笑顔と優しさ

「…っ離れてろ!」


墨汁のように黒くて何か意思でも持っていそうな不気味なモヤに怯む私を、ルークは突き飛ばすようにして強引に引き剥がした。

そのあまりの力によろめき尻餅をつくが、経験した事のない事態を目の前にしているせいか痛みなど感じない。



「ルーク!」

「…っくるなレオ!」


初めて聞いたレオの大きな声。表情は見えないが、声が只事でないと言っていた。それなのに、自分に近づき触れようとするレオを強い視線でルークは静止する。そしてレオもその声にハッとし、彼から少し離れたところで足を止めた。冷たいようにも見えるが、致し方ないのだろう。だって彼は王様だ。自分の身は自分だけのものではない。

レオが静止したことを確認するとルークは苦しそうに顔を歪めて膝をつき、そのまま床に倒れ込んでしまう。

そんな彼に、ようやく我に返った私は一人苦しさに耐えているルークの元に駆け寄った。



「ルーク!しっかりして」


床の上で横になり背中を丸めて苦しんでいるルークの背後に回り、彼の腕にそっと触れる。

彼はもう既に抵抗する気力もないのか、私を突き飛ばすことも拒絶することもせず、左手で胸を強く握りしめ苦しそうに顔を歪めるだけだった。

とにかく原因を探ろうと彼の手元に視線を移すと、正体不明のモヤはルークの胸のあたりから出ているようだ。



(触れても大丈夫なのもだろうか?)


ビクビクしながらも意を決して彼の胸に触れようとすると、彼は苦悶の表情を浮かべながら右手で私の腕を掴み自分の胸から離そうと力を込める。

それが拒絶からくるものではない事は流石の私でもわかった。だからこそこのまま放置なんて出来ない。

掴まれた手を振り解こうと少し力を入れると、よほど苦しいのか彼の手は簡単に振り解く事ができた。自由になった手で、彼の背を床につけるように体を動かすと、もともと大きく開いているボタンを外す。そして、強引に胸を押さえている彼の手ごと無理やりシャツをめくった私は自分の目を疑った。彼の心臓がありそうな場所には、何かのマークのようなものが刻印されていた。得体の知れない記号が集まって作られたような円形のマークは血の様に赤く何とも不気味な空気を醸し出しており、その中央部から例のモヤが溢れている。



(何これ…これが呪い?)


初めてみるものに恐怖を感じ、私は思わず右手を胸の前でギュッと握る。ルークは私が怯んでいるうちにその不気味な何かに爪を立てる様にして力強く胸を握った。苦しむ彼を目の前にただ見ることしかできない私。だからといって黙って見ていることもできなくて、血が出そうなくらい胸に爪を立てているルークの手に自分の左手をそっと重ねた。そして右手で彼を落ち着かせるように優しく肩をさする。



「大丈夫…大丈夫だから」


何が大丈夫なのか自分でもわからないが、自然と私の口はその言葉を繰り返す。

そうしていると徐々にルークの表情が和らいでいき、重ねた指の間から出続けているモヤも彼の表情と比例するように、その量を減らしていく。

それがいい兆しなのかもわからないまま、彼を励ますようにただただ『大丈夫』と呟きながら肩をさすり続けた。



「…っ…はぁ…」


やがて謎の黒いモヤがルークの胸から完全に出てこなくなると、彼は一度大きく息を吐き、ゆっくりと上半身を起こす。

そしてまだ少し歪めている顔をこちらに向けた。



「…香草…大丈夫か?…どこか痛みとか…」


自分の方が大変なのに、彼の口から最初に出たのはそんな言葉。

思いもよらない言葉に私は驚く。



— 根は優しいやつなんだ —



レオの言葉が脳裏によぎる。私は彼のことをほとんど知らない。偉そうで最悪な人だと思っていたけれど、これから一緒に過ごしていけば少しは良いところも見つかるのだろうか…?



「大丈夫だよ。ルークは?」


心配そうに私を見る彼を安心させようと、なるべく明るい声で答える。その言葉に、ルークは安堵の表情を見せ自分の体を確認し始めた。

そして彼は固まる。目を見開き俯いたままの彼の視線を辿るように私も彼の胸に視線を移すと先ほどまで彼の胸に刻まれていた真っ赤な刻印は、明らかに薄くなりよく見たらわかるくらい程度まで変化していた。



「……信じられない…余命の呪いが少しだけ弱くなってる……」


その言葉で、ルークから距離をとっていたレオが勢いよく駆け寄ってくる。



「本当か⁉︎どうして⁉︎一体何が…」

「…わからない…ただ、あの時、胸のあたりに何か硬いものが触れた感触がした。そしたら急に苦しくなって…」


状況が読めていないルークは呆然としながらその時の状況を語る。

彼が苦しみ出したのは私が抱きついた直後。となると私の何かが原因の可能性が高いのだろうか?…硬いもの?



「あっ‼︎」


私の声に二人が同時に視線を向ける。



「もしかして…これ?」


私は服の中にしまっていたペンダントを引っ張り出し、二人に見せた。

取り出したのは、ネットショッピングで一目惚れして購入した小さな瓶の形をしたペンダント。素材は水晶でできていて、精油の入るペンダントの中では比較的珍しい。



「…少しそれを貸してくれ」


言われるがままペンダントを首から外しルークの手に乗せると、今度は彼の手のひらから先程よりもだいぶ色の薄いモヤが少しだけ出てすぐに消えた。



「どうやら、これが原因のようだ」


手のひらのペンダントを見つめながら、驚愕の表情のを浮かべているルーク。レオもまた、混乱している顔でペンダントを凝視している。



「香草さん、これは一体何だね?」

「私の国のアクセサリーです。ごく一般的な…」

「一般的?何の効果もないアクセサリーってことかい?」


はい…と答えようとして私の口は止まった。



— なんの効果もない? —



確かにもといた場所では普通のアクセサリーだ。

しかし、水晶には浄化の力があるという逸話を咄嗟に思い出す。



「……もしかしたらですけど…その石かもしれません。私の国では今みたいな事が起こったことはないんですけど…その石、私の国では浄化の効果があるって言い伝えもある石で…本当かどうかは分からないですけど…」

「…浄化…」


穴の開くほどペンダントを見つめ固っていたルークだが、ふと何かを思い出したかのように私の顔を見る。



「…ありがとう」


そう言って笑ったルークの顔は、本当に微かにだけど、泣きそうな顔をしていた。その表情に私の心臓がギュッと痛くなる。



「…希望が見えてきたな…ルーク」


レオがルークの頭をポンっと撫でた。

そんな彼もルークと同じように泣きそうな表情をしている。その表情が2人のこれまでを物語っているかのようだった。



「香草さん、私からも礼を言う。本当にありがとう」


ルークから手を離しレオはこちらに体を向けると、深々と頭を下げる。



「いえっ、呪いが完全に解けたわけではないですし、本当にこれが原因なのかよくわからないですからっ。とにかく!頭を上げてください」


2度も王様に頭を下げさせるなんてなんだかとても心臓に悪い。

それにまだ不確定要素が多すぎる。目を白黒させながら、私は話題を変えるようにルークを見た。



「ところで、どうして呪いが弱くなったってわかるの?ルークの胸のマークが薄くなったのと関係ある?」

「そうだ。こういった期限付きの呪いは…時間が経つにつれ、魔法陣が浮き出て濃くなっていくんだ。その色が濃いほど呪いに蝕まれているってことになる」

「つまり、薄くなったってことは…呪いが弱くなったってこと?」


つまり、ルークの呪いは今どういう状態なのだろう?

国民への呪いはともかく、1年の寿命の呪いくらいは解けたのだろうか?期待に胸を膨らませていると彼は私にその答えをくれた。



「…あぁ…呪いを受けた時こんな感じの濃さだった…恐らく、半年程度寿命が伸びている…」


ルーク言葉に私は落胆した。

私ができたことは寿命の呪いを最初に戻すこと。期限が半年伸びただけ。

せめて寿命の呪いだけでも消えれば、彼はタイムリミットを気にせず解呪に専念できたのに…



「…1年の寿命の呪い自体が解けたわけではないんだ」


寿命のカウントダウンがクリアされただけでは、呪いの問題は何も解決していない。がっくりと肩を落とすと私の肩に手が置かれる。それはまるで大切なものを扱うような優しさがあった。驚きから顔をあげその手の持ち主を確認するとルークが真剣な表情を浮かべている。

彼は何か言いたげに口を開き、すぐに何も言わず口を噤む。二人の間に長い沈黙が流れどうしていいのかわからなくなってきた時、彼は再び口を開いた。



「…それでも調査が半年多く進められる。これは俺にとって大きなことだ」


最後の方は私から視線を外しながら彼は言った。微かに頬があからんで照れている様子。多分、人を褒め慣れていないのかもしれない。不器用に私を褒めてくれた彼に私は微笑む。



「…それなら…良かった」


微笑み素直に言葉を返すと、ルークはさらに顔を赤くする。



「…役に立たないと思っていた人間がここまでのことをしたんだ。さっき、期待しておくと言ったがその期待以上だよ」


顔を赤らめながらやっぱり悪態をつくルーク。それなのに、私の心は穏やかだった。きっと、照れ隠しだってわかるから…。むしろ、なんだか可愛らしくすら見えてしまう。同じような言葉だが、表情と動作でこんなにも印象が変わるとは自分でも驚きだ。



「そっか…なら、役立たずが期待以上のことをしたのだから、早くその呪いを解いて私を元の世界に帰してね」

「言われなくてもそのつもりだ」


ルークのマネをして少し無遠慮な言い方をすると彼は笑った。

自分の死などいとわないと言った時の目ではなく、少し希望を抱いた目をしながら…。

夕陽の光を反射して輝きを増した海の様な青い瞳は本当に綺麗で、何度見ても吸い込まれてしまう。

どうして彼の瞳はこんなにも不思議な魅力を持っているのだろうか?



「あー…こほんっ…君たち私の存在を忘れていないかい?」


何も言わず見つめ合う私達に気まずそうな様子で話しかけるレオ。

その声に一瞬ハッとした表情をしたルークはすぐにいつもの無表情に戻った。



「何を言っているんだレオ。すぐ隣にいるのに忘れる訳ないだろう」

「そうか…なら良かったよ。目の前で見つめ合って微笑み合う若い二人を見せつけられて、おじさん嬉しいような気まずいような、なんとも言えない気持ちだったんだ」


茶化すように言いながら苦笑いを浮かべるレオ。そんな感情一切ないのだけれど、なんだかいたたまれない。だからといって、ここで謝るのも何だか変な話だ。



「さて…長居しても仕方がないし帰るぞ」


レオへのフォローを必死に考えていた私だったが、ルークはさらりと話題を変える。思わぬ助け舟に、勢いよく同調する私。



「そうだねっ!…っっ」


頷き立ち上がろうとする私を、ルークは逃がさんとばかりの素早さで私の背に手を回し力強く引き寄せる。はだけたままのルークの胸に私の頬がピッタリとくっついたかと思うと目の前に綺麗な青い石のついた指輪が目に入った。

ルークの瞳の色みたいだな…なんて、どうでもいい事を考えていると、私たちの周囲が光だす。



「また来る。レオ」

「ああ、いつでも来い」


そんな2人の言葉を最後に、私の視界は完全に真っ白になった。

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