第13話 世得と世無 2

 黄色いビートルが停止した場所は、静かな丘の奥を切り開いた場所だった。

 のどかな風景の中を小鳥がよぎり、温かな風が踊る。

 そんな緑の景色の中、木造のひなびた校舎があった。

 佐垣と北大我は扉の無い開け放たれた校舎内に足を踏み入れ、左に折れた。

 『職員室』と書かれた誰かの手製と思しき看板がついた部屋の戸を開ける。


「いないじゃん」

「加部先生がどっか行ってるのは珍しいな」


 北大我があからさまにがっかりしたが、佐垣は気にせずに踵を返すと、反対側の教室の隙間を抜けた。

 今度は少ししっかりした戸を押し開け、グラウンドのような砂利が敷かれた空間に出る。

 すると、短パンにTシャツ姿の中学生くらいの女の子が気怠い表情で壁に背を預け、足を投げ出していた。

 右膝には軽い石化が起こっている。

 前髪をいじっていた茶髪の少女の丸い瞳が北大我をとらえた。


「亜美ちゃん、久しぶりー。今日は加部先生、いないよ」

「知ってる。さっき職員室見てきた。っていうか、大先輩の私にいきなりタメか、うらちー」

「亜美ちゃんって先輩って感じしないから……って、弓玄さん!?」


 うらちーと呼ばれた少女――浦元千衣(うらもとちい)は、慌てた様子で左手と右手を軽くたたきつけるような動作で地面につけた。

 小柄な少女はその勢いで全身をバネのように弾かせ、くるりと宙で回転すると、見事な着地を決めた。

 両手ではねた髪を整え、笑顔を作る。


「こんにちは、弓玄さん! まさか弓玄さんが来てくれるなんて、すごく嬉しいです!」

「おせえんだよ」


 北大我がぼそりとつぶやいた台詞を、浦元はしっかり聞き取ったようだ。わずかにすごみのある目つきで睨みつけ、そして元に戻った。

 佐垣はそれに気づかない様子で、浦元の膝を見やった。


「浦元は相変わらずか?」

「そうですねー、足は相変わらずって感じです」

「そっちじゃない。訓練は進んでいるかどうかってことだ」

「そっちもあんまりかも。でも、弓玄さんが教えてくれたら、少しは上達するかなあ……なんて。ん? 弓玄さん、後ろの人は?」


 浦元の瞳に佐垣以外は映らなかったようだ。

 光矢が、「葛切です」と遅れて会釈したが、彼女の視線はすぐに佐垣に戻った。


「葛切は、新しい《世得》だ」

「《世得》!? ええー、いいなあ……最初からなんて……千衣も《世得》になりたい」

「浦元は《世得》になって何をしたいんだ?」

「もちろん、弓玄さんの近くで毎日過ごしたいです!」

「それ以外は?」

「それ以外……うーん、バカ親を殺してやりたいって気持ちもあるけど、一番はケーキバイキングで友達と食べ明かしてから映画見たいです」

「そうか。時間を取らせたな」

「そんなの全然……って、弓玄さん、それだけ!? もう少し、ほら、何かないんですか!?」


 佐垣が話し終えたとばかりにグラウンドに進む。

 悲痛な表情を浮かべる浦元は、佐垣が続けて放った「浦元に用事はない」の一言に全力で肩を落とした。

 北大我が片目を眇めて非難する。


「なあ、佐垣……お前、いっつも、うらちーに冷たいよな。わかってやってるよな?」

「何がだ?」

「あいつ、お前のこと好きだろ」


 佐垣が足を止めた。

 彼は無表情で、「まったく違う。北大我は全然見えてない」と答え――少し声を抑えてから、

「仮にそうだとしても、《世得》の俺とは合わない」

 と言った。

 光矢はその言葉に内心でむっとした。

 立場が違うと言いたげな傲慢な言いようが、気に障ったのだ。

 だが、北大我が「それはそうかもな」と同意したことで、小さな怒りが疑問に変わった。

 わずかな沈黙が流れた。

 佐垣がそれを破るように「先に用事を済ませよう」と、奥にいた一人を手招きした。

 相手は短い黒髪を逆立てた中学生くらいの少年だった。

 少年は軽快な足音と共に、すぐにやってきた。


「弓玄が来るなんて、珍しいな」

「たまには相馬の様子も見にくる。期待の星だからな」

「褒め殺しはやめろって」


 両手を頭の後ろで組んで笑う少年――相馬(そうま)は快活だった。

 診療所で見た子供たちとは比較にならず、浦元千衣と比べても差があった。

 それなりに筋肉がついた両腕と両足には石化が見られず、《世得》と言われても納得できた。


「また力が上がったか」

「あ、わかる? 俺、最近絶好調だからな。ほんと《黒曜》ってすげーよな。やればやるほど伸びるんだ」

「相馬、あれからどれくらい進んだ?」


 佐垣の問いに、相馬はにんまり笑い、胸を張った。


「胸まで全部」

「それはすごい」

「だろ!? 俺、死ぬほど訓練してるからな。あいつにもいいとこ見せないといけないし」

「お母さんに会う為にも、な」

「それ、あいつに言ってないから、大きな声出すなって」

「悪かった」


 相馬は照れくさそうに頭をかくと、ポケットから手のひらより一回り小さなメモ帳のようなものを取りだした。


「ゴールは近そうか?」

「このメモ帳が埋まるくらいの頃には、ってのが俺の目標。なあ、弓玄……ちょっと試してくれない?」

「もちろんいいぞ」

「やった!」


 相馬はその場で拳をぐっと握って笑顔を浮かべた。

 佐垣は微笑ましい表情を見せながら、相馬に「その奥まで行け」と背中を押した。

 そして、光矢に――真顔を見せた。


「葛切、最後までよく見ておけよ。俺らとの違いを」



 ***



「《醒零》」


 グラウンドの真ん中で佐垣が抑揚のない声で言う。

 黒い靄がみるみる体に巻きつき、黒曜鎧が完成した。

 それは光矢が見た誰よりも洗練されていた。

 鎧の表面は油を塗ったように黒く輝き、サイズも佐垣の体に完璧にフィットしている。

 動作を確かめる仕草に一部の遅れもなく、《黒曜》の力を制御していることは明らかだった。


「なんだかんだ言って、佐垣はすごい。あんなに完璧な黒曜鎧はそう作れない」


 北大我の手放しの誉め言葉が、光矢の感心をさらに膨らませた。


「《醒零》って言葉が必要なのか?」

「無くてもできるけど、ニンブルマキアのメンバーは全員がその言葉をスイッチにしてる。《黒曜》の力はよくわかってないけど、戦うぞって思うと不思議と活性化するんだ」


 北大我の説明に納得する光矢の視線の先で、黒曜鎧に身を包む佐垣が手を前に出した。


「試してみろ。全力でな」

「もちろん!」


 相馬の周りに風が巻いた。

 風を操る力だろうか。

 相馬はグラウンドを力いっぱい蹴り、一気に佐垣へ詰め寄った。

 けれど、いつの間にか佐垣の姿は消えていた。


「上だ」


 よく通る声が上空から降ってきた。

 佐垣は空に立っていた。そのまま前につんのめるように倒れていく。

 黒い鎧が相馬の頭上から落下する。


「空とかずるいぞ! うなれ右手!」


 相馬の右腕に目に見えるほどの風が巻いた。

 それを、地面を抉るように頭上に振り抜く。

 落下した佐垣の頭部に相馬の右拳が激突する。風が周囲に吹き荒れ、両者が吹き飛んだ。

 相馬は地面を削って後ろに、佐垣は後方に軽く翻りながら着地する。


「くっそー! まだ障壁やぶれないのかよ。今のは入ったって思ったのに!」

「惜しかったな。だがいい線いってた。なかなかだ」


 黒曜鎧を解いた佐垣が相馬に近づいて肩を叩いた。

 そして、光矢を手招きしつつ、「あっちで成果を見せてみろ」と微笑む。

 相馬が校舎側に移動し、窓に自分の姿を映した。


 そこには――頭から胸の上だけが映った相馬がいた。


 ガラスの中で上半身の一部が宙に浮いているのだ。

 言葉を失う光矢の前で、佐垣が笑顔を浮かべた。

 その笑みが本当の笑みではないことはすぐに理解した。


「本当に胸まで来たな。力を使いこなせるのは早いかもな」

「ほんとか!?」

「ああ。さっきの攻撃も良かったし、自然と《黒曜》の力を使い始めているかもしれん」

「俺、すげー!」


 佐垣は「がんばれよ」と声をかけ、「訓練の邪魔をして悪かった」とその場をあとにした。

 帰り際、やる気がなさそうな顔で見ていた浦元千衣の近くで立ち止まった。


「相馬はがんばってるぞ。お前の手本になる為にもな」

「別に頼んでないし」


 扉が閉まる寸前、浦元の「また来てください」というつまらなさそうな声が聞こえた。



 ***



「《世無》の姿は、生きている人間には見えない。映像、鏡、写真――どれにも映らない。声も届かない。だから、あいつらは三途渡町から外に出られない。外に出れば空気と同じだ」


 世間話のように言った佐垣は、「だから――」と続けた。


「生きている人間に会いたいやつがいても、《世無》は認識されない。相馬は、交通事故で死んだ。母親とケンカをした日で、塾に通う途中だった。何も言えずに死んだあいつは、『親に一目会いたい』と願った」


 北大我が口を挟む。


「うらちーも同じ。本音は聞いたことないけど、あいつも外に出たがってた。あの学校は訓練場みたいなもの」

「訓練したら、見えるようになるのか?」

「境目はよくわからないけど、《黒曜》のレベルが一定以上になると、普通の人間と同じように見えるようになる」


 三人はもう一度職員室に寄った。

 しかし、尋ね人は見当たらなかった。

 がらんとした室内で、どことなく視線を向けた佐垣が言った。


「外で活動している《世無》はいる。《世得》になれるほどの力はないけど、死んでからの人生をやり直してる。ニンブルマキアのサポーターとして援助してくれるやつもいる。相馬はそいつらと同じ道を歩みたいと思ってるだろう」


 光矢は救いを得た気持ちだった。

 体のひび割れを接着剤で固めるしかない《世無》はいずれ石化していくという。

 けれど、訓練をこなせば、《黒曜》の力を使って、また普通の人間と同じように生活できる可能性もあるのだ。


「相馬は、どれくらいかかるんだ?」

「なにが?」

「姿が見える《世無》になるまで」

「あいつはなれない」

「え?」


 佐垣が目を細めた。


「よく見ておけと言っただろ。あの時、お前の目には俺が力を使ったように見えたのか? 一度は海馬さんと戦っただろ? 比べてどうだ?」

「それは……」


 光矢は映像を思い起こした。

 佐垣が黒曜鎧を纏い、空に飛んで、相馬の上から落ちた。

 顔から血の気が引いた。


「俺は、空に浮かんで落ちた――それだけだ」

「でも、彼は障壁がやぶれなかった……って」

「障壁なんか一度も使ってない。使う必要がない」


 佐垣の視線が鋭くなっていく。

 光矢の全身から力が抜けていく。


「相馬の周りに風が吹いて……」

「《世無》ってのは、少なくとも《黒曜》の最盛期を越えた死人だ。並みの人間以上の力を持っているのが普通だ。多少の風は使えるようだが……俺は、相馬に全力で来いと言った」

「ちょっと待て、その言い方だと……あそこにいたみんなは……」

「《世得》からとても遠い存在。永遠に半人前だが、がんばりたいってやつらだ。三途渡町にいるやつらはほとんど同じだが、力を欲しがるかどうかは人による」

「じゃあ……相馬の望みは……親に会いたいっていうのは……」

「普通に成長して出て行ける《世無》は、大抵は『最初から』あのレベルだ。でも、相馬や、あそこにいるやつらは、『訓練して』あのレベルだ」

「そんな……でも、佐垣は確か、期待の星って言ったはずだ」

「あの中では、な」


 佐垣はためらうことなく言った。

 すべてを知ったうえで、相馬にこれからの未来はないと断じていた。

 そして――


「葛切、お前なら言えるか? 無駄な努力をせず、また死ぬまで三途渡町で生活してくれ――ってな」

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