第19話 境界はどこに

 光矢の目の前に、人間より二回りは大きな《境界渡り》が立ちはだかった。

 数は三匹。

 北大我が間髪容れず突進する。

 背中に三重の黒い円が浮かんだと思えば、外側から中に向かってすばやく消滅した。


「くらえっ!」


 彼女が太い右腕を振るう。

 ジェット機のエンジン音のような轟音が光矢の耳をなぶる。

 凄まじい突風と、眼前の二匹がまとめて上空へ吹き飛んだ。

 彼女が右手を戻した。範囲外にいた《境界渡り》への裏拳に近い一撃。樹木ごともう一匹の《境界渡り》が吹き飛び、空で塵になる。


「こーや、離れないで。急いで範囲外に出る」


 北大我が、いつの間にか光矢の方を向いて手招きしている。

 光矢は素早く頷いて彼女の背中についていく。


「またか、私らは関係ないってのに」


 黒曜鎧をまとった北大我の口調が変わっている。

 完全に戦闘状態に入ったからだろう。

 わらわらと小型の《境界渡り》が物陰から這い出た。


「きもいんだよっ!」


 北大我が無遠慮に突っ込んでいく。

 地面を這うタイプの《境界渡り》を強く踏みつけ、次々と塵に返していく。その姿は戦い慣れていた。

 光矢がふと振り返った。

 そこは黒い小山ができあがっていた。

 九々良が消滅させた《境界渡り》に惹きつけられたものたちが集結していた。

 しかし、その中央で一歩も引かない帯留辺は余裕の表情で剛腕を振るい、剛脚で蹴散らしている。

 なぜ、黒曜鎧を纏わずに戦えるのか。光矢にはわからなかった。

 もしかして、生身でも戦える敵なのか。


「《醒零》」


 光矢は、そうつぶやいてから、一番近くにいたひざ下サイズの《境界渡り》に慣れない蹴りを見舞った。

 サッカーボールでも蹴るようなつもりで思いっきり。

 しかし、敵はぱっとその場を飛び退いた。

 空振りした足と共に、体勢が崩れて尻もちを着いた。

 全然イメージと違う。動けると思っていたのに、体はその通り動いてくれないという感覚。

 体も変化しない。

 目覚めた時の自分がどう戦っていたかの記憶が曖昧だった。剣のような武器を振るっていたような気もするが、まったくイメージできない。


「ぐっ――」


 四足歩行の《境界渡り》は光矢に体当たりをくらわせた。そのまま、頭を踏みつけると、胴体が一部盛り上がり、先に牙のついた触手のような物体が伸びてきた。

 光矢は自由な両拳を何度も《境界渡り》の胴体に叩きつける。

 一発、二発、三発――何度やってもびくともしない。

 帯留辺と同じことができないどころか、跳ね除けることすらできない。

 重さを感じないのに、《境界渡り》は動かない。

 と、《境界渡り》が体の上から消えた。


「こーや、大丈夫か!?」


 北大我がのぞき込んでいた。

 黒曜鎧のせいで彼女の瞳は見えなかったが、心の底から心配していることはすぐにわかった。


「私から、離れんな」


 北大我が背を向けた。

 立ち上がる光矢を待ちながら、波のように群がってくる《境界渡り》をその場で吹き飛ばし始めた。

 三重の輪が浮かんで消えて、また浮かんで消える。

 黒曜鎧をまとう背中には疲労がまとわりついていた。鎧の一部にひびが入っている。


「これを一人で……」


 光矢は視線を上げて息を呑んだ。

 そこにはいくつもの開けた空間が見えた。

 当初、黒い絨毯のようだった《境界渡り》の群れが、水玉のように消滅していた。

 あの短時間で一人でやったのだ。

 光矢の頭が自然と下がった。

 ごめん――口の中でその言葉を噛みしめながら、北大我の後ろで小さくなった。これ以上、迷惑をかけないために。

 とても、惨めだった。

 心のどこかでは、戦えると期待していたのだ。

 戦いたくないと言いながら、得た力に内心で浮かれていた。

 だが、その力は都合よく振るうことができないばかりか、友人に負担をかける結果となった。


「そこそこやるじゃねえの。腐ってもニンブルマキアってことかぁ?」


 背後から帯留辺の称賛を混ぜたあざけりの言葉が飛んだ。

 光矢はまたも息を呑んだ。

 帯留辺と九々良の一帯が綺麗になっている――あれだけいた《境界渡り》がすべて掻き消えていた。


「ポワソンは準備運動にはなったな」

「魚料理にしては小魚ばかりでしたけどね。まあ、数日早いクズ掃除が終わったと思えば、達成感はあるっすね。でも、これだと《世斬蔵》を維持してる俺の方がしんどいんじゃないっすか?」

「ソルベから後ろがあるから、俺の方がしんどいはずだ」


 九々良は眠そうな表情で「そうっすかねー」とぼやくように言う。


「クズの掃除、加勢してやろうか。まだ食い足りねえくらいだからな」


 帯留辺の皮肉が飛んだ。

 本音では、「頼む」と言いたかった。

 だが、その台詞を向けた相手は光矢ではなく北大我だった。

 彼女も聞こえていたのだろう。


「余計なお世話」


 即座に切り捨てた北大我は、再び目の前の敵に腕を振るう。

 何度も何度も三重の輪を出現させて、消えたと同時に攻撃する。

 しかし、徐々に背中にひびが現れ、頭部には長い亀裂が走った。


「北大我、俺も――」

「大丈夫。これくらい、なんともない。こーやを護衛するのが私の仕事」


 彼女は助けを拒んだ。

 そもそも助けられると思っていないかもしれない。

 北大我が、再び群れの中に突進する。

 時折、目立つように大声をあげて何度も同じ技を繰り返し、できるだけ敵を集めて、腕を振るってまとめて破砕する。

 肩で息をしながら踏みとどまる姿は――


「ああは言ったが、気の毒になるほどの力だな。せめてお荷物が無ければな」

「まったくっすね。残念すぎて憐れっすよ」


 辛らつな揶揄に光矢が首を回して睨んだ。

 帯留辺が「ばかじゃねえの」と鼻で笑った。


「こっちを睨む暇があったら助けに行けよ。さっきクズにやられかけてたクズ二号」

「なかなか傑作だったっすよ。ナイス空振りシュート!」

「それ、いいぞ。九々良、煽りの才能あるな」

「普段から帯留辺さんに鍛えられてますから」

「俺? そんな口悪いか?」

「クズには厳しいっす」

「……まあ、そうかもな。クズの連れは何してもクズだしな」


 光矢は拳を握りしめて言った。


「謝れ」

「ああ? クズにクズと言って何か間違ってるか?」

「俺じゃない。北大我に謝れって言ってるんだ。あいつは、お前らのとばっちりにも逃げずに戦ってる。俺を守るために……あいつはクズじゃない」

「戦ってる? 笑わせるな。こんなゴミ同然の《境界渡り》なんぞ、戦うまでもねえんだよ。お遊びだ。お・あ・そ・び。わかる?」

「なら、遊びのために一人殺したお前らはクズだ」

「未来で悪さしないように、消してやっただけだろうが。有効活用もしたし、感謝してほしいくらいだぜ。と――苛ついてくる話はここまでだな。ソルベが来た」


 帯留辺がすばやく視線を切った。

 睨むのは北大我の方向だ。

 ほとんど壊滅した《境界渡り》の群れの中に、人間サイズの一匹が現れた。

 異質な空気を色濃く纏うマネキンのような形状のそれは、頭部が前後逆で後頭部がこちらに見えている。

 よく見れば、両脚のかかとの方向が前に向いている。膝が奥に曲がり、かかとが前に出る不気味な動き。

 ひたひたと歩くその姿には、今までの《境界渡り》に無い落ち着きが存在していた。

 そこに、北大我が突進した。

 三重の円を作り上げ、素早く消し、右腕を攻撃の為に伸ばした瞬間――北大我は宙に舞っていた。

 《境界渡り》の五本の指がにぶく光っていた。


「北大我っ」


 地面でバウンドした北大我の黒曜鎧が抉れていた。

 五本線の亀裂から、彼女の服が覗いた。

 特に中指部分の亀裂が深く、服を裂いて体に到達している。さらにあごから耳にかけても鋭利な傷が走っている。


「北大我、返事してくれ!」

「こー……や?」


 黒曜鎧がゆっくり溶けていく。

 頭部が露わになると、遅れて体を覆う鎧も溶けた。


「ごめん……油断した。ここから離れて」

「嫌だ」

「こーや、聞いて。私は黒曜鎧が解けた。すぐには戻らない」

「だから、背負ってでも逃げる」

「無理なの。あれは……第二種。人間に恨みを持つやつ。逃げても追ってくる。私を囮にして――」


 北大我は「お願い」と言って光矢に手を伸ばした。


「光矢には、私の代わりに助けてほしい人がいるから」

「代わり? 無茶言わないでくれ。北大我の代わりはどこにもいない」

「こーや……」


 光矢は北大我の手を押し返して立ち上がった。

 彼女の身勝手な願いを受け取るわけにはいかない。今この場に、北大我を犠牲にしてまで助けたい人間はいない。まして自分だけが助かりたいとも思わない。

 一度死んで、後悔して二度目の死を迎えるのはごめんだった。

 ダメなら何度だって試してやる――

 光矢は、心に一つの望みを抱いて言った。


「《醒零》」

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