一章

転入生

 ユリナ・イオは学園長室へ向かうため、昼休みの廊下を歩いていた。


『見ない顔の女子が廊下を突っ切って行った』『マリヤ先生と歩いてた』『転入生か?』『南学園の生徒じゃないのか』『私服だったから違う』


 人数の多い学園のため、たかが一人の客人か転入生かでざわつくことはなかったが、それでもごく数人の生徒が噂している声が歩いていても耳に入ってくる。


 歩を進めるユリナを、ふいに呼び止める声があった。


「あ、ユリナちゃん!」


 通り過ぎようとしたEクラスの教室のほうからだった。その控えめで朗らかな声が誰のものか分かっているユリナは、振り向きざま視線を少し下げる。


「マリ」


 自分の胸あたりまでの身長の、オレンジがかったブラウンの髪がさらっとなびく。マリと呼ばれた女子生徒が走ってきて、あまり他人とはつるまない性格のユリナにも気後れすることなく話しかけた。


「ユリナちゃん、どこに行くの?」


「転入生を迎えに」


「転入生?あ、さっき女の子がここを通っていったの、たぶんその子かなぁ?……って事は、Aクラスの子なんだね」


「うん」


 マリは教会の聖職者が着るような祭服をスタイリッシュにアレンジした、聖職者クレリッククラスの戦闘服を着ている。Eクラスの次の授業は実技だ。


「もうすぐ前期のテストがはじまるね」


 こういう、ちょっとした事でも話しかけて、いつでも優しい笑顔で会話をしてくれる彼女はクラスメイト達から慕われているらしく、「マリ~」と教室から呼ぶ声に慌てて返事をしてから、再びユリナに向き直った。


「私達、次は実技だからもう行かなきゃ。今日の生徒会も頑張ろうね!」


「ええ」


 入り口付近で待っていた友人達と合流し、第2ホールの方角へ向かって行ったマリを見送り、再びユリナは歩き出した。





「もうすぐ来ますよ。たぶん午後の授業に出ると思うんですけどね」


 最上階にある学園長室のデスク席で、学園長が穏やかに言う。


 一日の途中から転入生が授業に飛び入り参加することは、この学園では珍しいことではない。大抵はクラスのリーダーが学園長室まで迎えに行くことになっているのだ。


「あなたのルームメイトになるそうですね」


「はい」


 細かいウェーブがかかった髪型がよく似合っている学園長は、皺の刻まれた口元を綻ばせた。


 ユリナはこういう時、軽く返事をするか会釈するだけで、間が持たずに無言の時間が続いてしまうのだが、彼女はそんな無愛想な生徒にも気を悪くすることがない。会話がないならないでいいといった余裕のある構えは、無理に何か喋らなくてはと気を遣う必要がなくてユリナは気が楽だった。


 眼鏡の奥の瞳は優しく、生徒達によく慕われている彼女の人柄をよく表している。


「どんな方なのか、楽しみですね」


「そうですね」


 相槌を打ちながら、じきにここへ来るというその転入生のことを思う。クラスも一緒で、寮の部屋も同室となると、一日の大半を共に過ごす事になるだろう。


 背後でノックの音がした。「どうぞ」と学園長。ガチャリと扉が開き、自分の担任教師が来訪を告げる声を聞く。


「失礼します」


 2つの足音が室内へ入る気配がして、学園長がユリナの背後へ微笑んだ。





 お人形みたいだと思った。


 腰まで真っ直ぐに伸ばされた見事な金髪がまず目に入って、誰かがこちらに背を向けて立っているのだと気付いた。ミリカが背後で足を止めるのを待っていたかのように、その生徒は振り返った。


 美しいアイスブルーの瞳。自分にはない色素の薄さと、感情の読めない整った顔立ち。えも言われぬ存在感に、気付けば目を奪われていた。


 2人が見つめ合っていたのは時間にすればほんの数秒だっただろう。


 学園長はまるでどこかのお屋敷で花でも愛でていそうな老淑女で、穏やかな物腰でミリカを歓迎した。明るくハキハキとした調子で挨拶と握手を交わすミリカの側に、例の女子生徒が歩み出て、ユリナ・イオと名乗った。これからの学園生活に希望と夢で胸が一杯なミリカは、もしかしたらここへ来てからはじめて会うのかもしれないクラスメイトに満面の笑みを向け、「よろしくお願いします!」と、握手を求める手を差し出したのだった。





 廊下を生徒達が慌ただしく移動している。そろそろ午後の授業がはじまるのだろう。


「髪が綺麗だね」


 前を歩いていた彼女が振り返り、青の瞳が僅かに見開かれる。


「あー、ごめんなさい!私がいた村ではストレア人に会う機会が滅多に無くて。その青い目もすごく綺麗だなって思ったんだけど、急にこんな事言われても迷惑だよね、ごめん」


「……いえ」


 いきなり外見のことを言うのはしくじったかと思ったが、少しミリカの顔をじっと見つめただけで、ありがとうともやめてとも言わず、また歩き出す。あまり喋らない性格なのか。でも引くわけにはいかないと、横並びになるよう小走りで追い付いた。華の学園生活デビューを飾るためには、まずは彼女と仲良くなっておきたい!


「ユリナさん。私、この学園のこと全然詳しくないから、分からないことがあったら頼ってもいいかな?」


 ちょっとだけ顔を覗き込むようにして聞いてみると、前を向いたままだが答えてくれた。


「私に教えられる範囲でなら」


「ありがとう!……あの、もしかして話しかけられるのは苦手?」


「愛想がないだけなの。気分を害したのなら謝るわ」


「そ、そんな事ないよ!」


 慌てて両手をひらひらと振った。


「迷惑がっているのに私が気付いてないだけかと思ったんだけど、そうじゃないなら良かった。頼れる相手ができて心強いよ」


「私は剣士ソルジャークラスで、あなたは魔術師ウィザードクラス。魔術のことは私には分からないから、あまり役には立てないと思うけど」


「でも通常クラスは一緒なんだよね?勉強とか一緒にしたいな。私あなたと友達になりたい」


 自分だけが数歩先に進んでしまってから振り返る。急に立ち止まったりして、どうしたのだろう。


「ユリナさん……?」


 また、顔をじっと見られた。


 さっきの学園長室でも、ミリカが握手を求めると少し驚いたような反応を見せたような気もするし、初対面の人間相手にちょっとがっつきすぎたのかもしれない。雪国ストレアの人々はドライな性格が多いと聞く。


 やっぱり不快だったかと、ミリカが申し訳なさそうな笑みを浮かべた時だった。


「寮」


「へっ?」


 開いた距離を今度は向こうから縮めてきて、向かい合う。


「寮の部屋が同室なのよ、私とあなたはルームメイト。思ってたより明るい人で良かった。よろしく」


 徹底して無表情だけれど、その言葉に棘はなく、歓迎してくれているのだとすぐに分かった。ミリカはたまらなくなって、思わず彼女の両手を胸元でガシッと掴んでしまった。驚いている。はじめて感情が露呈するのを見て、さらに嬉しくなって、ひとりでに声が弾んだ。


「よろしくねっ!」


 我ながら、にやにやして気持ち悪いだろうなと思いながら歩いて、教室に着いた。おー、この人達がクラスメイトか。集まる視線に緊張するも、案内された自分の席につく。それが何とユリナと隣の席。これは運命なのでは。


「おおっ、ユリナさんっ!!」


 隣を振り向いて興奮するミリカの声がうるさくて、ユリナは小声で非難しながら耳を遠ざけた。





 極めて好調なスタート。文系は得意なのだ!


 午後の授業は一時間だけで、ギルド活動のために放課が早いのがここの特徴である。


『ミリカちゃんって呼んでもいい?』


『もちろん!』


「…………」


 先ほど教室で、クラスメイト達に囲まれながら会話した内容を頭の中で反芻してニヤついているのを、横でユリナが気味悪そうに見ている。今は廊下を2人で歩いていて、マリヤの教員室に荷物を取りに行かなければならない。


 特にミリカに積極的に話し掛けてくれたのが、キャロット、ドトリ、アランシアという仲良し3人組の女子達だ。彼女達だけでなく他のクラスメイトも皆優しく、受け入れてもらえるだろうかという不安はすぐに消し飛んだ。


 ノックをすると返事があり、2人は教員室に入る。マリヤはデスクで何らかの書類を書いていたらしく、こちらを一瞥しただけ。このまま静かに荷物を持って退室したほうがよさそうだ。


「ミリカさん」


 退室しようとしたところを呼び止められたので、振り返る。


「この後、生徒会が開かれます。見学だけでもしていきなさい」


「へっ!?」


 驚愕の表情を浮かべるミリカをよそに、マリヤは何もなかったかのように視線をデスクに戻した。






「ねぇねぇ、どういうこと?」


 歩きながら聞いた。ユリナは当然のように生徒会室へ向かって廊下を進んでいるので、ミリカがそれについて行っている。


「生徒会?寮へ向かうんじゃなかったの?」


「あなたを生徒会に入れるのはマリヤ先生から聞いていたの。だから今から向かうところよ」


「わ、私の意思はどこに行っちゃったわけ!?聞いてないんだけど!ていうか私なんかが行っちゃっていいのかな?前の学校ではあんまり成績良くなかったよ?」


「先生が判断したことだから、私に聞かれても何も答えられないわ」


 ユリナはそっけなく答えて、それっきり。すごく光栄なことではあるけれど話が随分と急だ。「ユリナさんも生徒会のメンバー?」と質問すると、頷きが返ってきた。まぁ……いっか。


「ユリナさんは、ストレア大国から来たんだよね?」


「ええ」


「この学園って、いろんな国の人が通ってるんだね」


「レイ王国自体が多種族国家なのよ。あなた、この国の人じゃないの?」


「そうだよ、でもずっと田舎で暮らしてきたから」


 道中、何回か話しかけたり質問してみたりした。主にミリカが喋り、ユリナはええ。とかそうね。とか相槌をうつだけの一方的な会話だったが、鬱陶しがられないのをいいことに調子に乗って色々と話しかけた。


「マリヤ先生って、いつもあんな感じなの?」


「そうね……私を引き入れに来た時は、今より若干雰囲気が柔らかかったような気がするけど」


 目線をやや上に彷徨わせて、質問の答えになるような場面を思い出してくれているようだが、ミリカは別のことが気になった。


「え、引き入れって、ユリナさんも転入生?」


「私は普通に入学したわ。前に通ってた学校を辞めたところにマリヤ先生が現れて、うちに入学しないかと誘われたの」


「前に通ってた学校?」


「仕事とプライベートで気持ちを切り替える人なんじゃないかしら」


「あー……なるほどね」


 話を逸らされた気がするが誰にでも聞かれたくないことはある。気にしない事にした。


 田舎の小さな学校に通いながら平凡な毎日を送っていたミリカの前にマリヤは現れた。魔術が使えることを見抜き、レイオーク学園への転入を勧めてくれた。唐突な大都会への進出に困惑するミリカをサポートし、無事にこうして転入できたわけだから彼女には感謝しかない。


 相変わらず何を考えているのかは分からないが、あのクールな態度に深い赤色の燕尾風の服がよく似合っているなぁと、話が脱線(主に喋っているのはミリカだったが)した。


 先程の文学の授業で教鞭を執っていたミスティという先生は真面目だが性格は明るく、お茶目な一面もある教師で、なかなか楽しい授業だった。マリヤとは纏う雰囲気が正反対のように思う。マリヤの授業はまだ受けたことがないけれどとりあえず教員制服は似合っている。きっちり着こなしていて、なかなか様になっている。で、何の話だっけ。


「何の話してたんだっけ?」


「マリヤ先生が怖いという話じゃないの?」


「そんな話になってたっけ?あはは……いや、別に怖いわけじゃないよ?でもちょっと緊張するよね、え、しないの?そういえばユリナさんとマリヤ先生って似てるよね」


「……」


「うそうそ、冗談だってば!そんな怖い顔しないで?そういえば先生は生徒会へは後から来るんだったよね」


 その生徒会にちょうど着いたらしく、ユリナが足を止めた。そこはテラスに面した廊下の中央にひとつだけポツンとある扉。ほかの教室のよりも大きくて豪勢──とは言っても、ミリカにとってはこの学園の全てが豪勢に見えるが──な両開きの扉だった。


「話し声が聞こえるね」


「ちょうどみんな集まっているみたい」


 ユリナが扉の取手に手をかける。中から『わーっ』といった騒ぎが聞こえる気がするが、何だろう。


「ユリナさん、私の話にずーっと付き合ってくれてありがとう!」


 中へ入る前に礼を言っておこうと思った。少しは表情を変えてくれるかと期待したのに、軽く頷いただけだった。が、そのまま扉を開けようとして、何かを思い出したように振り返る。


「ユリナでいいわ」


「え?」


「名前、さん付けはしなくていい」


「本当?ありがとう!じゃあ私のこともミリカと呼んで」


「分かった」


 嬉しさが顔と声に全面に出てしまった。「ミリカ、」と呼ばれ、「なに?」と返事をする。


「ミリカ、ようこそ学園へ。そしてようこそ、生徒会へ」


 そう言ったユリナの手によって、力強く扉は開かれた。

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