第23話 揺り影

「色々あったようだな」


 部屋に入ると千丈が椅子から立ち上がった。

 光矢の背中を「お疲れ」と叩き、荷物を受け取ると、近くにいた海馬に渡す。


「どの本を並べるかは、私が店主と話をしておきます」

「全部、並べてもらえるんじゃないんですか? だぶってるとかですか?」


 光矢の問いに、海馬は「違います」と首を振った。


「三途渡町にはお金をそもそも持てない《世無》もいる。何らかの仕事には就くように考えますが、本を買う余裕が無い者もいます。ですから、公営の図書館に寄贈するのです」

「図書館があるんですか!?」


 目を丸くした光矢に、海馬が小さく苦笑する。


「残念ながらそんな大それたものじゃないですがね。小学校の図書室くらいのものだと思ってください」

「あ……なるほど」

「ただ、娯楽の少ない三途渡町では貴重な財産です。年齢層も低いので……葛切が選んできた少ない本にも価値があります」

「ありがとうございます」

「特に、若年層が好みそうな怪盗モノはいいですね。小学生が主人公ですか……」


 水色の表紙に描かれた少年が怪盗の末裔という設定のジュニア小説だった。

 あらすじを見て、とりあえず一巻を購入したのだが、評判が良ければ続きも買える。


「海馬が買ってくる本は、何とかの秘密シリーズと図鑑ばっかりだからな」


 千丈が思い出すように笑う。

 海馬が不愉快そうに眼鏡の位置を直した。


「私がいた施設では、何より人気があった本です。ページが抜けたものばかりでしたが、必ず取り合いになった。千丈さんは、図鑑の魅力がわかっていないようですね。特に宇宙はいい。あの――」

「わかった! 俺が悪かった! 海馬はパーフェクトだ」

「当然です」


 千丈が「まあ、それはそれとして――」と話を変える。


「いいんじゃないか? 実績もできたし、光矢くんに関わってもらっても。そもそも本の仕入れに向いたメンバーが萌以外にいないしな」

「本を読みませんからね。私も最近は野草図鑑以外はほとんど」

「……野草図鑑ね」

「千丈さんがいいというなら、私に異論はありません。葛切も構わないのでしょう?」

「はい! 問題ないなら、ぜひ」


 光矢は力強く頷いた。


「では、三途渡町に住むことに決めたのですね?」

「一応、そのつもりです」

「光矢くんはまだ、他に行くとこないしな」

「千丈さん……後ろ向きな理由は減点1です。葛切も出て行きたければ、いつでも出て行けばいい。君の意思は尊重します。ただ、多少こちらにも準備時間は欲しいので、できればその時には声をかけてほしい。千丈さんではなく、私にね」

「わかりました」

「なんで俺じゃダメなんだ?」

「千丈さんは、忘れっぽいからです」

「海馬……お前、まだ連絡しなかったの根に持ってるだろ」

「決してそんなことはありません。日頃の行いを考慮した結果です」


 千丈が唇をとがらせ、大げさに肩をすくめた。

 そして、「となると」と海馬に視線を向けた。


「車はどうするか? 一応、全員が持ってるよな」

「千丈さんの車だけは先日の一件で修理中です。葛切が覚醒した際に荷室が壊れたようなので」

「す……すみません」

「葛切を責めていません。覚醒はしかたない。問題は千丈さんです」

「俺? なにかしたか?」

「車を道路に放置して、萌さんを担いで町に戻ったでしょう?」

「……ん?」

「あの車の回収、サポーターに連絡が入ってなかったので、私が行ってきました」

「すまん。ミスターパーフェクト」

「反省していないようですね。減点3、具無しスープ一週間」

「まてっ、悪かった! 次から連絡する!

「まあ、冗談はこれくらいにして、葛切の車の件は、また北大我にでもお願いしましょう。今はそれよりも――」


 海馬が千丈に意味深な視線を向けた。

 そして、彼が頷くのを確認して、光矢に尋ねた。


「葛切、今この場で《醒零》はできますか?」

「《醒零》をここで?」

我々世得が外で生活していくうえで、最低限、すぐに使える力は必要です。いえ、必要な場面が必ず来ると言っていい」

「それは……《境界渡り》と戦うために、ですか?」


 海馬はその問いに対し、首を横に振った。


「敵から逃げる為に、です。戦う意思がない《世得》に無理に戦えとは言いません。勝てない相手、怖い相手なら迷わず逃げなさい。しかし、色々なケースで巻き込まれてしまうことは避けられない。特に、自分の存亡がかかる場面で逃げる力が無ければ――自分にとっても、周囲にとっても最悪のケースとなります」


 光矢には海馬が想像している場面がわからなかった。

 帯留辺との一件を言っているのかと思ったが、もっと広い意味で言っているように思えた。

 そして、その言葉は数多の経験をした者だけの説得力を感じた。

 複雑な表情で瞼を閉じた彼は、「さあ」と光矢を促した。


「できなければ、できないでも構いません」

「やってみます……」


 光矢は何となく自分の拳を見つめた。

 左拳のあざに違和感を覚えたが、気のせいだろうと思考の端に追いやった。

 そして言った。


「《醒零》」


 羽斗が言っていた。

 《醒零》は、希望や願いが鍵になる、と。

 光矢が願うのは、誰かを助けたいということ。

 八重山のときも、北大我のときも、鍵は同じだった。

 ならば、想像するだけでいい。目の前に敵がいて、自分の背後に守りたいものがいる場面を。

 靄が現れた。両手、両足が浸食されるように黒い鎧で覆われる。

 光沢のあるそれは、意思を持って光矢を包み込む。這い上がってくる《黒曜》の力に嫌悪感はない。あるのは限りない安心感だ。

 冷静に自分の体を見つめると、充実する気力と腹の底からあふれる力を感じた。

 北大我が、《醒零》状態のときだけは強くなった気がすると言った意味がわかる。

 しかし、一方で危うさもある。

 何かに意識を引っ張られそうになるという感覚と――自分じゃない誰かが真横で同じ方向を見ているような言い表しにくい感覚だ。

 そして、今はもう一つ――


「できました」

「パーフェクトです。聞いた通りですね」


 海馬は手放しで褒めた。

 話を聞いた相手が気になったが、きっと羽斗だろうと思った。


「その状態から元に戻れますか?」

「……やってみます」


 今度考えるのは義理の両親のこと。

 戻る度に思い出さなくてはならないのかと嫌にもなるが、ニンブルマキアのメンバーは皆が同じ経験をしているのだろう。

 いや――

 千丈は、戻れと念じれば戻る――

 北大我は、気を抜いたら戻る――

 と言っていたことを思い出した。


「難しいですか?」


 海馬の言葉で、光矢ははっと意識を戻した。

 《醒零》は解けていない。余計なことに意識を割く余裕はないのだ。

 光矢は、最低の思い出をいくつか思い出す。


「できました」


 今度は黒曜鎧が解けてなくなった。

 海馬が二度、三度、拍手を鳴らし、千丈が「やるな」と頬を緩めた。


「これならいけそうですね」

「問題ないな」

「葛切、君にも二日後の《揺り影》(ゆりかげ)の対処に、参加してもらいます。テストも兼ねてね」

「……《揺り影》ってなんですか?」


 首を傾げる光矢に、海馬が離れた場所に置いてあったタブレットを持ってきた。

 動画ファイルが再生される。


「これは……」


 画面の中に黒いオーロラが蠢いていた。

 空に浮かぶそれはかなり大きく、マンションと同じくらいだろうか。

 中心で小さな人影が一つ、動き回っている。

 海馬がオーロラを指さした。


「これを《揺り影》と言います。規模はさまざまで出現するまでわかりませんが、確定していることは、《世得》と《世無》を――喰います」


 光矢が息を呑む。

 海馬がそっと目を細め、淡々と続ける。


「葛切には、この救援をお願いします」

「この《揺り影》っていうのを倒すんですか?」

「《揺り影》は現象であって敵ではないので倒せない。君にやってもらうのは、《揺り影》の範囲内に入ってしまった《世無》の『救援』です」

「《世無》の救援……あっ、まさか――」


 光矢は慌てて画面を見つめた。

 動きをよく見ると、中心の人物が映像の範囲外に出たり戻ったりしている。

 これが救援だとすると――


「《世無》がここにいる……のか」

「その通り。彼らは映像に映らないので見えないですが、本当は、何人かが《揺り影》の下にいるんです。それを生身の《世得》が助けている」


 光矢は絶句した。そんなことが自分にできるのかと心配だった。

 海馬は「大丈夫です」と先手を打つように言った。


「メインは弓玄にやらせます。葛切は補助です」

「あの……《揺り影》に喰われたら……どうなるんですか?」


 聞かずにいられなかった。

 海馬はタブレットの電源を切り、素っ気なく言った。


「無事に戻ってきた《世無》がいないので、わかりません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る