第4話
竹林の写真はその日のうちに栄田に送信した。かくれんぼメンバーへの電話も試みたが、やっぱりどこも電話自体がつながらない。
次の日はバイトで、僕はまた藤原さんの姿を探したが来ていなかった。休憩中、そのことで芹川さんに話を振ると、また事件について色々と話をすることになった。
芹川さんは僕とは違ってテレビをよく観ているようだった。真壁トオル事件については僕もかなりの情報を持っていたつもりだったが、一般的な知識はどの程度なのかという情報だけは持ち合わせていなかったので、彼女と話すこと自体は興味深いものだった。
遺体写真のことは黙っていた。全国的なニュースにもなっている事件。警察の聴取は終わりバイトに支障を来していない以上、無用なトラブルに巻き込まれたくないからだ。
「この工場でかくれんぼするとして、安藤君ならどこに隠れる?」
連日動きのない情報について話すことも尽きるようになり、いきなり芹川さんはこんな話題を振ってきた。
「うちの工場ですか?僕なら、事務所の机の下とかトイレとか、そんなところですかね」
「あれ、安藤君。若いのに結構素直ね。そんな所だとすぐに見つかっちゃうわよ」
「だから良いんですよ。結局、かくれんぼの勝者なんて寂しいもんです。最後の一人になっちゃうんだから」
そんな答えを返すと、芹川さんは「時代ねえ」と言いながらやたらと感心していた。
そういえば、最近の子供はかくれんぼをしないという話を聞いたことがある。子供がどうやって遊んでいるかなんて詳しくは知らないが、公園などで子供が数を数えている姿はここ数年見ていない。
事件当時、真壁トオル達4人はかくれんぼをして遊んでいたという情報がある。彼らは小学校3年生。年代的には普通のことなのだろうか。
僕の子供時代にはよくやった。仲の良い友達と3人で、親に叱られる時間まで一日中遊んだものだ。僕は安藤という苗字から「アンちゃん」と呼ばれていた。友達というのは男の子と女の子で、それぞれ「タケちゃん」「アユちゃん」と呼んでいたと思う。いつからか疎遠になってしまった。
深夜になって自宅アパートの扉を開くと、僕はまたも臭いに襲われた。室内に共用通路からの光は届かない。真っ暗でむんとした自室の空気に、かすかに腐ったチーズのような、硫黄のような、そんな臭いが混じっているのだ。
暗闇に目を凝らして、身を引きながら玄関近くの壁の照明スイッチを押す。LEDの室内灯がパッと部屋を照らす。
もしも目の前に得体の知れない者でもいようものなら絶叫していたかもしれないが、そんな者は見当たらず、ただ臭いだけがそこにあった。
1Kの部屋。暗い風呂場、トイレの中、冷蔵庫の向こう側、ベッドの下。シンプルな間取りでも死角は多い。
静かに扉を閉め、靴を脱ぎ、そろそろと風呂場に向かって照明を点灯させる。何もない。次にトイレ、それからベッドの下。何もいない。
僕は臭いの発生源を探すことにした。まず確認するのはシンク下。掃除は終わっていたが、また同じ場所から臭いが出ているのであれば根本解決になっていないということになる。
そっと戸棚を開ける。掃除に使った薬剤でシミが大きくなっているが、臭いの元はどうやら違うようだ。
部屋の中央に立ち、あちらこちらに鼻を向ける。もしかすると先日までの臭いが部屋に染みついているだけかもしれない。
一瞬だけそう思ったが、発生源はすぐに見つかった。部屋の隅に置いた段ボール箱の横、ちょうど照明が当たっていない床のところに手の平大の汚れを見つけたのだ。固体と液体の中間のような赤茶色の物体が、こすりつけられたように付着している。鼻を近づけると強烈な臭いを発していた。
ティッシュでふき取り、洗剤を含ませたスポンジでこすり、漂白剤を塗り付け、消臭剤を振りかけて掃除した。おかげでその部分の床の臭いは取れたが、案の定白いシミが出来上がった。
ネズミかなにかの仕業か、それとも何か料理の汁でもこぼしたのだろうか。覚えはない。
翌日。
深夜にバイトから帰ると、またシミが増えていた。今度は洗濯機を設置した横の壁。洗濯物の汚れでもつけてしまったのだろうか。見ようによっては手の指の跡のようにも見える。
また翌日。
シミはベッドフレームの側面と、トイレの壁についていた。あまりの臭いに僕は嘔吐した。
その翌日は冷蔵庫の裏の壁と、窓ガラスの内側。もしかしたらもうあと2、3カ所あったのかもしれない。臭いは部屋中を満たしており、眠りに就くには布団に包まるほかなかった。
夢を見た。男の子がうずくまっている。
「まだ、だよ。まだ……」
泣いているような、途切れ途切れの声が聞こえた。
朝になって不動産屋に相談するとすぐに営業担当者が立ち寄ってくれたが、言ってみればただの汚れの付着なので、帰り際に怪訝な顔をされただけだった。
自分の家が怖いと感じるのは初めてだった。きっと扉を開ければ、またあの臭いが僕の身体を包み込んでくる。部屋の暗がりのどこかにシミがあって、死体のような臭いをまき散らしている。
バイトから帰って車を降り、泥沼を進むようにアパートの階段に近づいた。薄暗い蛍光灯の下に目をやって、僕は絶句した。
「お帰りなさい」
真っ黒なTシャツ姿の千川が階段に腰を下ろし、うつむき加減で笑みを浮かべていた。
「また、勝手に来たのかっ?」
「だって、安藤君が心配だったから……」
千川はうなだれつつも立ち上がり、指に引っかけたしわくちゃでパンパンのビニル袋に手を突っ込んだ。どうせおにぎりか何かだろう、そう思った。
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