第11話 今はそれで

「想像してなかったかい?」

「わかってた……と思います。でも、色々あってあまり深く考えなかった」


 光矢はちらりと八重山に視線を向けた。

 彼女はにこにこと微笑むだけだが、なんとなく自分の話をしたくなった理由に納得した。

 彼女は『初めて、経験を共有できる人間』だったのだ。


「そうか……まあ、今日は夜もふけた。大事なことは明日一日ゆっくり考えてくれ。それと身の振り方もな」

「身の振り方ですか?」

「俺は光矢君が化け物にならないよう処置を施した。そして、君は《世得》(よえ)となった。これは誰でもなれるわけじゃない」


 光矢が首をかしげると、千丈は当然とばかりに頷いた。


「人間の体には《黒曜》と呼ばれる未解明の物質が眠っている。本来は人間の臓器に扮していて、年を重ねるごとに体に広がっていく」

「ほんとですか?」


 光矢は開いた口がふさがらなかった。《黒曜》がそんな仕組みだったとは、まったくの初耳だった。

 千丈が「知ってのとおり」と続ける。


「人間には寿命がある。どの臓器に扮しているかはわからなくても、血液中の《黒曜》の濃度で、将来、何歳まで生きられるかをかなりの精度で予想できる。だから、産まれてすぐに、プログラムされた命の期限を教えられるんだ。そして――死の間際、人によっては少し前から、《黒曜》が活性化する。こうなると、中には人間の領域を外れてくる者もいる。聞いたことはないか? 老人が死の間際に突然活発になったとか」


 光矢の脳裏に、義理の祖父である葛切正二郎の姿が浮かんだ。彼は、もうすぐ死ぬとわかっていたが、20代の頃のように元気になったと話していた。

 痛む膝を気にしなくなり、ゴルフに出かけていたくらいだ。


「あるだろう? あれが《黒曜》の最盛期――つまり、周囲の黒曜化を一気に推し進めてしまう時間だ」

「推し進める?」


 千丈の顔つきが変わった。


「最盛期に入った《黒曜》の周囲で長時間生活を共にする人間たちの寿命プログラムは一気に進む。連鎖するように活性化するんだ。個人差はあるけどな」

「そんな――」

「ついでに言えば、《黒曜》が人間に感染するのもその時だと考えられている。なあ、光矢君――黒曜化する人間がどうなるかは、知ってるだろ?」


 千丈はそう言って、周りを見回した。

 ここにいるのは――

 そして、ここに到着するまでに殺してきたものたちは――


「そういうことだ。黒曜化の結果は二通りしかない。君や俺たちのように、人間の体を保ちつつ浮世離れした力を手にいれるか、《境界渡り》と呼ばれる化け物に変わるか、だ。ただし、高齢であるほど黒曜化は起きにくい。平たく言えば、老人は何もなく死ねるってことだ」


 光矢は背筋を震わせた。

 今まで出会ってきた異形たちは、自分が一歩踏み外した場合の姿だったのだ。


「そして、一度境界渡りとなってしまえば、人間だった時の記憶も助ける手段もない。さらに悪いのは、そいつらに側にいられると人間の寿命の針がどんどん進んでいく」

「全員、早死にするってことですか?」

「そうならないように《境界渡り》を見回る組織があるんだが、まったく制御できない場合はそうなる。だから、俺たちはその手伝い――《境界渡り》を駆除している」

「俺が倒してきたのは元々人間……ってことですよね?」


 光矢が気後れした視線を向けた。

 千丈は、はっきりと言った。


「人間だ。だから無理強いはしない。ここにいるのはそんな《境界渡り》と最前線でやりあう者たちだけだが、割り切れずに、ニンブルマキアのサポーターとして活動している者もいれば、三途渡町を出ていった者もいる」

「俺は……」

「一つだけ間違えないでほしいが、今日、君が倒したものについて、君に一切の責任はない。あの程度の《境界渡り》なら、どうとでもできる俺がいて、俺が君の力を見たさにやらせたことだ。だから自分を責めないでほしい。そして……欲を言うなら――光矢君にはぜひ協力してほしい。君は強い。そうだろ、萌?」


 千丈は固い表情を崩して、八重山に視線を移した。

 小柄な彼女は大きなため息をついて「ここで話を振るのは、大人の卑怯さが滲み出すぎですよ」と釘を刺した。


「光矢さん」

「……はい」

「あなたは強いです。ただ、強いっていうのは、少し違うかもしれません。運が良いって言った方が近いかもしれません」

「運が良い?」

「ええ。自分から死ぬってつらいことでしょう? 普通はそこまで進むときには、もう心がボロボロなんです。別に死のうって思って死ぬじゃなくて、日常の中でふらっと危険に足を踏み入れるような感じです。今すぐに楽になりたいって思っただけで、そうしちゃうんです。でも、光矢さんはあなたの敵にずっと反抗してた」


 八重山は困ったように言う。


「うまく言えないですけど、そういう反骨精神とか、負けん気みたいなものって、絶対必要で、あなたは本当のご両親からそれを受け継いでた。だから、義理の両親の仕打ちと、ずっと戦っていたんです。最終的に早卒センターに電話したのも、心の底で反発してたけど、やり方がわからなかっただけなのかなって……」

「そうでしょうか……」

「もし、産まれも育ちも義理の両親の下だったら、あなたは人形のように従順になってしまっていたと思います」

「だから運が良いと?」

「本当のご両親は亡くなったと聞きましたが、その意志の強さだけはきっと受け継がれているはずです。私はそういう強さから程遠くてうらやましい……あっ、でもでも、私は別に光矢さんに戦わせたいわけじゃないですよ! ほんとです! 光矢さんなら、たぶん……どっちの道を選んでも自分で歩けそうですから、すごいなぁって思っただけで……あれ……私、何を言いたかったんですかね……」


 八重山はそう言ってしおしおと視線を下げた。

 光矢の口端が自然と上がり、握りしめた拳にぐっと力が入った。

 そして、ぽろっと言葉を漏らした。


「結構、効きました」

「え? 何がですか?」

「八重山さんの言葉です。その……ぐっと来ました」

「ぐっと?」

「はい……まだ、はっきり言えないですけど……ちょっとがんばりたいって思いました」

「ええっ、ほんとですか!?」


 八重山は花の咲いたような笑顔を向けた。

 無理強いはしないと言いつつ、本当の気持ちがどっちにあるのかはわかりやすかった。


「やれやれ」


 千丈がかなわないとばかりに肩をすくめた。


「人たらしだな」

「さすが、萌ちゃん。良い事言う」

「無自覚なのがたち悪いわね。私の時もあんな感じだったかも」


 茶髪の佐垣弓玄が呆れ声で言い、石榴速人が続いた。

 そして、白友菜花菜が濃緑の髪を手で梳きながら微笑ましい表情を向けた。


「葛切、それくらいにしておけ」


 海馬が二人の間に割って入った。


「お前のこれからのことだ。恩人に言われたからと言って結論を急ぐな。戦うのはお前だ。あとで後悔する。明日にしろ」

「あっ……はい。ありがとうございます。海馬さんも……すごく優しいですね」


 光矢の口から自然と放たれた言葉が、場の空気を急速に冷やした。

 海馬の瞳が吊り上がり、自然と雰囲気が悪くなる。

 八重山が小さくふき出した。

 そして、それをきっかけに誰かが笑いを漏らした。


「私は――」


 海馬は瞳を不機嫌そうに曲げて、ずれたメガネのツルを人差し指で押し上げ、

「だらだら話をして、用意した料理が冷めるのが大っ嫌いなんですよ」

 と言い放った。


 千丈がそれを聞いて「そうだったな」と大笑いした。

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