第9話 言いたかった
海馬の姿が揺らめいた。
黒い靄が巻きつき、体のラインそのままに黒曜鎧が形成される。
さらに身長以上の棒が伸び、槍に似た武器が現れたと思えば、背中には四本の鎖のようなものが伸びた。
頭部は瞳の部分に蒼い二つの光が灯り、全身に同じ色が伸びていく。
「北大我、下がれ」
「まじっ!?」
海馬が蒼い刃の槍を投げた。それは途中で速度を数倍に変化させ、光矢に向かって突き刺さるはずだった。
けれど、見えない障壁に阻まれた槍は空中で停止し、光矢の伸ばした手が触れて粉々になる。
「北大我、サポートに回れ」
どこから取りだしたのか。海馬が数十本の槍を周囲に浮かべていた。
次々と飛来する槍を、光矢は距離を詰めつつ片手で弾き飛ばす。方向を変えた槍がビルを貫くと、そこには凄まじい切り口の大穴がぽっかり空いた。
「こっちだ、化け物」
左側面に回った北大我が三重の円を背負いつつ、高速で接近する。右手に溜めたエネルギーをぶつけようと手を伸ばす。
光矢は避けなかった。
右足をすっと後ろに引くと、奥から出された左手が、北大我の手首をつかみ取った。
その手には真っ赤な光が輝いていた。
「させないよ」
海馬が光矢の手を槍の刃で弾き飛ばした。
北大我の手は黒煙を立てていたが、千切れることはなかった。だが、その後に取った距離の広さが、北大我の驚きを表していた。
「切り飛ばすつもりだったが」
両手に持った短い槍を振りながら、海馬は踊るように動く。動きは円運動。右手をかわしても、すぐに左手が追跡し、また半回転し右手がやってくる。
そこに、意表をついた足が入った。
海馬のつま先は刃のように尖っていた。
強烈な衝撃が走り抜け、光矢の背後の地面が抉れる。
「完全ではないのに、防ぐか。白友(しらとも)、もう一発マインだ」
「了解」
白友菜花菜――北大我の要望に応えてマインを設置した黒鎧の人物は、再び指を組み合わせた。
海馬は攻撃の手を一切緩めない。
空中に無数の槍を形成し、そのすべてを360度、あらゆる方向から光矢に仕掛けていた。障壁の脆い部分がどこかに無いか探っているのだ。
「爆発させます」
「やれ」
海馬の表情は変わらない。
二人をもろとも呑み込む爆発が破砕音を響かせたが、光矢はもちろん、海馬も当然のようにその場に立っていた。
「頑丈だな」
「……」
光矢は答えなかった。頭部に紅い光が灯っていて瞳のように見えるが、その視点は定まらない。
がぱっと顎が落ちた。口が大きく開いたのだ。
海馬は反射的に、前面に槍を数本落として壁を作った。周囲にとてつもないエネルギーを感じたのだ。
が――やってきたのは背後からの強烈な衝撃だった。
決して油断ではなかった。
渦巻くエネルギー量はしっかりと感じている。だが、量が多すぎるのだ。方向すら迷わせるような圧倒的な力を間近で見た経験は少ない。
自分の障壁に押しつけられる格好となった海馬は即座に盾に使った槍を解除する。
そして、勢いを殺さず光矢の頭部に向かって、新たに作り出した槍を伸ばす。
ガッ――
硬質なものがぶつかりあう音だ。光矢が空中に浮かぶ槍に手を伸ばしたが、今度は破壊できなかった。
「握られたくらいで何度も壊れていたら、武器にならないだろう」
海馬は当然のように言い、素早くしゃがみこむ。
その後ろから――北大我が飛び込んだ。
「くらえ!」
三重の輪を背負う重鎧が、右手に光をまとった状態で停止した槍を押した。衝突の瞬間、三重の輪が消えた。
何かがひび割れた。そんな音がした。
一度は空中で停止していた槍が、嘘のようにずるりと差し込まれた。
白い鎧を纏う光矢が驚いたように首をひねって避けた。
槍が貫通し、背後の建物に大穴をあける。
そこへ――
ビルの上からタイミングを見計らっていた石榴速人(ざくろはやと)が、障壁を破壊する弾を発射した。
二分と言う約束は果たせなかった。
しかし、これ以上ないタイミングと味方に当てないという条件を満たした弾は、光矢の障壁を木っ端みじんに砕いた。
「北大我、畳みこむぞ!」
「わかってるよ!」
海馬の声に呼応し、北大我の左手が振り抜かれた。地面ごと抉り取るような軌道が、障壁を失った光矢の胸の上を通る。
コンマ数秒遅れて光矢の鎧にヒビが入った。
海馬はその傷口を見逃さない。
素早く手槍を数本作成し、亀裂めがけて槍を次々と刺した。
だが、その瞬間に感じた悪寒は、今までに感じたことがないほど心胆を寒からしめた。
理由はわからなかった。
光矢自身、何も動いていない。北大我の攻撃と海馬の槍で、鎧が砕けそうな状態だ。
それは間違いなかった。
しかし、海馬はこの感覚を知っている。
過去に、一度――
海馬は決断し、反転した。
一秒を何分割もした意識の中で北大我の体を抱え、背後に槍の障壁を作って、地面を蹴る。
光矢の白い鎧が光輝き――途端に光を失った。
「二人とも大丈夫ですか?」
光矢が倒れていた。
胴体に三メートルほどの巨大な剣が突き刺さっている。
蒼天のように美しい刃は異常に長く、柄は空に向かって伸びていた。
柔らかそうな茶髪を風になびかせる青年が、剣の柄にしゃがんで海馬と北大我を見下ろしていた。
「危ないところでしたね」
「ふう……弓玄(ゆくろ)か。帰ってきたのか」
「本当に今しがたですよ。帰ってきたら、どでかい存在感があったんで、ここに来ました。こいつは?」
「こいつは、じゃないんだよ、佐垣(さがき)! いいところだけ持っていきやがって!お前、海馬さんの顔つぶしたぞ!」
北大我が憤慨した様子で頭部の黒鎧を解いた。
現れたのは八重歯が特徴の金髪の少女だった。
「迷惑でしたか? 海馬さん?」
「いや、いいタイミングだった。一撃とは見事だ」
「速人さんがこいつの障壁壊してくれてたんで」
「おいっ、今、私のこと無視したな!?」
「こいつ、《醒零》状態初めてですよね? 《曜力》がだだ漏れですし」
「もう少し強かったら、消滅させることも考えたかもしれない」
「……こいつ、どうするんですか?」
佐垣弓玄は、「俺には治せませんよ?」と言いつつ、光矢を見た。
胴体には佐垣の武器である巨大な剣が突き刺さったままだ。
「とりあえず剣は解きますね」
「まだ、葛切が意識を取り戻してない。もう少し様子を――」
「大丈夫です。弓玄さん、解いてください。あとは私が診ます」
海馬の横を、小柄な人物が通り抜けた。
こげ茶色の髪をショートポニーテールした八重山萌だった。彼女はやわらかい笑みを浮かべて葛切の手を取った。
「萌さん、体は大丈夫なんですか? 葛切にやられたと聞きましたが」
「回復は私の取柄の一つですから。意識さえ集中していれば、あの程度、何てことありませんよ。千丈さんにも注意を受けていましたしね――」
「千丈さんに?」
海馬の疑問に、八重山は微笑みを返した。
――それと、大事なことを先に伝えておく。
光矢を施設から連れ出そうとした時に、千丈は八重山に注意していた。
『光矢の力をすべて使わせる。どの程度かはわからん。状況によって俺は何でもやるつもりだ。萌……念のため、常に回復しておけ。他の力は使うな。それと、もし光矢がお前に攻撃したら、死んだフリをしろ。その上で、光矢の声を聞くことに集中しておけ』
海馬が食い下がる。
「しかし、萌さんが診る必要はないのでは? 理由はどうあれ、こいつはあなたにケガをさせたのでしょう? みんなに慕われているあなたを傷つけたと聞けば、メンバーが黙っていない」
「最初の《醒零》状態のときは《黒曜》に支配されるのが当然。意識と無関係に戦い、場合によっては境界を渡ってしまって消滅することもある」
八重山は屈託のない笑顔を見せて続けた。
「光矢さんは、海馬さんが心配しているような人じゃないですよ。人の痛みに敏感で、痛みを知っている人です。それに――この子は、私の安否をずっと心配してくれていました。騙しているこっちが、本当に申し訳なくなるくらいに。だから――」
光矢の頭部に、八重山が手を当てた。
柔らかく蒼い光が吸い込まれて消えていく。それと共に、光矢の白い鎧が徐々に端から溶け出し、体が露わになった。体に空いた穴がみるみる治癒していく。
「私はこの子を助けたい。光矢さんは、きっと私たちみんなの力になってくれるはずですから」
「そうですか……萌さんがそう言うなら、私は何も言いません」
「ありがとうございます。海馬さんも……ありがとう」
「私は何も。ただ、こいつが我々の仲間を傷つけないか心配しただけです。あとは任せます。全員、撤収を」
海馬は千丈から上着を受け取り、スマートフォンを手にした。
手短に「撤収しなさい」と指示し、自身は北大我たちを連れて振り返らずその場をあとにした。
そんな様子を「不器用なやつ」と見送った千丈が微笑んだ。
「海馬さんは、憎まれ役が上手ですね。頭が下がります」
「あいつが先陣を切れば、文句は出ないだろうからな。萌を傷つけたって話は、これでちゃらだ。そいつはすぐ起きそうかい?」
「もうすぐです。戦いながらも、意識は消えていなかったようですから説明はいらないでしょう。本当に強い子」
「確かにな。死んだフリの最中に、俺のスピードで本当に意識を失った誰かさんとは大違いだ」
八重山が目尻を上げて、きっと千丈を睨んだ。
「あんなの耐えられるわけないでしょ!?」
「ちゃんと、いくぞ、って声はかけただろ」
「あれだけで、何が来るかなんてわかるわけありません! またおごり追加です!」
「へえ、へえ、なら、おごりを買いに行ってくるわ。ホームで待ってる」
千丈はそれだけ言うと風のように消えた。
残された八重山は、何も言わず、光矢が目覚めるのを待った。
彼女は特殊な力を持っている。
人の体を回復する力、そして意識を読む力。応用すると危険なものだ。
千丈にはカウンセラーと紹介されたが、本当は読心術に近いのだ。
彼女の前では嘘や偽りが通用しない。
だからこそ、ひどい家庭環境で育ったにも関わらず、心折れずにこの場にいることが奇跡だと思っていた。
出会って、一度死んで、《黒曜》の力で蘇った。
その途中で、《黒曜》に意識を引っ張られたことがあったものの、光矢は耐えて、ここに残った。
「こんな世界に巻き込んだ私たちに、光矢さんは怒らないでしょうか?」
光矢の望みは聞いた。
――とにかく早く死にたい。義理の両親の思い通りだけにはなりたくない。
戸籍上、これで光矢は死んだ。
しかし、三途渡町では生きている。二度目の生に近いだろう。
それを、光矢が受け入れてくれるか自信がない。八重山も何人か経験してきた。
どうしても納得できずに怒った者もいれば、出て行った者もいた。
光矢は――
「……良かった」
「気がつきましたか?」
「本当に良かった」
彼は目尻に涙を浮かべていた。
八重山の心が自然と震えた。とても嬉しくなった。
光矢が笑った。
「八重山さんが、生きていて本当に良かった。恩人に取り返しのつかないことをしたとずっと暗闇の中で後悔してた」
「私は光矢さんを騙しました」
「俺は八重山さんに救われました」
「許してくれるんですか?」
「許すも何も、俺はあなたのおかげで楽になれた。クズみたいな人生だったけど、最期に聞いてもらえてうれしかった。ありがとうございます。また会えて――良かった」
光矢は涙を浮かべてまぶたを閉じた。
八重山が目を潤ませて、ぎゅっと手を握った。
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