第17話 当然だ

 細い路地を出ると、高い日差しに迎えられた。

 人通りがまた増えただろうか。

 道路はひっきりなしに自動車が通り、点滅する歩行者信号を見て、通行人が無理やり渡ろうとしている。

 買った本は車に置いてきた。

 これからの予定には邪魔になるからだ。


「あそこがいい」

「おお……大きいな」


 そこは北大我が一回りしてきたというアパレルのビルだった。

 一階から最上階まで性別と年齢別にフロアが分かれているそうだ。

 近づくにつれてその大きさに圧倒される光矢は、やや気後れ気味だった。

 思わず尋ねた。


「時間とか大丈夫なのか?」

「ん? 別にいいんじゃない」


 北大我は軽いステップを踏んでくるりと振り返った。

 透き通った金髪が、ふわりと揺れた。

 この予定外の行動の発案者は彼女だった。

 光矢の服装が街に合っていないうえ、替えの服も満足にないことを聞いた彼女は、「お礼に、何か買ってあげる」と言い出した。

 最初、光矢は断った。

 お礼の意味は察したが、別に何をしたわけでもない。どちらかといえば、余計なことに巻き込んだという引け目も感じている。

 それに服など選んだこともないし、何が『合っていて』、何が『合わないのか』すら見当がつかない。

 光矢が知っているのは中学、高校の制服のみで、小学生の頃は記憶にない。

 義理の妹の佳奈美が色々な服を買ってもらっていたはずだが、光矢の前ではいつもTシャツと短パンという代わり映えのない姿で少しも参考にはならない。


「やっぱ、いいって。海馬さんにも自分で買えって言われたし」

「遠慮するな。私はこう見えてお金持ちだから。それに――」

「ん?」

「こ、こーやより……服に詳しい」

「ここーや?」


 光矢のその言葉で、北大我が慌てて前に向き直った。

 そのまま何を言うでもなく、立ち止まる。


「ここーや?」


 もう一度口に出した光矢は、途端に頭の中で閃いた。

 北大我は、光矢――と言ったんだ、と。

 その事実に気づいた瞬間、かっと顔に熱が走った。

 北大我に恥をかかせていたのだ。少し噛んだことにも気づかない、大失態だ。

 けれど、あの不愛想な北大我が自分の下の名前を呼ぶなんて思わない。


「えっと……」


 何と反応するべきだろうか。

 急に気恥ずかしくなった光矢は、ちらちらと周囲を見回しながら、上を向いて、視線を戻した。

 そして、

「なら、任せよっかな。俺はよくわからないし」

 と、そこに触れない選択肢を選んだ。


「そうそう」


 北大我はそれに乗った。

 ポケットに両の親指をつっ込み小さく笑うと、何事もなかったかのように、しれっと歩き出す。


「こーやはそれくらいじゃないと」

「なんて?」

「なんでもない」

「なあ……聞いていいか?」

「ダメ」

「まだ、なんにも聞いてないんだけど」

「質問は認めていません。それより、さっさと服買おう。遅くなったら怒られるだろうし」

「え? やっぱ怒られるのか? 誰に?」

「萌」

「八重山さん!? あの人、怒る人なの?」

「めっちゃ怖いよ」


 光矢が息を呑む。

 八重山萌に怒られるのだけは避けたかった。

 彼女が冷たい目で見下ろす光景は想像しただけで震えがくる。


「なあ……やっぱり――」


 光矢が心を翻しかけた時、北大我の軽快な足取りがぴたりと止まった。

 前から知った顔が近づいていた。

 さっきの高校生三人組と、体格の良い男子高校生の組み合わせだった。



 ***



「美弥が殴られたやつって、こいつら?」


 緑色の髪を立てた男が、長身の女子高生に確認する。

 いつの間にか、話が大きくなっていた。

 さっきのケンカ腰の態度は何だったのか。彼女が弱弱しい様子で、「そう」とつぶやくと、男の眉がハの字に歪んだ。


「強そうには見えないけど、まあ、手出したらダメだよな」


 もう一人の男が前に出てくる。

 見た目は普通だが、目にカラーコンタクトでも入れているのか、瞳が青色だ。


「じゃあ、俺、女の方もらうね」

「おいっ、女はあとだろ。先に男の方だろうが」

「一人で十分でしょ? 俺、男いたぶる趣味ないから」


 カラコンの男が嗤いながら前に出ると、緑髪の男が「女いたぶる趣味はあるけどな」と愚痴を漏らす。

 そんな二人を前に、北大我はぼそりとつぶやいた。


「《醒零》」


 最初に驚いたのは、もちろん光矢だった。

 《境界渡り》と戦うための力を目の前の人間にふるう。それは、明らかに過剰防衛だ。


「こーや、私ね、男には強いんだ」


 さっと隣に並んだ光矢に向けて、北大我が笑った。

 そして続ける。


「怖い見た目でも、イカれたやつでも、私には力があるから。いざとなったら戦えるって思える」


 黒い岩のような塊が徐々に北大我を浸食していく。

 二人組と女子高生三人が声もなく目を見張る。

 北大我の頭部が、とうとうヘルメットのようなものに覆われた。

 黒いヘビーアーマーを装着した《世得》が顕現した。


「でも、女の三人組だとダメになる。凄まれるとすぐにダメになるんだ。戦おうって思っても足が震えて、頭が真っ白になって動けなくなる」

「北大我?」


 光矢は慌てる五人を視界にとらえる。様子がおかしい。

 これは――


「だからね、もう戦うのやめようかなって思ったの」

「そうか……そういうことか」

「《世得》の状態だと見えるけど、黒曜鎧を完全に装備したら、姿見えないじゃんって今頃気づいた」


 北大我はにっこり微笑んだ。

 男たちが、「女が消えた!?」と慌てふためいている。後ろの女子たちも同じだ。


「こうなると、こっちの声も聞こえないから、あとは逃げるだけでいいかなあって」

「なるほど」

「こーやが、教えてくれた。『戦えないなら逃げたらいい』って。これで全部解決できる」

「確かに、一番いい方法かもな」

「でしょ?」


 北大我は、何かふっきれたような顔で幸せそうだ。

 光矢も自然と嬉しくなった。

 しかし、目の前で人間が消えていくという体験をした者たちはそうではない。


「お前、み、見えてんのか? さっきの女、どこに行った! いい方法ってなんだ!?」


 緑髪の男は腰が引けた様子で、あたりを何度も見回して怒鳴る。

 北大我の声が拾えなくなり、光矢しか認識できなくなったようだ。


「そこにいるけど」


 光矢が指さした。

 そこは緑髪の男の足下だ。

 さっと顔色が変わり、慌てて飛び退いた。その反動で後ろの女性陣の一人が足を踏まれて「痛っ」と顔をしかめた。


「嘘だけど」


 光矢は真逆の方向に視線を向けた。北大我は普通に歩いて男たちから離れている。


「なあ、北大我、いい案だけど、俺はどうしようもない」

「こーやは《醒零》できない?」

「できない」

「千丈さんから教えてもらってないの?」

「そんな時間なかった」


 北大我が「それは仕方ない」と肩を落とした。

 そして、当然のように「じゃあ、お願いします」と頭を下げた。

 何をお願いされたのかはすぐにわかり、光矢は眉をしかめた。


「ほら、ぐっと、さっきみたいな感じで掴んで」

「いや、今度は失敗するかも」

「がんばって」


 どう考えても見えない力で追い払った方がいいはずだが、北大我にはそれもしんどいのかもしれない。

 気を取り直して向き直った光矢は、カラコンの男の暴力的な視線を受けた。


「おい、さっきの女どこやった」

「だから、そこに――」

「いいから、出せ! こんな機会めったにないんだ! 早く出せ!」


 男の目は完全に据わっていた。

 緑髪の方は戦意喪失しているが、こちらは別の意味で危ない人間だと思った。


「お前、殺すぞ!」

「クズは殺すって言葉が大好きだな」


 カラコンの男がぐりんと首を回した。そして、呆気にとられた。

 非常に長身で、緑髪の倍近い体格の男が肩に手を回していた。

 オールバックの黒髪、黒い丸眼鏡。低い声と角ばったあご。膨らんだ厚い胸板に黒いスーツ。

 サラリーマンというよりレスラーに近い。


「殺したがりは一度死んでみればいい。まずは体験しろ」


 オールバックの男は回した手に力を入れて、カラコンの男を引き寄せた。

 すぐに響いた「がぼっ」というにぶい音。


「さあ、一気にいけ」


 オールバックの男の手先半分が、カラコンの男の口内に突っ込まれていた。

 自分が何をされたのか理解したのだろう。

 カラコンの男がしゃにむに暴れ出すが、オールバックの男はびくともしない。

 むしろ、片手でぎりぎりと身体を胸に押し当てる。

 しばらくして、どさりと体が落ちた。

 カラコンの男だ。


「やれやれ、クズが消えて幸せだが、これだけは不快だ」


 オールバックの男が何かのビンを捨てた。

 すると、後ろから華奢な男が現れハンカチを渡した。

 いつの間にか、緑髪と女子高生三人の姿がない。異常事態に逃げたのだろう。

 この男は明らかにまとっている空気が異質だ。


「クズは早めに摘んだ方がいいと思わないか? なあ、ガキども」


 手を拭ったオールバックの男の瞳が獰猛に曲がった。

 光矢はその迫力に敵意を感じた。その上、「ガキども」と言ったのだ。


「この人も――見えているのか?」


 その言葉に、男は口端を上げた。

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