誕生日小話『クラウディア・ブラフォード』
1
早朝、基地に施設されている道場へ通い、汗を流すのが日課となっていた。
「――――」
袴に着替え、愛用の刀を振るい、板張りの床を踏みしめ、体を動かす。
もう十年来続けている習慣ではあったが、やはり道場で袴姿となると気分が違う。土や人工芝の運動場で素振りするのとは雲泥の差、というものだった。
「アタシも! おんなじこと思う。道場って不思議な気持ちがするよね。こう……神様が見守ってくれてるみたいな感じ?」
「神が見守ってくれている、か。それは現在の人類の状況を考えると、案外、的を外した考えとも思えないな」
「だよねー。もしかして、オー神様とは別にアタシたちを見てくれてる神様!?」
そう表情豊かに笑いながら、手元のバケツに宮古が雑巾を絞っている。
私と同じで、道場着姿の宮古も早朝の鍛錬の常連だ。むしろ、私よりも前からこの道場を使っている彼女は、先達や先任という方が適切だろう。
元々、館山基地の先任だったのが宮古やアズズ、園香たちだ。
「となれば、ここは道場でも先任という言葉を使うのが正しいように思えるな」
「――? クラウ、なんか言った?」
「いや、大したことじゃない。六車・宮古翼士殿」
「うえー、急にどうしたの? クラウってば変なのー」
ワルキューレ式の敬礼――片目をつむったものを見せると、宮古は素直に破顔した。
そんな宮古の笑い声を聞きながら、私も唇を緩め、床を拭いていた雑巾をバケツに浸した。じわりと汚れた水が広がり、染み込んだ汗と汚れが落ちていく。
まるで――、
「雑巾掛けって、ちょっとピラー退治に似てる気しない?」
「――――」
「あ、変なこと言っちゃった?」
汚れたバケツの水を眺める私にそう言って、宮古が小さく首を傾げる。私が驚いたように眉を上げたからだろう。
だが、私が驚いた理由は宮古が思ったものと違う理由だ。
「驚いたのは、宮古に私の心が読まれたのかと思ったからだ。今、全く同じことを考えていたから」
「ホント? じゃあ、アタシもクラウ検定一級が近付いてきたってことかも」
「クラウ検定……それは、私に対する資格か? 一級を取得するとどうなる?」
「そりゃもう、クラウと仲良くなれた証に、クラウと手を繋いだり、ご飯食べたり、一緒に朝練したり色々特典があるんだよ!」
「どれも、現時点ですでにしていた覚えがあるが……」
「だから、実は今まで無許可でやってたの。アタシ、モグリってやつだったんだよ」
内密な話をする要領で、宮古が私の耳元にそう囁く。
思わず笑ってしまいそうな内容だったが、一度止まった。良くも悪くも、私はワルキューレであり、ネームドの一人であるシュヴェルトライテだ。
もしかすると私の知らないところで、そうした掟が広まっていても不思議はないと、真剣に考慮してしまう。私も、軍の全てを知り得るわけではない。
――オーディンが人類を謀っていたと知れた今では、特に。
「あれ? もしかしてクラウ、本気にしちゃった?」
「――。冗談、だったのか?」
「ええー、そりゃそうだよー! クラウと仲良くするのに資格なんていらないってば! それがもしホントだったら、アタシ、檻に入れられちゃう!」
「大丈夫だ。きっとアズズや里見司令がいい弁護士を付けてくれる」
「そもそも逮捕しないでってば!」
「冗談だ」
私なりの冗談を聞いて、目を丸くした宮古が笑いながら雑巾掛けを再開する。その宮古の笑い声を追いかけるように、私も雑巾掛けを再開した。
私と宮古の足が板張りの床を叩く音と、道場の窓が外からの風に揺れる微かな音、静かなわけではない静謐とした空気、一種の聖域のような感覚。
すっかりと馴染んだ、私の日常。――だが、今朝は少しだけ空気が違う。
「あ! そう言えば、クラウに言わなきゃいけないことがあったんだった!」
「私に? 何か申し送りが必要なことでも?」
「ううん、そうじゃなくて、今日はちょっと朝ご飯、遅れて食べにきてもらっていい?」
「朝食を、遅れて……!?」
「クラウ!? そんなにショックだった!?」
「冗談だ」
少し過剰な反応を見せると、驚いた宮古が唇を尖らせる。
しまった。冗談を重ねすぎて、宮古のお怒りを買ってしまった。宮古はこの基地の食堂を牛耳っているので、怒らせると本当に朝食を抜かれてしまいかねない。
「すまなかった。謝罪する、宮古」
「ん、よろしい。次はアタシのご機嫌を損ねないよう、こびりへつらいたまえー」
「媚びへつらう、だろうか。こびりつくのは汚れだろう。……それにしても、さっきの話はどういうことなんだ? 朝食に遅れてというのは」
「えっとね、ほんの十分! いつもより遅れてくれたらいいから、ね?」
「――わかった」
詳しい理由の説明なしに、強引に押し切ろうとする宮古に負ける。
宮古はとても頑固だ。一度こうと決めたら、声の大きなアズズでも押し切れない。頑固さではきっと園香ともいい勝負だろう。
負かせないと私は白旗を掲げ、宮古の考えに乗ることにした。
「宮古はやることがあるんだろう? 片付けと施錠は私がしておくから、先に戻るといい」
「ホント? ごめんね、クラウ! 甘えちゃう!」
「ああ、検定一級を取得してくれないと、宮古と大手を振るって親しくできないからな」
「あはははは! クラウ、愛してるー!」
バケツを預かった私に笑い、宮古が大きく手を振って走っていく。
宮古のくくった黒髪が元気に揺れるのを眺めながら、私も小さく噴き出し、
「私もだ」
と、届かない背中に、わかってくれているだろう返事をしたのだった。
2
引き受けた道場の片付けを済ませ、シャワーを浴びてから一度自室に戻る。
宮古の話では十分ほど遅れてほしいとのことだったので、どこかに寄り道をしたり、何か所用を済ませるほどの時間はない。
「む、園香を巻き添えにしようと思ったのだが……」
部屋に戻ってみれば、同室を使っている園香の姿は見当たらなかった。
実は私と同じぐらい軍歴の長い園香は、その可愛らしい見た目と裏腹に軍人らしい気質が身についていて、早寝早起きが基本となっている。
実家が厳しかったと話してくれた宮古や、そもそも朝が不得意なアズズと違い、軍人としての生活が体を作り変えた証といったところか。
ともあれ――、
「園香がいないなら、日誌でも見直しておくとするか」
十分ほどの空き時間ではできることも少ない。
寝具は起きたときに畳んでしまってあるので、私は机に向かうと日誌を広げる。
館山基地に赴任した直後、宮古から付けるように提案された日誌――否、交換日誌はその名の通り、私だけではなく、他のワルキューレにも共有されている。
内容に目を通すと、それぞれの個性が現れていてなかなか興味深い。
「こうして比べると、みんなの字の違いも楽しめるな」
習い事に熱心だったらしい宮古の字は、とても綺麗で読みやすい。一方でアズズの字は丸っこく、ふわふわと掴みどころがない猫のようなものだ。園香は漢字の跳ね方や払い方が特徴的で、こう言ってはなんだが大層たくましい。
もしやこれも、軍人生活が園香を作り変えた証なのだろうか。
「……みんなと見比べると、私の字も文章も面白みがないかもしれない」
じっと日誌を見返して、私はそんな自分への失望を覚えてしまう。
最近、とみに思うのが自分自身の至らなさだ。元来、私はワルキューレとしては非凡な力量を備えていると自負していても、それ以外の欠点がとても多い。
人よりもすぐにお腹が空くところなど、欠点の一つと言える。
アズズなんて、私の燃費の悪さにはワルキューレとしての資質が関係しているのではないか、なんて疑いを持って調べてくれたほどだ。
その結果、私はただお腹が減りやすい体質というだけだったのだが。
「おっと、もうこんな時間か」
日誌を眺めていただけなのに、思った以上に時間を潰せてしまった。
宮古に要求された待機時間をクリアして、私は日誌を閉じると、それを大切に机のファイル置き場に並べ、自室を出る。
園香が戻らなかったのを見ると、おそらく基地の裏にある花壇に水をやり、そのまま朝食に向かったのだろう。アズズに声をかける必要があるか迷ったが――、
「アズズのことは宮古に任せよう。アズズに小言を言われたくないしな」
下手に私が起こしにいって、アズズの機嫌を損ねたくない。私が起こしにいくならそう言っておかないと、アズズも無防備な姿を無闇に晒したくないはずだ。
もっとも、アズズはたまに寝間着姿で宿舎をうろついていることがあるので、その気位の高さもあまり効果を発揮していない疑惑があったが。
「――――」
自室を出て、その足で食堂へと向かう。
基地の中は嫌に静かで、誰の姿も目につかないのがやけに新鮮だ。一人で、こうやって館山基地の中を歩いていること自体、珍しいことかもしれない。
「以前は、こうして一人でいるのが当たり前だったのに」
私もすっかりと、人恋しい戦乙女になったものだと自嘲してしまう。
欧州にいた頃、リズベットやレイリーといった顔馴染みのいない基地では、誰も私に寄り付こうとしなかった。私も、誰かと親しくなろうと思わなかった。
『死神』と、自他共にそう呼ばれることを受け入れてしまっていたからだ。
そんな不貞腐れた心境も、この南国リゾート系基地の温もりがすっかり焼き尽くしてしまってくれたのだが。
と、そんな感傷に浸っている間に、私の足は歩き慣れた道を通って食堂へ辿り着いていた。――なんだか、それだと無意識に食堂に通い慣れているような内容だ。
食堂に限らず、館山基地はすでにどこも私にとって見慣れ、通い慣れた場所であると説明したかったんだが、語弊が生じてしまった気がする。
ともかく――、
「宮古には遅れてこいと言われているが……」
その真意はどこにあるのか、それを確かめようと食堂の入り口を開けて――、
「――クラウ、誕生日おっめでとうーー!!」
そう、扉を開けた途端に大きな声と破裂音に迎えられ、私は目を見開いていた。
正面、満面の笑みを浮かべた宮古がいて、その両脇には呆れ顔のアズズと悪戯っぽく微笑んでいる園香、三人の背後にはくるみや萌、大勢の基地の関係者の顔。
勢揃いの歓迎に、私は「ああ」と息を吐いた。
「そうか、今日は……」
自分の誕生日だったと、頭に乗っかった紙テープを取りながら、私は事実を噛みしめた。
3
オーディンの手でワルキューレが生み出され、五年の月日が経過した。
その風習自体はいつ生まれたのかわからないが、おそらく、『戦乙女』という存在が軍内で周知されてからは、とても自然な成り行きで始まったのだと思う。
――ワルキューレの誕生日は、基地を挙げて盛大に祝うという催しだ。
人類史において、ワルキューレが現れたのは前述通り五年前――その短い期間でも、ワルキューレには二度の世代交代が存在している。
第一世代であるファースト・ワルキューレ、それはオーディンに選ばれた最初の戦乙女一人しかおらず、第二世代のセカンド・ワルキューレは元々軍属だった女性たちの中から選抜された。
クラウたちを始めとした第三世代、サード・ワルキューレからは志願制となり、軍属ではない民間人の中から素質あるものが選ばれ、戦乙女の役目を受け入れた形だ。
ただ志願とはいえ、うら若い少女たちを過酷な戦いへ引きずり出すことへの罪悪感は、軍関係者はもちろん、多くの大人たちにとっても忸怩たる思いを味わわせた。
それ故に広まった風習が、ワルキューレの誕生日を盛大に祝うという行事だ。
ただでさえ、命懸けの空へ上がることを求められる少女たち。
そんなワルキューレたちが歳を重ねたことと、世界を守るために戦う少女たちが存在してくれていることに感謝する。――そんな風習。
欧州やアフリカ圏、世界中のどこだろうと、この風習だけは変わらない。
それこそ、一人きりで過ごしていたと思っていた欧州での生活でも、誕生日だけはちゃんと祝われたものだった。
「……しかし、それもみんな義務感でやってくれているものと思っていた。だから、素直に受け止め、喜ぶことができないんでいたんだ」
「――――」
「む、どうしたんだ、みんな。そんな気まずそうな顔をして……」
「お前が! リアクションの取りづらい反応するからだろうが! もっと馬鹿みたいに喜ぶとか、ガキみたいに泣き喚くとかわかりやすい反応しろし!」
お誕生日席というものに座らされ、頭に円錐型をしたパーティー帽を被らされた私に、赤い顔をしたアズズがものすごい剣幕で詰め寄ってくる。
そうして顔を近付けられ、間近でアズズの顔を見て思わされた。
「アズズは睫毛が長いな。顔を近付けられると私の顔に当たりそうだ」
「今、ウチがそんな話してたか!? ウチのこの怒りようを見て言うのがそれかよ! ウチが美少女なことくらい、ウチが一番よく知ってる!」
「アズちゃん、アズちゃん、また話が逸れてるから」
「ええい、調子が狂う!」
赤い顔のまま、アズズがその場で地団太を踏み始める。そのアズズの方を宥めるように叩きながら、眉尻を下げて私を見るのは園香だ。
園香は足下に落ちている紙テープ――私へのサプライズのため、一斉に破裂させられたクラッカーから飛び出したものを足でよけながら、
「でも、クーちゃんってばさすがだよね。わたし、驚かないかもって思ってたの」
「驚かなかったわけじゃないぞ。すっかり、誕生日のことも忘れていたし……」
「クーちゃんらしいね。毎年のことだし、わたしはバレバレのサプライズにどうやって驚いたふりをしてあげるか、いっつも頭悩ませてるのに」
「それも園香らしい答えに聞こえるな」
薄く微笑んだ園香の様子に、私も頬を緩めてそう返事する。
色々としたたかな園香ならではの悩みだ。きっと、それはそれは周りのみんなが満足ゆくぐらい、騙され切った演技をしてくれるに違いない。
「とーにーかーく! サプライズは半分成功で半分失敗! でも、アタシたちのお祝いの気持ちは本物でしょ? なので、ケーキの登場です!」
そんな場の空気を打ち壊すみたいに、アズズの脇から宮古がひょいと顔を出す。驚くアズズが「わひゃっ」と悲鳴を上げるが、宮古はそんなアズズの体を軽々と抱き上げ、私の前の道を広げさせた。
そして、わざわざ作ってくれた道を、ゆっくりと押されてくるのが――、
「――これは、手作りのケーキか?」
「はい、そうなんですよ」
「このために、宮古さんは夜更かしと早起きをずっとしていましたから」
そう言いながら、ケーキを載せた台車を押してきてくれたのはくるみと萌だ。
館山基地のワルキューレとして後輩である二人の計らいと、二人から聞かせてもらった宮古の努力に胸がほんのりと温かくなる。
何より、話題に上がったケーキの完成度には目を見張るものがあった。
基本は白いクリームでたっぷりと塗装されたホールケーキだが、ケーキの表面部分には果物やチョコレートのデコレーションで絵が描かれ、それが人の顔を模している。
写真のような出来栄えというよりは、絵本やアニメのようなデフォルメされた人の顔が描かれているのだ。
「これは……もしかして、私の顔?」
「そそ、うまくできてる? ちゃんとわかった?」
「ああ、金色の髪をしていたからな。それ以外なら、本庄さんと二択だった」
「なんでクラウの誕生日なのに、本庄の顔をデコレーションするんだよ! 出たがりなのも大概にしろよ!」
「な、なんで私が出たがり扱い!? 私、そんなところ見せてないでしょう!?」
飛びついてきた宮古に腕を抱かれ、私は自信たっぷりにそう答えた。
何故かその答えにアズズが怒り、その怒りが本庄さんに飛び火していたが、和浦さんと御厨さんがうまくとりなしてくれるだろう。
しかし、圧巻だし、壮観だ。
「何より、宮古が私のために苦労してくれたという事実が嬉しい。祝ってくれたみんなもありがとう」
「へへー、クラウ、喜んでくれた?」
「ああ、もちろんだ。丸々ケーキが食べられるなんて、そうそうないことだしな」
「クーちゃん、別に丸々一個食べていいよってわけじゃないよ?」
「……もちろんわかっていた」
もちろんというのは嘘だった。
言ってから、もしかしたら私一人の分ではない気がして、それで正解だったようだ。
「お前、食いしん坊にも限度があるだろ」
「誤解しないでほしい。これも以前の基地の話なんだが、やはりそこでも誕生日の祝いにケーキが出たんだ。でも、一人で食べることが多くて……」
「その話、まだ続ける? なんだか寂しくなってきちゃうから、わたし、クーちゃんと一緒に朝ご飯とケーキが食べたいな。あーんってしてあげるから」
誤解を避けるために言い訳しようとしたのだが、それは宮古と反対の腕に抱き着いてくる園香によって遮られてしまった。
正直、円滑な人間関係のためには誤解を解いておく方が賢明だと思える。
しかし、円滑な人間関係の構築というのは、そもそも、すでに円滑な人間関係が出来上がっている現状では不必要なものであるとも思えた。
「それに園香が食べさせてくれるなら、ケーキも一層おいしく感じられるかもしれない」
「あ、クーちゃんったら殺し文句だ。女の子にモテちゃいそう」
「わかるわかる! クラウ、カッコいいもんね!」
私の両腕をそれぞれ抱きしめながら、宮古と園香が嬉しいことを言ってくれた。
反面、そんな私たちの様子に半眼になり、アズズは深々とため息をつく。
「ったく、馬鹿馬鹿しい。おい、新人二人はああなるんじゃないぞ。お前らまでああなったら、ウチの苦労が単純計算で1,67倍だ」
「ですね。ご心配には及びません、アズズさん。私もああいうノリは得意ではないので。……ただその、くるみの方は」
「あん? そういや、鈴原はどこに……」
ぐるりと首を巡らせて、アズズが見当たらないくるみの姿を探している。しかし、その調子ではアズズには見つけられないだろう。
なにせ、くるみはすでに私の後ろで、宮古と園香に交ざっていたからだ。
「あのあのっ、私もクラウさんと仲良くさせていただきたいので!」
「ねえねえ、ミコちゃん。くるみちゃん、わたしたちからクーちゃんを取り上げる気みたい」
「へっへー、本気なら受けて立ーつ! ただし! クラウ争奪戦に交ざるなら、まずはクラウ検定に合格するところから始めなきゃダメなのだー!」
「そ、そんなのあるんですか!?」
私を挟んで三人がきゃいきゃいと楽しくはしゃいでいる。
間に挟まっているのに置いていかれた気分だが、それでもなんだか快い。きっと、誰がフォークを握っても、私はおいしくケーキが食べられるだろう。
「もちろん、アズズが抜け駆けしてくれてもいいぞ」
「誰がするか! ええい、1,67倍はなくても、1,33倍は苦労が増える……っ」
「お、お手伝いしますから、頑張りましょう」
がっくりと頭を下げたアズズの横で、しっかり者の萌がそんな風に励ます。
賢いアズズと真面目な萌、意外といい組み合わせになりそうだ。少し前まで、萌も色々と悩みを抱えていたようだが、最近は吹っ切れていい顔をしている。
館山基地の明るい空気がその変化の後押しをしたなら、私も同じように背中を押された一人として誇らしい。
ともあれ――、
「宮古、園香、くるみ、そろそろ私もお腹がペコペコだ」
「あっと、いけないいけない。今日の主役がほったらかしだ!」
「じゃ、わたしとくるみちゃんでケーキを取り分けてきちゃうね。いこ、くるみちゃん」
「えっ、あっ、はい! 待ってください、園香さん!」
慌ただしく動き出した食堂の中、私は誕生日席に座ったまま、パタパタと準備のために駆け回り始めたみんなの様子を楽しく眺める。
すると、私の隣にどっかりと座ったアズズがテーブルに頬杖をつきながら、
「しまりのない顔だな、S級ネームドが」
「それを言い出したら今さらだ。大神を祓ったワルキューレ」
そんなアズズの悪態に、私もそんな調子で言い返したのだった。
4
誕生日の催しは、それはそれは楽しいものだった。
食堂でのサプライズと手作りケーキに加えて、転属したときの歓迎会の再来――あの頃はいて、今はいないものの分までイベント内容は盛りだくさんだった。
みんな笑顔が溢れ、私も声を上げてずっと笑っていたと思う。
「そうそう、クラウディア。お前さん宛に、欧州から贈り物が届いてたよ」
と、そう教えてくれたのは腹に描いた顔のイラストを拭き終えた里見司令だった。
今回の催しには司令も参加していて、歓迎会でも披露してくれた『腹踊り』をさらに進化させたものを見せつけてくれた。
私は大いに驚き、会場はそれはそれは賑わったが、代わりに加速度的に園香の不機嫌さは増していたので、司令はあとで園香に小言を言われるだろう。
ともあれ、欧州からの贈り物という話は、今日を思えば心当たりがあった。
「やはり、大佐からか」
部屋に戻ると、基地のものが届けてくれた贈り物が私のベッドの上にあった。
大きなプレゼントの箱――一緒にされたメッセージカードに書かれた送り主の名前は、私にとって大恩ある上官、ルサルカ・エヴァレスカ大佐のものだった。
大佐は私にとって最初の上官であり、私がワルキューレになるための切っ掛けをくれた人でもある。何よりも尊敬すべきは、彼女がサード・ワルキューレたちが実戦に投入される以前、人類の生存を命懸けで支えたセカンド・ワルキューレの一人であること。
もはや数少ない、自ら空で戦うことを志願した最初の戦乙女の生き残りなのだ。
その能力や人柄の優れたるところも尊敬すべき点だが、私が大佐を最も尊敬している部分は、彼女がおおよそ私の知る人間の中で最も優しい人というところだ。
そういう意味では宮古やアズズ、園香も大いに尊敬しているが、出会った経緯やその後の交流も合わせると、大佐は特別だった。
こうして、誕生日祝いの贈り物を関わった全てのワルキューレに欠かさない点も、大佐の大佐らしい部分だろう。
「欧州にいた頃も、どの基地にいても欠かさず贈ってくれたものだ」
正直、欧州戦線にいた頃、誕生日を楽しめた記憶がほとんどない。食堂で宮古たちに語った通り、形式的に祝われはしたが、ケーキは一人で食べていた。
祝いの言葉もあまり聞かれなかった。――あるいは、ただ単に心を閉ざした私が、周りの言葉に耳を傾けていなかっただけかもしれない。
そんなへそ曲がりな私の下にも、大佐はいつも贈り物をくれた。
それも何故か――、
「――大佐はいつも、私に誕生日祝いを二つ贈ってくれる」
不思議なことに、大佐から贈られる誕生日祝いはいつも二つあった。
贈り物に迷って二つとも贈った、というならまだわかるのだが、不思議と大佐が贈ってくれるものは、いつも同じプレゼントが二つセットで贈られるのだ。
以前、リズベットにこれを見られたときは、リズベットが「依怙贔屓だ!」と直接大佐に文句を言いにいって、そのまま頭を掴んで吊り下げられていたが。
「私も不思議がって聞いてみたが、答えは曖昧にぼかされてしまったからな」
もっとも、大佐も職業軍人であるため、贈り物は実用的なものであることが常だ。
おかげで二つセットで贈られてきても、扱いに困ったりすることはない。主に英霊機に乗り込む際のグローブやシューズ、そのあたりが贈り物の候補。
今回も、きっとそうしたものだろう。
「そうだ。感謝の電話をしなくては。大佐ともしばらく話せていない」
最後に話したのは、富士ピラー攻略前に各地の調整に赴いていたときだ。
里見司令と一緒に各地、各国の首脳陣や軍の関係者と話した際、大佐の姿も画面越しではあるが確認できた。もっとも、腰を据えた話ができたわけではないし、直接対面して話した機会に限定すれば、館山への転属を命じられたときが最後。
館山への転属、それも私の転機となった。
オーディンの指示だったのだろうが、大佐はどう思っていたのか。それも、大佐の口から聞けるものなら聞いてみたい。
「なんだか欲張りになった気がするな……と」
「――はぁ、疲れちゃった」
朝に引き続き、自分の変化に気を留めていると、そこに園香が戻ってきた。
里見司令へのお説教を終えたらしき園香は、「もう、里見さんのせい」と司令のことを愚痴りつつ、自分のベッドに勢いよく倒れ込む。
それから寝返りを打って、私が眺めている二つのプレゼントに気付くと、
「あれ? 誰かからの贈り物?」
「ああ、そうなんだ。私の欧州時代の上官で、誕生日祝いを贈ってくれた」
「へえ、そうなんだ。すごい優しい人なんだね」
「そうだな、優しい人だ。リズベットや他の部下からも、よくゴリラと慕われていた」
「……悪口じゃなくて?」
「――? 園香、ゴリラはとても知能が高いし、手話も理解するんだ。元来、気性は穏やかだし、森の賢人なんて呼ばれることも……」
「あ、うんうん、わかりました。わかったから、お話戻そ?」
両手をぶんぶんと振ってから、園香がぴょんとベッドを下りて私の方へくる。
それから園香はベッドの上、二つ並んだプレゼントの箱に首を傾げた。
「贈ってくれたのは一人なんでしょ? なんで箱が二つあるの?」
「いつも二つセットで贈ってくれるんだ」
「ええー、変なの。どうして?」
「私も不思議に思って聞いたことがある。ただ、変な答えだった」
直接、私に問い質された大佐はどこか、複雑な顔をしていた。
それは悲しいような寂しいような、一方で嬉しさや恥じらいを滲ませたような、そういう複雑な表情だった。
誕生日まで生き抜いた私を祝福する一方で、何かを惜しむようでもあった。
「――――」
そんな大佐の顔を思い出す私の隣、園香が静かに答えを待っている。
こういうとき、急かさずにいてくれる園香は気遣い上手だ。宮古なら明るく、アズズならうるさく、私の言葉を引き出そうとするだろう。
それぞれの特技で、それぞれ私の弱点とも言える。園香が軍人生活で体を作り変えられたなら、私も館山生活で体を作り変えられたというところか。
ともあれ、私の問いかけに対する大佐の答えは簡潔で、複雑だった。
それは――、
「――あなたには、二人分幸せでいてほしいから」
「……なんだか意味深だけど、嬉しいね」
「そうだな。だが、事実として私は祝福されていたと思う。今日までたくさん大変な戦いがあったが、生き抜いてこられたのもそのおかげかもしれない」
「ぶー、館山にきてからはわたしとミコちゃんとアズちゃんのおかげです~」
「もちろん、園香たちの存在あっての私だ」
ぐいっと身を寄せてくる園香が拗ねて、私は笑いながらその頭を撫でた。
それからプレゼントの箱を眺め、わずかに胸が詰まるような感覚を味わう。
――大佐の言葉と、あの表情を思い返すたびに胸を締め付ける感覚がある。
その感覚の答えはわからない。
何か大切なことを忘れていて、しかし、その答えは霧雨のように不確かで。
でも、とても温かなものであることは間違いないから。
「クーちゃん?」
「いいや、何でもない。園香、プレゼントを開けるのを手伝ってくれるか。今日は大佐の他にもたくさん贈り物をもらってしまった」
ケーキだけにとどまらず、基地中のみんな、そして基地に出入りするたくさんの人たちからの贈り物があった。
正直、手早く片付けてしまわないと、私と園香の部屋が埋もれてしまう。
そう思って頼んだ私に、園香はにっこりと可愛らしく笑った。
「うん、そうだよね。だから、そうだと思って……」
「そうだと思って?」
「助っ人、ちゃーんと頼んでおいたから」
笑いながら、園香が部屋の扉を手で示す。すると、私が扉の方を向くよりも早く、勢いよく扉が開かれて、
「やほー、クラウ! プレゼントいっぱいで大変でしょ? アズと手伝いにきたよー」
「何がアズと手伝いに、だ。お前が無理やり引っ張ってきたんだろーが!」
満面の笑みの宮古と、不貞腐れた顔のアズズが現れる。
その二人らしい態度と、そんな二人を呼び出した園香の自慢げな様子に、私は耐え切れずに大声で笑ってしまった。
楽しい楽しい誕生日の一日は、その後片付けまで特別なものになりそうだった。
《了》
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