第4話

 講義はただ淡々と配布されたプリントをなぞった口頭での説明を行う内容だった。教授が強調した単語に蛍光ペンを引き、繰り返しの解説はプリントの隅にメモを残す。

 講義は味の無い内容だが、答えが分かりやすく提示されている。テスト対策も行いやすく、教師間では評判が良く無いと思うが、生徒側からは大好評。単位数を狙う生徒達で、毎年受講する人が後をたたない。


 僕もその一人である。

 近年の技術の進歩で、パソコン等の電子機器を用いた授業が増えている。デジタルや面白みを持たせた授業は、参加する側として確かに新鮮さがあって楽しい。しかし、アナログに紙媒体を用いた授業も生徒としては捨てがたい。


「ふあぁ……」


 隣の席に座るユウがあくびをした。一応、周りにバレないように口元を手で隠している。


 まあ、先程の話は勉強自体に興味があることが前提である。



「寝不足?」


 授業終わりの身支度を済ませながらユウに問いかける。彼は目元の涙を拭い、机上に置いていたプリントや教科書を鞄に放り込んでいた。


「そう見える?バイト大詰めだからそのせいかも」


「あぁ、もうすぐ本番なんだ」


「そう!観に来る?」


「ん、えーと。あれ、期限間近の課題あるから難しいかも」


「そっかー、じゃあまた次回だな」


「ごめん」


 ユウは残念そうな顔と肩を落とす仕草でアピールをしながら席を立つ。落ち込む様子にコミカルな要素が見え隠れしていた。分かりやすく戯けた動きで、あまり落ち込んでいない事がわかった。


 ユウは知り合いの劇団をバイトとして手伝っているそうだ。メンバーはほとんど社会人で、趣味を主体とした団体。公演は年に1〜2回。メインのメンバーで足りない人員を知り合いで補いながら活動している。ユウの役は群衆と呼ばれる、主人公以外のその他大勢。大人数の中で息を合わせた歌や踊りを披露している。

 経験した場数も方向性も僕より多いだろう。自分と彼のポテンシャルの違いを感じている。知り合う前も、今も。


「俺、今日はもう終わりだけど。ナオは?」


「僕もこれで最後」


「じゃあ一緒に帰ろ」


 ユウと共に鞄を持って教室を後にする。

 廊下では雑談で盛り上がっている学生で賑わっていた。各々の方向を向いて歩いている人達の間を、邪魔にならないように2人で通過する。ユウの先導に従って通路を右往左往し、階段に到着した。

 大学のエレベーターは講師や業者以外に生徒の利用も許可しており、多くの学生は階層の移動で頻回に使用している。一部の僕みたいな人達は階段を好んで利用する。体育という授業がない大学生活にとって、運動は意識して取り入れなければ不足してしまう。


 右手で手すりをつたいながら人通りがない階段をゆっくり降りていく。僕とユウの足音が床から響いて耳に入る。自分の足の動きと一歩ずつ後方に流れていく階段の風景を見つめていると、ユウが沈黙を破った。


「あのさ、俺に出来ることってなんかある?」


「えっ……?」


 数段下にいたユウが立ち止まる。突然の発言と歩行停止につられて僕もその場で動きを止める。


「最近調子悪そうだし、治すのに手間取っているのかなと思ってさ」


 布が擦れる音、スニーカーの底が床を擦る音が聴こえた。



「一応ネットで調べて、少しだけどわかると思うし」


 ユウが僕を見ている。

 目線は足と階段を見つめたままだが、視線の熱量でわかる。



「俺が勝手にやると余計なことしそうだしさ」


 いつからか感じていた喉元の圧感が戻っていた。舌と喉で沸き上がる言葉を抑えつける。手すりを握る手に力がこもった。



 揺れる。


 崩れる。


 薄れる。



 自分の形を保つ為に意識を今に固定しようとする。



「だから、直接言ってくれると。——ナオ?」


 ユウが発言をやめて近寄って来た。彼が言いたいことはある程度わかった。僕を心配して歩み寄りを試み、道標として僕からも歩み寄ることを求めている。


 喉よりもっとずっと奥から言葉の吐気が起こる。感情と思考で押さえつけていたものが僕の外に溢れ出ようとしている。

 腹の奥底から這い出る悪心と、脳から伝わる自我の崩壊を予兆される揺らぎが全身を覆う。自分自身にしかわからない警鐘が拍動して頭の中に広がる。








 きた。


 確信づいた答えが脳に響く。

 自己の陰り、焦燥感と共に全身に張っていた意識が消え去った。





てんかん:

 主に脳の神経伝達が一時的に過剰反応することで、意識消失や痙攣等の「てんかん発作」を引き起こす病気。発作の症状は異常な反応が生じる脳の部位や強さによって現れ方が異なる。





 時間をかけて自我と体の主導権が手元に戻ってくると、発作後に感じる頭の浮遊感が生じていた。

 今回は崩れた僕をユウがすぐに拾い、発作が終わるまで支えてくれたおかげで無傷である。


「……どれくらい倒れてた?」


「えーと、だいたい15分くらい」


「そっか、ありがと」


 鞄から手帳を取り出して、今の日時と発作が落ち着くまでの時間をメモした。幸い、僕の鞄はリュックサックで、発作時は腕に力が入らずとも両肩で鞄の転落を防ぐことができていた。


「あのさ」


「ん?」


 ユウは僕が動き始めると少しずつ体の支えを減らしながら自身の体を離した。僕の状態が無事に復帰しているか確認するユウと顔が向き合う。


「倒れた時とか様子がおかしい時に、その時の様子とかどれくらい続いたか教えて欲しい。もちろん、今日みたいに一緒の時だけでいいから」


 発作の記録は治療の経過を確認する中で重要な資料だ。協力者は欲しい。


「え?」


「さっき言ってたやつ、ユウに手伝って欲しいこと」


 僕の指摘でユウは納得したように頷いた。


「任せといて」


 ユウが片手を胸の前に置いて、任せられた自信を示していた。表情はさっきより明るく、先程顔に出ていた不安は消えただろう。


 自分の存在を濁す言葉は発言しやすい。いつもそうやってきた習慣で、考えがまとまりづらい発作後も流れるように言葉が出た。

 ユウの反応からして、言葉選びに問題はないと思う。


 発作前に湧き上がった気持ちと言葉が、意識がクリアに戻った後もへばりつく様に頭の片隅に残る。今なら外側に見せないまま、心の中で処理が出来るだろう。






 本当に、



 気持ち悪い。

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