新生活と決意

「着いたぞ」


眩しさから閉じていた目をゆっくり開けると、視界に広がったのは私たちがお茶を飲んだ部屋。

ルークの家に戻ってきたようだが、宮廷に行った時のような酔いはなかった。どうしてこんなにも違うのかはわからないが、彼の言う通りしっかり支えられていれば酔うことはないようだ。



「…気分はどうだ?」


まだ少し混乱しながらも、声のした方向に顔を上げると私の視界いっぱいにルークの顔が映る。予期していない彼のドアップに私の意識は一瞬にして引き戻された。



「だっ、大丈夫!」


床に座り込んだままルークから十分な距離を取り、私は固まる。ロングショットされた彼の上半身が胸元からお腹まで露わになっていたからだ。そこで初めて自分の取った行動の大胆さを自覚する私。



(必死だったとはいえ、私はなんてことを…!!)


反射的に彼に背を向けるようにくるりと体を回転させ、両手で顔を隠す。脳内で自分の行動を激しく責めていると、追い討ちをかけるように彼の呆れた声が飛んでくる。



「…それにしても、大胆なことをする。額をつけただけで変態ならこれはどうなのだろうな?」


背後からのからかうような声に何も言い返せない私。もともと熱を帯びていた顔がさらに熱を帯びていくのが自分でもはっきりわかった。穴があったら入りたい。しかし穴などあるはずもないので、熱い顔を両手で隠し床に正座をした状態で上半身を丸める。



「お前もモヤに触れていたよな…やはりどこか痛むのか?」



予想しなかった言葉が耳に届くと、私の上半身は強い力で強制的に起こされ、さらには顔を隠していた両手も無理やり引き剥がされてしまう。

そして私の瞳に映ったのは心配そうなルークの顔。

てっきりまた無神経な言葉を言われると思っていたのに、不意打ちの言葉と表情に顔の熱はさらに熱くなる。



「…大丈夫。なんともない…」

「ならどうして黙る?」

「それは……今頃…恥ずかしくなって…」


本当は言いたくないけど、心配してくれているルークに私は消え入りそうなくらい小さな声で正直に答えた。

彼は少しだけ目を見開いたかと思うと突然ゲラゲラと声を上げて笑い出す。



「はははっ!今更恥ずかしがっているのか?自分でやったんだろ?考えなしの単細胞なんだな、香草は」


ドキドキしてうるさかった心臓がルークの言葉に一瞬でおさまっていく。顔の熱も冷水で顔を洗ったかのように引いていくようだった。

否定はできないけどそんなに率直に言われると腹立たしい。ムッとした私は、相変わらず胸元がはだけたままのルークから視線を逸らし反撃する。



「いいから早く身なりを整えてくれる?目に毒だから」


自分で脱がせておいて…というのは棚に上げて言うとルークは怒った様子もなく面白そうな声を出す。



「香草は本当に変な女だな。この国の女は嬉々として悲鳴をあげるものはいても、そんな事を言う奴はいないぞ」


ボタンを止めながら、自分はモテるとハッキリ言ったルークに頭を抱える。

思い返せばレオも同じことを言っていた。それに認めたくはないがルークの顔は整っている。こんな性格でなかったら、私も揺らいでいたかもしれない。

しかし、目の前の相手はそれを相殺できるほどの非常識人間。



「おあいにくさま。私、恋愛事には興味がないの。それに宮廷でも言ったけど、貴方みたいな性格の男性はお断り」


実直な言葉。少し棘のある言い方なのに、ルークは宮廷にいた時のようにクスリと笑う。



「そうか。それは面倒ごとが減ってなによりだ」


平然とそう言って立ち上がろうとするルークだったが、手を床についた状態で動きを止め手元に置いてあったペンダントを手に取る。



「…そういえば借りたままだったな。ほらっ」


私の目の前に差し出されたペンダント。なんとなく、私のイメージだと『これは貰っとく』と言いそうだったので、普通に返された事に驚きを隠せない。



「…でもそれ、必要じゃないの?」


これは、彼の呪いを解くための手がかりになるかもしれないもの。ルークにとって、今1番欲しいものだろう。



「まぁ、後で色々調べたいがな…大切なものじゃないのか?」


非常識なルークがそんな事を思うなんて…またも意外な言葉に私は戸惑うばかり…。確かにこれは気に入っている。でも何かな感情がこもっているわけではない。

私は小さく微笑むと、差し出されたペンダントを受け取る事なく首を振る。



「なら、私が帰る時まで貸してあげる」


そう言った途端、ルークの瞳が一瞬だけキラリと光ったように見えた。



「いいのか?」

「うん。まだそれが呪いに効いたのかわからないけど、ルークが身につけていて」

「そうか…ありがとう」


綺麗な表情で微笑むルーク。やっぱりその顔は心臓に悪い。

社会人になってからプライベートではほとんど男性と接してこず、ただでさえ男性に対しての免疫がない私にとって、恋愛感情云々を差し置いてもこの整った容姿は正直な所、精神的に毒だ。



「…やっぱりルークが俺様非常識人間で良かったのかも…」


もしもルークがレオのような紳士的な性格だったら…私の心臓がもたない気がするし、緊張して落ち着かないだろう。



「お前…なんでこの流れでそんな暴言を吐けるんだ?」

「あっ、ごめんごめん。無意識に口に出してた…」


心の中で納得しているつもりだったのだがどうやら声に出ていたらしい。明らかに不機嫌そうな表情に変わったルーク。

やっぱりこの方が私は落ち着いて生活できる。

不機嫌な彼を気にする事なく笑う私に、彼の表情は怒りから呆れのような表情になり、やがて彼は小さくため息をついた。



「無意識って…お前も結構いい性格してるからな」


ルークほどではないが、自覚はあるので否定も肯定もしない。それにこれ以上言い返したらきっとまた睨み合いになるだろう。

私は呆れた様子を浮かべているルークを無視して、ペンダントを手を指さした。



「そのペンダントね、中に精油が入っていて、体温で温めるとリラックス効果のある香りがするの」

「精油?この中に香りがする何かが入っているのか?」


精油という言葉は伝わらなかったようだが、私の説明から香りのするものだというのは伝わった様子。説明を聞いたルークは物珍しそうにペンダントを顔に近づけ、納得したような表情を浮かべた。



「あぁ、お前の香りの元はこれだったんだな」


その言葉に気恥ずさを感じる私。身につけていて慣れてしまっているのか、自分ではそこまで香っている認識はなかったけれど、そんなに香っていたのだろうか?

謎の気恥ずさを感じている私を置いて、ルークは手に持っていたペンダントを胸ポケットに入れ立ち上がった。



「…さて、無駄話はそれくらいにして準備をするぞ」

「準備?」


立ち上がり軽く伸びるような姿勢をした後、ルークは私を見下ろす。そして未だ座り込んだままキョトンとしている私に手を伸ばした。



「香草の住環境を整える。早く立て」


言い方は相変わらずだ。けれど僅かに微笑んでいるように見えたルークに私は素直に彼の手を取る。

大きな手は私の手を握ると、凄まじい力で私の体を引っ張り上げた。

そして、レオが用意してくれたトランクを手にしてさっさと部屋を出て行ってしまう。



(異世界で…新生活か…)


異性と…いや、家族以外の人間と一緒に住むなんて初めてだ。しかも相手はルーク…。本当に大丈夫だろうか…。

ポツリと部屋に残されこれからの事に不安になるが、できる事はすると言ってしまったからには頑張るしかない。

決意を固めるように1人小さく頷くと、もう姿の見えない彼を追うように力強い足取りで部屋を飛び出した。

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