第14話 やりたいこと
診療所と《世無》が訓練する学校を案内された次の日から、光矢にはしばらくの自由が与えられた。
光矢はニンブルマキアで戦うこと――つまり前線に出ることに、まだ結論を出せていなかった。
そこに、北大我亜美がやってきた。
「急ぐ用事はないだろ。付き合え」とぶっきらぼうに言った彼女は、戸惑う光矢の胸倉をつかんで半ば無理やり外に引っ張り出した。
「ちょっと待てって、どこに行くんだ」
「佐垣の押し付けだけじゃフェアじゃないから」
彼女はそれだけ言うと別の軽自動車に光矢を乗せた。
今時エアコンが効かないうえ、窓が自動で開かないレトロな車だった。
苦しそうに低音を響かせるエンジンは今にも止まりそうだったが、北大我は片手でハンドルをたたきつつ、何度もアクセルを強く踏んだ。
「くたばりそうだけど、苦しいとこ抜けたら案外いけるから」と、車のことを言っているのかと不思議に思うようなセリフを口にした。
「ほら、越えられた。けど、しんどくなると、またダメになるんだ」
小高い丘を越えて下り坂に入ると、北大我は遠い視線を向けていた。
光矢は「そうなんだ」と適当な相づちを打って窓の外を見ていた。
不思議な空気だった。
光矢はあまり雑談が得意じゃない。特に初対面の人と楽しく話せるような高等技術は持っていない。
でも、沈黙は気まずいから嫌いだった。
だから、何か話さなくてはと焦って余計なことを言って失敗する。学校ではその繰り返しで失敗することが多かった。
その点、北大我との空間はなぜか嫌いじゃなかった。
彼女は光矢と二人でいるのに車のこと以外は話さない。
最初にわけがわからないまま戦ったときの彼女からは想像できないほど、ずっと大人しかった。
窓を全開にした車内に吹き込む風が、彼女の金髪を揺らす。
たまに光矢が視線を向けると、それに気づくのか、彼女は八重歯を覗かせながら、物憂げな顔で「甘い物食いたい」とか、「服欲しい」とか、どうでもいいことを言う。
「そうだね」
光矢はまた適当な相づちを打つ。
ただの繰り返しだが、嫌な気持ちにはならなかった。
彼女は光矢の視線を感じると、必ず独り言を漏らす。
昨日はそんなことはなかったが、案外、二人になると緊張するタイプだろうか。
そんなことを考えたときだ。開けたエリアに出た。
「《世無》も《世得》も使う場所がここ」
北大我は適当な場所に車を止めて、すたすたと歩きだした。
「どういう場所なんだ?」
「買い物」
北大我が立ち止まった。
すっと細い腕を上げて指を向けた。
「あそこが、総合八百屋」
「総合八百屋?」
「総合スーパーの偽物」
「なにそれ?」
「野菜をメインにしたスーパー。カップ麺とかも売ってる。三途渡町で全商品を扱うって豪語する店長が暑苦しい店。店長、女だけど、とにかくうざい」
「ああ……コンビニみたいなもんか」
「この辺、昼からしか開けないから、今は時間外。で、あっちが、本屋で、そっちが服屋。でも可愛い服はまずない。期待すんなよ」
彼女は残念そうに眉を寄せて、さらに奥を指す。
「靴屋と、一応、喫茶店。種類ないけど、ココアがおいしい。あと店長がいい人」
「知り合いか?」
「知り合いっていうか、話を聞いてくれる人かな」
「どういう意味?」
「そういう意味に決まってるだろ」
光矢は首をひねったが、北大我は無視して振り返った。
「どうだ?」
「何が?」
「葛切はどう思うかってこと」
「……ここに来たら全部揃う?」
北大我が微妙な顔になった。
笑顔と呆れの真ん中くらい――言葉が出たなら「お前、バカだろ?」と言いたげな顔だ。
「戦いばっかじゃないってことだ。佐垣が葛切に見せたのは、ショックなやつな。ケガして戦って普通じゃないやつらの話だけ。でも、そんなやつばっかりじゃない。こういう場所もちゃんとある」
「なるほど……」
「ここらの店の為に働くって選択肢もある」
「アルバイトでもするのか?」
店員募集の貼り紙でも貼ってあるのかと店の前に近づいたが、何もなかった。
「時給とか出るのか? 俺、アルバイトしたことないから、ちょっといいな」
振り向いた光矢の視線の先で、北大我がまた微妙な顔をしていた。
例えるなら、そう――「あんた、バカ?」と言わんばかりの。
今度はわずかなため息も聞こえた。
「昨日、佐垣が教えただろ。《世無》は普通の人間には見えないやつが多い」
「それは知ってる」
「仕入れ、だよ」
「仕入れ……あっ、なるほど」
「町って言っても、この町で作れるものなんて知れてる。ほとんどは外に頼らないとダメだ」
「見えない《世無》に代わって、外に行って物を仕入れるってことか」
「そういうこと――じゃあ、帰ろっか」
「もう帰るのか?」
「他に用事あるか?」
「いや……ないけど」
光矢は歩き出した北大我のあとに続いた。
仕入れ――外と行き来し、三途渡町のために物資を手に入れてくる。
それくらいなら、何もできない光矢でも役に立てるかもしれない。
何より、戦いに出るよりは気が楽だった。
しかし――その安易な考えが、あんな事件につながるとは、この時の光矢は予想できなかった。
***
ニンブルマキアのホームの一室で、光矢は千丈と向かい合っていた。
こじんまりした部屋は千丈の執務室だ。
飾り気の無い机にノートパソコンが一台だけ。
壁には朱色の文字が目立つカレンダー。後ろの棚には書物と黒い水晶の置物。
そして、小さな女の子が映った写真と、千丈と一人の男性が肩を組んだ写真が立てかけられている。
隣のソファに海馬と八重山が座り、二人の話を黙って聞いている。
千丈は話を聞き終え、ふうと大きな息を吐いて視線を巡らせる。
「本を仕入れたい、か」
「ダメですか?」
千丈はあごに手を当てた。
「いいんじゃないですか。外で経験を積むのは悪いことではないと思いますよ。外への憧れもあるでしょうから」
八重山萌の援護射撃に、千丈は「うーん」と唸った。
「仕入れって難しい……ですか?」
「生鮮食品なんかは廃棄ロスも考えないといけないけど、その辺はお店側が考えてくれるから、そんなに難しくない。それに光矢君は本と言ったから、腐らないし返本も考えなくて済むから、ぶっちゃけて言えば、定価で買ってくるだけでいい。強いて言うなら、住民の好みを調べるくらいだ」
「じゃあ俺でも……」
「そうなんだけど、一つ問題が残る」
「何ですか?」
「君が外に出る」
「それって何かまずいことなんですか?」
「光矢君、何かあったら力の制御できる?」
千丈が身を乗り出した。
柔らかい表情を浮かべているが、その視線は鋭く光矢の中を覗き込むようだ。
「君にはまだたくさん説明してないことがある。訓練もしてない。不安は残るな――海馬はどう思う?」
海馬が足を組んでメガネのつるを押し上げた。
「ニンブルマキアは強い意思を歓迎しますよ」
「あらら……」
千丈のあては外れたようだった。
海馬の第一声は否定ではなかった。
「しかし、千丈さんの懸念もわかります。外への補助をつけましょう」
「補助ねえ、安全を見越すなら……弓玄かお前だな」
「まったくその通りですが、千丈さんの考えている安全は150%でしょう? それでは過保護がいきすぎです。仮に白友や石榴なら、そこまで手厚くないはず」
海馬は厳しい視線を千丈に向けた。
珍しく、千丈の顔がばつの悪いものに変わった。
「減点1です。それに、私や弓玄は本の買い出しに割く余裕はありません。ということで、私は白友か石榴を推しますが、萌さんはどうですか?」
「私は――亜美ちゃんを推します」
海馬の視線が細く鋭くなった。
「北大我を? どういう理由か聞かせてもらっても? あいつは、正直向かないと思いますが」
「そうですか? 光矢さんと亜美ちゃんって相性良さそうですよ」
「相性が良さそう?」
「はい。二人で市場の方に出かけたそうですから。ですよね?」
光矢はなぜ知っているのか不思議だったが、八重山に嘘などつけるはずがなく、首を縦に振った。
千丈と海馬が驚きを露わにした。
だが、その理由は光矢にはわからなかった。
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