第6話

脳がぐらぐら揺れる感じがした。藤原さんの手の平が僕の左の頬を張ったのだ。


地面に手を突いて藤原さんを見上げる。いつも笑みを湛えていた彼の顔は激烈な憎しみ色に変わり、肩がピストンのように上下している。




「この、バカが!」




栄田のサイト経由で、ネット上に真壁トオルの遺体画像が拡散してしまっているのは知っていた。顔にモザイクがかかっているとはいえ、画像の紹介文と合わせてちょっと調べればほとんどのネットユーザーは事件に行きつく。被写体は真壁トオルであると断じているサイトもいくつかあった。


藤原さんもその画像の存在を知っていたのだろう。出所が目の前に現れたとあっては、彼の怒りももっともだ。




ふらふらと立ち上がった僕は、その場で深く頭を下げた。




「すみません、でした。人が驚くような写真を撮って、ネット上に公開すると、おカネになるんです。それで……」




僕が途切れ途切れにそう言ったところで、藤原さんは感情を抑えるように息を吐いた。




「俺に謝ることじゃないだろうっ」




蔑んだように言い捨てた藤原さんがまた歩き始めたようで、僕はすぐに追いかけた。




「藤原さんっ」


「悪いけど、しばらくは向こうの家に泊まるようにしてるんだ。早く帰らないと」




藤原さんは足早に前を行く。僕には目もくれずに車に乗り込み、すぐにエンジンがかかった。僕は急いで車の前に立ちはだかる。バッグから乱暴にカメラを取り出した。




カバーを開けて、メモリーカードを取り出す。先端を奥歯で噛んで、指を引っかけた。思い切り力を込める。




バキンッと音がした。




あまりの痛みに顔が歪む。口に残った硬い破片を、真っ赤な血と一緒に手の平に吐き出した。




顔を上げると、前照灯の向こうに目を丸くした藤原さんが見えた。運転席側に回り込んで、窓に手を突く。藤原さんは慌てたようにドアを開けた。




「安藤君、血がっ……」


「犯人を捜したいんです」




口の端の方から血が伝っているのが分かったが、僕は落ち着いていた。


呆気にとられていた藤原さんは、しばらく前を向いたり下を向いたりした後、車のエンジンを止めた。




「マスコミみたいなことしてるのか?」




僕は小さく横に首を振った。




「違います。けど、分かりません。僕は罪を犯しています。だから何かしなきゃいけない気がしたんです」




藤原さんは僕の目をじっと見つめてきた。それから「メモを」と言ってきて、僕がスマホを取り出すのを待った。




「――この番号は?」


「明日の正午にそこにかけてくれんか。セイヤにとらせるから。トオル君が亡くなってから、セイヤの奴、落ち込んでてあまり喋らないんだ。役に立つか分からんのだけど」


「あ、ありが――」


「死人には肖像権ってのがないんだってな。調べたよ」




感謝の言葉すら引っ込んでしまった。




「トオル君のご両親、ネットの写真を見たらしい。お母さんの方なんかひどいもんさ。毎日毎日、いなくなった子供の分のメシを用意したり、真夜中にアルバム眺めてたり」




僕が身じろぎすると、肩から下げたカメラがぶらぶら揺れた。




「写真のせいかどうかは分からん。安藤君の商売のこともよく分からんし、写真に詳しいわけでもないんだけどな。でも、もしも芸術家ってのを名乗りたいんなら……」




藤原さんは言葉を切った。それから考え込むように視線を落としたかと思ったら急にぱっと右手を上げ、再びエンジンキーを回した。




「余計な世話だったな」。藤原さんは寂しげな表情を僕に向けて、ドアを閉めるとそのまま駐車場を出て行ってしまった。




僕はこれまで撮影してきた写真を思い出そうとした。そう多いものではない。だけど、思い浮かべた写真がネットで見たものだったか自分で撮影したものだったのか、どうしても思い出せなかった。






臭い自体に慣れることはないだろうが、部屋に腐臭が漂うという不可解な現象にはあまり動じなくなっていた。アパートの扉を開くといつものように鼻をつく臭いがして、僕は表情も変えずに照明のスイッチを入れる。二カ所も窓を開ければ風が通る。


甘い香水の匂いが混じった。




「千川?」




僕は部屋の中に呼び掛けた。合鍵は渡してあるけど、連泊を頼んだ相手がこんな時間に部屋にいないのもおかしい。


念のためトイレを確かめる。いない。




風呂場にもいない。でも見たくないものを見たのかもしれない。


甘い匂いが強まる。視界の端で一瞬、気が付いていた。


暗い風呂場から、真横にある洗濯機の方に視線を動かす。




白い足が見える。青白い足。洗濯槽から五本指の足が一本、飛び出している。


僕のひざが、かくんと折れた。


壁に突いた手で身体を支えながら、じわりじわりと顔を寄せていく。




真っ黒な布と一緒に、ばらばらになった人間が詰め込まれていた。


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