第12話 世得と世無
翌朝。
光矢はあてがわれた部屋のベッドの上で目を覚ました。
勢いに呑まれただけのパーティだったが、初めての経験ですべてが楽しかった。
何より、目覚めてから両親に束縛されないと知ったことが嬉しかった。
***
昨夜はあのあと、テーブルにとてつもない大皿に山ほど盛られた鳥のから揚げとフライドポテトが並べられた。
いわゆる立食パーティ形式だ。
海馬が「いいところのから揚げですから、パーティにぴったりです」と自慢げに言い放ったが、数人から「またか」という呆れ声が聞こえた。
「パーティらしい料理が食べたい」と、白友が抗議したが、海馬は「これ以上はないですね」とまったく譲らなかった。
千丈がひょいっと素手でから揚げを口に放り込んだのを合図に、海馬が無言で小皿にたっぷり盛りつけ、光矢に手渡した。
「飲み物は?」
「飲み物?」
「君だけ何も飲まないのは良くない。他のメンバーはもう勝手に始めていますよ」
光矢が驚いて、ぐるりと見回す。
いつの間にか、全員が片手に飲み物を用意していた。
だが、紙コップだったりグラスだったりと統一感はない。
海馬がしびれを切らしたように言う。
「何かないのですか? ノンアル派が多いですが、アルコールが良いなら、石榴が色々と揃えていますよ」
「おっ、光矢君はいける口かい?」
紫髪で長身の男は、空のグラスをあおるような仕草を見せた。
光矢が慌てて両手を振った。
「俺、未成年なんで」
「死んでからも?」
「あっ」
「物は試しだ。人間卒業のお祝いってことで、一杯付き合わないかい?」
「……いいんでしょうか?」
「いいんじゃない。誰も咎めないし。新しい経験は美酒よりうまいってね」
石榴は「神様も死人には興味ないと思うし」と肩をすくめる。
そこに、冷たい言葉が飛んだ。
「気をつけなよ。石榴さん、飲み仲間が欲しいだけだから。しかも、めっちゃ強いから一晩中付き合わされるぞ」
八重歯が特徴的な金髪の少女――北大我亜美だった。
「セクハラしてくるし、最悪だから」
「おーい、亜美ちゃん、だから、それ勘違いだって何度も言ったでしょ」
石榴が眉根を寄せて困った顔を見せる。
「そういえば亜美は、初日に石榴を殴ってたな」
千丈が大きな声で笑う。
北大我が薄らと顔を赤くして「それはもう忘れてください」と漏らした。
「まあ、合わなかったら次から断ってくれたらいいだけだから。そういうの全然気にしないし」
「じゃあ、お願いします」
「よし、とっておきのやつ開けようかな。ちょっと待っててね」
石榴は嬉しそうに言うと、そそくさと部屋を出た。
そして、帰ってきた彼が注いだ酒を「生まれ変わりにばんざーい」の音頭とともに飲んだ瞬間、光矢はあまりの刺激に気を失いそうになったのだ。
***
ドアのノック音が鳴った。
今朝は、千丈のすすめで三途渡町を回ることになっていた。
その迎えだ。
返事をして、ドアを開けた。二人が立っていた。
茶髪の男性――佐垣弓玄(さがきゆくろ)
金髪の女性――北大我亜美(きたおおがあみ)
「用意しろ。行くぞ。服は……まだそれしかないんだな」
カジュアルな服を着た佐垣は、光矢の装いを素早く確認し、「今度、服探しに連れていってやる」とつぶやくと、背を向けて歩き出した。
北大我が「ほら、行くぞ」と手招きする。
光矢は慌てて二人のあとを追いかけた。
ビルを出ると小さな車がとまっていた。
ツードアの黄色いビートルだ。
光矢と年齢が変わらなさそうな佐垣が当たり前のようにハンドルを握り、北大我が光矢を後部座席に押し込んで、車は出発した。
「誰も見てない」という北大我の言葉が、昨夜聞いた酒の話と同じだった。
自動車に揺られながら未舗装の道を数分走ったときだ。
佐垣が不意に言った。
「なあ、葛切――お前、戦うつもりないだろ」
光矢は動揺した。
誰にも話していない心の奥底が見透かされていた。
しかも、そう考えたのは今朝目覚めた瞬間なのだ。
――束縛が消えたから自由になれた。それはこれからずっと続く。それなら……
光矢は解放感に揺らいだのだ。
「やっぱ、そうなんだ。楽しそうだったもんな」
北大我がわかっていたとばかりに納得する。
「そう決めたわけじゃないけど」
「でも、昨日よりは戦うって気持ちは小さくなったんだろ?」
「それは……」
佐垣がミラー越しに視線をちらりと向けた。
「ニンブルマキアは強制しない。それは千丈さんが決めたルールだし、人にやらされ続ければ後悔するだけって思ってる海馬さんの考え方もある。けど、俺は違う――葛切は戦える。なら、戦うべきだ」
「佐垣、お前、千丈さんにそれ押し付けるなって言われてなかったか?」
「問題ない。これから行く場所を指定したのは千丈さんだ」
「まあ、そうだけどさ。ただ見せたいって意味かもしれないじゃん」
「なあ、葛切――」
佐垣は北大我を無視する形で話しかけた。
「途中からうやむやになったけど、千丈さんが言っていた《世得》(よえ)って言葉覚えてるか?」
「一応……どういう意味か気になったから」
「俺や北大我、お前は《世得》だ。そんで、診療所にいるのが《世無》(よむ)だ」
ちょうど、淡いグリーンのタイルを張りつけた建物が見えてきた。
一軒家ほどのサイズで、長方形の建物は飾り気がなくとても質素だ。
その奥には住宅が立ち並び、人の姿がまばらに見える。
しかし、何か違和感があった。
「降りろ。行くぞ」
光矢が答えを出す前に車が停まる。
佐垣と北大我がさっさと歩き出し、光矢が追った。
ノックもなく、診療所と呼ばれる建物の扉を開けた。
ちょうど中学生くらいの少年が上着を脱いで診察を受けていた。
何か塗り薬のようなものを灰色に変色した腕の傷に――
そう思いつつ、近づいた光矢は言葉を失った。
「こんにちは、真登(まと)さん」
佐垣が白衣を着た青年に手を上げた。
医師は若かった。いや若すぎた。どう見ても高校生くらいだ。
真登と呼ばれた黒髪をセンター分けにした青年は、目で会釈を返した。
しかし、その手は薬を手にしたままだ。
そしてその薬は――接着剤だった。
真登は少年の腕にパテで接着剤を縫ってひび割れを塞いでいるのだ。
光矢でも少しは知っている。有名なメーカーの黄色いパッケージの接着剤。
表には確かに商品名が書かれている。
「患者は増えてる?」
「どうだろう。感覚では変わらないけど、ひどめの子が増えたかな」
少年が立ち上がり、真登に礼を言って出て行く。
すると、佐垣がすぐそばを通った彼の腕を掴んだ。
顔が強張ったが、佐垣だと知って安心したのか、少年の力が抜けた。
「調子はどうだ、海斗」
「ひび割れ以外はいつもと同じに決まってるだろ。《世無》なんだし」
佐垣は症状を確認するように少年の腕を持ち上げた。
それは光矢に見せる意味もあったのだろう。腕は、石化したような症状だった。
微細なひびが走り、その上を固まった透明の接着剤がふたをしている。
石化範囲は肩から肘まで。他は人間と同じ肌色だ。
「引き留めて悪かった。《良い人生を》」
「弓玄もな」
佐垣は手を振って海斗と呼ばれた少年を見送った。
そして、診療所の待合室に座る患者を見渡す。光矢もそのあとを目で追う。
「子供だらけだ……」
「黒曜化は若く死んだ人間には誰でも等しく起こるけど、人間の姿を保てるのは圧倒的に子供が多い――外に出るぞ」
佐垣が真登に礼を言って身を翻した。
そして小さな声で言った。
「人間らしい姿は保ってるけど、俺たちみたいに《黒曜》の力が制御できるわけじゃない。時間が経てばだんだん石の範囲が広がって、最期は崩れて動けなくなる。だから接着剤でくっつけて止めるっていう原始的な対処しかできない。あれが――《世得》になれなかった者、《世無》だ」
「《世無》……そういえば、あの白衣を着てた人は《世得》なのか?」
「あの人も《世無》だ。ただ、治療されてる《世無》よりは少し《黒曜》の力が制御できて、うちで言えば、萌さんの回復に似た能力がある」
「それなら、接着剤なんか使わず、体を治せるんじゃないのか?」
「それで治すこともある」
「なら、八重山さんに力を貸してもらえば――」
「回復は《黒曜》を刺激する。俺たちは《黒曜》を活性化させて回復できるが、適性の無いやつらに使ったら、一気に《黒曜》にのっとられて、《境界渡り》に変わる」
「……化け物の姿になるってことか」
「だから、あれがぎりぎりの処置だ。真登さんにもリスクがあるのに、ああやってがんばってる」
視線の先で、北大我が立ち止まって診療所を眺めた。
何も口にしなかったが、その瞳には複雑な気持ちが込められているようだった。
佐垣が「時間もないし、次、行くぞ」と歩き出した。
「俺たちと《世無》の違いをもう一つ教えてやる」
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