畑を荒らす者(4)

 見るも無惨に伐採された辺り一面。心にずしりと重く暗い感情を抱きながら、現実をこの目で受け止める。


 森とは、澄んだ空気、凛とした静けさ、虫達の声、そして空からの陽射しを和らげてくれる木々が動物達とともに生き、人々が守って行かねばならない母なる自然。


 それが、見渡す限り全ての木々が切り倒され、心安らぐ緑色に覆い尽くされていたはずのそこは生気を失った茶色一色でしかなかった。


 これでは住処を失った動物達が餌を求めて街へ下りて来る事は当然というもの。


「ひどい」


「帰ってギルドに報告ね。許可を取っていたのかどうかは調べてみないと分からないけど、たぶん無許可の森林伐採だわ」


 心なしか、そう言うユリナの声にも静かな怒りが滲んで聞こえるような気がした。


 被害状況、範囲等を確認する為に二手に分かれて別行動を取るが、ユリナの姿がほんの小さくなるまでこの痛ましい風景が続いている。


「これで分かっただろ?」


 声のした方を振り向けば、茶色く塗り潰された世界を見渡すリオ。髪と外套が風に揺れ、表情は見えない。


「人間は平気でこういう事をする。俺達が住んでいた森や泉を全部枯らしたのも人間だ」


 こんな事は慣れっこだと言わんばかりに、まるで何でもないふうに言う。それが逆にミリカの胸を締めつけた。


 その背中で、今までどれだけの悲しみを背負って生きて来たのか。


「私はリオの事を、一人の人として見てる……なんて、やっぱり綺麗事なのかな。何を言ったって結局私も人間でしかないのに」


 ミリカ達が生まれるずっと前に人魚狩りが終息したからといって、人々に根付いた差別意識は簡単には消えない。


 基本的には正しい倫理観を持った善良な市民が多いレイオークでも、リオが街を歩けばすれ違う人間が口笛を吹き、裏路地からはならず者達が気持ちの悪い笑顔で声を掛ける。けれどこんな事も彼にとってはいつもの事。多種族国家ですらこれだ。


 人間であるミリカに、幼い頃、いや、生まれた瞬間から理不尽を強いられてきた自分達の何が解るのか。と、思われていたとしても仕方がないのだ。


 手頃な切り株に座って肩を落とすミリカを、リオは不思議そうな表情で見つめた。


「お前はなんか、他の人間とは違うよな」


「そう?」


「物珍しそうな顔して近付いて来るから他の奴らと同じかと思ってたけど、ギラギラした目で見てこないし……いや、隙あらば耳を触ろうとしてくんのはどうかと思うけど」


「あはは、それはほら、好奇心というもので」


 じっとりとした目線に負けて「ご、ごめん」と顔色を窺うと、リオは何故かふっと笑い、ミリカの隣に来て同じような丁度良いものに腰掛けた。


「本当は分かってるんだ、突っぱねてばかりじゃ前に進めないんだって。ミリカは、いい人間もいっぱいいるって事を俺に言いたいんだろ?」


「い、今、は、はじめてミリカって呼んでくれた!!嬉しい!!」


「真面目な話してんだよ来るな!立つな!そこに座ったままでいろ!」


 両掌を前に突き出して拒絶の意を示すと、ミリカは抱きつきたい衝動を抑えて手と尻を切り株に縫い付けた。


「ったく……」


「まぁ、いい人間かはともかく、生徒会のみんなはリオのことを心配してるよ。カレン先輩とエアート先輩は優しくて頼りになるし、ユウト先輩は自然体だし、アルト先輩……はあまり喋った事が無くてよく分かんないけど、すごく真面目で公正な人。ユリナだって一見何を考えてるか分かんないかもしれないけど、優しいんだよ。私が脱ぎ散らかした服とかたたんでくれるし!」


「それ関係ないだろ。お前の優しさ基準は服をたたんでくれる事か?」


「っていうのは冗談で、私が困ってたり分からない事があったりすると気付いて教えてくれるの。全然笑わないし無口だけど、黙って助けてくれるさり気ない優しさがある。それに勉強とか教えてくれるし!まぁ、ユリナの説明は難しくて全然分かんないんだけど」


「教えてもらっておきながらとんでもねぇ奴だな」


 えへへ、と少し反省の意も含めて笑いながら、ユリナが今の会話を聞いてはいないだろうかと確認したが大丈夫。まだずっと遠くにいる。ユリナだけに確認作業をさせて申し訳ないがリオと話がしたかった。


「だから、シェーネルさんとク……ゲーリーの件も、心配してると思う」


「なんだ、クソ野郎の件知ってたのか」


「うん。まぁ」


「ずっとこのままでいるつもりかって聞いた事があるけど、あいつの決心は固かった。俺もだんだん嫌になってきて、こんな街来るんじゃなかったって思いながら一年生に上がったっけな」


「人間に復讐しようとは思わなかった?」


「え?」


 そんな単語がミリカの口から出るとは思っていなかったのだろう、思わず隣を振り向いていた。


 人魚は本来、差別されこそすれ、その強大な魔力で外部からの敵を寄せ付けない、強く逞しい種族だったはずだ。


「酷い目に沢山遭ってきたのに、やり返そうとか、同じ目にあわせてやりたいとか思った事は無かったの?」


「ない……考えた事も無かった」


 まるで今ミリカに言われるまで、その方法がある事自体知らなかったかのような反応だった。


「なんでそんな事聞くんだ?」


「だって、普通だったら全ての人間を恨んでもおかしくないはずなのに、なんだかんだで私やユリナとも話をしてくれる。リオって優しいよね」


「そんなんじゃない」と、リオがかぶりを振る。


「ううん。私が同じ立場だったら絶対に仕返ししてると思う。でもリオは、前過程で嫌な事があったのに辞めるどころか、ギルドで人助けをしてるんだもの。やっぱり優しいと思う」


「本当にそんなんじゃない。確かに恨んでもおかしくなかったかもしれない。本当に最悪なところだと思ってたんだ。でも……」


「でも?」


「……あいつらといると、俺の普通が揺らぐ」


 揺れる声色は、当時の困惑を思い出しているからなのか、今でも戸惑いの中から抜け出せないでいるからなのか。


「一年生に進級はしたけど正直こんなとこはもう辞めてやるって思ってた。でも、やたら煩くてしつこい2人と同じクラスになっちまって」


「あの2人だよね?いつも一緒にいる」


「他の奴らは腫れ物に触るみたいに接してくるのに、あの2人は俺を見た第一声が『うお!人魚だ!はじめて見た!』だった」


 思わず吹き出しかけたが、それは自分の反応と一緒ではないか!と、気付いたミリカは苦笑しながら頭を掻く。


「こっちの気も知らないでズケズケ質問してくるからすげぇ鬱陶しかったけど、変に気を使って来ないから楽で、下らない事でいつまでも笑ってるし、馬鹿だし、なんか調子狂うっていうか……一緒にいるから俺も馬鹿になったのかも」


 それは誰に言うでもなく、自問自答するかのような口ぶり。3人でいるときのリオは楽しそうなんだよと教えてあげたくてたまらなくなった。


「人魚は搾取されるのが当たり前。俺はずっとそう思ってきたけど、もしかしたらそれは間違いなのかもしれない……」


 寂しくなった大地を抜ける森の風に猫っ毛を揺らしながら、遠くを見るリオの端正な横顔はシェーネルやアーミアに引けをとらず、彼が人魚であると改めて実感させられる。


 まつ毛は長く、大きな目から零れ落ちそうな青い瞳と、同じ色の鮮やかな髪は白い肌に映えていて、意志の強そうな顔立ちはパーツの位置の整っていること。


 しっかり鍛えられてはいるが男子にしては小柄な体つきは騎士の鎧を身に付けていなければ性別が曖昧だ。実際、ミリカははじめて彼を見た時に女子と見間違えたのだから。


 誰もが羨む容姿に加え、その体は魔力と素材の宝庫。利用したい、手に入れたい、喉から手が出るほど欲しい、そう思う者はどうしたって出てくる。


「それは半分間違ってるかな」


 整った顔が訝しげにこっちを見た。


「種族は関係ないの。私はリオが人間でも人魚でもどっちでもよくて、ただ仲間として、こうやって話をしたり一緒に戦ったりして、お互いを少しずつ知っていければいいと思ってるだけ。血の繋がった家族であっても話さなきゃ伝わらない事ってあるでしょ?」


「……イオもそんな事言ってたな」


「ユリナが?」


「最初に会った時に、ちょっときつく当たっちまったんだ、酷い事も言ったかも。そしたらあいつは、『私はあなたの人となりしか見ない。人魚であることは私には関係ない』って言ってきた」


「へぇ~、そんな事を……」


「実は種族にとらわれていたのは俺達の方だったってか」


 ユリナがこちらへ歩いて来る様子が見えた。リオは立ち上がり、土埃を払う。


「別に嫌ってないよ、生徒会の誰の事も。むしろあのメンバーなら仲間でもいいって思えた。だから生徒会に入った」


 最後にリオは「お前もな」と付け足した。


 別々の方向を向いていて、バラバラだと思っていた。


 だが、全然そんな事は無かった。本当はちゃんと近くにいて、ただ面と向かって顔を合わせるのが小っ恥ずかしくて、目線を逸らしてしまっていただけで。


 小さく芽吹いた信頼関係は確かにリオとユリナを繋いでいる。きっと他の皆も、互いを少なくとも生徒会という共通の組織に集まったメンバーと認識しているはずだ。


 きっと大丈夫。確信ははじけるような喜びへと変わっていた。


「嬉しい……!リオ大好きっ!その耳もいつか触らせてね!」


「だから来るな!!お前たった今種族はどっちでもいいとか言ってただろ!口先だけかこの野郎来るな!」


「それは違うよリオ。確かに私は種族は関係ないと言ったけれど、それとヒレ耳を触ってみたいという欲望は別の事なのだよ。触らせろー」


「ふっざけんな!!来んなぁぁ!!」


 どうして追いかけっこをしているのか疑問に思いながら、ユリナは2人のもとへ戻った。


 ざっと計測したところ被害範囲はおよそ36000平方メートル。人があまり足を踏み入れないエリアを意図的に狙われた可能性が高いというか、ほぼ確定だった。魔物は元より凶暴だったとして、これによって餌場を奪われた野生動物達がレイオークの農業地帯を荒らしていたという事で間違い無いだろう。


 一体誰が何の為に?そこから先は自分達の仕事ではない。


 調査結果を聞いた東区農業地帯の代表者アーサーは、後はレイオーク管理局へ報告すると言い、管理局からは軍へ報告が行くだろうがおそらく動いてはくれないだろうとも言った。じきに管理局経由で街の全てのギルドに新たな依頼が張り出されるか、街の自警団や軍の警察隊が動く可能性もある。が、ひとまず今回の依頼は無事に遂行され、ミリカ達はアーサーから礼にと、畑でとれた野菜や果物をどっさり抱えて学園に帰還した。


 約束通り報酬の8割がリオの懐に入り、残り2割はユリナへ。足りない分を出そうとしたところ「いい」と言われた。


 ユリナが離れている隙にリオはこっそり「絶対本人に言うなよ」と念を押してきた。何のことか一瞬分からなかったが、切株の椅子で打ち明けてくれた、ユリナがリオに言った言葉のことだ。


『私はあなたの人となりしか見ない』


 それが嬉しかった……と、とられるのが嫌なのだろうか。


「でもその通りでしょ?」


「うるさいな。とにかく言うな」


 何も恥ずかしがる必要など無いが、言って欲しくないのなら言わないと約束した。


 3月初旬。まだ肌寒く日の入りの早い時期だが、今日は割と早く仕事が終わり、西の空は茜色に染まるものの日没まではあと2~3時間程度。


「また行くのか?」


「うん。もう一件くらいいけるでしょ!」


 ギルドの入り口にて、寮へ帰る気だったリオは半ば呆れ顔で振り向いた。


「よくそんなやる気あるよな。俺はもう帰るぜ」


「うん、今日はありがとう!やっぱりグループに騎士がいるだけで全然違うね!本当に助かったよ~、私は戦闘なんて今まで経験ゼロだったから」


「は?お前、元傭兵か何かじゃねぇの?」


「え、全然違うよ?どうして?」


「いや、身のこなしで何となく。でも気のせいだな。こんなアホっぽい傭兵なんかいるわけない」


「あ、ひどい!」


 悪戯っぽく笑う。こういう顔が本来のリオなのだろう。


「また一緒に組もうね!ていうか当然、組んでくれるよね?ね?」


「どうだか」


 また抱きつかれてはかなわないと、さっさと背を向けて帰って行くリオに、ミリカはいつまでも「ばいば~い」と手を振っていた。


「そういえば思うんだけどさ、ユリナ」


 ユリナが僅かに首を傾げて続きを促す。


「人魚の容姿を褒めるのは残酷な事なのかな」


「どうして?」


「もし私が超絶美人だったとして、それが原因でいじめられたりしたら、自分の外見があんまり嬉しくなくなっちゃうかも。そういう人は褒められたら逆に嫌になるのかもしれない、だから……」


 掲示板を眺めるが、目は全然動いていない。そんなミリカの横顔を見て、言いたい事を汲み取ったユリナは自分なりの考えを、彼女の目を真っ直ぐ見て伝える。


「美しいものを美しいと言う事は何も悪くないと思う。けど、タイミングが悪い時というのもあるのかもしれない」


「うん」


「褒め言葉一つにも色んな感情や思惑を込めることができて、それが下心や揶揄なら相手は嫌だと感じるけれど」


「うん」


「そうやって相手の気持ちを考えて悩むミリカには、何も考えず無責任な言葉を掛けるような人達とは違って真心や誠実さがある。だからきっと大丈夫だと私は思ってる」


「……ユリナって、私の事そう思ってたの?」


「客観的な意見よ」


 いつしか見つめ合っていたが、ユリナはぷいと掲示板に視線を戻す。何の興味も持たれていないと思っていただけに、客観的でも自分への評価を聞けたことが嬉しかったと同時に、あんな真摯な眼差しを向けてくれることもあるのかと、驚きと感心が綯い交ぜの気持ちになった。


 何より嬉しさが一番大きく、思わず彼女の腕に自分の腕を絡めていつもの人懐っこい笑顔を向けていた。


「ありがと、ユリナ」


 相変わらず反応も薄くて無表情だけれど雰囲気は柔らかい。大抵、無愛想な者がこうなっている時は機嫌が良いのだ。


「それにしても人魚は可愛いよねー。はぁ~……私も美人に生まれたかったなぁ」


 あれはどうか、これはどうかと次の依頼を選ぶ2人の姿は学園の日常風景の一部で、そんな今を生きる愛しい若者達は、明日も街中を飛び回り活躍するだろう。





 翌日の一時限目。第二ホールへ移動する為に廊下を歩く2人の前を、おそらく教室に戻る途中のリオと例の2人が一緒に歩いていた。ちょうどFクラスに差し掛かり、3人とも教室に入ってしまう直前だった。


「リオ!」


 振り向いたリオに笑顔で手を振るが、彼は無視して教室に入ってしまう。


 別に、昨日の今日ですぐ仲良くなれるとは思っていない。これから一歩ずつ。少しずつで良いのだから……と、思った時。


「……!」


 腕だけがにょっと出て、さり気ない感じにこちらへ手を振ってから、今度こそ教室の中へ引っ込んでいった。

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