六車・宮古(夏)



 ――六車・宮古の朝はとびきり早い。


 山間に朝日が顔を出す頃には、彼女はすでに布団を抜け出し、着替え始めている。

 日の出の早い季節なのもあって、まだ世界が微睡みの中にある時間、彼女は早々に自室を飛び出すと、朝一で基地の隅にある道場へと転がり込む。


 カラスの濡れ羽色と、そう表現するのが適切な美しい髪を頭の後ろで一つに括り、爛々と輝く丸い瞳をした少女だ。有り余るエネルギーが体中から溢れる姿は、まるで太陽に手足が生えて駆け出しているかのような活力が漲っている。


 特別な朝ではない。普通の一日の始まりだ。


 しかし、何の変哲もない朝であっても、六車・宮古は漫然とした時間を過ごさない。

 朝の澄んだ空気が宮古は好きだった。昼の、微かに温かみを帯びた空気も好きだ。夜気に巻かれ、静けさを孕んだ空気も好き。正直、全部好きだった。

 ともあれ、好きの幅に限度はなく、好きなものは多ければ多いほど良い。

 それが宮古の姿勢であった。その勢いのままに、彼女は愛する朝の空気を薄い胸いっぱいに吸い込むと、深々と一礼して、道場の板張りの床を裸足で踏んだ。

 さほど使い込まれていない道場だ。軍の訓練は運動場で行われることが多く、雨天であっても主に使われるのは室内運動場――古臭い武道場の出番は回ってこない。


「よーし! じゃ、掃除してから朝稽古だ!」


 故に、朝の武道場にやってくるのは宮古を除いて誰もいない。しかしそれに腐らず、宮古は毎朝道場に通い、雑巾掛けを行って、それから鍛錬に臨んでいた。

 六車の家は代々続く武家の家系で、宮古も幼い頃から家のしきたりに習い、様々なことを学び、多くの習い事を嗜んできた。

 早寝早起きも、早朝鍛錬も、実家で続けてきたことの延長戦に過ぎない。辛いと思ったことはないし、それどころか、宮古はこれも楽しんでいた。


 基本的に何をやっていても楽しいのである。宮古は、生きるのが抜群にうまかった。

 道場の雑巾掛け(これも好き)を終え、朝の鍛錬(激しく好き)が片付くと、宮古は汗ばむ道着姿のままシャワー室へ向かい、頭から冷水を浴びて(この一浴びのためにやってるって感じ)心地よい感覚に浸かる。

 それから改めて熱いシャワーを浴びると、制服に着替えて宿舎の方へ走り出した。


「おはよーございまーす!」


 声高く挨拶した宮古が飛び込むのは、宿舎に併設する食堂の厨房だ。厨房にはすでに十名近い調理員の女性が出勤し、基地の軍人のための朝食を作り始めていた。


「おはよ、宮古ちゃん。今日も朝から元気ねえ」


「元気、元気! それがアタシの取り柄だもん! ねー、今朝も手伝っていい?」


「大歓迎よ。宮古ちゃんが作ったって聞いたら、基地のみんな喜ぶもの。おばちゃんも、宮古ちゃんの味、盗ませてもらいたいし」


「またまたー、そんなこと言っちゃって。アタシより、おばちゃんたちの作ったご飯の方がおいしいに決まってるじゃん。うちの母さんに怒られちゃうよ」


 歓迎してくれる女性に微笑み返しながら、宮古はたすきを取り出すと、慣れた仕草で手早く自分の制服の袖をたすき掛けする。

 ワルキューレの制服はかなり規定が緩く、公序良俗に反さない範囲であればどんな着こなしであっても注意はされない。そのため、基地のワルキューレたちの制服はバラエティに富んだものが多くなるが、宮古の制服はとびきり変わり種だ。


「いつ見ても、着物っぽいというか、巫女装束っぽいというか……」


「和服っぽいデザインでってお願いしたら、こんな感じに仕上がってきたの。可愛いし、アタシは気に入ってるんだけど、一回、アズに着せようとしたら混乱してたよ」


「今の子は普通にたすき掛けなんてできないだろうしねえ」


 膨らんだ袖をたすきで縛ると、しみじみと呟く女性の隣に並び、手元を覗き込む。調理台の上に並んだ食材と、用意されている調理器具、それを宮古は見取り、


「麻宮さん、今朝の献立の魚って焼く? 煮る?」


「焼くつもり。宮古ちゃん、煮たかった?」


「んー、ん! 大丈夫、焼き魚食べたい! 骨が綺麗に取れるとこ見せて、アズとかみんなに自慢してあげよう。アタシ、それすっごい得意だから」


「宮古ちゃん、ホントに綺麗に食べるのよね。お箸の使い方もすごい上手だし」


 麻宮と呼ばれた女性が、材料の魚に下ごしらえしていく宮古を横目に吐息をつく。大量の魚に塩を振る宮古は、そんな嘆息に「そりゃねー」と苦笑い。


「うち、母さんがすっごい厳しかったから。ご飯おいしく作れて、ご飯綺麗に食べれて、ちゃんと片付けできれば、アンタは顔はいいから嫁にいけるってうるさいの」


「あは、でもそれってお母さん正解だわ。宮古ちゃんなら嫁の貰い手なんて引く手数多でしょうに。ホント、私の嫁になってほしいぐらい」


「うーん、またプロポーズされてしまった。アタシって、罪な女……」


「はいはい、罪女、罪女。……わ、下ごしらえ早い」


「包丁も入れちゃったけど、大丈夫だよね?」


 話しながらもテキパキと魚に切れ目を入れ、宮古は包丁をさっと洗って元に戻す。その手際に麻宮が頷くと、彼女は「よーし」と意気込んで、


「それじゃ、不肖、このアタシめがお味噌汁係を拝命しましょう。異議のあるものがあれば、進み出るがいい。勝負じゃー」


 おたまを掲げた宮古の宣言に、調理員たちは顔を見合わせ、どうぞどうぞと白旗を上げる。またしても味噌汁王座は死守され、永世味噌汁係の栄誉も遠くない。


「よろしい! んじゃ、アタシの腕による六車家の味を知るがいいー!」


 なんて、目一杯悪戯っぽく言いながら、手先だけは非常に繊細に丁寧に、宮古は朝の味噌汁作りに勤しんでいった。


                △▼△▼△▼△


「これは……宮古ちゃんの味!」


 目をカッと見開いて、味噌汁に口を付けたロン毛の男がそう叫んだ。その瞬間、食堂の空気に変化が生じ、全員が寸分狂わぬ動きで味噌汁の器を掴み、唇に運ぶ。

 そして、朝一番の味噌汁を嚥下すると、揃って満足げに息を吐いて、


「はぁー、宮古ちゃんが全身に染み渡る……」


「染み渡んないよ! 怖いこと言ってると、せっかくの朝ご飯取り上げちゃうよー」


「ひぃぃ! 絶対にヤダ! この味噌汁は俺んだい! 俺んだい!」


 厨房から身を乗り出し、食堂に響く宮古の声に男たちが慌てて味噌汁を囲い込む。そんな様子にやれやれと肩をすくめ、宮古は「仕方ないなぁ」と目尻を下げた。


「とにかくちゃんと味わって、お百姓さんに感謝しながら食べること。お米一粒にも八百の神様……お残しはアタシが許しません!」


「はい、宮古教官! もしお残ししたら、どんな罰が受けられるんですか!」


「進んで罰を受けたい人には、しばらくアタシの手料理禁止~!」


「ぎゃー、死活問題!」


 調子に乗って悲鳴を上げたのは、最初に叫んだ金髪の隣のグラサンをかけた人物だ。大体、騒ぎの中心にいる顔ぶれで、基地では三馬鹿の呼び名で親しまれている。

 つまり、金髪とグラサンに加えてもう一人、問題児が残っているわけで。


「――ミコちゃん、オレと勝負してくれ」


 そう言って立ち上がったのは、天高く箸を掲げた金髪の男だった。それなりに整った顔立ちだが、男臭さが先立つ印象のため、二枚目半といったところ。

 そんな金髪の申し出ならぬ、決闘の申し込みに宮古は首をひねった。


「勝負? アタシと?」


「そうだ、尋常な勝負だ。――焼き魚の、骨取り対決でな!」


 おお、と金髪の提案した勝負内容に食堂の男たちが沸く。当然だ。

 宮古の箸使いのことは、食い入るようにワルキューレの食事をチラ見する男たちにとって周知の事実。彼らには、金髪が勝てない勝負を挑んだ愚か者にしか見えない。

 そんな注目が集まる中、宮古は金髪を真っ直ぐに見つめ返すと、


「食べ物を遊びの道具にする男の人って、アタシはよくないと思う」


「ぐはぁ!」


「き、金髪――っ!」


 思わぬ角度からの一撃に金髪が崩れる。それをロン毛とグラサンが支える光景に、宮古は「だけど」と言葉を続けた。


「挑まれた勝負から逃げるってのも、女が廃る。……受けてやろうじゃない!」


「お、おお! なんで一回心を折られたのかわからないが、さすがミコちゃんだ!」


 崩れかけた体を立て直し、金髪が胸を張った宮古と相対する。


「それで、勝負っていうからには賞品があるはず。アタシが勝ったら?」


「あの、小汚い道場の掃除をオレたちで十日間やるぜ!」


「お! それいいね! んじゃー、アタシが負けたら?」


「毎日、味噌汁を作ってください!」


「今も結構、アタシ作ってるけど……」


 そんなことでいいのか、と頬を掻く宮古に、金髪は首を激しく縦に振った。

 まぁ、当事者がそれでいいならそれでいいのだろう。宮古は「いいよー」と気軽に請け負うと、金髪の正面の席に座り、互いに焼き魚をセッティングした。


「同時にスタートして、制限時間は二分……レディー、ゴー!」


 掛け声があり、宮古と金髪は同時に焼き魚に取り掛かる。

 瞬間、踊るような宮古の箸捌きに、食堂にいた男たちの多くが時を忘れて見惚れる。箸使いが上手いだけではない。その、宮古の真剣な横顔に見惚れたのだ。

 集中する宮古の表情には、普段の笑顔とは全く別種の色香のようなものが滲み出る。それは生来の気質とは別に、厳格な家で磨き上げられた彼女の女としての品の発露だ。

 思わず息を呑んだ彼らのことを、いったい誰が責められようか。


「くくく、見ろ! オレはこの日のために、必死に骨取りの練習をしたんだ。いくらミコちゃんでも今のオレには……おい、誰か見ろよ! 誰か……ぎゃふん!」


「おっと、手が滑った」

「壮絶に足が滑った」

「故意に肘鉄が飛び出した」


 そうして、微妙に孤独な戦いを強いられていた金髪に向けて、セコンド陣営から無慈悲な妨害が繰り出される。頬を張られ、椅子を蹴られ、後頭部を肘に打たれて、目を白黒させた金髪は顔を真っ赤にする。


「ば、バカ野郎! いったい、どこを狙ってやがる!」


「お前こそ、いつから俺たちが味方だと勘違いしていた?」


「つーか、ミコちゃんに味噌汁作ってくださいとか、どさまぎで何言ってやがる」


「そういう抜け駆けは禁止って、鉄の掟があるだろうが。はい、撤収~!」


「ちがっ! オレはそういうんじゃなくて、今後の基地の朝飯のために一肌脱ごうとして……ま、待ってくれー! 死にたくないー!」


 勝負の途中で、金髪が仲間たちに担がれて外へ連れ出されていく。神輿のように運ばれていく金髪、それを見送りながら、宮古は綺麗に骨を剥き終わった。


「うーん……これ、アタシの勝ちでいい? いいよね?」


 綺麗に身を剥がされ、頭と尻尾、骨だけが残った焼き魚を箸で摘まむ宮古に、男たちは「異議ナーシ」と全会一致で頷いた。

 その答えに、宮古は満足げに「うんうん」と頷いたあと、


「別に変な勝負挑まなくたって、朝ご飯ぐらい、作ってあげるのにねー」


 なんて笑いながら、綺麗に剥いた焼き魚を、骨まで残さず平らげたのだった。


《了》

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