事態の把握と絶望

電気もない薄暗くて不気味な廊下を歩くと短い廊下はすぐに突き当たり、現れた簡素な扉をルークは開く。扉の先にあったのは、先程の部屋よりも広い部屋。それなのに、その部屋は部屋の中央にテーブルとイス、そして部屋の隅に天井近くまである大きな棚が一つとよくわからない石でできた台があるだけ…。それ以外は何もない。さっきの部屋と違い生活感がまるで無い部屋。



「そこに座って少し待ってろ」


棚へと足を進めながらルークが指さしたのは、2人掛けサイズのテーブルに並べられた椅子。促されるまま椅子に近づくとテーブルと椅子の表面にうっすらと埃が積もっている。やはりこの部屋はあまり使われていないらしい。

私は椅子に積もっている埃を手で軽く払いなるべく浅く腰掛けるとチラリと彼に視線を送る。彼は棚から取っ手のついた白いカップを2つと缶のようなものを取り出してくると、テーブルに積もった埃を気にすることなくそれらを置き、私の向かいの席に座る。そして持ってきた缶を開け黒い粉末のようなものをそれぞれのカップへ入れた。



「それは…コーヒー?」

「はぁ?なんだそれ?これは黒草茶コクソウチャと言って黒草を粉末にしたものだ」


黒草茶?聞いたことのない名前。でも名前から想像するにお茶なのだろうか?

得体の知れない謎の粉末が入ったカップを凝視していると、ルークは2つのうちの1つのカップの口の上で手をかざす。

その動作に先程の不思議な体験を思い出していると、彼の手とカップの口の間に真珠くらいの小さな玉状の何かが現れた。驚いている間にもそれはどんどん大きくなり、彼の手のひらくらいの大きさになると、今度は穴が空いたように玉状の何かから液体が流れ湯気をたてながらカップを満たして行く。

手品とは思えない光景。これが魔法なのだろうか?

信じられないものを目の当たりにして、改めて言葉を失っている私に彼は不思議そうな顔を向けた。



「何をそんなに驚いている?」

「何をって…生まれて初めて魔法を見るから…」

「…生活魔法すら見たことがないのか?」

「魔法なんておとぎ話の中のだけだもん…使える人なんて…」


いるわけないのだ。それなのに、ルークの口振りは魔法があって当たり前という雰囲気。あまりに乖離した価値観に戸惑い、言葉を言いかけたまま固まる私の前に黒草茶の入ったカップが置かれた。黒い液体で満たされたカップは湯気を立てていて、触ると暖かい。

私はカップを両手で包み、現実離れした出来事から冷たくなった指先を温める。指先がじんわりと暖かくなっていく感覚に、やはりこれは夢ではないという考えは強くなる一方。だけど…そうだとしたら疑問に思うことがあった。



「まさかそんな国があるとは…日本…と言ったか?やはり覚えのない国だが…」

「でも、貴方は日本語を話してるじゃない」


ここに来た時からずっと気になっていた。彼の言葉は流暢な日本語なのだ。ここが別の国だとしても知らない国の言葉を話せるわけがない。一抹の希望を胸に不思議そうな表情で黒草茶を口にしているルークに抗議すると、彼はカップから口を離し中身を見つめる様にして口を開く。



「それは多分魔法のせいだろう。俺はエルフィーネ国の言葉を話している」

「魔法…」


そんなことまでできるなんて…魔法というのはやはりなんでもありなのだろうか?手品か何かだと否定したくなるが、先程から不思議な出来事を体験している私の心は魔法の存在を信じつつある。けれど魔法の存在を認めるとしたら…やっぱりここは私の知っている世界じゃない。



「…多分、この世界は私のいた世界じゃない」

「世界?…お前は別の世界から来たとでも?」


露骨に眉をひそめるルーク。何を言っているんだ?大丈夫か?と言いたげな目に私はため息をついた。そんなの言っている自分が一番そう思っている。

小説とか漫画で異世界にいく話は割と好きで読んでいた。私が知らないだけで本当に別の世界があるとしたら面白いな、なんて年甲斐もなく思ったりしていたけれど、やっぱり心のどこかではちゃんと現実を理解していたようで、いざそれっぽい体験すると、『やっぱりあったんだ!』なんて簡単に信じる事はできないし、面白くも思えなかった。



「さっき見せてもらった地図…私の世界の地図じゃない…あんな地図知らないしエルフィーネ国なんて私は聞いたことない。それに私の世界は、魔法が使えないのが普通なの…」


俯き、カップを眺めながら真剣に説明するがルークは何も言わない。けれど彼が戸惑っているのはなんとなくわかった。なんでもありの魔法が存在するのだから別の世界の存在も知られているのかも知れないと思ったが、どうやらここでも異世界の存在は知られていないようだ。

それなら、どうして私はここにいるのだろう?



「私、家にいたら突然風に包まれて…目を開けたらここにいて…どうしてこんなことになっているのか未だにわからないのだけれど…貴方の知っている事を教えてくれない?」


顔を上げ真っ直ぐに彼を見ると、私の視線から逃げるようにルークは目を逸らす。そして、彼は小さくため息をつき、重々しく口を開いた。



「お前がここに来たのは俺が召喚魔法を使ったからだ。言葉が通じるのも召喚魔法のおかげだろう」

「召喚魔法?魔術師か魔族を?」


少し前の彼の言葉を思い出す。けれどルークは首を横に振った。



「いや…そういった類の指定で召喚はしていない。俺は、『呪いを解けるもの』を召喚した…そしたらなぜかお前が…」


はぁとため息をつき、顔を手で覆うルーク。

彼の様子からしてどうやら召喚魔法は失敗したらしい。ため息をつきたいのはこっちの方だが、項垂れるように肩を落としているルークを見て静かにそれを飲み込んだ。



「あの…呪いって何?」

「…お前には関係ない」


ルークの様子と、さっきの部屋でも言っていた『呪い』という単語が気になり問いかけると彼は低い声で冷たく突き放すように言った。

『こうして実際に迷惑を被っているのだから関係なくはない』と、喉まででかかった言葉をなんとか抑え、私はため息をつく。

別にそこまで興味があるわけではないし、彼の態度を見るにきっと自業自得の行いからくる何かなのだろう。私に用がないのなら、一刻も早く帰りたい。



「なら召喚魔法というのは失敗したようなので、私を元の世界に帰してください。さっきも言った通り私の世界は魔法というものがありません。自力では帰れませんので貴方の魔法で返してくれませんか?」

「………」


怒りを表に出さないようにするためか、先ほどまでタメ口になっていた口調が無意識的に敬語に戻る。

魔法を使って異世界に呼び出したのだから、当然返す事もできると思ったのに、ルークは顔を覆っていた手を放し、表情をさらに曇らせた。

先程から魔法が存在しないと話した辺りから私を視界に入れようとしない彼。眉間の皺を濃くし、何か考え込むようにしたまま何も話さないどころか微動だにしない。

言葉よりも雄弁に語っている態度に私はカップから手を離し膝の上に置くと背筋をただす。



「……もしかして、帰し方がわからないんですか?」


冷たい視線をルークに送り、私は考えたくもない想像を言葉にした。声は冷静を装えたが机の下で重ねた手は僅かに震えている。お願い。帰せると言って…



「…召喚魔法は高度な魔法で、ごく一部の魔術師にしか使えない。それに、召喚するのは通常は物や魔獣だ。人間を呼び出すことはほとんどないし、あるとしても高位の魔術師だ。普通の人間なんて俺の知る限り前例がない」

「つまり?私は帰れるのですか?」


答えになってない答えに私は問い詰めるような口調で聞いてしまう。召喚魔法の説明をしただけで明確な答えを言わないまま黙り込むルーク。



「呼び出した者は…大抵自分で魔法を使って元いた場所に戻るらしい。物の場合は、基本的に召喚したままだ。誰かの所有物は召喚できないからな…」

「……」


相変わらず魔法についての説明を淡々と続けるルーク。それでも黙って『答え』を待つ私を彼は一瞬だけ見て、すぐに視線をそらし何か諦めたように口を開いた。



「……移動魔法を使えば戻せないことも無いと思ったが…世界が違う国になんて魔法の座標の合わせようがない…」


ドクンと心臓が胸を打つ。



「…じゃあ、私は帰れないってことですか?」


ルークは口をつぐんだまま動かない。

その様子に私は悟った。目の前が真っ白になり、もう戻れない世界の出来事が頭の中を駆け巡り、再び目頭が少しずつ熱くなっていくのを必死に堪える。

この男の前で泣き出したら、きっと彼はまた面倒そうな顔をして、ため息をつくに違いない。そんな表情を見てしまったら、今堪えている色々な感情が爆発してしまう。



「すぐには無理だが、お前は必ず元の世界に帰す」


しばらく黙っていたルークだったが、やがてハッキリとした口調で私に告げた。泣きそうなのを悟られないよう俯いていた顔を上げると、真剣な表情を浮かべた彼と目が合う。

あまりの状況に意識して見ていなかったけど、彼の瞳はサファイヤのように青く澄んだ色をしていた。

深みのある青は窓から差す光の影響なのか、時折、宝石のようにきらりと光っているようにすら見えて…綺麗だと心から思ってしまう。

いつまでも見ていられそうな不思議な瞳は、先程までの悲しみと怒り、そして不安までもを吸い込んでいくように私の心を穏やかにしていった。



「……よろしくお願いします」


何かの魔法にかかったかのように、彼の瞳から目が離せないまま、気づくとそう答えていた私。どうしてそんな事…



「それにしても、面倒ごとが増えた…ただでさえ時間がないってのに…」


ルークの瞳に見惚れていると、真剣だった彼の表情は一瞬で消え去り、再び表情を曇らせる。そしてもとの面倒そうな表情を浮かべ後頭部で両手を組み何か思案を始めた。驚くほどの変わり様に私は我に帰る。

やはり…彼には好感が持てそうにない。



「仕方ない…レオの所にいくか」


やがて少し気が進まなそうな様子でルークは呟き、面倒くさそうに席を立つと、なんの断りもなく私の腕を掴み半ば強引に立ち上がらせた。

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