第15話 前を見ろ  ※修正済

 最終的に、千丈と海馬の二人が八重山の推薦に乗る形で、補助者は北大我となった。

 出発前に注意事項を色々聞かされたが、一番記憶に残るのは八重山の言葉だった。


 ――亜美ちゃんは定期的に外に出ていますが、行く場所はいつも同じです。案外、その場所以外は光矢さんの方が案内できるかもしれません。それと……亜美ちゃんと一緒に行動するうえで、一つだけ絶対に守ってほしいことを伝えておきますね。それは――


 光矢は北大我の横顔を盗み見た。

 前回と同じく窓を全開にした車内で、見事な金髪がなびいている。艶があり、きらめくような黄金色は手入れの入念さを感じさせる。

 頬には薄くチークが乗り、唇には薄い桃色がひかれている。全体的に昨日よりも血色が良いように見える。

 外出用の化粧だろうか。


 光矢はぼんやり考える。

 北大我の容姿は学年で上位に入るレベルだ。

 家庭の問題が大きすぎた光矢に学校生活を楽しむ余裕はなく、その手の話は聞こえても耳を素通りしていたが、落ち着いた今なら周囲がざわついていた理由がよくわかる。

 彼女がもし同じクラスにいれば、告白しただの、付き合っただのの浮かれた話題の中心にいたはずだ。

 けれど――彼女は死んだ。

 死んで、《世得》となった。


(死因は何て言ってたっけ? 溺死……違ったかな? なんとなく印象に残ってるんだけど)


「なに?」


 北大我が前を向いた状態で不愛想に言う。

 光矢は不自然にならないよう視線を戻した。


「いや……そういえば、北大我さんって歳いくつかなあって」

「16」

「一つ下か。って生きてた頃のってことだよな?」

「当然でしょ。この体になってから歳なんてとらないし」

「そうなの?」


 坂道に差しかかった。北大我がアクセルを強く踏んだ。

 エンジンが振動し、大きくうなった。


「こうなったら《黒曜》の気分次第で、私たちは死ぬ。ニンブルマキアでは死ぬのとは違うから消滅するって言う人もいる」

「気分次第ってどういう意味だ?」

「死ぬときがわかんないってこと。最期は体が崩れて粉になるって聞いた。《黒曜》の終わりが来るんだってさ」

「……だから死じゃなくて消滅ってことね」

「もし運転してる私が突然消滅したら、この車はあげる」

「怖いこと言うなって。だいたい、俺は免許証がない」


 光矢は苦笑いして首を回したが、北大我の横顔に変化はなかった。

 達観やあきらめ――そんな感情が透けて見えたような気がした。

 車内にしばらく沈黙が降りた。

 トンネルに入り、轟々という耳鳴りのような音がようやく終わったとき、珍しく北大我が口を開いた。


「ねえ、あんたって、クラスではどんなポジションだった?」


 それは唐突で、意図が読めない質問だった。


「ポジションってなんだ?」

「あるでしょ。中心人物とか体育祭で目立つやつとか、委員長とか」

「そういうことなら、帰宅部で目立たない、人付き合いの悪いやつ……かな」

「だろうね」

「だろうね、って……一応、違う意味では目立つ部分もあったんだぞ」


 光矢の脳裏に苦い思い出が浮かんだ。

 すると、ふと隣から強い視線を感じて素早く横を向いた。

 北大我と一瞬目が合い、また前を向いた。


「どんな?」

「なんで言わなくちゃいけないんだ」

「教えて」


 最初は教えるつもりはなかった。

 しかし、「教えて」という言葉に、なぜか北大我の強い興味を感じた光矢は、死んでから隠すほどのものでもないかと考え直した。

 もう、あの頃の生活に戻ることは二度とないのだから。

 光矢はぽつりと言った。


「たまに担任の先生がなんかを恵んでくれた」

「なにを?」

「昼飯」

「昼飯?」

「うちの親、俺の弁当なんて作ることなかったし、朝、夕は残飯だからな」

「……それで?」

「授業中は腹の虫が鳴るからクラスで有名だった。それを見かねて、いつだったか、『食うか?』ってわざわざ購買のパンをくれたんだ……それからだ。何かとあの先生には助けてもらった。同じ班の中でも話を聞いたのか、たまに弁当のおかずをわけてくれるやつがいた」

「……どうして死んだの? いいやつもいたじゃん」

「クラスが変わったときに、貧乏野郎って言いがかりをつけてしょっちゅう殴ってくるやつがいた。上靴はいつも窓から投げられたよ。けど、そいつが俺と似た境遇のやつに暴力を振るったときには頭が冷えて助けに入った」

「別にまずくないじゃん」

「やりすぎたんだ。元々、ケンカなんか経験なかったんだけど、窓から突き落とされそうになったときに、必死で返したら、うまくいった」

「……で?」

「そいつが、三階の窓から落ちた。両足骨折だ。俺は貧乏で危険な生徒としてレッテルを張られた。同情してたやつも、何か事件を起こせば手のひらを返すからな。それからは、まあ……想像できるだろ」

「ついてなかったね」

「まったくついてないな。あの時の俺って、家のつらさを学校で補ってたからさ、居場所がなくなって全部真っ暗になった」


 光矢は窓の外に視線を向けた。

 助けてもらった前のクラスの連中の顔は忘れることはないだろうが、嫌な思い出だ。あの事件がなければ、もう少し平穏だったかもしれない。


「もし、あの先生や気のいい友達とずっと一緒にいられたら、楽しかっただろうな。そういう意味では――」


 光矢は隣に視線を向けた。


「北大我さんにも感謝してる」

「私に? なんで?」

「最初に北大我さんが殴ってくれたときに、安心できたから」

「安心?」

「あの時は化け物に意識を半分奪われてて不安だった……でも、この人たちは俺を助けようとしてくれてるってわかったから。それは、北大我さんの『ほら、がんばれよ』って言葉で直感した」

「私は葛切が《黒曜》に呑まれないよう挑発しただけで……そんなつもりはねえって……」

「そんなつもりはねえ、か……その男っぽい言葉遣いって、たまに出るよな? 戦闘中だけじゃないんだ」

「――っ」

「不愛想の方か、男っぽい方か……北大我さんの素はどっちだろうな」

「ど、どっちでもいいだろ!? お前、べらべらしゃべりすぎだぞ!」

「話せって言ったの、北大我さんだろ」

「私はお前の話をしろって言ったんだ! 私の詮索をしろって言ったんじゃない!」

「ちょっと、前、前、見て、前!」


 北大我の怒りのこもった瞳は、光矢に向けられていた。

 しかし、徐々に車を見かけるようになった道路では自殺行為だった。

 本気で焦る光矢を目の当たりにして頭が冷えたのか、彼女がハンドルを握りなおし、小さく舌打ちを鳴らした。

 光矢は素直に頭を下げた。


「詮索して悪かった」

「ほんとに悪いと思ってるの?」


 北大我の口調が戻った。

 光矢は内心でほっと安堵し、もう一度頭を下げた。


「思ってる。探られたくない部分はあるだろうし。俺も学校のことは話せるけど、両親がしてきたことには触れられたくない。思い出したくない」

「……そうか。反省したなら……許す」

「ありがとう」


 光矢はそう言って、視線を外に向けた。

 しばらく無言の時間が続くと、どういうつもりか、北大我がカーラジオをかけた。

 FMだろうか。上半期のチャート特集なる音楽番組が始まり、聞いたこともない音楽が次々と流れていった。

 そして、わずかに眠くなったころだ。

 北大我がぼそりと言った。


「なあ、葛切、もう一つ隣の町まで行こうか」

「予定変えていいのか?」

「時間早いし、行ったらダメとは言われてない」

「俺は別にいいけど」

「じゃあ、決まり。それと……さんはいらない」

「さん? 北大我……さん?」

「私の方が年下だし」

「……お、うん。じゃあ、そんな感じで」


 ハンドルを握る北大我が片手で目をこすった。

 光矢は少し心配になって聞いた。


「もう一つ隣町って、時間かかる?」

「プラス30分くらい」

「俺、運転代われないけど大丈夫か? 北大我……眠いんじゃない?」

「刺激がないから眠いんだ。こんなのアクセル踏んでハンドル握ってるだけだから、葛切もすぐできる」

「いや、だから免許証ないんだって」

「大丈夫。私も無い」


 光矢はぐるんと首を回した。

 北大我がさも当然のように言った。


「死人に免許証なんて無意味だし」


 ぞっとした光矢は、ふとサイドミラーを見た。

 後方にパトカーの赤ランプが見えてきた。

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