第3話
翌日、僕は事件現場に向かうことにした。
自宅から車で2時間。山間のグネグネとした県道を走って、錆くった白い看板を目指す。そこから杉林に挟まれた上り坂を少しだけ登って行くと、突然真っ白なグラウンドが現れる。校舎の横で車を降りたのは正午前くらいだった。
小さめのグラウンドを突っ切ると、外周を囲むフェンスの切れ目に黄色のバリケードテープが張られていた。足元には花や寄せ書きなどの供え物。その先は鬱蒼とした竹林で、地面は下りの傾斜。フェンスに手をかけて、暗い向こう側を見つめた。
バリケードから10メートルほどの場所。地面の枯れた竹の葉が円形になくなっており、暗褐色の土が露わになっている。
僕はショルダーバッグからカメラを取り出し、目の前の光景に狙いを定めた。レンズの向こう側は下れば下るほど緑が濃くなっており、黄泉への入口のような不気味さがある。意を決してシャッターボタンを半押しするが、なかなかオートフォーカスが決まらない。
そういえば遺体画像を送信した時、栄田から「なんでそんな場所に?」と尋ねられた。僕は「ここが自殺の名所だからだ」と答えた。職業柄、そういった場所のリストは持っている。
死者による誘いについては半信半疑だが、栄田にそういうことを言ったら「思い込みだ」と一蹴された。単に人目に付きにくかったり枝ぶりの良い木が生えていたり、そういった現実的な理由があるだけ、というのが栄田の持論だった。「警察署の目の前が自殺の名所なんて聞いたことあります?」と言われて妙に納得してしまったものだ。
ちょうど2週間前、千川から「雨のかくれんぼ」をテーマにした写真素材を依頼された。用途までは聞かなかったが、有料でも良いということだったのであまり深く考えずに引き受けた。
かくれんぼと言えば子供、子供といえばということで選んだ撮影場所が廃校。バイトが休みの日を待って訪れた早朝、僕は真壁トオルの遺体を撮影することになった。
ようやく1枚目が撮影できた時、背中を押すような強い突風が吹いた。煽られたバリケードテープがブブブブと低い音を立て、枯れ葉が斜面の奥の方に吸い込まれていく。
ファインダーから目を離して風の吹いた方を振り返る。
真っ白なグラウンド、端の方に並んだ鉄棒、時が止まったような廃校舎。子供達の格好の遊び場が広がっている。
真壁トオルもまた、ここで仲間たちと遊んでいたのだ。こっそり校舎に忍び込んでいたずらでもして、大人達に叱られ、自分が大人になってそれを懐かしく思う。そんな人生が待っていたはずだった。まさか自分の無惨な死に様が世界中に発信されるとは夢にも思っていなかっただろう。
車に乗り込もうとした時に電話が鳴った。
「もしもし、安藤さん?今、何かしてます?」
声の主は栄田だった。
「素材集めのつもりで真壁トオルの事件現場を撮影に来てたんだけど」
「さっそくですか、助かります。良い写真撮れました?」
「まあ、普通だよ。警察のバリケード張られてて、供え物があって。家に帰り着いて少し編集したら送るよ」
「そうしてください。ところで、かくれんぼメンバーの電話の件、どうなりました?」
「昨日のうちに掛けてみたけど、だめだったよ。マスコミを警戒してるんじゃないかな。電話自体つながらない」
栄田は「ふうん」と言って、しばらく黙りこくった。期待していた結果と違うからだろうか。僕からすれば栄田はお客さんなので、こうなると少し立場を意識してしまう。焦りを気取られないように車のシートに座り、キーを回した。エアコンの吹き出し口から熱風と騒音が吐き出される。その不快さを表現して、電話の向こうに伝わるはずもないのに僕は思い切り顔をしかめた。
「記事の方はどうなんだ?」
「ああ、記事。記事ですね。ええと、特設ページを作ろうと思って」
「特設ページ?」
「情報提供のですよ、犯人の。それぞれの家から遊びに出かけた後の目撃情報って、ぜんぜんないっていう話じゃないですか。だったら、万が一ですけど子供達自身からの情報提供もあるかもしれないですし」
冷房がようやく効いてきた車の窓を閉めながら、買っておいたペットボトルの水に口を付けた。温くなってしまったためか、少しだけ臭いを感じた。
「すごいな。それは良い案かもしれない。けどお前の所みたいなグロサイトに集まる連中って、変な奴が多いんじゃないか?」
「確かに99%はガセでしょうけどね。情報は精査しますよ。良いのがあったら警察にも報告しますし」
そこで栄田の声色が急に高くなった。
「犯人が見つからないのは、そもそも、第三者が存在していなかったから」
じっとりとした背中の汗が、急に冷たくなった気がした。
「な、なんだよそれ」
「もう何通か、メールが届いてるんです。その中で気になるのがあって」
「いたずらだろう」
「ほら、かくれんぼって個人プレーでしょ。殺したいほど憎い子がいたとして、ほかの誰にも見つからずに殺したり、できるんじゃないかなって。よくある怪談話で、かくれんぼしたまま行方不明って。もしかしてそれって、オカルトでもなんでもないんじゃ、って」
栄田は淡々と言ってのけた。
「で、でもそれだと、いくら子供の身体でも遺体を隠したりするのは無理だよ。鬼だろうが隠れる方だろうが、そんなことやってたらほかの誰かに見つかるだろう」
自分の口から出て来る言葉に嫌悪感を抱いた。僕はフロントガラスから見上げて太陽を探した。刹那の沈黙の後で栄田が言った。
「あ、そうか。じゃあやっぱりほかの人が犯人だ」
栄田の声色は普段のものに戻っていた。
「そんな記事書くのか?」
「確証もないのに、そんな、子供が犯人みたいな内容掲載したら訴えられますよ。やだなあ、ちょっと思っただけですって」
胸の詰まりを押し流すように、僕は大きく息を吐いた。根も葉もないネット情報ばかり見ていると栄田のようになってしまうのだろうか。
「気味の悪いこと言わないでくれよ。ただでさえ気分が萎えてるんだから」
「もしかして例の、臭いですか?」
「ああ。原因は分かったんだけど――」
昨日、台所の戸棚を開けて見つけたのは『シミ』だった。どろどろとした液体のようなものがこぼれ、ハエがたかり、戸棚の底に大きなシミをつくっていた。異臭の元はそこだったのだ。何の液体かは分からなかった。洗剤や漂白剤などありったけの薬剤を総動員して掃除したことで臭いは消えたが、薬剤の使用跡がより大きなシミとなってしまった。そんなことを栄田に話した。
「掃除はしたけど、やっぱり時々臭いを思い出すんだよな。千川なんか呪いだって言うんだぜ」
「それだけのことをしてるってことですよ。月末は楽しみにしててください。アクセス、めちゃくちゃ伸びてますから」
栄田のサイトの訪問者数が伸びると、それに比例して収益が伸びる。「それだけのことをしている」という言葉が頭の中でリフレインして、僕は素直に喜べないでいた。
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