第18話 有効活用

「九々良(くくら)、準備しろ」

「帯留辺(おびるべ)さん、今日は英気を養っとけとか言ってませんでした? 俺、まだ飯おごってもらってないっすよ」

「あとだ。先に邪魔者を消さないと飯がまずくなる」


 帯留辺と呼ばれたオールバックの男が、首を回して「そうだろ?」と有無を言わせぬ口調で言う。

 九々良と呼ばれた小柄な青年は「勘弁してくださいよ」と言いつつ、頭上に拳を向けて口を開いた。


「《世斬蔵》(よざくら)」


 空に一瞬、波紋のようなものが生じた。

 何もない空間から、古めかしい土蔵が出現した。その屋根は地面に向いている。逆さにせり出しているのだ。

 黒い屋根瓦から白い漆喰の壁が伸びている。

 酒や米穀の保管用に使う伝統的な建築様式による蔵は九々良の頭上一メートルほどのところで停止した。


「《解壁》」


 九々良が拳を開いた。

 それに合わせて黒い瓦が周囲に霧散し、直方体に近い形状の蔵が立体の展開図のごとく不気味な音を立てて周囲に広がった。

 空中で展開し、十字の一枚板のように形状を変化させた蔵は、周囲に劇的な変化をもたらす。

 世界がセピア色に変わったのだ。

 服も建物も車も並木も――万物が一色に統一され、陰影と形状のみの違いとなった。

 動きも停止した。

 しかし、帯留辺と九々良、そして光矢と北大我はその例外で色が残っている。


「さすが、九々良。早い」

「もうしんどいんで、あと任せていいっすか?」

「もちろんだ。ここからは俺がやる」


 帯留辺がネクタイを外し、シャツのボタンを一つ外した。と同時に、跳躍する。

 人間離れした筋力と、あり得ないほどの速度に光矢は戦慄を禁じえなかった。

 飛んだ方向は――

 北大我の方向だった。

 光矢は「待てっ」と叫ぶ。北大我は帯留辺を目で追って構えている。

 その上を――


「クズは消えろ」


 帯留辺は遠くに飛び越した。

 あっけにとられた光矢は、彼が狙っていた獲物を視界にとらえた。

 それは、のろのろと道路の端を這っている《境界渡り》だった。それにも色があった。黒だ。

 今の今まで気づかなかったが、黒くごつごつした異形は寝そべるような体勢で蠢いていた。

 そこに、帯留辺の拳が落ちた。

 衝撃音と巻き起こる突風。

 側に止まる車に影響はなかったが、《境界渡り》の姿は跡形もなく消えていた。


「ふぅー」


 長く息を吐いた帯留辺は広い背中を見せつけるように立ちあがり、右に顔を向けた。

 光矢はその方向を目で追った。

 ビル壁に、トカゲのように蠢く《境界渡り》がいた。二又に分かれた黒い水晶のような頭部と長い尾が特徴的だ。

 帯留辺が再び跳躍した。信号機を踏み台にし、さらにどこかの会社の看板を蹴って方向を変える。

 《境界渡り》が長い尾を振るった。


「クズが! 百年早いんだよ」


 帯留辺は頭上に振ってきた尾を両手で掴み、空中でぐるんと一回転すると、その勢いで《境界渡り》を道路に叩きつけた。


「うぁぁらっ!」


 再び落ちる帯留辺の拳。

 また衝撃音と突風が吹いた。二又の《境界渡り》の断末魔が聞こえた。

 光矢は不思議と泣いているような声だと思った。

 周囲の光景は変わらない。

 道路を行きかっていた車も、目的地に向かおうとしていた人間もすべて停止している。

 帯留辺と《境界渡り》の戦いは、静止画の中で動いているようなものだ。


「オードブルとスープは消化。次はポワソンだな」


 帯留辺が跳躍し、最初の位置に着地した。

 獰猛な視線が、光矢と北大我を捕らえた。


「二人組か。まさかと思うが、お前らニンブルマキアじゃないだろうな」


 その言葉に光矢が目を見開く。

 すると、帯留辺は「はん」と気の抜けた顔を見せた。


「図星か。陰気な街に住むのが嫌で引っ越してきたのか。それとも、ただの買い物か? どっちだ、ガキ共?」

「……買い物です」


 光矢が答えると、男はますます脱力した。


「その様子だとここが誰の縄張りかもわかってないようだな」

「縄張り?」

「ほら知らない。新人か? ここは、お前らみたいな変わり者が来る場所じゃねえよ。ここはなあ――」


 帯留辺が親指で自分を指した。


「信念を持ったノートマキアの縄張りだ」

「あんたの方が、よっぽど変わりものでしょ。ほとんど害のない《境界渡り》を処分するのに、《世斬蔵》まで使うなんて。街中でやること?」


 北大我が黒曜鎧を纏ったまま歩いてきた。

 とげとげしい言葉の意味はわからなかったが、光矢も帯留辺が何かをやりすぎている感じはしていた。

 ネジが外れているというのか、ブレーキが効かないというのか。

 何より、九々良の足下で転がっているカラコンの男を見れば一目瞭然だ。

 帯留辺が口内に何かを叩きこんだ彼は動かない。


「心配すんな」


 光矢の視線に気づいた帯留辺はにやっと笑う。


「撒き餌に有効活用するから」

「帯留辺さん、そろそろっすよ」


 九々良の抑揚のない声が聞こえたときだ。

 カラコンの男の体がびくんと震えた。

 きっと息を吹き返したのだと思った。けれど、それはまったく違った。

 男の体に黒い石が次々と生えた。

 腕に、足に、太ももに背中。肩、首、頭。

 見る間に覆われた男の下半身が逆に曲がっていく。そのまま捻じれ、頭部に足先がくっついたかと思えば、輪っかのような形状に変化した。

 そしてツイストするように捻じれると、顔面だけが中央に浮き上がった。

 男は、搾った雑巾のような形状となって、宙に浮いていた。


「不細工な《境界渡り》だな」


 帯留辺が唾棄するように言う。

 その瞳には軽蔑が浮かんでいた。


「九々良、押さえろ」

「わかってますよ」


 小柄な青年が、元カラコンの男――《境界渡り》を背後から蹴って転がすと、体の中央に足を乗せて簡単に拘束した。


「あんたたち、まさかそいつに――」

「お嬢ちゃんの想像通りだが、もう遅いぞ」


 北大我が前に出て九々良を止めようとしたが、帯留辺がすかさず移動し、片手を前に突き出していた。


「ここは俺の街だ。お前ら田舎者が出る場所じゃねえ」

「だからって、死ぬ気がない人間を路上で殺したの!? さっき飲ませたのは、《疑似黒曜》でしょ!」


 北大我の叫びに、光矢がはっと気づいた。

 《疑似黒曜》を呑ませる――それは、死にたいと願った自分が、八重山萌にされたことのはずだった。

 それが、今、目の前で――


「ほんとに? ほんとに《疑似黒曜》を?」

「何かまずいのか?」


 光矢の問いかけに、帯留辺がつまらなさそうな顔で言う。

 北大我の推測は事実だった。


「さっきの男は、放っておいてもこの先クズの未来しかない」

「それでも! プログラムされた死を、あんたの一存で早めていいはずがない! そいつにだって生きる権利がある! れっきとした犯罪よ!」

「犯罪? だとよ、九々良。どう思う?」


 帯留辺は薄く笑って《境界渡り》を踏みつける男に尋ねた。


「犯罪でしょう」

「九々良もそう思うか?」

「思いますよ。ただ――帯留辺さんがやったのは、いい犯罪っす」

「だとよ、お嬢ちゃん。俺がやったことはいい犯罪だ」

「犯罪にいいも悪いもない!」

「じゃあ、余った《疑似黒曜》が偶然にも、クズの口の中に入ったってことにしよう。いや……そういえば、僕は死にたいって言ってたような気がしてきた」

「そんなの――」


 北大我はその続きを口にできなかった。

 帯留辺が目の前から消え、彼女を吹き飛ばしていたからだ。

 彼は光矢の隣に立っていた。

 そして、ようやく数メートル先で体を起こした北大我に向けて言った。


「危機感のないうるさいやつだ。障壁も張れない。黒曜鎧も満足に使えない。お前、死んでから何年経った? 正義感を振りかざすなら、この街の《境界渡り》を一匹でも消滅させてから言え。真横を歩いてる化け物すら殺らない、やる気のない《世得》が縄張りに入ってくるな」


 帯留辺が視線を光矢に向けた。


「その上、この状況でまだ呆けてるバカが一緒とは。ニンブルマキアはよっぽど平和ボケしているらしいな。少しは骨があるかと思ったが、もうどうでもいい。今から死ねよ。九々良、まだか?」

「そろそろっすね」


 九々良が周囲をぐるりと見回す。

 帯留辺も「この前駆除してから、もうこんなに増えたのかよ」とめんどくさそうに言う。

 ビルの上、路地裏、建物の陰、道路――至る所に黒い化け物が姿を現した。

 北大我が怒鳴った。


「こーや、早くここから――」


 彼女は九々良の足で押さえつけられた《境界渡り》を見ていた。

 撒き餌――

 帯留辺の言葉が脳裏に浮かんだ。


「もう遅いっす」


 九々良が足に力を入れた。ぐじゅっという音と共に、一匹の《境界渡り》が消滅して黒い塵になって消えた。

 途端に、何か気味悪い声が響いた。全方位のどこからも聞こえた。


「帯留辺さん、よく考えたら、これって俺に残り香ついてないっすか?」

「安心しろ。お前は立ってるだけでいい。俺が全部やる」


 不敵に言った帯留辺は、嫌な視線を光矢に向けた。


「巻き込まれたやつらはどうなるか知らんが」


 光矢はその言葉にぞっとした。

 と、片手を強く引っ張られた。北大我だ。


「こーや、できるだけ離れる!」


 彼女は乱暴に光矢を抱えて帯留辺から距離を取った。

 しかし、もう遅かった。

 周囲には、産まれたての《境界渡り》の匂いに惹きつけられた化け物たちが集結していたのだ。

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