第8話 その果てに
「ようこそ三途渡町へ。葛切光矢、歓迎する」
千丈は嬉しそうに笑い、肩に担いだ八重山を抱きかかえる形に変えた。
彼女は腕をだらりと垂らしたままだ。
そして――
光矢はその光景をとても遠い位置で見ていた。
体の自由が効かない。しかも、聞こえる声も膜がかかったように不明瞭だ。
彼は、暗く狭い壁の中で必死に叫んでいた。
もし彼の声が外に出たならば、そのすべてが八重山萌を心配する言葉だっただろう。
しかし、声は届かない。
気が狂わんばかりの無力さに歯がみしているだけだ。
そんなことを知ってか知らずか、深緑の短髪に黒ぶちの眼鏡を身につけた人物が上から降ってきた。左眉のうえに黒子がある。
「千丈さん、ここからは私が」
「すまないな、海馬。色々と予定外でな」
「連絡がなかったことには怒っていますが、予定外かどうかは気にしていません。こんなことは今に始まったことじゃない。さて――」
海馬と呼ばれた男が首だけ回した。怜悧な瞳で光矢を観察する。
その視線には恐怖も嫌悪も、興味もない。
あまりに『見慣れている』のだ。
その理由は、すぐに知れた。
「一度解除した割には元気そうですね。どうやら歓迎会が無駄にならずに済みそうだ」
海馬が体を光矢に向けて、手を伸ばした。
「葛切、まずは君へのプレゼントからだ。友好関係の構築にはお決まりだろう」
空から何かが振ってきた。
人だと思った。だが、重い地響きと共に現れたのは、黒くごつごつした岩が体から生えたような外観を持つ、化け物だった。
数は4匹。
しかし、違う。
トンネルの前で無数に現れた異形に近い化け物ではない。
人間が黒い鎧を着たような統一性がある。つまり、光矢とよく似ているのだ。
「よし、ボコろうか」
4匹の黒鎧に囲まれた中心で、海馬が気楽な様子で言った。
左手が上がる。
その瞬間、光矢の視界が明滅した。右前に何かがぶつかったのだと何となくわかった。
そして、同時にもげたかと思うほどの衝撃が頭部にやってきた。
地響きと地鳴り。
光矢は突然突っ込んできた重装甲のロボットを彷彿とさせる黒鎧に、頭を掴まれていた。そのまま、後ろに押し込まれ、ビル壁を次々と突き破っていく。
特撮映画のごとき光景が繰り返され、もうもうと砂煙が舞った。
「終わりか? 反撃してみろよ。ほら、立ってみせろ。ほら、がんばれよ」
手を止めた相手から、挑発的な言葉が飛んだ。頭を抑えつけられ、顔を間近に覗きこまれている。
乱暴な言葉だ。だが、嫌みは無かった。
光矢は敵意と嫌みを混ぜた言葉を嫌というほど知っている。
鬼畜な両親の吐き気がするような表情と、ひどい仕打ちを数えきれないほど経験している。
光矢は何も痛みを感じていなかった。
仮に痛みがあったとしても、この相手は自分を憎んでいるわけではないとすぐにわかっただろう。
むしろ感じたのは――気遣いと励まし。
だから、言わずにいられなかった。
「――みは――い」
「ああっ? なんだって? 聞こえないぞ。はっきりしゃべれ」
光矢は必死に口を動かした。
思い通りにならない体は、他人が乗っ取っているように感触がにぶい。
相手が耳の部分を光矢の頭部に近づけた。
光矢はやっぱりと思う。中の人物は優しい。
その行動は、相手に興味があるからするのだ。興味がない相手、憎い相手の言葉をわざわざ聞き取ろうとするはずがない。
無視、侮蔑、激高。どれかが普通だ。
暗闇の中で光矢は微笑していた。
嘘のように、すうっと言葉が通った。
「きみは、とても優しい」
「はあっ!?」
ヘビーアーマーの巨体が弾かれたように飛び退いた。
その反動でビルが一部崩れ、光矢の上にがれきが降り注ぐ。
「ば、ばかじゃねえの!」
光矢は何事もなく、がれきを跳ね上げながら、立ち上がった。
漆黒の鎧には蒼い線が左右対称で描かれている。流れるように輝くそれは、とてもまばゆい。
落ちついてきた光矢とは対照的に、重鎧姿の人物は戸惑っていた。
「それが殴られて最初に言う言葉か!? もっとあるだろ!? 例えば……何しやがるんだ、とか!」
「こんな状況で変かもしれないけど、本当にそう感じたんだ」
二人の間に微妙な沈黙が生じた時、重鎧の背後から声がかかる。海馬だ。
彼はわずかに首を傾けて言った。
「北大我(きたおおが)、どうした? 動きがにぶいぞ。なぜ、このタイミングで、葛切に《清浄線》が出た? お前が何か優しい言葉でもかけたのか?」
「なんも言ってねえよ!」
「何を怒ってるんだ?」
「怒ってねえ!」
「……調子が悪いなら変わるぞ」
「悪くねえ! そこで見てろ!」
北大我と呼ばれた人物が再び前に出た。
肩に現れたスラスターに蒼い線を浮かびあがらせ肉薄する。右腕に縦のラインが次々と流れ、光矢の胴体を衝撃波と共にかち上げた。
「菜花菜(なかな)、マイン設置!」
北大我は後ろを見ずに言い放ち、ピンボールのように浮かんだ光矢を追撃する。
「そこまでしなくていいと思うけど……いつもより、なんか怖い」
菜花菜と呼ばれた細身の黒鎧が、両の人差し指と中指を交差して蒼い光を放つ。
北大我は確認することなく、体に似合わぬスピードで光矢の頭上に到着すると、背中に三重の輪を浮かべて、全身を蒼く輝かせた。
同時に、とんでもない蒼光が走る。
「死ねぇっ!」
光矢がいん石のように空中から地面に衝突した。
吹き荒れた突風と衝突音は、周囲に広がるビル群を順に震わせ、ガラスを粉砕する。
さらに遅れて爆発が生じ、ビルの一部が倒壊していく。
海馬が「やれやれ」と怒気を漏らすと、周囲の誰かが「まあ、予定通りと言えば予定通り」と言ってなだめた。
「見たか。きもち悪いやつめ」
北大我が満足気に言いつつ、着地する。
辺りはひどい有様だった。広場は広範囲に陥没し、ビルのいくつかは倒壊寸前。見る影もなかった。
けれど、光矢を攻撃するという点で間違ってはいなかった。
最初の《醒零》は――完全に叩き折らなければならない。光矢がこれから自由に過ごす為の絶対条件なのだ。
誰もが、これでようやく目的を果たせただろうという目算があった。
そしてそれは、海馬を含めた全員が理解していることだった。
だから、空気はとても和やかだった。
しかし――
爆発の中央でふらふらと立ち上がった光矢の姿が、全員を総毛立たせた。
彼の黒鎧は、頭部から左腕にかけて三分の一が崩れていた。
本当ならば、鎧の崩壊がそのまま全身に広がり、光矢が意識を失って完了する。
「黒曜鎧の下に、もう一層……」
北大我が動きを止めた。
崩れた部分に白い鎧が見えていた。黒い鎧が煉瓦が崩れ落ちるように剥がれていく。
その度に露わになる白い鎧。さらに、色のついた靄が陽炎のようにゆらめいている。
海馬は瞳を細め、スマートフォンを取りだした。
「速人、見えるか?」
「もちろん見えてますよ。最初から重殻って、ありないっすね」
「違う。障壁の方だ。復活したぞ」
「ええっ、マジですか?」
「状況が変わる。あれは別人と思え。北大我だけではしんどいから私が入る。二発目までどれくらいだ?」
「……三分ってところです」
「二分で撃て」
「無茶言ってくれますねー」
「こっちには縛りがある。下手すると、北大我が消滅する」
「やりますって。人使い荒いんだから。タイミングは?」
「そっちに任せる」
ため息と共に通話が切れた。
海馬が上着を脱いで千丈に手渡した。
「海馬、本当に危なくなったら俺が入るぞ」
「あなたは殲滅しかできないのですから、余計なことは慎んでください。それと――そっちのタイミングはお任せします。予想はつきますが、起こすタイミングを計ってるんでしょう?」
「お見通しか。まあ、そっちは任せろ」
「では、始めます――《醒零》」
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