理不尽な召喚と出会い

「ただの人間に見えるが…お前は何者なんだ?」


眩い光に固く目を閉ざしていると、男性の声が私の耳に入る。

予期せぬ声に驚き恐る恐る目を開けると、風はすっかり止んでいて私の前には見知らぬ男が立っていた。状況が分からない私は男の質問に答える余裕はなく、咄嗟に周囲を見渡す。さっきまで間違いなく自分の家にいたはずなのに、今いる場所に私の部屋の面影はなかった。真っ白の壁紙とピカピカだったフローリングはなく、古民家のような木の板が並べられた壁。床もまた同じで、ワックスなどの塗装加工がされていないそのままの木の板が隙間なく並べられている。

全く見覚えのない空間に私は床に座った状態のまま思考をフル回転させた。

誘拐?いや、一瞬でなんて無理だ…もしかして知らぬ間に眠らさたとか?ううん。そんなことは今はどうでもいい。私はこれからどうなるの?逃げられるのだろうか?ここがどこかもわかっていないのに?

恐怖から色々な考えが頭をよぎる。小刻みに震えていく自分の手を見つめていると、頭上から苛立ちを含んだ声が降ってきた。



「聞こえているか?お前は何者だと聞いているのだが?」


その口調と先程よりも大きな声に我に帰った私は、声の主を確かめるようにおずおずと上を向く。座り込んでいる私の前で仁王立ちしている人間は私と同年代に見えた。身長と声からしておそらく男性なのだろうが、彼の髪は彼の胸の辺りまである。その長髪は羨ましいくらい綺麗な黒髪。そしてそんな髪の色とは真逆で透き通った白い肌と切れ長の目が、精巧に作られた人形のような美しい容姿を作っていた。極め付けは私が座っているという事を考慮しても違和感を覚える背の高さ。

モデルやアイドルと言われても頷ける容姿。普段なら一瞬見惚れていたかもしれないが、例えアイドルだったとしても、周囲の女性が逃げそうなくらいの鋭い視線で私を見下している彼の表情が私の恐怖心を煽る。



「…花園はなぞの香草かぐさ…です」


訳もわからぬ状況と剣呑な雰囲気を帯びている男にうまく喉が動かない。絞り出す様な声でようやく自分の名を告げると男は私に聞こえる大きさでチッと舌打ちをした。



「お前の名前なんてどうでもいい。俺は何者なんだと聞いている」


冷淡な声。そして男の視線はさらに険しくなる。あまりにも理不尽に思える発言だが、危険な空気が一層濃くなり私はビクリと小さく肩を振るわせた。

もう一度間違えようものなら殺されそうな雰囲気に私は恐る恐る問いかける。



「…何者ってどういう事ですか?」

「察しの悪い奴だな。お前の種族を聞いている。魔族か?それとも何処かの国の魔術師か?」


そう言ってまた無遠慮な大きさで舌打ちをした男に私は思わず目をパチクリさせた。魔族とか魔術師とかファンタジーの世界の話だ。本気でそんな事を聞いているのだろうか?

僅かに眉を顰めながら男をよく観察すると服装は黒いスラックスと白いシャツにグレーのベスト。シャツは第二ボタンまで開いていてどこかホストにも見える。そこまでは一般的な服装と思えなくもないけれど、彼が羽織っているのはジャケットではなく、膝あたりまである紺色のローブのような服だった。立派な刺繍が所々に入っているローブはまるでファンタジー映画やハロインで見かける魔法使いのような格好…失礼かもしれないがとても普段着だとは思えない。なりきりとかだろうか?それとも、コスプレ?



「…ただの人間ですけど?」

「ただの…人間…?」


痺れを切らしかけているような彼をこれ以上刺激しないよう、当たり前の質問に当たり前の答えを告げたつもりだったが、男はひどく驚いた顔をした。

その演技とは思えないほどの表情に今度は私が眉をひそめる。



「あの…貴方のお名前は?」

「…ルークだ」


驚きの表情のせいか、危険な雰囲気が薄らいだ男に思い切って口を開くと、男はチラリと私を一瞥して吐き捨てるように答えた。

言い方は置いておいて、名前を教えてくれたことに少し安堵する私。もし私に危害を加える気なら多分だけど名前なんて教えてくれないだろう。恐怖心が薄らいできた勢いで、口に手を当て何かを考えているルークにもう一度声を出す。とにかく自分がここにいる原因が知りたかった。



「あの、ここはどこですか?私はどうしてこんな所に連れてこられたんですか?」

「お前、呪いの解き方を知っているか?」

「呪い?いや、知らないですけど…」


丁寧な言葉でルークに問いかけると彼は強い視線を向け私の質問に質問を返してくる。まるで私の質問など聞こえていないかのように…。

畏怖の念が薄らいできたせいか、その態度に少しムッとする。

彼が何者かはわからないが、初対面の人間に対して先程からの失礼すぎないだろうか?若干の苛立ちを抑えながらも彼の問いに答えると、彼は興味を失ったかのように私を視界から外した。



「…ならお前に用はない。もう帰っていいぞ」


ツカツカと足音を立てながら、にべもなく言ったルークは部屋の端に寄せられている8人くらいで使えそうな大きなテーブルの一番奥の椅子に座ると、机の上に山のように積み重なっている本や紙の中から1冊の本を引っ張り出す。

そしてもう私など見えていないかのように手にした本を読み始めた。どうやら私の質問に答えてくれる気はないらしい。

帰っていい…と言うことは逃げていいということだろう。ならこれ以上彼に関わることは止めて外に出た方が賢明な気がした。外に出れば誰かに助けを求めることもできるだろう。混乱する頭で、恐る恐る立ち上がりこの部屋にある唯一の扉へ足を向ける。



「待て、どこへいく気だ?」

「どこって…出口に…」

「お前はエルフィーネ国の人間なのか?」


理不尽な質問にイラッとしながら答えるとルークは顔をしかめながらまるで尋問するような口調で聞いてくる。そんな口調の彼に一言言ってやりたくなったがそれよりも引っかかる事があった。



「エルフィーネ国?…ここは…日本ですよね?」


いくらなんだって、別の国に連れて行かれるほど眠っていた記憶はないし、何よりもルークは日本語を喋っている。

先程から少し変な事を聞いてくる彼に今までとは別の恐怖を感じていると、彼は訝しげな表情で私を見る。



「日本?それは国か?聞いたことのない国だが…」


ガタリと音をたて立ち上がったルーク。彼は私の近くにやってきてテーブルに積み上げられている本や紙の束を再びガサゴソと漁り一枚の古びた紙を取り出すと、その場に立ったまま手にした紙を私に向かって放り投げた。投げられた紙は私の腕にぶつかり、パサッと小さな音を立て床に落ちる。



「日本国とはどの辺だ?」


手渡すではなく、投げられた紙にイライラを募らせながらも床で丸まっている紙を手にして広げる。紙には地図のような絵が描かれていて所々に何かの名前の様な言葉が記されていた。その中に先程ルークが言っていたエルフィーネ国という言葉があることから、きっとこれは世界地図なのだろうが、描かれている形も国名も初めて見るものばかり。遠い昔、学校で学び私の常識となっていたはずの世界地図の形とは明らかに違っている。それに、記載されている国名に身に覚えのあるものが一つもない。

地図を広げた手が微かに震え、背筋が凍る。もしこれが本物の世界地図なら、違う国どころではなく違う世界に連れてこられたとでも言うのだろうか?そんなバカな…

混乱が脳の許容量を超えた私はその場に崩れ落ちるように膝をつく。そして、頬が勝手に僅かな笑みを作った。



「…そっか…私夢見てるんだ…変な夢だな」


無意識にでた言葉。けれどその言葉にようやく冷静さが戻ってくる。きっと私は机に突っ伏したまま寝てしまったのだ。おそらく、あの竜巻のような風が発生したところからもう夢だったのだろう。

予想を確信に変えるため、膝をついた状態でもう一度キョロキョロとあたりを見渡すと見覚えのあるものが目に映る。それは突っ伏していた机と本の山。傍に置いていたアイスコーヒーは完全に氷が溶けてグラスの底と机の間に小さな水溜まりを作っている。

夢にしてはあまりにリアルな光景な気もするが、周囲の非現実的な空間も同じくらいリアル。自分の想像力がこんなにも豊かだったとは驚きだが、相反するリアルが混ざっているこの光景は夢でなければ起こり得ない。

自身の予想が無事確信に変わり、安堵した私は、今度はわずかに声を出しながら小さく笑みをこぼした。我ながら変な夢だ。仕事に追われている時、夢の中で仕事をしていたり何処か遠くに旅に行くような夢を見たりするけれど、これはどういう心理状態から見ている夢なのだろうか…。



「…おい、頭は大丈夫か?」


失礼なセリフに顔を上げると、自重気味に笑う私をかわいそうなものでも見るかのような表情で見下しているルークが視界に入る。

夢であることを認識し恐怖心が完全に消えた私の心は、代わりに彼に対しての怒りの感情に満たされていく。どうせ夢だ。ならこの失礼な男に一言二言…いやもっと文句を言ってやりたい。もし殺されたら…きっと夢から覚めるだろう。

心の中で何かが固まった私は鋭い視線をルークに向け、勢いよく立ち上がる。そしてズカズカと足音を立てながらルークに詰め寄って彼を見上げた。実際に近くで並んでみると彼は予想以上に背が高い。162センチくらいある私と彼は頭一つ分以上差があるように感じる。決して身長が低いとは言えない私と並んで、この身長差は現実ではそうそういない。やっぱり目の前にいる男は夢の中の人間だ。



「貴方こそ、頭は大丈夫?あまりにも礼儀知らずすぎて驚きを通り越して呆れるんだけど?と言うかね、どうやったのか知らないけど、連れてきたなら責任持って元の場所に帰してよね!」


夢である事を良いことに、腰に手を当て感情のままに言葉をぶつけると清々しい感情が心を満たす。言ってやった!と心の中で満足していると、私とは反対にルークの剣幕はみるみる鋭さを増していった。



「お前こそ口の聞き方に気をつけたらどうだ?俺は宮廷魔術師だ」

「魔術師?何それ?魔法でも使えるの?」

「当たり前だ」

「それは素敵ですね。私は魔法なんて見た事ないから、ぜひ見せていただきたいわ」


すっかり頭に血が上った私は、今までの仕返しとばかりに挑発するような口調でせせら笑って見せると、ルークは私に向かって手をかざす動きをする。その瞬間、頭に得体の知れない重さを感じ、気づくと私は濡れていた。

呆気に撮られる私。上を見るがなにもない。夢だから、こんな謎の現象が起こっても変ではないのかもしれない。けれど、夢なのに…おかしな感覚があった。



「冷たい……?」


そう、冷たかったのだ。夢なのに冷たさを感じているのだ。

それどころか、水分を含んだ服が肌に張り付く気持ちの悪い感覚と、蒸発によって体温が奪われて行くような感覚まである。そんなことありえるだろうか?

再び混乱し、古典的に自分の頬をつねってみる。頬には痛みが走った。まるで現実のように…



「お望み通り魔法を見せてやった…夢だなんだとほざいていたが、少しは目が覚めたか?」


怒りを含んだ視線のままさらりと言うルーク。

ぽたぽたと水が滴り続ける視界の中でそんな彼をただ黙って見つめ、冷えた頭で冷静に考える。

もしこれが夢じゃなかったら?この水が彼のいう通り魔法によるものだったら?世界観からしておかしい謎の地で私はどうすればいいのだろう?というかここはそもそも地球なのだろうか…

混乱しきった頭からは不安な感情しか出てこない。

追いつかない状況に私の思考は限界に達した様で、脳内でプツンと何かが切れる音がした。そして私の意識とは関係なしに目元が熱くなり視界がぼやけていく。



「…仕方がない。とりあえず状況を整理するか…」


ぼやけた視界でよく見えないが、少し優しくなった声。その声に涙を拭うと、ため息をついたルークは再び私に向かって手をかざそうとしていた。先程と同じ動きに反射的に頭を抱えぎゅっと目を閉じるが、一度だけ足元から頭に向かって微風が吹く感覚を感じた後は何も起こらない。

恐々と薄目を開け自分の状態を確認すると、びしょ濡れだった私の髪や服、そして床までもが綺麗に乾いていた。…本当に魔法のように…



「ついて来い。何か淹れてやる」


そう言った彼の表情に怒気はなかった。仏頂面で私を気にする素振りもなく私を置いて1人で扉を開けて何処かへスタスタと歩いて行ってしまう。



(ついて行って大丈夫だろうか?)


不安になるが、兎にも角にも彼から話を聞かないことにはどうしたらいいのかも検討がつかない。

意を決した私は両手で自分の頬を一度叩くと、彼の後を追うようにして部屋を飛び出した。

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