子がない。静かな部屋でたまに聞こえる鳥の声に耳を傾けるだけの、贅沢なような、虚しいような時間が流れる。
昨日ルークのサポートをするって言ったけど、この状況で私に一体何ができるのだろう…。このままだと私は完全にお荷物だ。
1人ため息をつき、机に視線を向けると、昨日二人でお茶をしたカップが机の上に綺麗になった状態で置かれていた。
私はおもむろにそのコップのうち一つを手に取り、自分の前に置く。
「ぐぬぬっ…」
漫画やアニメだと異世界に行った途端に魔法が使えるのが定石。もしかしたら案外使えるのかもしれないと思い、昨日ルークがしていたようにカップに手をかざし、念じてみるがいくら念じても水は一滴も出てくる気配がない。
「…ですよね…」
25にもなって何しているんだろうとふと我に返って自嘲気味に笑っていると、静かだった部屋に突然私のものではない声が響いた。
「さっきから何やってるんだ?」
振り向くとルークが腕を組みながら扉に体を預け立っている。
今までの行動を見られていた!
そう瞬時に理解した私は自分の顔が耳まで熱くなっていく。
「おはよう。よく眠れた?」
「あぁ、久しぶりにぐっすり眠ってしまった…」
「そっか、それは良かった」
先程の行動について触れられたくなくて、ニコリと微笑みを向けさりげなく話を変える。ルークは私の問いに頷くと静かに私の向かいの席に座った。
その目つきは昨日よりも柔らかく顔色も良いように見える。やっぱりあの態度は寝不足のせいもあったのかもしれない。
「それで、さっきは何をしていたんだ?」
「……水とか…出せないかな……って…」
逸らしきれなかった話題に固まる。ここで露骨に話を変えたらルークは余計しつこく聞いてくるだろう…。良い言い訳が思いつかず、諦めて白状するとルークは私の前にあるカップの上に手をかざし、容器を水で満たしてくれる。
「昨日香草の年齢を確認した時、一応魔力量も調べたが香草の魔力数値は0だった。だから香草には魔法は使えない」
ゼロ…。
漫画のような非現実的な体験をしているのに、こんなところは現実的。魔法が必須の世界で魔法が使えない私はこれからどう過ごせばいいのだろうか…
「…そっか…それは…大変だ…」
力なく笑うことしかできない私にルークはわずかに戸惑いの表情を見せた。
彼はしばらくしかめっ面で固まり、そしておもむろに指輪のついたペンダントを外すと、指輪を抜き取る。その指輪は宮廷から帰るときに見た青い石のついた指輪。
彼はそれを両手で包み込むと何かの念を送るかのように目を閉じる。
何をしているのかよくわからず黙って彼を観察していると、しばらくして彼は目を開け、そして私を見て頬を赤らめた。
「どうし…痛っ」
戸惑う私の右腕をルークは少し乱暴に掴み上げ、そしてすぐに手を離す。解放された手を確認すると中指に先程の指輪がはまっていた。
訳がわからずルークを見ると、彼は自分の分のカップに水を入れそれを一気に飲み干す。
「その指輪に俺の魔力を込めた。生活魔法くらいなら1ヶ月は使えるだろう」
真っ赤になった顔を隠そうとしているのか、窓の外を眺めながら説明するルーク。他意は無いと分かっていても指輪をはめられたことに少し気恥ずかしさを感じてしまうが、私以上に照れているルークに思わずクスリと笑ってしまう。
けれどその声にルークは過剰に反応し、頬を赤く染めたまま少し怒ったような表情を私に向けた。
「指輪なのは魔法を使いやすいからであって、深い意味はないからな」
「分かってる……ありがとう」
態度は相変わらずだけど、私が魔法を使えるよう考えてくれたことに心が暖かくなる。それは私の事を荷物のように扱っていた昨日のルークとはまるで別人だ。
私の返事を確認した彼は、それ以上何か言うこともなく再び視線を窓際に戻した。窓の外を見ながら口にカップを当て水を飲んでいるかの様な動作をしているが、さっき一気飲みしてたからおそらく中は空っぽだ。
「ルーク、そのカップを貸して。試しに水を出してみたい」
「あっ、あぁ…それもそうだな。やってみろ」
ルークは私がカップの中身が空なことを知っていた事実に、気恥ずかしそうな顔をしながら持っていたカップを私の前に置く。そのカップに先ほどと同じように飲み口の上に手をかざしてみるが、水が出てくる気配は一向にない。魔力があっても私に魔法を使うことはできないのだろうか?
「…いいか、生活魔法は想像力が大事だ。使いたい時は『どこから』『どういう状態』の『どんなもの』を出すかを鮮明にイメージする」
「…わかった」
手をかざしたまま眉間に皺を寄せる私を見て、見かねたように魔法の使い方を教えてくれたルーク。彼のアドバイス通り、頭の中で手の平から冷たい水を出すイメージを思い浮かべてみると私の手の平からまるで蛇口をひねった時のように真っ直ぐに水が流れ出し、少しずつカップの中身を満たしていく。
驚く私。しかも自らの手から水が出ていると言うのに私の手の感覚は痛くも冷たくもなかった。
「出た!ルーク見て!」
初めて体験する魔法に興奮気味にルークを見ると、彼は目を丸くしていた。
少し大袈裟すぎる表情に戸惑うが、その間にも水は止まることはなく、あっという間に容器から溢れそうになってしまう。このままでは机が大惨事だ。
「これ、どうやって止めるの?」
「…今の状態から水が止まるイメージをしてみろ」
言われるがまま、今度は蛇口の水を止めるイメージを浮かべると水はピタリと止まった。イメージするだけで良いなんて、魔力さえあればなんて素敵な世界なのだろう…。
改めて魔力の無い事実に落胆する私を気にすることなく、ルークは私の入れたカップを手に取り自分の口元に運んだ。
「…なんだこれ…冷たい」
「…え?そんなに冷たい?普通の水だけど…」
私が入れた水を一口飲んだルークは驚いた様子でつぶやきカップの中の水を凝視する。驚きすぎじゃない?なんて思いながら彼の入れてくれた水を口に含むとそれは驚くほどぬるかった。熱くは無いけど…冷たくもない。生ぬるい水。ここに来てから暖かいものしか飲んでなかったから初めて飲む水の温度に驚く私。
動きを止めた私を置いて、ルークは何か思い立ったかのように立ち上がると棚からもう一つカップを持ってくる。
「今度はお湯を入れてみろ。やり方は同じだ」
「でもお湯ってなんかやり方が違ったよね?丸い水の塊ができてたけど…」
「俺のやり方は気にしなくていい。さっきと同じ様にやってみろ」
乱暴な言い方に口を尖らせながらも、指示されるまま私はカップに手をかざし同じようにお湯を出すイメージをする。
すると今度は手の平から湯気を立てた液体が流れ出てきた。試しに左手でカップに触れると暖かい。にもかかわらず、私が魔法を使っている手はやはり熱くなかった。普通なら火傷する。魔法って本当に凄い…どういう原理なのだろう?
「…はい。どうぞ」
淹れたばかりのお湯をルークに差し出すと彼はカップに手を伸ばし、触れた途端にさっきよりもさらに驚いた顔をする。
「何?どうしてそんなに驚くの?お湯はルークも出してたでしょう?」
ルークの不可解な表情に耐えきれず聞くと、彼は一瞬固まりそしてなぜか呆れたように説明を始めてくれた。
「まず、水の量だ。香草は一定の水の量を変わらず出し続けてた。普通ならイメージが揺らいで多少なりとも水量にムラができる」
この世界の人はそうなのだろうか?蛇口をひねれば一定量の水が出ていた生活をしていた私にはムラができるイメージの方が逆に難しい気がしてしまう。
「次に温度だ。こんな冷水に触れる機会はこの世界にない。経験したことのない温度の想像なんてほぼ不可能だ」
それでルークは驚いていたのかと得心がいく。元いた国での生活で冷たい水が身近にあった私と違い、ここは冷水そのものを知らない世界のようだ。信じられないがこの世界の水は彼の出した水の温度が一般的なのだろう。
「そして最後に、水の量と温度の想像をそれぞれ狂うことなく維持していることだ。それは初めて魔法を使うやつができることじゃない。それどころか、初心者でなくても出せる人間は少ない」
説明し終えたルークは、一息つくように水の入った方のカップを口にして、改めて私の入れた水の冷たさに驚いているようだ。
「…こんな冷水を出すのは俺でも難しい」
ルークの説明をなんとなく聞いていた私だったが、『俺でも難しい』という言葉にピクリと反応する。
話の内容から私が特殊なのは伝わってきたが、彼でも難しいなんてかなり凄いことではないだろうか?
「ルーク、この世界の魔法についてもっと教えて!」
ルークより凄いことが出来る何かがあるのなら、私にしか出来ないサポートがきっと見つかるだろう。
さっきまでお荷物になってしまうと不安だったが、突然見えたわずかな希望に私の目はやる気に満ちた。
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