第10話 人間、卒業します
光矢は八重山に先導されて、一つのビルに連れてこられた。今にも倒れそうに見える建物が、八重山を含めたメンバーのホームらしい。
コンクリートの打ちっぱなしの外観が寒々しい。
そもそも、八重山を含めたメンバーが何をしているのかを知らない。
途中、「俺って、これからどうなるんですか?」と尋ねてみたものの、彼女は「まあまあ」としか答えなかった。
一階の誰もいない事務所で、破れてしまった服の代わりに適当なシャツを渡される。
そして、空間を抜け、奥の階段を適当に登る。
すれ違うことも難しそうな細い階段もあって、造りは複雑だ。
光矢は戸惑っていた。
自分の体に起きた変化に、だ。
ほとんど学校以外の場所に行かず、部活もせず、家で軟禁に近い生活を送っていた光矢は同年代に比べて体力がない。
けれど、階段をいくら上がっても息があがらない。
先を歩く八重山も同じだ。
小柄な彼女はぴょこぴょこと短いポニーテールを揺らし、鼻歌を歌いつつ軽快に登っている。
ふと、そんな彼女が階段の上から光矢を見下ろしていた。
「気になります?」
「それは……まあ」
「エレベーターは、ちょっと前に壊れてしまったんです」
「なるほど」
光矢が聞きたいことではなかったが、八重山は「でも、たまに階段って楽しくないですか?」とにこにこと笑顔を浮かべている。
「そうですね」
光矢は、どうでもいいことだなと考えることをやめた。
恩人の八重山萌が楽しそうなのだ。なぜか光矢も楽しかった。
「って、ことで着きました。そこです」
階段を登り切った彼女が、奥の扉を指さしていた。
頑丈そうな鉄の扉に、丸い取っ手がついている。
「さあ、光矢さん、どうぞ! その部屋です!」
八重山は光矢の後ろに回って、背中をぐいぐい押した。
距離が近すぎて内心であたふたしている彼は、しどろもどろになりつつ取っ手を握った。
彼女が開けるつもりはまったくないらしい。
「みなさーん、光矢さんが入りますよー! せえのっ!」
廊下に響きわたる楽しそうな八重山の声。
少し鈍いところがある光矢だったが、薄々、扉の先で何が待っているのかは想像ができた。
人の温かさに人一倍飢えていた彼は、気恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。
よくわからない状況でも、こんな自分を――と期待せずにはいられない。
光矢は浮足立つような気持ちで、八重山の声に合わせて扉を押し開けた。
「光矢さん、歓迎しまーす!」
恩人の声と、パン、パン、パンとクラッカーのような音が次々と鳴った。
光矢は驚いて目を見張った。
だが――
部屋の中は真っ暗だった。
その音は――
光矢が開けた扉の、ちょうど背中側の部屋の中で鳴っていた。
聞こえたのは彼女の声だけで、クラッカーは壁越しに聞いたのだ。
「ま、間違えました……、ごめんなさい……」
八重山萌が、小さい体を震わせて顔を真っ赤にしていた。
***
八重山は心の底から申し訳なさそうな顔で、呆然とする光矢の手をそっと引くと、クラッカーが鳴った部屋の扉をこわごわ開けた。
千丈がクラッカーの代わりに拍手し、「ようこそ、ニンブルマキアへ。歓迎するぞ、葛切光矢君」と声を張り上げた。
海馬が痛ましそうな顔で「歓迎する」と続いた。
そして、千丈が縮こまった八重山を見下ろした。
まるで蛇ににらまれた蛙がそこにいた。
「萌、これはない」
「千丈さん!? 私だってわざとじゃないんです!」
「誰もお前がわざとやったとは思ってない。だが――これはない」
「た、大役だと思って、ちゃんとシミュレーションはしてたんです……」
「その結果、入る扉を間違えては何の意味もない。おかげで、我々、ニンブルマキアの団結力が一瞬で疑われたぞ。なあ、光矢君」
千丈の言葉に八重山が不安げな視線を向けた。
光矢はとっさのことで返答ができなかった。
けれど、千丈が八重山に見えないよう、片手を持ち上げては下ろし、持ち上げては下ろししている。
なんとなく理解した光矢は、「俺は、全然気にしてないです」と答えた。
千丈が、もう一声とばかりにまた手を上げる。
「俺は八重山さんにとても救われたし、歓迎してもらえるだけで」
「良かったな、萌。光矢君はああ言ってくれてる。まあ、海馬の伝達不足もあったということで」
「私の準備はパーフェクトです」
「……そ、そうだったな……海馬はパーフェクトだった」
千丈が「思ってたのと違う感じになったな」と戸惑いながら頭を掻いた。
そして、気を取り直したように咳払いすると、光矢に中央に進むように手ぶりで示した。
「光矢君、ちょっと手違いはあったが、我々ニンブルマキアは君を歓迎する。実のところ、君の情報はここにいるメンバーはあらかた知ってるんだ」
「俺の情報……ですか?」
「そう。君がどういう生まれで、どういう生い立ちで――」
千丈はそう言って、深く頷いた。
「どうやって死んだかを」
とても当たり前のように放たれた言葉を、光矢は冷静に聞いていた。
「驚かないかい?」
「たぶん、そうだろうなとは思ってました。俺は、あの時、早卒センターに電話して、自転車で指定された場所に向かいました。そこで――確かに死んだ」
「その通り」
「わけのわからない力が湧いてきて、それを受け入れた瞬間に、自分が人間じゃなくなったんだと感じました。俺は――本当に死んだんですね」
「後悔は?」
「していません。俺はたぶん、あのままだと死人と同じでしたから」
正面から視線を向けた光矢に対し、千丈はしばらく考えてから言った。
「君も見たと思うが、若いうちに死ぬと、大半の場合はトンネル前で見た化け物の姿になる。おおっぴらにはできない情報だがね。で、光矢君は人間の形を保った。その点の後悔は?」
「その点?」
「つらい記憶が無くならないなら、意識のない化け物の方が良かったとは思わないかってことだ」
光矢がゆっくりと視線を落とした。
千丈の言葉は一つの現実を突きつけていた。
ここにいる光矢は、どちらにしろ、もう人間ではないということだ。
「我々は意思のない化け物にならないように手を貸したが、その結果として、超人的な速度で移動し、特殊な力を操り、コンクリートを破壊しながら戦える――記憶を残したままの化け物になった。夢心地だったはずだが、すべて事実だ」
「そうですよね……覚えています」
「君は『とにかく早く死にたい』と願った。それは叶えた。だが、今、この空間に光矢君は立っている。ここにいる葛切光矢は、生きているのか、死んでいるのか、どっちだと思う?」
千丈の言葉は、『問い』であって『問い』ではなかった。
光矢がどちらを選びたいのかを確認しているだけなのだ。
前向きに二度目の生を得たと考えるのか、それとも死後に運悪く動いていると捉えるのかということを。
「……葛切光矢は死んだけど、今、別の形で生きています」
「パーフェクト」
千丈が拍手を鳴らした。
かぶせるように海馬が言った。
「千丈さんは甘い。パーフェクトではないでしょう。模範回答は『葛切光矢として第二の人生を謳歌する』です」
「固い、固い。意味は同じだろ?」
肩をすくめる千丈の隣から、海馬が光矢に近づいた。
鋭い視線だが、温かみを感じた。
「生きているだけではダメです。他人に支配された最低の人生を終え、あなたはようやくスタート地点に立った。そこには自分で成し遂げようとする意思が必要不可欠です」
「……はい」
「自分にすべての決定権がある人生を楽しみなさい。《黒曜》が許す限りね」
海馬は言い終えると、元の位置に戻った。
そして、「改めて自己紹介をしましょう」と、眼鏡の位置を直した。
「私は、海馬夏樹(かいまなつき)――死因は口封じによる事故死」
光矢は、その言葉に顔色を変えた。
しかし、反応したのは彼だけだった。
誰もが真面目に受け止めていた。
隣にいた紫髪の長身の男が続いた。
「俺は、石榴速人(ざくろはやと)。戦いの最中、あんたの障壁を吹き飛ばした男だ。――死因は失血死」
唖然と口を開けた光矢に構わず、奇妙な自己紹介が続く。
濃緑の髪を胸に垂らした女性が、
「私は、白友菜花菜(しらともなかな)。あなたをマインで攻撃した。――電車に飛び込み自殺」
ふわりとした茶髪の青年が、
「佐垣弓玄(さがきゆくろ)。お前にとどめをさした。――轢死」
八重歯が特徴的な金髪の少女が、
「北大我亜美(きたおおがあみ)。最初に殴ったのが私。今度からきもいこと言うなよ。――死因は……溺死」
光矢は、驚愕の表情で首を回した。
その先には、八重山萌と千丈が微笑んでいる。
「改めて、八重山萌です。みんなと違って私は戦いが得意じゃありませんが、ニンブルマキアのメンバーです。――死因は病死です」
「そして、俺がニンブルマキアのリーダー、千丈吾妻(せんじょうあづま)だ。一番年上ってことでリーダーを務めている。――死因は首吊り自殺。驚いたか? うちのメンバーはな――全員が死を経験している」
千丈はそう言って会心の笑みを浮かべた。
「困ったことがあったら、先輩にどんどん聞いてくれ」
光矢は衝撃のあまり言葉が出なかった。
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