誕生日小話『渡来・園香』
1
早い時間に目が覚めて、朝がきたのを確かめる。
閉めたカーテンの向こう側から、まだ薄暗い朝の気配がちょっぴり感じられて、わたしは逃げられないなって布団の中で目をつむった。
ぎゅっと目をつむって丸まっていても、二回目の眠気はちっともきてくれない。
いつもなら、朝に強い自分の体質に感謝してる。でも、今日はそれがちょっと嫌い。もう少し、朝がくるのが遅くなってくれたらよかったのに。
そうしたら――、
「――年に一度の憂鬱な日も、へそ曲がりなわたしじゃなくていられるのに」
布団の中で呟いて、もぞもぞと足を動かしながらゆっくりと体を起こす。
伸ばした手でカーテンを開くと、感じた通りの青っぽい朝が視界いっぱいに広がった。窓を開けて、涼しい空気を部屋に取り込みながら、わたしは深呼吸する。
そして、新しく始まった一日と、個人的な一年の始まりに挨拶をした。
「渡来・園香、十五歳です」って。
2
国際平和維持機構、なんて大げさな名前の組織でお仕事を始めて四年、わたしもすっかりベテランさんの一人になってしまいました。
たったの十一歳でワルキューレとして翼を授かることになった園香さんは、その四年の日々で人生の荒波に揉まれて、気付けば一人前の翼の乙女――。
「なんて、そんな実感全然ないけど」
小さく舌を出しながら、愛用のジョウロを傾けて花壇のお花に水をあげる。
四月の真ん中ぐらいまではたまに寒い日もあったけど、最近はようやくあったかい日が続くようになって、お花たちも安心して蕾を開く準備を始めたみたい。
これからどんどんあったかくなるから、そのための種まきももう済ませてある。わたし的にはスイートピーが綺麗に咲いてくれたら嬉しいなって。
「花言葉は門出……うん、春っぽい花言葉だよね」
四月といえば新生活の始まりで、学校でも進学とか新学年とか、色んな新しいことが始まるタイミング。
実はわたしは小学校の途中で国際平和維持機構……もう、軍でいいよね。軍に入って軍人さんになってしまったので、あんまり学校に思い出がありません。
ちゃんと学校に友達もいたし、好きな授業だってあったはずだけど。
でも、それは――、
「それは、ワルキューレになる前の『わたし』の居場所だから」
オーディン様、なんて呼んでたらきっとアズちゃんに怒られちゃうかな。だけど、いまだに呼び捨てにするのがなんだか引っかかっちゃうオーディン様。
ミコちゃんとかクーちゃんはわかってくれそうな気がするけど、どうだろう。
とにかく、そのオーディン様にワルキューレとしての資格を与えられてから、渡来・園香は文字通り、全然別の人生を歩くことになったんだと思う。
だから、そうなる前のことが、まるで他人の思い出みたいに思えちゃうのかなって。
それがいいことなのか悪いことなのか、どっちなのかよくわからないけど――。
「――園香さん!」
なんて、そんな風に考えて花壇の傍にしゃがみ込んでいたら、弾む声で名前を呼ばれてわたしは立ち上がった。聞き慣れた声だから、誰の声なのかすぐにわかる。
わかったから、振り返るのにちょっぴり準備。眉間に皺が寄ってたり、目つきが悪くなってたりしないかプリフライトチェック――うん、大丈夫そう。
「おはよう、くるみちゃん、萌ちゃん」
運転前のチェックを済ませて、わたしは二人の後輩にそう振り向いた。
後輩のくるみちゃんと萌ちゃんは、いつも仲良しで可愛い二人組。歳はわたしと同い年で同学年なんだけど、誕生日的にも、入隊的にもわたしの方が先輩さんです。
去年の夏、富士ピラー攻略戦のあとから館山基地の一員になった二人。最初のうちはお客様って感じでカチコチだったけど、最近はずいぶん見違えたかな。
元々、館山基地のみんなはすごく馴れ馴れしい……じゃなくて、打ち解けやすいし、そうでなくてもこの基地にはミコちゃんがいますから。
お日様、太陽、お天道様。
わたしたちの憧れの太陽、ミコちゃんが誰かをいつまでもお客様になんてしておかない。ミコちゃんにかかれば、誰でもすぐに家族の一員なんだもの。
アズちゃんもクーちゃんも、ミコちゃんがいなかったらもっと馴染むのに時間がかかったと思うし、それはきっとわたしもおんなじ。――ううん、わたしの方がひどいかな。
わたし、表面上だったら誰とでもうまくやれるって陰険なタイプだから。
「おはようございます、園香さん。今朝もとっても早いですねっ」
あ、いけないいけない。
くるみちゃんたちと話してる最中なのに、考え事なんてお行儀の悪い。頼れる園香先輩として、ちゃんと威厳を見せなきゃいけないところだった。
なので、ぐぐっとわたしは胸を張り、「そうだね」って答えてから、
「何となく、今日は早く目が覚めちゃったの。でも、二人も早いよね?」
「一応、私とくるみは示し合わせて早起きしたんですが……園香さんには敵いませんでしたね。実はこっそり、花壇の手入れを済ませておくはずだったんです」
「花壇の? どうして?」
「だって、今日は園香さんの特別な日ですからっ」
目をキラキラさせたくるみちゃんが、わたしに前のめりに一歩近付いてくる。その勢いに思わずのけ反っちゃうと、くるみちゃんの後ろで萌ちゃんが咳払い。
そのアクション一個で、くるみちゃんもすぐに自分が逸りすぎって気付いたみたい。顔を赤くして、「ごめんなさい」って謝ってくる。
ああもう、そういうところ、すごく可愛いなって羨ましくなっちゃう。
同い年なのに、わたしよりも子どもに見える二人……なんて言い方、上から目線っぽくて嫌がられるかな。でも、仕方ないよね。ホントにそう見えるんだもん。
それに、この『同い年』って表現も、今日からまたちょっとお預けになるし。
「園香さん」
何となく、柔らかい気持ちになっているわたしの前で、くるみちゃんと萌ちゃんが揃ってちょっぴり気を引き締める。
大体何を言われるかわかってるけど、わたしは素知らぬ顔で首を傾げる。きっと、こういうときのわたしって、女優になれるくらい演技力があると思う。
だから、二人もちっともわたしの様子を変だなんて思わないまま――、
「「お誕生日、おめでとうございますっ!」」
そんな風に、わたしが生まれた日のことをお祝いしてくれて。それを聞いたわたしは目を丸くして、二人の前でビックリしながらこう言うの。
「そっか、今日ってわたしの誕生日だったんだ。すっかり忘れちゃってた」って。
3
ワルキューレ生活一年目の二人には、色々と目が回る一年だったって想像がつく。
それまでは同級生とか、同年代の子ばっかりの学校に通ってた子たちが、いきなり周りが大人だらけの軍人生活なんて、簡単に馴染めるわけないもん。
わたしだって、最初のうちは戸惑うことばっかりで、周りの人にたくさん迷惑をかけ通しだったと思う。今振り返ると、お恥ずかしい雛鳥の渡来・園香です。
「なんだか信じられません。園香さんはとてもしっかりしてらっしゃるから」
「それこそ買い被りだよ。萌ちゃんみたいに、ちゃんとした喋り方もできなかったし、夜なんて心細くていっつも泣いてたもの」
「十一歳の園香さん、ですもんね。あ、でも……」
「でも?」
「その頃の園香さんって、すごく可愛かったんだろうなって……あ! その、今も可愛いですっ! 園香さんはいつでも素敵ですっ」
「ふふっ、別に怒ってないってば」
顔を真っ赤にして、慌てて言い訳するくるみちゃんに思わず笑っちゃう。
可愛い、って言われるのは嫌じゃない。わたしも客観的に、自分の見た目が整ってる方だって自覚はある。アズちゃんほど、自信満々では言わないけど。
でも、クーちゃんほど無頓着じゃないし、ミコちゃんぐらいの意識かなって。
だから、そんな風に言ってもらえるのは嬉しい。
「ありがと。でも、くるみちゃんと萌ちゃんだってすごく可愛いし、美人さんだよ」
「え、え、え、そ、そんなそんなっ」
「園香さんに言っていただけるのは恐縮です。……ただ、クラウさんやアズズさんを目の当たりにすると」
「ズルいなって思う? あの二人、天然美人さんだもんね」
「クラウさんは美容目的はともかく、トレーニングをしてらっしゃるから納得できます。でも、アズズさんは……」
話しながら、萌ちゃんが羨ましそうに唇を尖らせてる。
アズちゃんの天然美人さんぶりは、美形揃いのワルキューレの中でも一級品。あんなに不健康な生活なのに、髪も肌も全然ボロボロにならないから魔法みたい。
「だけど、アズちゃんはその分、生きてくのに必要な力が人より弱いから、そこでバランスを取ってるんだと思うよ」
「ですね。……いえ! そんな風に思っては、ない、ですけど」
ごにょごにょと、気まずい顔で萌ちゃんが黙り込んじゃう。
アズちゃんの評価は大体、誰に聞いてもおんなじなんだし、そんなに気を使いすぎなくてもいいのに。それに――、
「アズさんの足りないところは、ミコ先生が埋めてくれてますからっ」
ちっちゃく胸の前で拳を作って、くるみちゃんがちょっと自慢げに声を弾ませる。
この一年、わたしに懐いてくれてる二人だけど、それぞれ館山基地で新しい関係を作ってるみたい。特に人懐っこいくるみちゃんはミコちゃんと相性がよくて、ミコちゃんが朝の食堂を手伝ったりしてるのに何度もお邪魔してるってお話。
料理も基礎から教えてもらって、くるみちゃんはミコちゃんを先生なんて呼んでるくらい。ミコちゃんも、教え甲斐があるってすごく喜んでて微笑ましいの。
「わたしは食べる専門だから、くるみちゃんは向上心があって偉いね」
「園香さんは、お料理したりしないんですか?」
「全然……おうちのお手伝いも、お皿並べるのとかはしてたけど……あれ、ちょっと待ってね?」
「――?」
「わたし、もしかして空を飛ぶ以外、何にもできないダメな子……?」
自分で自分のことを振り返って、そんなとんでもないことに気付いてしまう。
もちろん、お洗濯や掃除は人並みにできるけど、それは軍人さんとして生活している中で身についたもので、わたしが特別うまくできるわけじゃない。
それこそ、する必要のないお料理は全然できないわけで、お裁縫だってボタンを縫い付けたり、ほつれた部分を繕うくらいはできるけど。
「でも、それもミコちゃんが気付いてやってくれるから、全然やってない……わたし、もう一年以上、針に糸通してないかも……」
「だ、大丈夫ですよ、園香さん! 私も、くるみと違って料理は全然です! それに、園香さんにはガーデニングが、花壇の手入れがあるじゃありませんか!」
「そのお花の手入れも、わたしから始めたことじゃないし……」
「そう、なんですか? あんなにお花、綺麗に咲かせられるのに」
自分がとってもダメな子に思えて、気落ちしちゃうわたしにくるみちゃんが首を傾げる。お世辞でも嬉しいけど、くるみちゃんはお世辞が言える子じゃない。
だから、本心で言ってくれてるってわかる。
「私、初めて館山にきたとき、すごく不安でした。富士ピラーの戦いは、私も萌ちゃんも初めて経験するおっきな戦いで、元の部隊もバラバラになっちゃって」
「――――」
「里見司令のご厚意で一緒に連れてきてもらいましたけど、園香さんとミコ先生が取り戻してくれたこの基地も、私たちは全然知らない場所で……だけど」
「だけど?」
全然、わたしの知らなかった気持ちを話してくれるくるみちゃん。この子がそんなことを考えてたなんて知らなかったから、すごく驚いてしまう。
でも、当たり前だよね。まだ、二人だって十四歳で、ほんの何ヶ月か前までは十三歳だったのに、将来有望だからって理由であんな激戦に放り込まれて。
――人選は、オーディン様とか軍の偉い人がみんなでしたって話だったけど、それもどんな理由で選んだのか、オーディン様に直接聞いておけばよかったな。
そうしたら、アズちゃんじゃなくて、わたしが直接やっつけようって気持ちになったかもしれないのに。
「――だけど、萌ちゃんと二人で基地を見回ってて、見つけたんです。すごく、すごく立派に咲いてる向日葵の花を」
そんなわたしの考えは、顔を上げたくるみちゃんの一言に吹き飛ばされる。
まるで英霊機の一発を受けたターシャリ・ピラーみたいに蹴散らされて、わたしはすごく間抜けに「え?」って言っちゃった。
そのわたしの驚きが回復する前に、「そうです!」って萌ちゃんも便乗して。
「私もくるみも、圧倒されました。正直、人類が立て直せる希望も、自分たちが役に立てるって自信もなくなっていました。……肝心の場面で役に立てなくて」
「園香さんを、見送ることしかできなかったから」
二人の言葉と切実な視線が、わたしにそれがいつのことなのか思い出させる。
あの日、人生で一番辛いことがあったって、もう立ち上がれないんだって落ち込んでたわたしに、弥生お姉ちゃんのいつもの声が聞こえたあの日――もう飛べないって思ってたわたしが飛べたとき、くるみちゃんと萌ちゃんも飛ぼうとしていた。
怪我で飛べなかった二人は仕方ないって、わたしは全然気にしてない。
だけど、当事者の二人がそれを気にしてないわけがなかったし、もっとわたしも二人の気持ちに寄り添うべきだったんだと思う。
そのことを、すごく反省する。でも、そんな風に思うわたしの前で、二人はゆるゆるって首を横に振って、
「園香さんの向日葵が、心に寄り添ってくれました。あの日、私たちは枯れない向日葵の姿に、とても勇気づけられたんです」
「頑張って、頑張り続けなきゃって、そう思いました。そう思わせてくれたんです。だから、園香さんは全然ダメな子じゃないです。立派な戦乙女ですっ」
「――――」
萌ちゃんとくるみちゃん、二人が代わる代わる慰めてくれる。その話にわたしはちょっとだけ呆気に取られて、それからすぐに噴き出しちゃった。
「ふふ、あは、あはははっ」
「そ、園香さん!?」
「なんだか、変なこと言っちゃいましたか!?」
「ごめんごめん、全然そんなことないの。むしろ、とっても嬉しかった」
いきなりわたしが笑い出すから、二人が目を白黒させて慌てふためく。そんな二人を安心させてあげて、わたしは「はぁ~」って長く息を吐いた。
わたしの花壇のお花が、そんな風に二人を助けてたなんてちっとも知らなかった。
そんなつもりで育ててたお花じゃないし、育て始めたわけでもなかった。
そもそも、お話を育て始めたのだって、全部里見さんに言われたから。
館山基地にきたばっかりの頃、わたしはすごく落ち込んでいて、周りの大人の人たちも見てられないってぐらいひどい状態で。
その頃のわたしを見放さないで、ちゃんと構ってくれてたのは里見さんと、本庄さんの二人だけ……班長さんも、そうかな。うん、班長さんなりのやり方だけど。
本庄さんは不器用に、班長さんはいつものやり方。里見さんだけ、あの手この手でわたしに構って、結局、ちゃんと続いたのは花壇のお世話。
こんなの、何の意味があるのって、そんな風に噛みついたのが懐かしいし、
「なんだか、里見さんの言う通りになってて、すごく悔しい……」
大人なんだから当然だ、なんて顔で鼻の下の髭を撫でる里見さんの顔が浮かんで、わたしはなんだかとっても面白くなくなりました。
「園香さん、今度は不機嫌に……?」
「どうしよう、萌ちゃん。私のせいかな……」
「あ、またごめんね。大丈夫、二人のせいじゃないよ。里見さんのせいだから」
「司令はここにいらっしゃらないのに……」
「きっと今頃、足の爪でも切りながらくしゃみしてるんじゃない?」
いっそ、深爪でもしてしまえばいいのだ。
そのぐらいしてくれないと、わたしの胸のもやもやが晴れてくれないんだもん。
でも――、
「本当にありがとう、二人とも。わたし、空を飛ぶしかできない根っからのワルキューレじゃなくて、お花の手入れ屋さんとしてもやっていけそう」
「お花屋さんじゃなくてですか?」
「お花屋だと、愛想よくしてお花を売ってあげなきゃいけないでしょ? わたし、自分の腕一本でのし上がっていくストロングスタイルだから」
「園香さんのストロングスタイル……」
ぐっと力こぶを作ってみせても、二人はなんだか半信半疑って感じ。わたしもやってはみたけど、自分で摘まんだ力こぶは全然柔らかかった。
だけど、この腕一本で空を守ってきたのは事実なので、胸を張りましょう。
あとは――、
「――なんだか、あなたたちが咲くのがもっと楽しみになったかも」
お花のことを褒められて、ワルキューレでない『わたし』が褒められたような気がしたから、ちょっぴり上機嫌になる渡来・園香なのでした。
4
お祝いしてくれた可愛い後輩たちに連れられ、わたしの足は食堂へ。
花壇の前でお花みたいな笑顔で二人がおめでとうって言ってくれたので、もうわたしは今日が誕生日であることを思い出した渡来・園香。
なので、食堂までの道のりでかけられる声と、お祝いのメッセージに愛想よく答えながら、本日の主役としての役割を全うする次第なのです。
なんて皮肉っぽい言い方、とても誰かに聞かせて上げられないけど。
「でも、今年はちょっとだけ気持ち的にらくちんかな」
それこそ、可愛い後輩が何の衒いもなくお祝いしてくれた効果が大きいかも。
他のワルキューレの子たちって、あんまり後輩って感じがしないから。どの子も軍歴は短くても、わたしより年上のことが多かったし。
ミコちゃんとアズちゃんも、軍歴で言えばわたしの後輩さん……だけど、二人を後輩なんて思ったこと全然ない。先輩後輩とかじゃなく、ミコちゃんとアズちゃんだ。
だけど――、
「たぶん、それでいいんだよね」
ミコちゃんとアズちゃんに先輩後輩意識がないこと、もそう。
でも、きっとわたしより年下の、後輩の子なんて出てこないが方がいいに決まってる。そしてわたしのそんな願いは、遠回しだけど叶いそうなのだ。
ただ、それが叶うことは、わたしの精神的にはよくても、世界中の、人類にとっていいことなのかまではわからない。
――オーディン様がいなくなった今、新しいワルキューレが生まれる術はない。
世界に、ワルキューレは今いる人数しか存在しない。
ここから減ることはあっても、増えることがないのが人類の総意――それが、人類を騙し続けた神様、大神オーディンを討つってことの結果だった。
大神オーディンと富士ピラーをやっつけても、世界からピラーの脅威は消えなかった。
人類は自分たちを危なくする九本のピラーのうちの一本を倒して、残りを八本にした代わりに戦力を補充する方法をなくした。
わたしたちは、もしかしたら滅びの背中を押したのかもしれなくて。
それこそ、オーディン様の言っていた――、
「――はい、ラグナロク丼、お待ち!」
「――――」
目の前のテーブルにドカッて置かれたどんぶりを見て、わたしは呆気に取られる。
そのすごいサイズのどんぶりももちろんだけど、そのどんぶりに付けたミコちゃんの名前の方にも驚かされた。普通、その名前は付けないよ……。
「あれ? もしかして、ソノの嫌いなものとか入ってた?」
「それは……えっと、大丈夫。わたしの好きなものばっかりだけど」
「だよね! よかった、失敗したかと思ったよ~。ちゃんとこの日のために、ソノが好きそうなものとかばっちり準備してたんだから! で、ようやくお披露目!」
「お披露目ったって、限度ってもんがあんだろ、限度が!」
ビシッとどんぶりを手で示すミコちゃんの横で、おこりんぼのアズちゃんが怒鳴る。でも、今日はわたしもアズちゃんに賛成。
だって、わたしの目の前にあるどんぶりったら、わたしの頭よりも大きいぐらいのサイズがあって、とっても食べ切れる量じゃなかったんだもの。
「ふむ。宮古、私もアズズと同意見だ。園香はなかなか健啖家だが、いくら何でもこれを食べ尽くすのは私じゃないと無理だと思う」
「ちゃんと自分が食いしん坊の自覚はあるんだね。でも、わたしも健啖家って、そんなに言われるほど大食いじゃないと思うから」
「はん、ウチから見ればお前ら全員、冬眠前の熊みたいな食欲だっつの」
「アズちゃんは冬眠中なの? いつも全然食べないもんね。ミコちゃんが可哀想」
作った料理を残されて、ってわたしが指摘すると、アズちゃんが「んなっ」って声を詰まらせる。そのアズちゃんの反応を見て、ミコちゃんも「うう、そうなんだよ……」なんて泣き真似を始めた。
「アタシが一生懸命悩んで作っても、アズったらその日の気分で食べたり食べなかったりして……」
「お、おい、なんだよ、悪かったよ。ウチも悪いとは……」
「だから、次こそはアズが涎垂らして飛びつくようなご馳走とか、好きなものを作ってアズのお腹をパンパンにしてやろーって思うの!」
「うおい!」
落ち込んだ風だったミコちゃんの決意に、アズちゃんがずっこける。でも、ちょっぴり安心した風に見えるのは、アズちゃんが本気でミコちゃんに嫌われたくない証拠。
あれで隠してるつもりなんだから、人とか物とかは見えてるのに、自分のことが全然見えてないアズちゃんらしくて可愛いところ。
ミコちゃんもそれがわかってるから、ああやっていつもからかってる。もしかしたら、ミコちゃんにはからかってるつもりはないのかも。
「ですが、クラウさんじゃありませんが、どうしてこの量を?」
「もちろん、ミコ先生には立派な考えがあるはずっ。ですよね!」
「もちろんだとも、我が弟子よ。ふっふっふ、心して聞くがよい」
首をひねる萌ちゃんの横で、ミコちゃんに全幅の信頼を寄せるくるみちゃん。愛弟子の信頼に応えるミコちゃんは、見えない白い髭を撫でながら頷いてる。
それを見ながら、アズちゃんが「何やってんだか」なんてぼやいてるけど。
「ズバリ、これはソノを喜ばせるためのアタシの大作戦なんだよ!」
「わたしを、喜ばせるため?」
ビシッとわたしを指差して、そう言い切ったミコちゃんに目を丸くしちゃう。
誕生日のお祝いに、わたしを喜ばせたいって思ってくれるのはすごく嬉しいけど。
「その答えが、どんぶりなんですか?」
「んん~! ちょっと違うの、石動特派員! それじゃ、甘々だよ」
「甘々だよ、萌ちゃん」
「く、くるみもそっち側!?」
腕を組んだ師弟の視線に、萌ちゃんがおろおろと狼狽える。
普段、萌ちゃんは落ち着いた子なので、こういう姿を見るのは珍しい。……最近はそうでもないかも。萌ちゃんも、かなり館山ナイズドされてきてると思う。
「私も萌と同じでわかりかねるな。宮古、説明してくれ」
「よろしい! あのね、これって誕生日に限った話じゃないんだけど、アズとかクラウと比べて、ソノって喜ばせるのが難しいんだよ」
「え」
「ふむ、そうなのか?」
ちっちっちって指を振ったミコちゃん、その言葉にわたしは心臓を突かれた気分。
わたし以外の子たちは気に留めてないみたいだけど、ミコちゃんが言ったことはわたし的にはすごく、すごく大きな一言だった。
でも同時に、ミコちゃんには見抜かれるだろうなって、そんな感覚もあって。
「――――」
「ソノってほら、アタシより人生経験ホーフだし、勉強熱心じゃない? アタシ、知っての通り落ち着きないし、いっつもソノに助けられてるから」
「助け合いという意味なら、誰が欠けても成立しないと思うぞ。私にも園香にも、もちろん宮古にも役割がある。くるみと萌もそうだ。アズズにも」
「なんで最後にウチを付け足した? おい、なんで最後だ? こっちの二人より後回しになるのはおかしいだろ!」
「アズズさん、落ち着いてください。どうどう、どうどう……」
猫みたいに唸ってるアズちゃんは、同じ猫系の萌ちゃんが宥めてくれている。
その間、わたしはミコちゃんがどんなことを言うのか、ミコちゃんらしい言葉が出てくるのを黙って待ってた。
ミコちゃんはいつも通り、一生懸命、言いたいことが伝わる言葉を選ぶみたいに「そうなんだけどねー」とうんうん首をひねって、
「ほら、ソノってアタシとかアズよりも早く、ワルキューレになったでしょ?」
「そうだな。欧州で集められた私たちとほぼ同時期……軍歴で言えば、もしかすると私よりも長いかもしれないとは聞いている」
「そんなの、別にちょっと長くいるだけだよ」
「そのちょっとが大事なの! だって、ソノが頑張って空を守ってくれてなかったら、アタシたちが飛ぶ前に全部おじゃんだったかもしれないんだよ」
「それは……」
テーブルに手をついて、前のめりになったミコちゃんの言葉にわたしは目を伏せる。
日本で最初期、そのタイミングでわたしがワルキューレになったのは、色んな偶然とか思惑が重なり合った結果で、大人の人たちにはすごく迷惑をかけた。
里見さんだって一度も言わないけど、きっと負担は大きかったと思う。
きっと、わたしがもっと弱かったら、割り切ってわたしを国際平和維持機構のマスコットみたいに使えたし、その方が大人も気楽だったんじゃないかな。
でも、そうはならなくて、そのためにお姉ちゃんや神宮寺さんも大変で。
それだけじゃなくて、わたしを――。
「わたし、を……」
大切に思ってくれていた誰かも、とても辛い思いをしたんだと。
だから、ミコちゃんの考え方は、すごくミコちゃんらしいって思うのと同時に、わたしは絶対に考えないことだっただろうなって、そう思った。
「だから、アタシはソノにすっごくお礼したい気持ちがメラメラしてるの。だけど、ソノってクラウみたいにお腹いっぱい食べたら満足って感じじゃないし、アズみたいにアタシといたら幸せってだけじゃないでしょ?」
「確かに、私は満腹だと幸福感を覚えるからな」
「ウチは! 今のバカの発言に大いに異論があるぞ!!」
「だから、ソノに喜んでもらうのって難しいんだよ~。でも、アタシはアタシにできることしかできないし、だから料理! しかも、ソノの好物! 好きなものの塊!」
納得してる顔と納得してない顔に挟まれて、ミコちゃんがどんぶりを再登板させる。
わたしはというと、クーちゃん側ともアズちゃん側ともはっきり言えない、なんだか宙ぶらりんの気持ちでミコちゃんの贈り物を眺めてた。
嬉しいし、確かに好きなものばっかりだし、ミコちゃんのことだから味は保証されてるし、正直、ミコちゃんの味に舌が躾けられてる自覚もあるけど。
「わたし、アズちゃんとクーちゃんみたいに単純じゃないもん」
「ははは、言われているぞ、アズズ」
「お前も言われてるからな!? なんでウチだけみたいな顔してんだ?」
「それに、こんなの全然食べ切れないよ。残すなんて、したくないのに」
大食いの称号は断固お断りですけど、小食ってわけでもないわたしのお腹。だけど、どう頑張ってもこのどんぶりはわたしが三日ぐらいかけないと食べ切れない。
なんて、わたしの答えを聞いた途端、ミコちゃんが「だ、か、ら」ともったいぶって、
「ソノに言われなくてもわかってるってば! なので、このラグナロク丼には館山基地のワルキューレが一丸となって望む所存……ソノは好きなところ食べて、満足したら次にいっていいからね。贅沢丼だよ!」
「贅沢……それは、なんかお誕生日っぽいね」
「でしょ?」
食べたいものを一口だけ食べて、それで次にいくなんて贅沢、確かに普通の日じゃなかなか体験できないかも。
なんて、わたしがちょっと心惹かれてたら、「そうか!」って急にクーちゃんが叫んで、
「全員で一個の強大な敵に立ち向かうから、ラグナロク丼なのか……!」
「そうだよ!」
「今さら気付くとこか、そこ?」
「……ふっ、あは」
まるで天啓を受けたみたいに大げさに驚くクーちゃんに、わたしも笑っちゃう。
途端、つられてくるみちゃんたちも笑い出し、ミコちゃんは当然、太陽みたいにニッコニコの笑顔。アズちゃんが呆れた顔で、クーちゃんは不思議そうな顔。
「まぁ、園香が笑っているならいいさ。それで、ラグナロク丼だが、どう取り掛かる?」
「なんでウチの方を見る。本当の作戦ならともかく、ただの大食いにウチの意見なんているかよ。……腹の虫がうっさいな!?」
「すまない。いい加減、お預けされて長くなってきたからな」
ラグナロク丼を囲み始めて長話、せっかくの新鮮なお魚たちが乾いちゃう前に、クーちゃんの言う通りにした方がよさそう。
「ソノ、結構極端な味好きだもんね。だから、ちゃんとどんぶりの層ごとに味変できるように工夫してあるから、楽しんで食べてね!」
「お前、こういうときだけちょっと偏差値高そうな発想するよな……」
ミコちゃんのミコちゃんらしい応援を聞きながら、わたしは最初の一口を食べる。なんだかじっと見られて緊張するけど、それもお誕生日のお約束。
いつもはケーキで、今日はお刺身とかお肉なのが違うけど。
「――ん」
「どう? どうどう?」
目を輝かせて、ミコちゃんが味の感想を聞いてくる。
できれば、わたしもせっかくのミコちゃんの気遣い――それがちょっと見当違いっぽく感じるものでも、気遣ってくれたのはホントだから。
だから、その気持ちに応えるために色々と考えたんだけど。
「うん、ミコちゃんのご飯、やっぱり最高」
って、いつも通りの答えをするのが精一杯なのでした。
5
「わたし、ちゃんと勉強してたらもっといい食レポできたのかな?」
「ああ? 何言ってんだ、おソノ」
波乱の食事会が終わって、木陰で休みながらのわたしの呟き。それを聞きつけて、芝生に寝っ転がっているアズちゃんが不思議そうに唸った。
お腹いっぱいになったわたしたちは、今は食堂の外で憩いの時間の真っ最中。
くるみちゃんと萌ちゃんが片付けを買って出てくれたので、お言葉に甘えて、わたしたち四人はゆっくり過ごそうってお話になったの。
ただし――、
「クラウ! こっちこっち! パスパスパース!」
「任せろ、宮古。ずいぶんと、腹もこなれてきた」
なんて、運動場の真ん中で子どもたちと遊んでるミコちゃんとクーちゃんは、もしかしたらわたしたちと『ゆっくり』って言葉の意味が違うのかも。
わたしも、ミコちゃんが『ゆっくり』してるところなんて、それこそお風呂場ぐらいでしか見たことないけど。
「ったく、体力お化け共め。食ってすぐ動くのは消化に悪いって医学的根拠を無視する奴らだ。いったい、体の仕組みはどうなってる?」
「アズちゃんなら、もうとっくに調べ終わってるんでしょ?」
「……少なくとも、数値上のワルキューレと常人の間の差はなかったよ」
それがすごく不本意なことみたいに、アズちゃんは唇を曲げてる。
何となく、寝っ転がってるアズちゃんの頭がすぐ手元にあったから、わたしはその色素の薄い透き通った髪を撫でてみる。
細くて、ちょっと癖のある髪の毛、触ってて気持ちいい。
「……なんだ。お前も宮古の悪癖がうつったのか?」
「ふうん? しょっちゅう、ミコちゃんに頭撫でてもらってるの?」
「違うし! 朝とか、あいつに髪やってもらうことが多いから、その流れでだ!」
「はいはい、ご馳走様」
顔を赤くして言い返してくるアズちゃんは、でも、わたしにやめろって言わない。言わないから、もっと髪の毛をごちゃごちゃさせちゃう。
それも、アズちゃんは全然気にしてない顔で、
「さっきの話だが」
「さっきの?」
「食レポ云々はともかく、勉強してればって話だよ。もしお前が本気なら、ウチが勉強教えてやろうか?」
髪の毛を撫でられながら、アズちゃんがそんなことを提案してくれる。
そんな提案をされるなんて思ってなかったから、わたしはちょっと驚いた。それから、アズちゃんに勉強を教わって、賢くなる自分を思い浮かべる。
賢くて可愛い、インテリ園香さん。うん、悪くないかも。
「でも、やめとくね。アズちゃんの気持ちだけ受け取っておくから」
「あにおう? せっかく、ウチが手を差し伸べてやろうってのに、それを無下にするってのかよ。ウチみたいな大天才に教わるチャンスなんて二度とないぞ?」
「うん、わかってる。アズちゃんは大天才。……だから、そのアズちゃんの賢いところは全部、アズちゃんの考えた通りに使って。わたしに無駄遣いしちゃダメ」
「――――」
「わたしたちが、世界を滅ぼす後押しをしたなんて、言われないように」
オーディン様がいなくなって、この先、戦えるワルキューレはもう増えない。
じゃあ、世界はジリ貧になっていくのって、そう聞かれたらわたしは答えられない。そうじゃない答えをみんなが探してる中で、一番可能性が高いのはアズちゃんだと思う。
大神オーディンをやっつけた大天才、駒込・アズズにしか解けない難問。
それを解いてもらうために、わたしに躓いててもらってちゃ困るのです。
「オーディン様がいなくなって、ピラーも組織的な攻撃は今のところしてこないけど、それがどのぐらい続くのかわかんない。でも、色々考えるなら今のうちだよね」
「……まあ、な。実際、ウチも色々と考えてはいる」
「ワルキューレの加護が、ワルキューレだけのものじゃなくなるのが理想。そのために、クーちゃんとかリズベットさんとか、色んな子の体を調べてるんでしょ?」
「他人事みたいに言ってるが、お前もそれに入ってるからな。次のオルトリンデ」
「そんなの、それこそ気の早い話だってば」
わたしをネームドワルキューレの一人に、なんて打診があるのは本当。
でも、実際に任命されるのか、その場合の名前が『オルトリンデ』になるのか、それはまだちゃんとしたことはわかってない。
元々、ネームドワルキューレそれぞれの名前も、オーディン様が名付けたものだから、縁起が悪いって考える人も少なくない。
「でも、今さらクーちゃんが『シュヴェルトライテ』じゃなくなるって言われても、それはピンとこないよね」
「それはそうだな。……お前、どうせなら『ヘルムヴィーゲ』の方を継ぎたいって思うんじゃないか? ウチにはよくわからんが」
「ヘルムヴィーゲ……」
弥生お姉ちゃんの、ネームド時代の名前。
アズちゃんにしてはすごい珍しい気遣いだけど、わたしはあんまりその名前を引き継ぎたいとは思わない。そもそも、お姉ちゃんとわたしってタイプが違うし。
それに――、
「ヘルムヴィーゲは、いつまでもわたしの憧れって感じだから。それに、あんまりこんなこと言いたくないんだけど」
「――?」
「お姉ちゃんの名前を引き継いで、お姉ちゃんの大雑把なところがうつったらやだなって。それなら、オルトリンデの方がいいかな。優しくて、しっかり者の感じがする」
「そうかぁ? ウチは口うるさくて、融通の利かないお節介ってイメージだな」
「む、それはちょっと言いすぎ……」
ひらひらって手を振るアズちゃんの一言が、なんだかすごくイラっとした。
あんまり接点がなかったはずのオルトリンデ――沖田・桜さんのことで、なんでそんな風に思うのか、よくわからない。でも、ムカッとした。
「あんだよ、へそ曲げたのか?」
「うん、曲げちゃった。真っ直ぐに戻すには、アズちゃんがすごい頑張ってくれないとダメかもね。世界救ってくれなくちゃ」
「お前のへそ曲がりと世界の重さが一緒か? まぁ、ウチにかかったらそうか」
なんて強がり、当たり前みたいに言うからアズちゃんには驚きだ。
わたしのへそ曲がりなんて、アズちゃんのへその曲がり方と比べたら可愛いもの。いつもいつも、自分の両肩にかかる重さで潰れそうなくらいのくせに。
「アズちゃんもクーちゃんも、当たり前みたいにそう言えちゃうんだもん。ズルい」
「ウチがズルい? はん、そりゃ見解の相違ってもんだな」
「――? なんで?」
「クラウはともかく、ウチからすりゃ、お前と宮古の方がよっぽど怖い。お前らは、できそうもないことを他人にやれる気にさせる。厄介な性質だよ」
小さく笑って舌を出して、わたしから逆さに見えるアズちゃんが憎たらしい顔。その言葉の意味はよくわからないけど、でも、あんまり褒められてる感じじゃない。
それはわかったから、「もう」とわたしはアズちゃんの髪の毛を掻き回した。
「やめろし。ウチの脳細胞が死んだら世界の損失だ」
「そうしたら、やっぱりわたしが世界を滅ぼしたって言われちゃうかな?」
「どうだかな。そうならないようにせいぜい、ウチを大事に――」
なんて、アズちゃんが勝ち誇った顔をした瞬間、
「あいだぁ!?」
「アズちゃん!?」
いきなり、寝転がってるアズちゃんのところにサッカーボールが降ってくる。それがアズちゃんの頭を直撃、わたしは慌てて手を引いたからギリギリセーフ。
危うく、わたしも手が真っ赤になっちゃうところだった。
「アホ! ウチの頭を守れよ! クソ、いったい何が……」
「あー! アズ、ごめーん! またやっちゃったー!」
「お前なぁ!!」
おでこと鼻の頭を赤くしたアズちゃんが飛び起きて、手を振って謝ってるミコちゃんの方を睨みつける。わたしはその間に転がったボールを取ってきて、それをアズちゃんの足下にセッティング――準備OK。
「アズちゃん」
「わーってる! この、喰らいやが……れえ!?」
足下のボールを蹴っ飛ばそうとして、アズちゃんの体が勢いよく真後ろにひっくり返る。思いっきり尻餅をついて、爪先の当たったボールが見当違いの方向に転がっていくのを見ながら、わたしは倒れてるアズちゃんの傍にしゃがんだ。
それから、アズちゃんにわたしなりの最高の笑顔を向けて、
「ホント、アズちゃんって期待を裏切らないから好き」
「うるへえ!!」
そんな風に叫んだアズちゃんを心配して、ミコちゃんとクーちゃんが駆け寄ってくる足音が聞こえてくるのを、わたしはにやにやと見守っていた。
6
「おや、渡来、今年はおじさんを避けようとしないんだね」
「……あとで不意打ちされるより、わたしから奇襲した方が気持ちが楽ですから」
コンコンとノックして覗いた部屋の中、カップ麺を食べてる里見さんが笑ってる。
その里見さんの反応を見ながら、わたしは小さくため息をついて、ずんずんと里見さんの目の前まで歩いていった。
それから、里見さんにすっと手を伸ばして、
「ん」
「――? なんだい、この手。最近、めっきり頭の働きが鈍くなってきててね。言葉で言ってくれないとわからないんだけど」
「知ってるくせに。今日、わたしの誕生日です。だから、何かくれるならください」
「あらら、追いはぎみたいなこと言い出したよ、この子」
楽しそうに肩を揺らして、里見さんが少し考えてからカップ麺を渡してくる。
辛味の強いスープの匂いがつんと鼻を刺してきて、ちゃんと朝ご飯もお腹いっぱい食べたのに、ちょっぴり胃がうずうずするのを感じちゃう。
「じゃあ、一口だけ……あ、でも、これがプレゼントって言わないですよね」
「言わないけども、すぐに出せるのがそれってだけ。一口って言わず、食べたいだけ食べちゃっていいよ。残りはおにぎり入れて食べるから」
「邪道……あと、もう若くないんだからそういう食べ方よくないと思います」
里見さんの間食にちくちく言って、わたしは勝浦タンタンメンに箸を伸ばした。一瞬、里見さんの箸をそのまま使うのが引っかかったけど、別に今さら。
それよりも、辛い味を欲しがるお腹の方が最優先。
「ん、おいしい。……何かスープに混ぜてる?」
「ちょっぴり味を足してるね。里見スペシャルとでも名付けようか。そのレシピが誕生日の贈り物って言ったら怒る?」
「怒らないですけど、見損ないます」
「そっちの方が辛いね……渡来は容赦ないから」
もう二口食べて、それからカップ麺を里見さんに返却。里見さんは目減りしたカップ麺を啜りながら、「それで?」と椅子に腰掛けたまま首をひねる。
「どういう風の吹き回しだい? いつも、せっかくの誕生日でも基地中逃げ回ってるような子が。宗旨替えしたんなら、本庄を喜ばせてやったらいいのに」
「本庄さんは、一回許すとずっと付きまとってきそうだから……」
「わあ、本人には聞かせられない意見だ」
里見さんが口に手を当てて、わざとらしい態度でそんな風に言う。
里見さんと同じで、本庄さんともわたしは付き合いが長い。それこそ、わたしが最初のワルキューレになったとき、本庄さんも一緒に候補生だったから。
色々とアクシデントがあって、結局、本庄さんはワルキューレにはなれなかった。わたしも、本庄さんがいなかったら、あのときに死んじゃってたと思う。
だから、わたしにとっては本庄さんは、弥生お姉ちゃんに負けないぐらい、今のわたしがこうしていられる理由なんだけど――。
「本庄さん、手加減が苦手だから……」
「距離感を見誤って、お節介なおばさんみたいになる、か。……お節介お姉さんって言ってたことに聞き直してくれない?」
「どうしよっかなー」
「頼むよ。最近、ますます本庄たちのオペレーター陣の圧が強いんだから。これ以上肩身が狭くなると、ぺっちゃんこにされちゃう」
「この通り」なんて手を合わせて、ぺこぺこと頼み込んでくる里見さん。こんな風に、里見さんが弱り切っているのを見るのはちょっぴり気分がいい。
いつもいつも、わたしに大人目線であれこれ言ってくるからいい気味。でも、わたし以外の子たちの前では、もうちょっとしゃんとしててほしい。
そう考えると、少し本庄さんに怒られた方がいい薬なのかも。
「――――」
「あれ? なんだか剣呑な目つき……渡来? わたらーい」
「今後の、里見さんの態度次第かなって思いました」
「思ったより大ごとだ……。失言一個が高くついたなぁ、とほほ」
肩をすくめながら、里見さんがカップ麺の中におにぎりを落として、米を崩しながら食べ始める。体に悪そうな食べ方、もっと健康に気を使ってほしい。
里見さんだって、替えが利かない大事な体なんだから。
「……なんて、直接絶対言いたくない……」
言ったら言ったで、どんな顔するのか想像がつく……やっぱりつかない。どんな反応されるのか全然わからなくて怖いから、絶対に言いたくない。
そんな、よくわからない気持ちを誤魔化したくて、わたしは里見さんの前で両手を広げて立つ。そのまま、その場でくるっと回って、
「今日で十五歳になりました。どうですか」
「どうですかって言われてもね。……本音で答えた方がいい?」
「嘘ってわかってる嘘をつかれるよりは」
「なら、シンプルだよ。――感慨深い。本当にね」
重たく、なんだかしみじみと言われて、わたしはその場に俯いてしまう。
完全に、わたしの方が話題の選び方を失敗した。いっそ、里見さんの健康のことを話題にした方がずっとよかった。そうしたら、こんな恥ずかしい思い。
……恥ずかしい、のかな。自分でも、ちょっとよくわからない。
そもそも、それを言い出したら、わからないのはもっと前から。
「わたし、なんで里見さんのところにきちゃったんだろ……」
「いや、ちょっと感動で目が潤んでる大人の前でそれ言う? こっちはわざわざそれ言いに顔出してくれて、だいぶ嬉しかったんだけども」
「ええと、ご報告のまでに、その……そんな感じ、です」
言いながら、わたしは自分ですごい調子が崩れてるのに戸惑ってしまう。
里見さんの反応がすごいむず痒い。でも、だったらどんな反応が欲しかったのかって考えても、それらしい答えが浮かんでこない。
一個だけ、言えることがあるとすれば――、
「前みたいに、誕生日だからって逃げ隠れはやめようかなって……思ってる、かも」
「――――」
「里見さん?」
わたしの答えを聞いて、里見さんがちょっと目を丸くしてる。
それがどんな驚きだったのかわからなくて、わたしはちょっとおろおろしちゃった。でも、里見さんは「そうか」って優しく呟いて、
「渡来も、十五歳になったってことだね」
「……だから、ずっとそう言ってますけど」
「いや、子どもの成長は早い。大人になると伸び代がなくなるから、その可能性の大きさってものに驚かされてばっかりで……」
「また子ども扱いする! もう、里見さんなんて知りません!」
真面目なふりをして、またすぐにわたしをからかおうとする大人に舌を出す。そのままの勢いで背中を向けて、わたしはのしのしと入口の方へ。
そのわたしの背中に、里見さんが「渡来」とのんびりした声をかけてくる。
そののんびりした声も気に入らない。謝る気とか引き止める気があるんなら、もっと真剣に呼び止めてほしい。
「なんですか!」
「おっと、不機嫌そのものだ。ごめんごめん。でも、一個だけ」
不満爆発に頬を膨らませて里見さんを睨む。そのわたしの視線に、里見さんがへらへらっと笑って、指を一本だけ立てた。
そして、笑いながら続ける。
「誕生日プレゼントは、部屋に届けさせてあるよ。ただ、俺だけで選んだものじゃないから、そこだけ大目に見てくれると嬉しいんだがね」
なんて、意地悪な大人の顔で言ってくるから、わたしは何も言い返せなくて、仕方なく舌を出して、子どもみたいな抵抗をするしかできないのでした。
7
「園香、ちょうどよかった。園香宛のプレゼントが届いているぞ」
里見さんとの疲れるだけの、ホントに何の意味もないお話が終わって、わたしが部屋に戻ったら、クーちゃんがそう言って楽しそうに待っててくれた。
同じ部屋で過ごしているクーちゃんが指差したのは、部屋に置かれているそれぞれの机のわたし側のもの。そこに、ラッピングされたプレゼントの箱が置かれている。
赤いリボンにピンクの包装紙で、これでもかってぐらいのプレゼント。
「こんなプレゼントらしいプレゼント、初めて見たかも……」
「私も、これほどオーソドックスなプレゼントの箱は見たことがないな。とはいえ、贈り主の気持ちを感じる、いいラッピングだと思う」
「贈り主の気持ちって?」
「園香の誕生日を祝いたい、という気持ちだ。私や宮古たちも、それに負けてはいないと思っているが」
腕を組んで胸を張るクーちゃん、自信満々なその態度にわたしも口の端が緩む。
クーちゃんたちのお祝いの気持ち、それを疑うつもりなんてないし、それを疑ったこともない。――と、思う。少なくとも、クーちゃんがきてからはない。
最初の頃、ミコちゃんやアズちゃんと館山基地で一緒になったばっかりの頃は、わたしもすっごく態度が悪くて、今思うと大反省。
とにかく――、
「うん、ありがと、クーちゃん。わたしも、嬉しいんだけど」
「――。微妙に歯切れが悪いな。園香、思うところがあるのか?」
「思うところ……」
クーちゃんに言われて、わたしは十五歳の誕生日に対する気持ちを考える。
ワルキューレの誕生日、それがすごく重たい意味を持っていて、そのことを考えると憂鬱になるから……なんて、クーちゃんにはとても聞かせられない。
それに、そういう理由を抜きにしても、わたしもちょっぴり思うところがある。
「――――」
その思うところについて考えながら、欧州からやってきた美人さんを改めて上から下まで眺めて、わたしは自分の方を見下ろしちゃう。
クーちゃんは美人さんで、わたしも可愛い方だと思う。だけど――、
「ねえ、クーちゃんって十五歳のとき、どのぐらいの身長だった?」
「私か? 十五歳というと、三年前か。……その時点から飛行服のサイズが変わっていないから、今とそう変わらないと思うが」
「だよね。クーちゃんはそんな感じがしたもん」
何となく予想してた通りの答えが返ってきて、わたしはその場でおっきなため息。
そのわたしの反応の理由がわからなくて、クーちゃんが首を傾げてる。
「どうした? 私が何かおかしなことを言ってしまったか?」
「ううん、クーちゃんは全然悪くないの。ただ、わたしの気持ちの問題……」
「気持ちの問題、か。もしそれが話して楽になる類の悩みなら、私であれば力になるぞ」
「言っても仕方ないことだもん。わたしの愚痴を聞かせるゴミ箱にしちゃう」
「園香のゴミ箱にならなってもいい」
迷いなく言い切ってくれるから、思わずクーちゃんに胸がときめきそうになる。
すごく嬉しいけど、でも、こんな愚痴なんてホントに仕方ないことだもん。
「……わたし、十一歳でワルキューレになったでしょ? それで、色んな基地で色んな他の戦乙女の人たちと会ってるんだけど」
「ああ、そのようだ。園香の経験豊富な戦歴には、私も勉強させられる」
「ありがと。でも、そうやって色んなワルキューレと会ってると、思うの」
「思う。何をだ?」
「……みんな、すっごくプロポーションがいいなぁって」
じっと、クーちゃんを眺めてわたしはそう言っちゃう。それを聞いて、クーちゃんが目を丸くして、「プロポーション?」なんてこぼした。
モデルみたいに長い手足と、雪みたいに白い肌をした天然の美人さんが!
「わたしも、自分に言い聞かせてたんだよ。大きくなったら、わたちももっと背が伸びてお姉さんになるんだって。そのための努力も、いっぱいしたの」
「そのための努力、背を大きくする? 具体的には?」
「教わった体操と、牛乳いっぱい飲んだの! あんまり牛乳好きじゃなかったのに、毎日毎日頑張ってたくさん……!」
でも、わたしの頑張りはちっとも実らなくて、ホントにしょんぼり。
昔習った成長する運動――胸の前で両手を合わせて、ぐーってする運動は今でも続けてるけど、もう習慣になってるだけで、あんまり効果は期待してない。
だって、十一歳の頃からわたしの身長、三センチぐらいしか変わってないから。
「毎日努力を続けて結果が出ない、か。それは辛いな」
「うん……」
「身長は両親の遺伝の影響も大きいらしい。園香の両親の背丈は?」
「よくわかんないの。わたし、本当のお父さんとお母さん、あんまり知らないから」
親身になってくれるクーちゃんを煙に巻くみたいだけど、ホントの話。
わたしを育ててくれたお父さんとお母さんは、本当のお父さんとお母さんじゃない。本当のお母さんの弟が、わたしの今のお父さんなんだって。
だから――、
「わたしが何を親からもらって生まれてきたのか、わからないの」
もちろん、お父さんとお母さんのことは大好きだし、本当の親だと思ってる。
でも、お父さんもお母さんも、本当の両親との繋がりは捨てなくていいって、そんな風に言ってくれたり、考えてくれる人たち。
それはすごく幸せなことで、同時にすごく息苦しいことだった。
「わたし、自分が本当はどこにいたらいいのか、わからない子だった」
本当はもっと、わたしが大きくなってから話すつもりだったみたい。だけど、たまたまアルバムを見てて、本当のお母さんを見つけたわたしにお父さんたちは打ち明けた。
それで、わたしは自分が余所者だって知って、それで――。
「――オーディン様が」
わたしを見つけて、ワルキューレになるようにって誘ってくれて。
ワルキューレとしての資質、それがあったから、こうやってわたしは過ごせてる。そのことがあるから、あのとき、わたしを見つけてくれたから。
だからわたし、まだオーディン様をちゃんと嫌いになれないのかな。
「――――」
自分の背が伸びないことと、それが不満だったはずなのに、いつの間にか気持ちは全然違う方に傾いて、わたしは自分の足下がふらふらする気分になる。
クーちゃんだって、こんなとりとめのない話を聞いても困っちゃうだけなのに。
それどころか、せっかくお祝いの気分で色々話してくれてたのに、変な気持ちにさせちゃって――、
「なるほど、そういうことか。――さすが、宮古だ」
なのに、いきなりクーちゃんが笑ってそんなこと言い出すから、わたしは不意打ちされたみたいな気持ちで、「え?」って顔を上げるしかなくて。
なんで、わたしを責めたり、わからないって顔をするんじゃなくて、クーちゃんは笑ったのか。しかも、ミコちゃんを褒めながら。
「今日のラグナロク丼だが、ようやく宮古の本当の狙いがわかった。私も、ずいぶんと考えが甘い。表層に騙されるところだ」
「だ、騙されるって、あのどんぶりが? そんなの、全然今の話と関係ない……」
「関係ないことはないだろう。どちらも、園香の誕生日に関わることだ。それに、私の頭の中では驚くほどしっかり二つは結び付いた」
唇を緩めてクーちゃんが凛々しく笑う。でも、わたしは全然ピンとこない。
いつも通り、天然さんのクーちゃんにしかわからないロジックで、思いもよらない大ボケをするだけなんじゃないかって、そう思って。
だけど、そんな風に思うわたしに、クーちゃんは「いいか」って笑って、
「宮古はラグナロク丼は園香の好物の塊だと言った。私は、それが園香の好きな料理を集めたものだと思っていたが……」
「そうじゃ、ないの?」
「本命は別だ。――園香は、みんなと一緒に何かするのが好きだろう」
「え……?」
「もっと言えば、私たちと一緒に何かをするのを好いてくれている。違うか?」
「それは、違わない、けど……」
それって、みんなのことが大好きって言ってるみたいで、頷くのも照れ臭い。
そりゃ、クーちゃんのことも、ミコちゃんとアズちゃん、くるみちゃんや萌ちゃんのことはすごく大事だし、本庄さんと和浦さん、御厨さんのことも。班長さんだって、基地のみんなだって、里見さん……も、入れてあげるけど、大切。
だけど――、
「そんなの、別にわたしに限った話じゃないよ」
「そうかもしれないな。だが、ラグナロク丼はどうだ。もしも、私の誕生日にあれが出されたなら、私は一人で完食していただろう。アズズなら、一口二口食べて諦め、あとはみんなで分けることになっていた」
「……全然、反対意見はないけど」
わたしの頭の二つや三つ、クーちゃんならペロッと食べちゃうだろうし、アズちゃんは食べる前に見ただけでグロッキーになるのが目に浮かぶ。
「だが、それだと今日のラグナロク……皆で一丸となって、一つの丼ものを食べ尽くすという絵にはならなかった。あれは、園香の誕生日でだけ作り上げられる光景だ」
「……でも、それをミコちゃんが考えたって言うの? わたし、ミコちゃんに自分の身の上話、したことないよ?」
「具体的な話は知らないだろうさ。だが、宮古というだけで説得力がある。違うか?」
「う……」
クーちゃんの自信満々な顔に、わたしは何にも言い返せない。
ミコちゃんこと六車・宮古の終身名誉会長はアズちゃんだけど、クーちゃんも、それにわたしもすっかりミコちゃんの眩さの信徒なのだ。
ミコちゃんなら、何を見抜いても不思議じゃないって、そう思わされる。
そんなの、ミコちゃん以外には重すぎる期待だってわかってるのに、ミコちゃんなら背負い切ってくれるって、勝手に思っててすごくひどい。
だけどこういうとき、その期待と信頼が、わたしたちを強く結び付けるから。
「……じゃあ、ミコちゃんはあのどんぶり、わたしがみんなとキャッキャウフフしたらいいと思って作ったってこと?」
「そのキャッキャウフフというのはよくわからないが、そうだと思う。でなきゃ、宮古の思いつきにしても、ラグナロク丼は唐突過ぎただろう」
「――――」
「好きなもの全部載せだが、真意は別のところにある。――これは、次の宮古の誕生日にはしっかり仕返しをしなくてはだ」
「――。気が早いよ」
でも、そうやって未来の話をされて、わたしは悪い気がしなかった。
さっきまでの、得体の知れない、ふわふわした感覚もどこへやら。行き場も居場所も定まらないはずだった渡り鳥の渡来・園香さんは、いつの間にかちゃんと自分のいるべき場所を見つけていたのでした……って、ことなのかも。
「……なのにわたし、もしかして一人でいきってたかも……」
「園香? どうした? 腹痛か?」
「痛いのはお腹じゃなくて、胸かな。背は全然大きくならなかったくせに、ふわふわおっきくなってったこの胸……」
身長が伸び悩んだ分、わかりやすく成長した部分に思い入れはとてもある。
でも、それにも限度があるので、そろそろ成長が止まってほしい。運動と牛乳が働いてほしいところに働かなくて、この世の理不尽を感じちゃう。
「落ち着いたか? 落ち着いたなら、そろそろ……」
「プレゼントだよね。中身、お菓子とかだったらみんなで分けようね」
「それをせがむわけじゃないが、そうだとしたら楽しみだな」
クーちゃんがにっこり笑って言ってくれるから、わたしもそうならいいって思う。
贈り主は里見さんってわかってるので、あとは里見さんのセンス次第。ちゃんと、わたしとクーちゃんが同室って考慮してくれたら外さないと思うけど。
なんて、そんな気持ちで、これ以上ないぐらいプレゼントプレゼントしているプレゼントの、その包装紙をゆっくりと破いて――、
「――ぁ」
その箱の中身を見て、わたしは動けなくなってしまった。
だから、隣から箱の中を覗き込んだクーちゃんが、わたしを驚かせたものの正体を口にしてくれる。それは――、
「これは、カメラ……か?」
箱の中に入ってたのは、一個のデジタルカメラだった。
ちゃんと持ち運ぶためのカメラケースも一緒に置いてあって、準備万端――っていうよりも、カメラ自体が新品じゃない雰囲気で。
ただ、すごくすごく、大事に使われていたものなのはわかって。
「これって、どこかで……」
見覚えがある、気がする。
思い出の中のどこかで、このカメラを向けられて、写真を撮られた気がする。でも、わたしの思い出の中、カメラを構える人と言えばお姉ちゃんの副官で、わたしにもすごくよくしてくれた神宮寺さんぐらいで。
その神宮寺さんが使ってたカメラは、デジタルじゃないアナログのカメラだったから、それでもない。なのに、なんでか懐かしくて。
「園香、手紙も同封されている。内容は……自分で見るべきだ」
カメラから目を離せないわたしの代わりに、箱の底にあった手紙をクーちゃんが見つけてくれる。その手紙をクーちゃんから手渡されて、おずおずと封を開いたわたしは、そこで踊っている字を見て、また驚かされた。
だって、それはわたしもよく知っている字。大雑把で落ち着きがなかったくせに、字はとんでもなく綺麗だった、大切な人――。
『十五歳の誕生日おめでとう、園香。あたしみたいにいい女になりな!』
「弥生お姉ちゃん……」
こんな手紙、いつから用意してたの?
祝ってくれるのは、十五歳の誕生日だけ? もっと先の、十六歳の、十七歳の、その先の誕生日は? こんな手紙で、いつまでわたしを見守ってくれるの?
「……里見さんの、バカ」
自分で選んだわけじゃないって、里見さんはそう言ってた。
自分だけで選んだ贈り物じゃないから、それは勘弁してほしいなんて。そんなの、絶対許さない。こんな悪巧み、大人なんて最低、ズルいズルいズルい。
「いっつも、わたしばっかり子ども扱いして……」
そんな風に呟きながら、ゆっくりとわたしの手はデジカメに伸びていた。その、軽くて重いカメラを持ち上げて、ずっしりとした感触を確かめる。
カメラの重みはきっと、元の持ち主が大切にしていた分。その人のことを、思い出せそうで思い出せないのがもどかしいけど、でも、わかることもある。
きっと、このカメラのファインダー越しに、その人は大切なものと触れ合っていた。
このカメラを、里見さんとお姉ちゃんがわたしに贈った理由はわからない。聞いても答えてくれる確証もない。でも――、
「クーちゃん、写真撮らせてもらってもいい?」
「私は一向に構わないが……園香は、カメラの扱いが得意なのか?」
「ううん、全然。神宮寺さんに教えてって言ったけど、あーしが撮るのが一番ッスからって、ちっとも教えてくれなかったんだもん」
神宮寺・晃さん、きっと優しい人だったから、あの言い分にも理由がある。もしかしたらそれも、カメラのレンズで世界を覗いていたら見えるのかな。
ずっしりと重たいカメラに、たくさんの思い出を詰め込んだら、それを構えるわたしの方もちょっとはたくましくなったりするのかな。
そうしたら、お姉ちゃんのメッセージにあるみたいな、いい女に近付ける?
身長も低くて、料理も得意じゃないダメダメな子だけど、それでも。
「はい、チーズ――」
不器用にピースするクーちゃんの写真が、わたしとカメラの最初の一歩。
それはスイートピーの花言葉と同じ、門出に相応しい一枚。ぎこちないクーちゃんの笑顔と、あんまりうまくないわたしのカメラ。
――十五歳の渡来・園香の一日は、思い出を積み上げるところから始まったのでした。
《了》
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