第20話 醒零

 ――怖がらせるな。


 最初の《醒零》は八重山萌を守りたいという願いだった。

 その純粋な願いに、《黒曜》は反応した。

 今も同じだ。北大我をこのまま置いて逃げるわけにはいかない。彼女を守りたい。

 しかし、前回とは大きく違うことがあった。

 それは意識。

 以前、光矢の意識は深層に閉じ込められているような感覚だった。

 けれど、今はすべてが見える。すべてを感じる。

 だから――


「消滅させてやる」


 全身が黒曜鎧で覆われた。

 背中には枝にも金属にも見える黒い棒が複雑に絡み合った羽のようなものが生えた。

 完全に《醒零》状態に変わった光矢は、《清浄線》と呼ぶ青いラインを表面に浮かび上がらせ、一歩踏み出した。


「そこから動くな」


 突風が《境界渡り》を包み込み、牢獄のようなものを作る。

 しかし、その中から刃のような指を持つ手がぬうっと伸びた。

 目に止まらぬほどの速さで振り抜かれたそれは、風を散り散りにした。

 姿を見せた《境界渡り》が地を蹴る。

 駆け引きもフェイントもない踏み込みから、腰を半回転させて、刃を振るう。

 が、光矢の手が凶刃を掴んだ。

 鎧越しに、光矢の顔と反転してきた《境界渡り》の顔面が近接する。

 眉の無い灰色の瞳がぐっとせり出てきた。

 光矢が自分の背中の棒に手を伸ばし、引き抜いた。蒼光をまとうそれは剣のような光沢を放っている。

 刃を振り抜いた。《境界渡り》の体が何の抵抗もなく、斜めに裂かれた。

 奇怪な悲鳴をあげて、たたらを踏んで下がった敵を、光矢はさらに一歩踏み込んで薙ぐ。

 切れたが武器が曲がってしまう。

 光矢はそれを投げ捨て、二本目の背中の棒を抜く。そして頭上から地面に向けて振り下ろした。

 一瞬で六分割された《境界渡り》の体が、傷を修復すべく互いに粘着質の物体を放つ。

 しかし、その一手はもう間に合わなかった。

 光矢が剣を放り出し、左手の中に蒼玉を作り上げていたからだ。


「消えろ」


 爆発的な光が溢れた。

 《境界渡り》に向けられたはずのそれは、周囲一帯をまとめて包んだ。

 遅れて吹いた突風が、黒い塵になった《境界渡り》の体を上空に巻き上げていく。

 それを見送り終えると、体にどっと汗が噴き出した。

 無我夢中で仕掛けた攻撃は、なんとかうまくいったようだった。

 冷静だった精神状態が崩れ、心臓が早鐘を打った。深呼吸で無理やり落ち着かせ、光矢は北大我の側に移動した。


「動けるか? 傷は?」

「ん、大丈夫っぽい。これくらいの傷ならすぐ治るから。こーや、ごめんね。守れなくて」


 光矢は北大我の手を引っ張って起こした。

 彼女はボロボロになった上着を恥ずかしそうに胸の前で寄せて下を向いた。


「私、護衛だったのに」

「二人とも助かったんだしいいって。北大我が無事でよかった。それに……ようやく名前で呼んでもらえる仲になったところだし」

「そ……それ……ここで、突っこんでくるんだ」

「まあ、そういうことでがんばったってことにしといてください……それより、これ、どうやったら解除できるか知ってる?」


 光矢が両手を広げた。

 黒曜鎧はどこも傷ついていないが、解ける気配はない。

 北大我が首を傾げた。


「意識抜いたら解けない?」

「意識を抜くって、どういう意味かよくわからないんだけど」

「黒曜鎧って、纏うぞって思って纏うでしょ?」

「いや……どっちかって言うと、《黒曜》が勝手に纏わせてる感じ……に近い」

「そうなの? それって……適性高すぎるって感じかな。前はどうやって解いた?」

「前は……確か、佐垣に背中から刺されて、八重山さんと話してるうちに解けた」


 北大我が人差し指を唇に当てて考え込む。


「鎧の限界値を超えたって感じかな。……うーん、わかんない」

「え? 解く方法ない?」

「時間経てば解けるとは思う。黒曜鎧って維持だけで力使うから。もうそのまま帰ったら?」

「ちょっと待って。俺、このまま街を歩くの?」

「誰にも見えないからいいんじゃない?」


 そういう問題なの――そう言いかけた光矢は、近づいてきた気配に首を回した。

 眉をひそめた帯留辺が立っていた。


「おいおいおいおい、何を勝手に口直しにとっといた《境界渡り》を消しちゃったわけ? ソルベがなくなっただろうが」

「犯罪者のこだわりなんて、知らない」


 北大我が蔑んだ目で睨む。

 しかし、帯留辺の標的は、今は彼女ではなかった。

 黒曜鎧を纏う光矢に敵意のこもった眼差しを向けていた。


「ソルベ、アントレ、デセールで終わる、俺の今日のフルコースをどうしてくれんのよ。途中の一品が抜けたらコースじゃなくなるだろうが」

「だから、知らないって」

「てめえには聞いてねえんだよ!」


 辛らつに答えた北大我に帯留辺が拳を振るった。

 そして――それは光矢の手の平に阻まれた。

 獰猛な瞳がぎょろりと向いた。


「また邪魔すんのか。このクズで我慢してやるつもりだってのに」

「そもそも、そっちが巻き込んだことだろ。無抵抗のやつを殴る意味がわからないし、殴らせるつもりもない」

「そうかよ。ニンブルマキアの強い方はデセールだから最後だ。口直しが無いのは残念だが――なら、先にアントレの方から喰ってやる」


 帯留辺が跳躍した。

 何を――と訝しんだのも束の間、《醒零》状態になった光矢には、その狙いがはっきりわかった。

 それは北大我が、自分の代わりに助けて欲しいと言った人物だった。


「出てこい! こそこそしてるクズが」


 帯留辺は一台のタクシーの天井に飛び降り、バリバリと音を立てて車体を破壊する。時間が止まったような世界とはいえ無茶苦茶だった。

 右手が車内に伸ばされ――

 一人の女性が引きずり出された。

 その人物には色があった。


「やっぱ《世得》か」

「は……放して……」


 長めの茶髪をゴムでくくっただけの素朴な女性は、がたがたと身体を震わせていた。

 光矢も誰かがいるのは察知していた。

 それは《醒零》状態になって初めてわかったのだ。

 早くに《醒零》を行った北大我は、その事実に気づいて、タクシーを破壊しないように戦っていた。

 うまく立ち回り、自分に注意がいくように大声を上げて。

 そして、他の《境界渡り》が《世得》の彼女を見つけないように。


「《世得》のくせにこそこそしやがって。お前の方に行かないように、あのクズが踏ん張ってたこと知ってんのか?」


 帯留辺もとっくに気づいていたのだ。


 ――気の毒になるほどの力だな。せめてお荷物が無ければな。


 彼が言ったお荷物とは光矢のことだけではなかった。

 むしろ、隠れていた彼女こそ指していたのかもしれない。


「この状況で、戦わない……いや、戦えない。姿が見えるだけのクズか?」

「わた……しには、そんな力は……ごほっ」


 帯留辺は容赦なく、ぎりぎりと片手で首を絞めつける。

 限界まで追い込めば、《世得》の力を使って戦うと思っているのだろう。

 彼女が苦悶の表情で帯留辺の腕をつかむ。


「運が良かっただけの野良の《世得》か。期待させやがって。一度死んで、ここで何をしてた? 答えろ」

「デ……ザイナーの……勉強に行く途中……」


 女性はうつろな瞳に薄らと涙を浮かべて答えた。

 帯留辺が酷薄な笑みを浮かべた。

 それは、女性のすべてを否定するものだった。


「死んでからやることか。もう遅いんだよ。《世得》も《世無》も善良な人間にとっちゃ化け物と変わらん。そんなやつがデザイナー志望だと――笑わせるな。とんだクズだ。さっさと死ね」


 帯留辺は左手で手刀を作り、ためらうことなく女性の腹部に伸ばした。

 その手を――

 その場に移動した光矢が止めた。

 帯留辺の冷えきった瞳と、光矢の冷めた瞳が交錯した。


「また邪魔すんのか。腰抜けボーイ。二度目はないぞ」

「やりたいことをやって何が悪い。死んでるからとか関係ないだろ。人の意思を否定するな」


 光矢は背中から黒い棒を抜くと、蒼い光を纏わせて、帯留辺の腕を狙った。


「ちっ」


 帯留辺はすばやく手を引っ込め、タクシーを踏みつけて後方に跳んだ。

 光矢も女性を抱え、後ろに跳ぶ。

 そして、「できるだけ離れて」と声をかけ、即座に帯留辺に肉薄する。


「ふん、ニンブルマキアとしては当然の言い分だな。いいぜ。やり合いたいなら、食あたりになるまで喰らってやる」


 帯留辺の目つきが変わる。黒かった目の色が急に蒼くなった。

 光矢が剣を斜めに振った。

 しかし、帯留辺は落ちてきた剣に手の甲を当てて軌道をずらし、半歩踏み込むと、逆の拳で胴を突いた。

 何かが割れる音とともに、鉛の塊でも打ちこまれたような衝撃が背中を突き抜け、後ろに吹き飛んだ。

 光矢はごろごろと転がり、いくつもの自動車にぶつかって停止した。

 と、はっと目を見開いた。

 帯留辺が跳躍していたからだ。

 右拳がぐっと引き絞られている。

 あれは――

 光矢は体をねじってその場を移動する。

 そこに帯留辺の拳が落ちた。


「ぐっ」


 突風に吹き飛ばされた光矢は、反動を活かし空中に飛びあがって停止した。

 帯留辺が見上げている。

 光矢は両手に蒼玉を作り出した。

 そのまま落下する勢いで、地面に着地し、素早く地を蹴って、左サイドから帯留辺に手を伸ばす。

 帯留辺が上体をひねってかわした。

 だが、避けられるのは織り込み済みだ。

 わざと空振りさせた光矢は勢いを殺さず右サイドに一歩跳んで、腰をひねって右手を伸ばす。

 そこには帯留辺の広い背中があった。

 だが――


「無駄なんだよ」


 帯留辺のかかとが上がった。

 後ろ蹴りのポーズをとったところに、光矢が速度をあげて突っ込んだような状態になった。

 また、何かが割れるような音が響く。

 同時に皮靴の足裏が綺麗に入った。意識を刈り取られるかと思うほどの衝撃だったが、攻撃はまだ終わらない。

 帯留辺はその場ですばやく反転し、伸ばされていた光矢の手を取って丸めるように返した。

 手のひらには、蒼玉。

 光矢は自らの攻撃を自分の胸で受け、その衝撃でビルに大穴を空けた。


「これは……」


 立ち上がった光矢は自分の体を確認した。

 顔面は見えないが、胸の状態はひどかった。大きくひびが入っている。特に、一番最初の突きのダメージが大きい。

 しかし、まだ動けないほどではない。

 

「どんな攻撃も、俺には届かねえ」


 姿を現した光矢に、帯留辺は自慢げに言った。

 そして、指を指す。


「おい、ド素人。お前、《曜力》すら教えてもらってないだろ」

「《曜力》?」

「俺や、お前らみたいなのが、使うエネルギーのことだ。《醒零》状態はその《曜力》を《黒曜》から引きずり出す――ってのが基本。で、《曜力》を何かに変化させるってのが応用だ」

「それがなんだ?」

「まあ聞けよ。ド素人のお前は、なぜかもう応用までこなしてる。さっきの爆発系なんてなかなか良かった。だが、《曜力》をずっと垂れ流しているお前は――基本しか使っていない俺に勝てない」

「基本しか使ってない?」

「ヒントはここまでだ。さあ、続きをやろうぜ」


 帯留辺はまた跳躍した。

 北大我が「惑わされないで!」で叫んだが、光矢は彼の言葉が嘘だとは思えなかった。

 圧倒的に光矢が劣勢の状況で、わざわざ混乱を狙ってくるとは思えないからだ。

 そして、帯留辺の顔がとても楽しそうだからだ。

 考えろ――

 よく見ろ――

 なぜ、当たらない。なぜ、この男は生身で殴れる――

 その答えは――


「考えてるときに、足が止まるようじゃ三流だぞ」


 光矢は眼前に飛び込んできた男に苦し紛れの拳を振った。

 しかし、紙一重でしゃがみこんだ帯留辺は、密着して両手の平を光矢の胴に当てた。

 何かが割れる音と共に、帯留辺の体が瞬間的に蒼く光った。さらにその手は――


「《蒼勁掌》(そうけいしょう)」


 どくんと光矢の全身が震えた。

 胃を直接なぐられたような抗いがたい衝撃が背中に突き抜けた。

 一拍遅れて、光矢は壁を突き抜け、道路に落下した。


「そんなことが……できるなんて……」


 途絶えそうになる意識の中で光矢は立ち上がった。

 とんでもない技だった。

 たった一撃でまだ足が震えている。

 刃の指を持つ《境界渡り》にも傷つけられなかったというのに。

 内臓が微細に震えているようなぞわぞわした感覚が収まらない。未体験の技術。

 帯留辺が突き破ったビルを抜けて、姿を現した。

 不敵な笑みで見下ろしながら、「中にダメージは初めてだろ。で、謎は解けたか?」と挑発する。


「一瞬の《醒零》……」

「ご名答」


 帯留辺がすとっと大地に降り立った。

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