誕生日小話『駒込・アズズ』




     1



 ――冬が嫌いだ。苦手じゃなく、嫌い。


 それがウチの……世紀の大天才、駒込・アズズの偽らざる本音ってやつだった。


「――――」


 じっと、ベッドの中で丸まりながらうつらうつらとした思考を遊ばせる。

 この『冬』って季節は本当に性質が悪い。暖房を付けてても、寒さは閉じた窓も閉め切ったカーテンも貫通して、暖かいはずの空気を無視しながら肌に刺さってくる。


 もちろん、寝てる間は人間の体温が下がるのは常識だろう。

 日中と違って、寝ている人間は活動する必要がない。だから代謝を抑えて、余計なエネルギーを使用しないようにしてるってのが原因だ。

 人間に限らず、生き物の体の仕組みってやつは合理的にできていて、どれもこれも神様が作った見えない歯車が行き届いた設計になってる。けど、もしもウチが創造主を気取ってる神様と代われるんなら、真っ先にやっただろうな。

 寝てる間の代謝を抑えながら、体の隅々まで熱を残すための仕組みの開発を!


「ぬぐぐぐ……っ」


 奥歯を噛みしめて、喉を震わせながら懸命にウチは寒さと戦う。

 馬鹿馬鹿しいと思う奴もいるかもしれないが、ウチにとっては死活問題だ。そもそも、寒さってやつは手足はかじかむは、内臓機能の働きは鈍らせるは、ウチの最も優れたスペックを誇る思考の巡りも妨げるはと、いいところが一個もない。

 それなのに、この『冬』ってやつは毎年毎年、呼びもしないのに平然とした面してウチの心身も、世界中も接見する。――その厚顔無恥、ピラーにそっくりだ。


 ウチたち人類の天敵として、突如現れた異邦からの侵略者『ピラー』。

 それが味方ヅラして人類の傍にいた大神オーディンの差し金だったと判明したのと、そのオーディンを富士の山で粉砕してからしばらく――敵の勢力は消えてなくならない。

 首魁がいなくなっても戦いが続くなんて、戦争の終え方をわかってない奴らだ。

 そもそも、戦争なんて始めた時点で頭が悪いの一言だが。


「ああ、クソ……イライラする……」


 益体のない思考に頭を巡らせていると気付いて、自分で自分に腹が立つ。

 言うまでもないことだが、ウチの虹色の脳細胞はそこらの連中とは価値が違う。できる仕事の量も質も、その差は歴然だ。なら、性能に見合った働きをしなきゃならん。

 だっていうのに、延々とウチの脳細胞は寒さで震えながら無駄な思考を――、


「――やっほー! アズ、おはよーっ!!」


 次の瞬間、勢いよく部屋の扉が開けられ、勢いしかない声が響き渡った。

 ベッドの中、ウチの体がその前兆のない声に弾かれ、ビクッと爆ぜる。と、薄暗い部屋の中でそれを見たのか、入ってきた奴が「んふ」と笑うのが聞こえた。


 クソ、何を楽しそうにしてやがる。

 ウチをビビらせといて、さっきの衝撃でどれだけ脳細胞が死滅したと思ってんだ。

 まぁ、余計なことを考えて、ウチをイライラさせる役割しか果たしてなかった細胞群だったのは事実だが。

 ともあれ――、


「はいはい、カーテン開けちゃうね。窓も開けて換気したいけど、それやったらアズがベッドから出てこれなくなっちゃうから後回し!」


「――――」


「そうそう、朝練でクラウと話してたんだけど、今日ってすっごい空気が澄んでるよ! 空とかキンキンに冷えてて、もしかしたら雪降るかも!」


「――――」


「雪が降ったらソノは嫌がるだろうけど、みんなで雪掻きしなくちゃだよね~。あ! 綺麗な雪が集まったらカマクラ作ろ、カマクラ! クラウの故郷って雪がたっくさん降る場所だったから、雪掻きのノウハウは任せろだって! かっくいいよね!」


「――――」


「あれ? ねえ、アズ、聞いてる? まだ寝ちゃってる?」


 そう言って、返事もないのにぺちゃくちゃと喋ってた声が首を傾げる。

 当然、シーツを頭まで被ったウチから相手の顔は見えない。その仕草も。けど、こいつがどんな顔で、どんな仕草で動いたのかぐらいは見なくてもわかった。

 もうすっかり、瞼の裏に焼き付くぐらい見慣れた顔で、動き。……腐れ縁だ。


「ねえねえ、アズ、アズってば~、返事してよ~」


「~~っ! 聞いてる! うるさい! どんだけ喋んだ、お前は!」


「あ、やっぱり起きてた。ごめんごめん、おはよ!」


 ゆさゆさと肩を揺すられて、ウチは怨念のこもった目で相手を睨んだ。

 途端、悪気も謝罪の念も全く感じられないふやけた面で、頭の後ろに括った長い黒髪を揺らしたそいつ――六車・宮古がでかい声の挨拶をぶつけてきた。

 正直、寝起きに宮古のでかい声を聞くのは、ウチの貴重な脳の健やかな生活を守る上でちっともよくない。むしろ、悪影響だ。

 だけど――、


「……ああ、起きた。目ぇ覚めたぞ」


「もう、アズ! おはようって言われたらおはようって返す! 挨拶は人間関係の基本! でしょ?」


「人間関係の基本だぁ? そんなもん、ウチとお前の付き合いで今さら……」


「ダーメ! 武道の世界も同じ! どんな達人でも、基本は疎かにしないの。だからアタシもアズの達人だけど、基本は疎かにしません!」


「だ、誰が誰の達人だし! 変なこと言うなし!」


 思わずシーツをはねのけて、意味不明なことを言い出す宮古に噛みつく。が、宮古は起き上がったウチを見ると、ますますふやけた顔で笑って、


「今度こそ、ちゃんと起きたでしょ? おはよう、アズ」


「~~っ」


「アズ?」


 まんまと、このバカの策略に嵌められたとわかって、ウチは奥歯を噛みしめた。

 だが、そうするウチの顔を覗き込んで、宮古は続く言葉を待っている。このままじりじりと負けを認めず、意地を張り続けることもできた。

 できたが、やる意味はない。


「……ちっ、おはよう」


「もう! 舌打ちは余計だってば!」


「わかった! わかったよ! おはようだ! これでいいんだろ!」


「ん、上出来上出来~」


 偉い偉い、とでもいうように宮古の手に頭を撫でられる。ウチの細い癖毛を宮古の白い指が梳くのを感じながら、煩わしいと頭を振ってそれを回避。

 それから、ウチはゆっくりと足をベッドから下ろして立ち上がろうと――、


「それと、アズ」


「あんだよ」


「――お誕生日、おめでとう」


「――――」


 不機嫌に振り返ると、へらっと笑った宮古の顔と視線がぶつかった。

 ふやけた顔はさっき以上で、何がそんなに嬉しいのかと問い詰めてやりたくなる。もっとも、問い詰めたらウチが息苦しくなる答えが返ってくるのは想像がついた。

 想像がついたから、ウチは言わない。言ってやるもんか。

 ただ、宮古から投げかけられた祝いの言葉に、顔を背けて答えてやるだけだ。


「ああ、ウチの誕生日か。忘れてた」


 ってな。



     2



 ――ウチは冬が嫌いだ。当然、自分の誕生日がある十二月も嫌いだ。


「そう言えば、アズズの名前の由来はなんなんだ?」


「んあ? 由来?」


「ああ、そうだ。なかなか珍しい名前と感じるからな」


 食堂での朝食の最中、口の端にクリームを付けたクラウの奴が頷く。

 いつも通り、凛々しいと言えなくもない顔つきだが、こいつの場合は真面目な性分が顔に現れてるだけで、頭の中身は宮古とどっこいなのがウチの認識だ。

 その証拠に、口に付いてるクリームだけで十分以上に印象を損なっている。クリームの原因は、クラウの手元でものすごい勢いで山を崩されていくケーキだ。

 それは元々、ウチの誕生日のために用意されたケーキだったんだが――、


「ただでさえ、朝は抜くのが定番なのに、ケーキなんて食えるか」


「私も、食後の甘いものはあまり……その点、クラウディアさんは健啖ですよね」


「む、そうだろうか。アズズのためのケーキだとわかっているから、私なりに控えめにしているつもりなんだが……」


 ケーキの上のイチゴを頬張りながら、クラウは説得力のないことを言っている。その様子にため息をつくウチに同調したのは、基地の新人の石動だ。

 まぁ、基地にきたのが夏で、もう冬も本番ってところなわけだから、いつまでも新人扱いするのも違うかもしれないが、すっかりルーキーって考えで定着してる。

 それは石動だけじゃなく、いつも一緒にいる鈴原の奴もおんなじだ。


「その鈴原も、今は宮古とおソノと一緒に厨房か」


「最近はもっぱら、くるみは料理を学ぶのが楽しいらしくて。……おやつ作りの腕が上がっているのは喜ばしいんですが」


 苦笑気味に言葉を濁した石動は、どうやら相方のスイーツ攻めで苦しんでいるらしい。

 せっかく作ってもらったものを無下にもできない。こいつの悩みはそんなとこだろう。微笑ましいというか、些細な悩みってやつだ。


「控えろって言えないんなら、笑って食べて、朝でも夜でも走ってこい」


「やっぱり、それしか解決策はありませんよね。クラウディアさんは、そんなにたくさん食べてらしてどうしているんですか?」


「私か? 食事をして、どうしていると聞かれても答えに困るが……」


「文脈を読めよ、文脈を。どうしたら、そんだけ食って太らないのかって聞かれてんだ」


 ちょうど、膨大な量の朝食を平らげて、挙句にケーキまでペロッと一息に食い切ったのがクラウの戦果だ。これが今回に限らず、毎食のことなんだから、周りの奴らがその質量がどこに消えるのか不思議がるのも当然だろう。

 当然、ウチも同じ着眼点を持ったことはある。ただし、少し離れたところで聞き耳を立ててるオペレーター陣と違って、ウチのは学術的か科学的な興味だ。


 なんせ、クラウは大神オーディンに見初められた本物のワルキューレ。

 世界に九人しかいないネームドってだけじゃなく、真の意味での戦乙女ってことになる。となれば、体の造りやエネルギー効率も常人と違うのかもと思ったんだが――、


「生憎と、特別なことは何もしていない。アズズの話では、体の造りも普通の人と変わらないらしいぞ。少しだけ、力持ちなぐらいのものだろう」


「それは、本当なんですか、アズズさん」


「恨めしい目でウチを見るなよ……」


 信じられない顔の石動には悪いが、クラウの体に常人と比較して特別な部分がないのは事実だ。一応、それなりの研究機関で調べてみたが、何にもない。

 腹具合は単に燃費が悪いのと胃の拡張性の問題だし、クラウ自身が語った「少しだけ力持ち」なんてところも、人間のレベルを逸脱したもんでもなかった。


 そもそも、ワルキューレになった時点でウチたち戦乙女は、普通の人間にはできないことが多少なりできるようになる。

 英霊機の操縦がその最たるもので、ウチはともかく、他のワルキューレは戦闘機の飛ばし方なんてろくに学んじゃいないのに飛ばせて戦わせられる。

 それだけで、十分以上にウチたちには異常な変化が起きてるのがわかるだろう。

 それも――、


「オーディンの奴がいなくなっても、加護は残ったままだしな」


「加護……もしや、クラウディアさんの食事量もその影響……!」


「残念だが、私は子どもの頃からよく食べた」


 がっくりと、肩を落として石動が項垂れる。

 クラウの心無い一言の方もあれだが、こいつの反応もなかなかあれだ。少なくとも、ここに異動したての頃は、もっと堅い印象を受けてたもんだが。


「お前、ずいぶんと館山に馴染んだ……いや、毒されたな」


「それは……ええと、喜んでいいことなのかどうか」


「――? 喜んでいいことに決まっている。毒された、というのはいささか言葉選びが悪く聞こえるが、以前より今の萌の方が私も付き合いやすいしな」


「では、喜ぶこととしますね」


 何ともお堅い感じの答えだが、クラウはそれで満足らしい。

 石動の相方の鈴原の方は、宮古とおソノにだいぶ懐いてる……いや、別にあの二人に限った話じゃなく、館山に馴染むのが早かったっていうべきだろう。

 ウチやクラウとも積極的に、言い換えたら馴れ馴れしく近付いてくる感じだ。それと比べると、石動の方の変化は緩やかって言い方が適切だろう。


「それでアズズ、名前の由来は?」


「あ? あ~、その話題、まだ引っ張んのか」


「引っ張るも何も、答えてもらっていないからな。もちろん、答えづらいことなら秘密にしてもらっても構わない。それで祝う気持ちが減るわけではないからな」


「……祝いのケーキは消滅したみたいだけどな」


 クラウ用に取り分けられたケーキは、どうやら完全に存在を消滅したらしい。

 さすが、ネームドワルキューレたる『シュヴェルトライテ』様は、ピラーだけでなく、ケーキの掃討戦もお得意ってわけだ。

 たぶん、言っても通じない皮肉だから口に出して言わないが。


「それにしても、ウチの名前の由来ね……」


「誕生日ともなると、自分のルーツについて考えることもあるだろう。名前というものは自分という個と結び付く、特に印象深いものだ。私は子どもを持ったことはないが、もしも子に名前を付けるなら、色々な意味を込めると考える」


「珍しくまともなこと言いやがって……お前の、クラウディアって名前はシンプルに女性名だし、女としての幸せを掴んでほしいみたいな意味か?」


「もしそうだとしたら、英霊機に乗り、ピラーと戦っている私のことを、父や母がどう思ってくれているか、想像するのが少し怖いな」


 唇を緩めて、クラウは静かな、だが譲れない覚悟を宿した瞳でいる。

 その澄んだ空色の瞳を見てると、ほっぺたに付いてるクリームの存在を忘れそうだ。いや、ものすごい堂々と付いてるから忘れようがないんだが。


「萌の名前はどうだ? 由来は両親から聞いたことがあるか?」


「私の名前、ですか? そうですね……『萌』は新たな種子の萌芽や芽吹くことを意味しますから、生命力の表れではないかと」


「そうしたことを考えるご両親だったのか?」


「どうでしょうか。ただ幸い、両親の願いが通じたのか、昔から体は丈夫なんです。滅多なことでは風邪もひいた覚えもありません」


 ぐっと胸を張り、石動が名前に相応しい生命力の豊かさを態度で示す。

 それを見ながら、ウチは何とも居心地の悪い思いを味わう。

 クラウの名前にせよ、石動の名前にせよ、大した意味が込められてるもんだ。一方で、ウチの名前ときたら――、


「ウチも、お前らの名前みたいに願いだのなんだのが込められてりゃよかったんだがな」


「うん? その言い方だと、意味がないみたいに聞こえるが……」


「ああ、そうだよ。意味なんてない。うちの親も、語感だけで付けたんじゃないか? わりとぽやぽやと、浮雲みたいな両親だからな」


 思いがけず、頭の悪い表現になって頬がひくつくが、事実、ウチの両親は何とも掴みどころがないふわふわとした人間性の持ち主だ。

 知っての通り、ウチはせかせかとせっかちな人間なもんだから、親とは生活の歩調が合わない。物心ついた頃からずっと、だ。


「その、聞きづらいんですが……」


「あんだよ」


「いえ、その……アズズさんは、ご両親とは仲がよろしくないんですか?」


 聞きづらいと前置きしつつも、聞きづらいことをズバッと聞いてくる奴だ。

 ウチが目を細めたのを見て、石動が微かに口の端を強張らせる。が、それでも目をそらないあたり、相手の事情に踏み込む程度の覚悟はあったらしい。

 宮古の奴ならこのぐらい、何にも考えずにずけずけと入ってくるもんだが。


「別に、仲が悪いわけじゃない。ただ、歩調が合わなくて、一緒にいると疲れることが多いってだけだ。第一、ウチと歩調の合う奴なんてそうそういないぞ」


「ああ、アズズはすぐに息が切れるからな。たまに振り向くと、よく膝に手をついて休憩していて……」


「歩調ってのは比喩的な話で、本当の歩調の話じゃないんだよ!」


 大体、軍隊暮らしの長いクラウとおソノの歩く調子は異常なんだ。背も高いクラウはまだしも、おソノが歩くのが速いのはちっとも納得がいかん。

 体力お化けの宮古もそのあたりを苦にしたことがないらしく、ウチが一人で割を食ってる形だった。おまけに――、


「お前と鈴原も、新人のくせにちゃんと体力がありやがる」


「私は元々、陸上をやっていたので……くるみも、最初はひどかったですよ。でも、足手まといにはなりたくないって、率先して鍛え始めて……」


「へえ」


「最初はくるみのこと、あまりよく思っていませんでした。適性があるとはいえ、即戦力が求められる戦況で頼りないにも限度がありましたから。ただ、訓練課程でペアを組むことになって、それから……」


「うお、長くなりそうな話が始まった」


 外見からはわからないが、石動の奴が鈴原のことを話し始めると長引く。

 いつも一緒にいるこいつらの関係は、ウチが傍目から見ててもべったりだった。まぁ、その関係が結ばれるまでにも色々と物語はあるんだろうが。


「生憎と、ウチにもやることがあるんでな。その話が長引くんなら、続きはクラウにでも聞かせてやれ。どうせ暇だろ?」


「私か? 出動の待機中だから、腹ごなしに訓練をしているつもりだったが……」


「お前の訓練、腹ごなしって密度じゃないんだよな……」


 少なくとも、ウチがクラウの腹ごなしとやらと同じ運動量を負荷としてかけたら、手足が二日は役立たずになること請け合いだ。

 ただ、そんな地獄の訓練の話が、先のやり取りを重ねた石動には響いたらしい。

 石動はふやけた顔を引き締めて立ち上がると、


「クラウディアさん、ご一緒させていただいていいですか?」


「ああ、私は構わない。では、昼までは萌と一緒に過ごすとしよう」


「はい! あ、ちなみにアズズさんは……」


「言ったろ。ウチはやることがある。あと、ウチは食っても太らない体質だ」


「さ、詐欺では……」


 別に騙しちゃいないんだから、詐欺って表現は間違ってるだろ。

 それを言い出すと意地悪が過ぎるから、ウチも何にも言わんが。


「そうだ、アズズ」


 話は終わったと、ワルキューレの専用席から立ち上がる。と、ウチを見上げながら、クラウが最後に声をかけてきた。

 振り向くと、クラウは幸せそうに――何がそんなに幸せなんだか、微笑みながら、


「改めて、誕生日おめでとう。アズズと会えて、私は幸せだ」


 そう、凛々しい顔のほっぺたにクリームを付けたまま、祝いの言葉を言ったのだった。



     3



「アズちゃんって、わたしと一緒で誕生日好きじゃないよね」


「――――」


 M.C.72のコクピットで作業してると、頭のつむじに声が突き刺さる。

 なんで頭頂部に声が刺さったのかといえば、ウチがコクピットの底部に頭を突っ込んでたのと、相手がそれを上から覗き込んでたのが原因だ。


 集中してたとはいえ、相手の接近に気付かなかったのにちょっと驚く。が、どうせこいつのことだ。抜き足差し足で、ウチに気付かれないようにしてたに決まってる。

 案外、そういう子どもっぽいところがあるのだ。おソノ――渡来・園香には。


「ねえ、アズちゃん、聞いてる?」


「お前な……作業中にいきなり声かけんな。驚いて頭ぶつけたり、どっかに指挟んだりしたらどうする。ウチの頭脳もだが、指も世界の財産だぞ」


「アズちゃんの自己肯定感の高さ、わたしも見習いたいな」


「嘘つけ」


 ニコニコと笑っているおソノに舌打ちして、ウチもコクピットから頭を抜く。

 ちょうどM.C.72――おソノの英霊機の整備中に声をかけてきたのは、偶然ってわけでもないんだろう。臆病なおソノらしい気遣いってわけだ。

 しかし、誕生日の話題から入ってこられるのもうんざりな気分だった。


「どいつもこいつも、誕生日って枕詞付けたら許されると思いやがって……」


「ふふ、そんなこと言わないの。今日はアズちゃんが主役の日なんだから、みんなから声をかけられるのはワルキューレのお仕事……特権でしょ?」


「明らかに言い直す前の方が本音のやつやめろ」


 強烈にシニカルな物言いは、軍隊暮らしの長いおソノの吐く毒の一部だ。

 その年齢こそ、石動や鈴原と変わらないおソノだが、その軍歴はクラウの奴と並んで長く、幼い分だけ軍の規律が血の中に色濃く流れている。

 もちろん、ワルキューレに対する人類の接し方は、ほとんど全人類が同時に学び、今も習熟している真っ最中だが、当事者の受け取り方は様々だ。


 ウチは、ワルキューレがある種のアイドル的に扱われることに異論はない。

 神様の計らいとやらで侵略者と戦えるようになった人類だが、戦乙女には『うら若い乙女しかなれない』なんてトチ狂った制限があった。

 それが多くの職業軍人、あるいは大人たちにどんな苦しみを与えたか、ウチの虹色の脳細胞を働かせるまでもなく明らかだ。


 戦わせたくない。だが、戦わせなくてはならない。


 そんな不条理に板挟みになった結果、大人たちは罪を背負うことを決断した。罪を背負い、次世代に禍根を残さないよう、現在の悪行の執行書にサインしたのだ。

 だが、罪を背負うと決めた連中にも、建前や言い訳、大義名分は必要だった。

 だから多くの連中は、ワルキューレをアイドルとして崇め、敬い、守り抜かなくてはならないと、そう強く自認して戦場へ飛び立つ。


 ――渡来・園香は、そんな大人たちの決意と覚悟を間近で見てきた一人だ。


 求められていることや、望まれていることへの対応が異様にうまい。

 ウチは、それが悪いことだとは思わない。途方もない世の中で、おソノなりにうまくやっていく術だ。ただ時たま、こんな風に発散したくなるんだろう。


「ミコちゃんとかクーちゃんの前で、こんな話、できないもん。……したくないし」


「だからって、ウチを捌け口にしていいわけじゃないかんな。そもそも、今日はウチの誕生日だぞ。せめて盛り上がる話をしろよ」


「そんなの、ちっとも望んでないくせに」


「――――」


 唇を曲げて、ウチは何にも言わずにおソノの顔を睨みつける。

 おソノは小さく笑って、「ごめんね」と子どもっぽく舌を出した。


「ちゃんと、前を向いてるつもりなの。ぐっと顔を上げて、お姉ちゃんが守ってくれたみたいに、みんなで守った空の下で歩いてる……つもり」


「けど、時々やり切れなくなるって?」


「特に、誰かの誕生日はそう。自分のだと、もう最悪」


 へらっと笑いながら、おソノが口にしたのはヘビーな感情だ。

 ただ、冗談めかしたおソノの言葉にウチも思い当たる節がないわけじゃない。


 おソノの言う通り、ウチは自分の誕生日をすんなりと祝う気持ちにはなれない。

 基地を挙げてワルキューレの誕生日を祝う風習は、言い換えれば『誕生日を迎えられないワルキューレ』の存在がどれだけいるかの表れだ。


 ウチは、天才だ。大天才で、大神オーディンをこの手で祓った戦乙女。

 おソノも、日本で最初のワルキューレとなった一人で、富士ピラー攻略戦ではS級ネームドのスヴァルトワルキューレを二機撃墜したトップエース。


 それらの肩書きも、死者となった誰かを救えなかった事実には敵わない。

 自分の誕生日を迎えるたびに、おソノは責められてる気分になるんだろう。もしくは、自分で自分を責めてしまうかのどっちかだ。


 それは冷めてるんじゃなく、放熱していくような在り方だ。

 今朝の益体のない思考じゃないが、寝ている体の体温が下がっていくのは、活動しない肉体が代謝を抑え、手足の熱を放熱するのが原因だ。

 立ち止まる時間が長いと、おソノの中の使命感や存在意義も、放熱するのだろうか。


「だから、アズちゃんの答えにちょっと期待してたの」


「ウチの、答え?」


「そう。――富士のプライマリー・ピラーがなくなって、ようやくわたしたちが大きな前進をしたって言えると思う。そしたら、誕生日の感じ方も変わるかなって」


 そう言ってから、おソノが上目遣いに「どう?」と尋ねてくる。

 おソノの誕生日は春だ。だから、どう足掻いてもウチの方が早く誕生日が回ってくる。それを狙ってたんだとしたら、本当にしたたかな奴だ。


「お前の性格がひねくれてるの、別に軍隊暮らしのせいじゃないと思うぞ」


「あ、ひどーい。そんな言い方、ミコちゃんにイジメられたって言いつけちゃうよ?」


「はん、言いたきゃ言えよ。あのバカなら、どっちの言い分も聞きにくるぞ。そのとき、ウチはこの話をあいつにするからな」


「できるの? アズちゃんがミコちゃんに?」


「うぐ……けど、それはお前もおんなじだろ」


 お互い、格納庫でこんな話をしてるとこなんて宮古には聞かせたくない。

 宮古だけじゃなく、クラウもそうだ。石動と鈴原、館山基地のお気楽な連中にも。

 もっとも――、


「里見司令はこのぐらい、見抜いてると思うけどな」


「む……里見さんのことは、今は話してないでしょ」


「なんだ。司令の名前出した途端に不機嫌になりやがって」


 昼行燈そのものの司令の名前が効果的で、おソノはすぐに頬を膨らませた。

 それこそ、ワルキューレになってからずっと付き合いのあるおソノと司令。ある意味、死んだ天塚と並んで、おソノにとっての弁慶の脛ってやつだ。

 その証拠に、おソノは不機嫌そうに顔を背けると、


「それにわたし、里見さんがそんなにちゃんとしてるって思ってないもん」


「どうだかな。ウチも普段の司令は大して当てにしちゃいないが、夏の作戦前後でずいぶんと見直した。ウチじゃあるまいし、あんまり大人を馬鹿にするなよ」


「そうやって、自分だけ特別扱い?」


「実際、ウチは特別だ。可愛くて、賢い」


 そこは憚る理由もなく、堂々と主張できるウチの特別性だ。

 おソノもそこには言い返す手段がないらしく、悔しげに赤い顔で唸るだけ。ウチに口喧嘩を挑もうなんて、百年早いって話だった。


「ま、ウチは話のわかる年上だから、引き分けってことにしといてやるよ」


「……それ、ミコちゃんにはお互いに内緒にしようってこと?」


「いちいち聞かせたい話でもないだろ、こんなネガティブな話」


 それも誕生日にしたい話じゃないことぐらい、ウチでも想像がつく。

 そんなウチの結論に、おソノはそれでも納得がいかない顔で唇を尖らせている。だもんで、ウチはおソノの白い額にデコピンを打ち込んだ。

「きゃんっ」と悲鳴を上げて、額を押さえたおソノが後ろに下がる。


「はっはっは、いい気味だ。……いい気味なんだが、ウチも痛い! なんだこれ!?」


「あ、アズちゃんってデコピンも下手っぴなんだ……。でも、なんでデコピン?」


「お、お前のしけた面を是正してやろうとしたんだよ……」


 なのに、思わぬ反作用がウチの指を襲った。

 指先と爪の強度の問題か、それとも他に原因があったのかは試行回数が必要だが、ウチは何度もこんな痛い思いをするつもりはない。


「クソ、とんだ目に遭った……」


「文句言いたいのはわたしの方なのに……はぁ、なんだか疲れちゃった」


 そう言いながら、おソノが踏み台なしにM.C.72から飛び降りる。高いってほどでもないが、低いってほどの高さでもない。

 少なくとも、ウチなら膝をやりかねない高さなのは事実だ。それを、おソノは楽々と着地して、後ろ手に手を組みながら振り返った。

 おソノの三つ編みにした長い髪が揺れて、ふわりと広がるスカートが印象に残る。その印象を残したまま、おソノは「べ」と舌を出した。


「アズちゃんの意地悪。もう仲間にしてあげない」


「何の仲間だよ……あと、思ったよりも胸が痛むからやめれ」


 大した話でもないだろうが、数から外されると凹むのが事実。

 これも、宮古やらクラウやらには聞かせられないが。

 ともあれ――、


「おソノ」


「なあに? 言っておくけど、渡来・園香法廷では満場一致でアズちゃんの意地悪裁判は有罪判決が……」


「――今年の誕生日、そう悪いもんでもない」


「――――」


 ウチの答えを聞いて、目を丸くしたおソノの動きが止まった。

 そんなおソノの反応に頬を歪めて、ウチは精一杯、おソノが言う通りの『意地悪』なウチを演出してやりながら、


「あとは、お前からも祝いの言葉が聞きたいとこなんだがな?」


「~~っ!」


 よっぽど、そのウチの言葉が急所に入ったのか、おソノの顔が湯沸かし器みたいに沸騰した。そのまま、おソノは赤い顔でウチを睨みつける。

 S級ネームド二機を撃墜したエースオブエース、その風格が全くどこにもない、年齢相応のガキっぽい目つきのまま――、


「アズちゃんの裏切り者っ、お誕生日おめでとっ!」


「はっはっは」


 それだけ言い切って、おソノはのしのしと足音を立てて格納庫を出ていく。

 その背中を見送りながら、ウチは口先だけでなく、本当に祝いの言葉をすんなりと受け取れている自分に気付いて、不思議な気分だった。


 裏切り者と、そう罵られたのもいい気分だ。

 せいぜい、来年の春におんなじ立場になるだろうおソノを、裏切り者の先輩として歓迎してやろうなんて、そんな計画がむくむくと首をもたげてくるぐらいには。



     4



「ねえねえ、アズ、今日一緒に寝ていい?」


 一日中、基地のあちこちで祝いの言葉をかけられ続けた最後、目覚めて最初の「おめでとう」を言ってきた宮古が、ウチにそんなことを言った。

 自室の机に向かって、ここのところの研究成果をレポートにまとめていたウチは、宮古のその申し出に「またか」と肩を落とす。


 いちいち他人とくっつきたがる宮古だが、これで意外と一緒に寝ようなんて申し出をしてくることは稀だ。

 もちろん、人間それぞれに異なる生活リズムがあることも、国際平和維持機構なんて大仰なウチたちの所属組織にも規律があることを宮古も理解している。

 どんなに平和に過ごしているような時間帯でも、ウチたちワルキューレは常に『出動待機状態』で、ピラーの出現を報せるギャラルホルンが鳴り響いたら、どんな状況だろうと出動しなくちゃならないとわかっているのだ。

 ただし――、


「お前、ウチの誕生日になると甘えてくるのなんでなんだ? ウチの常識だと、誕生日ってのは普通、祝われる当事者がワガママを言う日のはずだろ?」


「もちろん! アズが言いたいワガママがあるんなら、アタシ、何でも聞くよ!」


「とりあえず、声のボリューム落とせ。夜だから」


「オッケー! ……オッケー」


 一度、でかい声で反応してから、改めて小声でバカは返答し直した。

 そこには一応の成長を感じたので、ウチもいちいち何かを言おうとは思わない。


「それでそれで? アズ、アタシにしてほしいこととかある?」


「……そう言われても思いつかん。特別、してほしいことなんて」


「え~、ホントに? アタシ、ワガママ言っていい日だったら、アズにしてほしいこといっぱいあるのに!」


「……例えばなんだよ」


「まず、一緒に寝てほしい!」


 もう、直前のやり取りを忘れて声がでかくなってたが、言い始めると一晩の間に百回は同じ注意をさせられそうなので、そこは棚上げしておく。

 しかし、その直球さには呆れてものが言えない。


「まずってなんだ、まずって。一緒に寝て何する気だ」


「え? アズの腕とか抱いて寝るかな? アズ、体温低めだけど、アタシは体温高い方だから、きっと朝もぽかぽか起きられるよ」


「お前は起きる時間が早すぎて、布団剥がれて寒い思いするのが目に浮かぶんだよ!」


「じゃあ、アタシもアズと一緒にお寝坊するから!」


 ウチの徹底抗戦に、宮古がぐいっと顔を近付けて反論してくる。すぐ間近に迫ってくる黒い瞳にのけ反りつつ、ウチは綺麗に切り揃えられた前髪の向こう、白い額に指を伸ばそうとして、おソノへの一撃を思い出して引っ込めた。

 同じ轍を踏むところだった。そんなの、天才のやることじゃない。


「アズ?」


「あ~、とにかく! なんで、そんなにウチと一緒に寝たがる!」


「一緒に寝るのはおまけ! そうじゃなくて、アズと一緒にいたいんだってば」


「ぬがっ」


 いったい何を言い出しやがると、ウチはその場に硬直する。が、動きの止まったウチをお構いなしに、宮古の奴は落ち着きなく部屋の中で手足を動かして、


「今日が終わるまで、アズと一緒にいたいの。で、今日って一日が終わる最後の瞬間、もう一回、アズにおめでとうって、アタシ言うから!」


「……そんなの、何の意味があるんだよ」


「だって、誕生日に一番最初にアズにおめでとうって言うのは、アズのお父さんとお母さんの特権だもん。でしょ?」


「――――」


 首を傾げた宮古の言葉に、ウチは図星を突かれて黙り込んだ。

 少なくとも、ウチが目覚めてから最初にウチの誕生日を祝ったのは宮古だ。けど、このバカの言う通り、厳密に『誕生日を最初に祝った』のが誰かと言われたら、それは宮古じゃなく、昨日の夜、日付が変わった頃に連絡してきた両親だった。


 ウチの両親は日本にいないから、でかい時差のある場所からの連絡だ。

 それでも、親バカな気質がある親は、ウチの誕生日を祝いそびれたことがない。世界中あちこち飛び回っているが、どこにいようと必ず日付が変わった直後に連絡してくる。

 だから、それをいちいち待つのもウチにとっての恒例行事だ。


 朝、石動に親との関係が悪いのかと聞かれたが、これで十分だろう。

 歩調が合わなくても、一緒に暮らしていなくても、ウチは親を嫌っていない。まぁ、親の愛情はちゃんと感じている。

 そうでなきゃ、世界で一番最初に「誕生日おめでとうが言いたい」なんて親のワガママに、この歳になっても付き合ってたりはしない。

 ただ、それを親の愛情と認めると――、


「――――」


「うん? なに、アズ」


「いや……」


 世界で最初に祝いの言葉を言いたい親の愛情を認めると、世界で誕生日の最後の瞬間に祝いの言葉を言いたい宮古の、その親愛も認めることになる。

 それはなんだか、何故だか、ひどく胸がざわつくのだ。


「お前、ウチのこと好きすぎるだろ……」


「ええ~、今さら何言ってんの。アタシ、アズのこと愛してるってば。じゃなきゃ、アズと『死が二人を分かつまで』なんて言わないって」


「――ぁ」


 あっけらかんと、宮古が口にしたのはかつての約束だ。

 まだ、ウチも宮古もワルキューレになってない、英霊機ももらってない頃の、圧倒的に形勢不利な状況で迎えた初陣の、約束。

 でも――、


「ちょっと違うよね。だって、アタシがアズと指切りしたのは、アズが死んじゃうときは一緒に死んであげるだもん。だから……死が二人を分かつってやつでも、アタシとアズを別々にするなんてできないんだよ」


「……いつから、国語が得意になったんだよ」


「え、そう? じゃあ、アタシもちょっとは成長してるのかも。料理の腕はますます上がったって、最近のクラウのお腹に評判なんだけどさ」


「へへ~」と鼻の下を指でこすっている宮古の様子に毒気を抜かれる。

 どうせ、ウチが何を言ったところで宮古の意思は曲げられない。こいつがどれだけ頑固なのかは、富士攻略でも館山奪還でも――それこそ、出会った頃から知ってることだ。

 腐れ縁ってのは、そういうもんのことだろう。


「……わかった。ウチの根負けだ」


「コンマケ……?」


「お前と一緒に寝てやるって言ってるんだよ! ……なんだ、この変な気分!」


 ピンとこない顔で首を傾げられて、自分でも恥ずいことを言ってしまった。

 それからすぐ、宮古は目を輝かせて、「やったー!」と両手を上げて大喜びだ。安上がりといえば安上がりだが、ウチの羞恥心は据え置きだった。


「ったく、今日は祝われ疲れしてるから、早く寝るつもりだったってのに……」


「祝われ疲れって、変な言葉だね。でも、みんなからおめでとうって言われて、アズも嬉しかったでしょ? 誕生日って、みんな幸せでいいよね」


「――――」


 欠片も疑いのない言い切りに、ウチは宮古の考え方が羨ましくなる。が、すぐにその羨望を切り替えた。人類みんなが宮古みたいになったら平和かもしれないが、進歩のない人類は石器時代に逆戻りだ。

 もっとも、その時代でも宮古なら幸せを見つけ出すんだろうが――。


「アズ? どうかした?」


「何でもない。ウチはちょっと電話してくるから、ベッドの準備しとけ」


「リョーカイ!」


 ワルキューレ式の敬礼をする宮古に見送られて、ウチは部屋を出た。

 それから宿舎の外、何となく裏庭に出向くと、ケータイ電話を起動する。普段、あまり使わないから仕舞いっ放しになっているが、誕生日は不用意に出番が多い。

 いくつも、これまで色んなところで関わった連中からの祝いのメッセージ――研究機関や兵器開発関係の奴らからの連絡が多い。それらに目を通しながら、ウチは望みの番号を電話帳から引っ張り出し、電話をかけた。


 コールはそう長くかからない。というか、ワンコールだった。


『もしもし、アズズ?』


「ん、ウチだよ、母さん」


『ふふ、お電話ありがとう。それと、誕生日おめでとう。――こっちでも、ちょうどあなたの誕生日になったところよ。時間ぴったりね?』


「時計なんて、合わせておけば誰でも読める」


 と、自分で言ってて可愛くない返事だと自分で反省する始末だ。

 電話口の向こう、はるかに離れた土地と繋がったのはウチの両親――昨夜、日付が変わってすぐに連絡があり、祝いの言葉を言われた。

 そして、今度は両親のいる場所がウチの誕生日を迎えたとき、ウチから連絡する。それがウチたちの、駒込家の誕生日の祝い方だった。

 回りくどいルールだが、まぁ、年に一度くらい悪くはない。


『アズズ、父さんだよ。元気にしてるかい?』


「元気も何も、ほんの二十三時間前に話したばっかだろ」


『二十三時間で、アズズがビックリするぐらい変化したかもしれないじゃないか』


「ウチの親なら、そんな非科学的なこと言うなし」


 トンビが鷹を生むなんて言葉があるが、ウチと両親の関係はまさにそんな感じだ。

 もちろん、仕事のできる人間だからこそ、この世界的な情勢でもあちこちを飛び回るなんて機会に恵まれているのはわかる。幼い頃、体の弱かったウチが死なずに済んだのも、そうして世界中にツテのある両親のおかげで名医にかかれたのも理由だ。


 それでも、日常ではぽわぽわと浮雲のような両親とは歩調が合わない。

 今は意識的に、こうして年に一度の儀式だからと調子を合わせられてるだけで。


 誕生日の電話で、両親はウチにワルキューレとしての軍務については聞かない。

 日頃のことはメールで報告してることもあるが、誕生日にはそういうの一切抜きで、ただ親子の会話を楽しみたいっていうところなんだろう。

 ウチも、それには賛成だ。ただでさえ、軍の関係者にしか祝われてない。

 宮古やおソノ、クラウたちを軍の関係者とひとくくりにするのは、なんだかウチの中でもしっくりとこないところなんだが。

 ともあれ――、


「そうだ、母さん。ウチの名前の由来って、聞いたことあったか?」


 ふと、話の隙間に忍ばせたのは、朝のクラウと石動との会話で浮上した疑問だ。

『クラウディア』と『萌』、それぞれ名前に意味があるなら、ウチの名前にも何らかの意味があるのか。ウチは正直、ただ語感で選んだ可能性が高いと踏んでるんだが。


『名前の由来? 変なこと聞くのね。お誕生日だから?』


「……ま、そんなとこだ。他の連中に聞かれたんだよ。で、何かあるのか?」


『ええ、もちろん』


「あったのか!?」


 思いがけない返事があって、見えてないのに前のめりになってしまった。

 ただ、全てを知り尽くしたと思っていた駒込・アズズ様に、まさか自分のことで知らないことがあるなんてのは驚きの事実だ。


「じゃあ、ウチの名前の由来って? 書き損じとかじゃなく……」


『なんて可能性を考えてるの。もう、困った子ねえ』


「母さん!」


『はいはい。あなたの名前の由来は、アズライトよ』


「アズライト? あの、石ころの?」


『アズズ……あなたも女の子なんだから、宝石を石ころなんていうのやめなさい』


 予想外といえば予想外の回答、おまけに母さんにお説教されるオマケつきだ。

 ただ、アズライトと言われて、ピンとはこない。


 アズライトってのは鉱石の一種で、青さと脆さで岩絵なんかに使われていたって代物だ。こういっちゃなんだが、宝石やら鉱石やらの中で知名度が高い方でもない。

 わざわざ子どもの名前に付けるにしては、半端な石ころだ。


「もっとダイアモンドとかサファイアとか、エメラルドって石もあったろ」


『だったら、駒込・モンドとか、駒込・サファファって名前がよかったの?』


「それはトリミングする箇所をちゃんと選べよ……」


 母さんが挙げられる候補がそのレベルなら、アズズって名前で大正解だ。

 別に、自分の名前が嫌いなわけじゃない。オンリーワンな感じがあって、気に入ってるっちゃ気に入ってる。


『その石の名前にあやかったのは、これが父さんと母さんの思い出の石だからなんだ』


 そのやり取りを聞いて、父さんが母さんと電話を代わったらしい。

 ただ、アズライト絡みの思い出なんて、それも聞いたことがない。


「ウチ、そんな話聞いたことないぞ」


『話したことなかったからね。もちろん、知りたいなら話すけど……長くなるぞう?』


「……ウチ、部屋で人待たせてるから今度でいいか?」


 本気で長くなる話の雰囲気に、ウチは話をぶった切ることにした。途端、電話の向こうで落胆した父さんのため息が聞こえたが、ウチは聞く耳を持たない。

 誕生日に人に気遣ってばっかりなんて、間違ってるだろ、実際。


『やれやれ、仕方ない。じゃあ、今度日本に戻ったときに話すとするよ』


「ああ、そうしてくれ……って、戻ってくるのか!?」


『ええ、そうよ。長居はできないけど、ちゃんと会いにいくから』


 父さんと母さんから代わる代わる言われて、ウチは押し黙った。

 直接、両親と会うのは二年ぶりになる。それこそ、ウチがワルキューレになって、軍属ってことになってからは会う機会も作れなかった。――いいや、作らなかった。

 足踏みしてる暇はないって言い訳が、ウチにそうさせた。

 けど――、


「待ってる」


 その一言を伝えられるくらいには、ウチも前に進めたとは思えていた。



     5



 両親との電話が終わって部屋に戻ると、ベッドメイキングは完璧だった。

 心持ち、狭っ苦しい基地のベッドが広くなったようにすら感じられて、ウチは自分の目の錯覚を疑う始末だ。


「ど、どういう原理だ?」


「ふっふっふー、これがアタシの本気だよ、アズ! ベッドメイキング次第で、これぐらい広く見せることも可能ってわけ」


「とんだ技術の無駄遣いだな……」


「まぁ、アタシはアズと引っ付いて寝るつもりだから、広く見せても何の意味もないんだけどね。えへへ」


 頭のリボンを解いた宮古が、その長い黒髪を背中に流しながら照れ笑いする。

 何となく、音を立てて唾を呑み込んでしまった。変な音がした。


「それで、アズの用事は済んだ? お父さんたち、喜んでたでしょ」


「ああ、そうだ……待て、なんで知ってる?」


「――? だってアズ、毎年やってるじゃん。お父さんとお母さんに、自分からも誕生日になりましたーって報告でしょ? 毎年時間は違うけど、それってお父さんたちがいる国がいつも違うからだよね」


 本当に、見てないようでよく見てるのがこのバカだ。

 そのバカに気付かれないで隠せてると思ってたウチが、もっとバカに思えてくる。


「もしかして、一緒に寝たいなんて言い出したのも、ウチがいつ親に連絡するかわからなくて、最後のチャンスが取れないと思ったからか?」


「それもある! でも、アズを愛してるってのが一番だよ」


「~~っ、簡単に言うなし!」


「え~、難しく言えってこと? アイラブユー?」


「そういう意味じゃないし!」


 馬鹿馬鹿しくて付き合い切れないと、ウチは宮古の顔から目を逸らした。

 それから目を逸らしたまま、


「あ~、宮古、さっきの電話なんだが」


「うんうん、なんかあったの?」


「そのうち、ウチの両親が日本に帰ってくるらしい。で、ウチに会いにくるって言ってるんだが……」


「え! アズのお父さんとお母さん!? 会いたい会いたい!」


 言い切る前から前のめりにこられて、ウチの言うことがなくなるところだった。

 だが、その勢いに負けじと顔を向け直して、宮古の顔を正面から見る。


 親が館山基地に顔を出すんなら、宮古とおソノ、クラウに石動と鈴原と、世話になってるって言ってもいい基地の連中とも会わせてやろう。

 で、そのあとの長話に他の連中を付き合わせるのは気が咎める。

 そう、これはウチの気遣いだ。気遣いなのだ。

 だから――、


「――ウチの親から、ウチの名前の由来が聞けそうなんだよ」


「アズの名前の由来?」


「おお、そうだ。まぁ、大した話じゃないだろうが、長話になりそうでな。だから、他の奴らを付き合わせるのもなんだし……」


 そこで言葉を切って、ウチはしばらく考え込んだ。

 でも、今日はウチの誕生日だ。だったら誕生日らしく、ワガママを言っていいだろう。

 そう、いつもならしない気分で割り切って、言った。


「一緒に、アズズって名前の意味、聞いてくれないか?」


 別に誕生日じゃなくったって、目を輝かせたバカの――宮古の答えは決まっていた。

 だから、ここから先のことは、ウチが語るまでもない、誕生日のウチだけのものだ。


 ただ、強いて言うんなら――、


 ――ウチは冬は嫌いだったが、今はそうでもないってことぐらいだな。


                                  《了》

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