第3話

「ナオー!こっちこっち!」


「お待たせ、席ありがとう」


 大学の食堂でユウと待ち合わせをしていた。昼時で適度に距離が開いたテーブル間は人の行き来で落ち着きがない。学校周辺は学生向けの安価な飲食店が多く、学食の利用は比較的少ない方だ。


「どうって事ないぜ」


「そうかなあ」


 先に昼食を取っていたユウの対面に座り、僕も食事に手をつけた。ユウの昼食はいつも通り学食内で安価であり、量があるラーメンだった。ラーメンと同じトレー上に未開封の菓子パンが同席しており、こちらは食後のデザートであろう。そこそこ圧倒される食事のボリュームを目の前に、食前から満腹感を味わってしまう。

 ユウにとってその量を普通とした場合、今日の僕の食事は少食と言える少なさだろう。今日は学食の定番メニュー、カレーライスだ。野菜が大きめにカットされており、小さい具材より噛む回数が多い為、ラーメンより総量は劣るが食事をしたという満腹感は勝る。香辛料によるアクセントで食欲にムラがある日でも食べやすい。


「ナオ、最近ずっとカレーばっかりだな」


「……ほんとだ、プチブームでもしたのかな?」


「だいぶ前からカレーばっか食ってるから、ブームより食べ比べの趣味でもできたかと思った」


「そこまで食にこだわり無いはずなのになあ」


 ちょっとしたユウの指摘に喉を軽く締め上げられる悪感を感じた。大きく気持ちが表情に出ていないと思うが、目元や口がいつも通りに笑えているか不安である。


 ここ最近、些細なことをすぐ大ごとの様に捉えてしまうことがある。その事でパニックになることはないが、再度頭の中で整理して「何でもない事だ」と考えを訂正するように努めていた。

 精神的労力を費やすことで、僕はようやく『普通』の考え方ができるようになる。それが今の僕なのかと問いつつ、それが僕だと容認しようとする。これがカレーブームの始まりから遅れてやって来た日々のルーティンだ。



 『てんかん』の治療を始めてから2ヶ月ほど経っていた。自身の病名に聴き慣れ、少しずつ病気や自分について探り入れる余裕が作れるようになってきた。通院は月に1回のペースで行っており、今月はちょうど昨日が通院日だった。

 僕の治療の内容は主に服薬と体調管理だ。


 薬の方はまだ担当の先生と相談しながら調節をしている状況だ。比較的副作用が軽いものから試している。脳みそや人間の神経の構造はとても複雑で、脳に対する薬は効果が出るまでに時間がかかってしまうそうだ。また、薬の量で症状を抑えられていても、生活ができない程副作用が強く出てしまうこともある。症状を抑えつつ副作用も抑える、使う薬の種類と量の絶妙な塩梅を決める作業は人によっては年単位でかかることがある。


 服薬に関しては本当に先生と時間任せな面が多く、今のところ横ばいの状況だ。問題は体調管理だ。


 体調管理の重要なポイントとして先生から「決まった時間の服薬」、「十分な睡眠の確保」。そして「ストレスの管理」が伝えられた。3つの内2つは意識して行うことができる。最後のストレスに関しては意識しているが、十分な管理ができているか実感が湧かない。



「そろそろ教室行くかー」


「あ、うん」


 ユウの声で、意識が思考の渦巻きから現実世界へ引き戻された。彼に続いて席を立ち、空になった食器とトレーを返却口へ持っていく。


 先生曰く、僕は大学生として学校に通いながら治療を行えるそうだ。今までの生活に薬と生活の調整の添え木を加えることで、『てんかんを抱える僕』の生活を成り立たせることができる。また、いずれ服薬が必要ない状態まで症状を落ち着かせることも可能であるとのこと。

 良くなる希望があることはわかっていた。

 僕の『てんかん』は原因が特定できないタイプだ。本当の初めての発症は今回でなく、小学生の頃にあったと思われる。

 小学生から大学生になるまで、人知れず病気を持ったまま治療無しで生きてきた経歴がある。あの頃の自分を目指せば良いだけ。


「えっ、わ!」


「あっぶねー!」


 目の前に廊下の壁が一面広がっていた。背後から僕の左肩を掴むユウの手が伸びている。足運びのミスで危うく廊下の壁と衝突する寸前だった。

 まただ。


「ありがとう、ユウ」


「いや、それより体調悪いなら早退するか?」


「大丈夫、ただのめまいだから。早く教室行こう」


 できる限り平然を装いながらユウに応える。一歩ずつ教室へ歩を進めていく。


「そうか?」


 ユウは眉間に皺を寄せつつも、前進する僕につづいて歩き始める。僕の肩を掴んでいた手を自身の鞄に戻した。

 病気を伝えてからユウは僕をサポートしようとすることが増えた。今まで通り友好関係を続けるだけでもよかったのに、何故か自主的に手助けをかって出ていた。彼に不要な負担をかけている自覚はあるが、彼の助けを受け取らずにはいられない現状が申し訳ない。


 心配そうな彼から進行方向へ視線を移す。昼下がりの晴天で、窓から差し込む日光が渡り廊下を明るく照らしていた。何度も見覚えのある光景だが、本当に見知った景色かどうか疑ってしまう。歩く都度、足からの振動と心臓の拍動で全身が波打つ。見えている範囲の距離感は凝視することでなんとか掴むことができた。


 外に向けられていた意識が、僕自身の内側に凝縮して向けられている。そう思えるほど、外から得られる感覚に今まで感じた鋭い繊細さが見当たらない。体や顔のパーツでさえ神経が通っているかあやふやな感じがあり、鏡で確認しなければどの様な表情や動きをしているか分からない不安がある。

 現実で生きているはずが仮想世界の体と世界で生活している、自身と外界の次元の差があるような錯覚に陥る。

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