『戦翼のシグルドリーヴァ』小話

@nezumiironyanko

クラウディア・ブラフォード(春)



 ――クラウディア・ブラフォードの朝は早い。


 起床のラッパが鳴る前に目を覚まし、素早くベッドで体を起こす。寝起きはいい。意識ははっきりと覚醒し、早々に彼女は寝床を抜け出し、窓へ向かった。

 細い指がカーテンを開くと、眩い朝日が室内に射し込む。その光に煌めくのは、白くすべらかな背中を流れ落ちていく長い金色の髪だ。

 肌着のシャツと、丈の短いズボンを穿いただけのラフな格好。――にも拘らず、朝日に金色を照り返す姿は、世界中の芸術家が焦がれる一枚の絵画の如く美しかった。


「さて」


 そうした自身の容姿への感慨もなく、クラウディアは伸びをすると、洗面所へ足を向ける。顔を洗い、軽く身嗜みを整えると、寝衣から着替えて部屋の外に出た。

 暦の上では春だが、まだ微かに冬の気配を残した朝はわずかに肌寒い。ほんのりと白く色づく息を吐きながら、クラウディアは朝の空気を肺に取り込み、深く吐いた。

 クラウディアの故郷はここよりもっと北にあり、この時期でも雪が降ることが珍しくない。その地元の気候と比べれば、このぐらいの気温は暖かいぐらいだ。

 そんな感想を抱きながら、クラウディアは宿舎の外のグラウンドへ出ると、準備運動をしてから走り始める。早朝、走るのを日課としたのは軍に所属してからだが、おそらくはずっと続けていく習慣になるだろうと思っている。

 少なくとも、自らに課せられた責務を思えば、果たして当然の義務とも。


「――クラウディア、朝から精が出るじゃないか」


 そうして、走る背に声をかけられて、クラウディアは息を弾ませながら足を止めた。見れば、宿舎の入口に二人の人影が立っている。どちらも顔見知りだ。


「リズベットとレイリーか。二人とも、朝が早いな」


 ランニングを切り上げ、クラウディアはその二人の下へ駆け寄る。すると、二人いる方の片割れ――ブルネットの髪を短くした女性、リズベットが腕を組む。堂々とした立ち姿は勇ましく、自信に満ち溢れていていつも感心だ。

 ただ、今の彼女は唇を尖らせ、どこか不満げにクラウディアを見つめていたが。


「リズベット、どうかしたのか?」


「さっきの発言だよ。朝が早いって、あたしらより早起きしてランニングしてるヤツがそれ言うとか、嫌味かよ?」


「嫌味……? いや、思ったことを言ってみただけだが」


「ぐぬぬ……」


「変な風に絡まないの、リズ。クラウディアが嫌味言えるような子じゃないことぐらい、これまでの付き合いでわかってるくせに」


 何やら悔しげになるリズベット、彼女を窘めたのはレイリーだ。

 柔らかい金髪を背中の中ほどまで伸ばし、おっとりと優しげな顔に眼鏡の似合った知的な風貌をしている。


「リリー、そりゃあたしだってわかってるけどさ。この優等生のすまし顔、少しは思い通りに歪ませてやりたいじゃんか」


「む。ひょっとして、リズベットは私に先任として説教をしたいとでも?」


「もしそれが本当でも、今の流れでYESって言える子はあんまりいないんじゃないかしら……」


「ああ、そうだね! YESだね! あたしはお前に説教したい!」


 頬に手を当てたレイリーが、クラウディアに指を突き付けるリズベットを横目に深々とため息をつく。一方、クラウディアはそのリズベットの態度に顎を引いた。

 至らない部分を指摘されるのは、クラウディアにとってありがたいことだ。こう言ってはなんだが、昔から少し、自分が世間ズレしている自覚が彼女にはあった。

 そして、ネームドという特別な立場上、真っ向からこうしてクラウディアに意見してくれる存在は貴重だ。それこそ、リズベットやレイリーといった同格でなければ。


「ありがたいな。ぜひ、聞かせてくれ」


「おおう……そんな前のめりになられると、それはそれであたしの望んだ方向と違っちゃってるんだけど。ともかく、最初に言うべきことは!」


「言うべきことは?」


「なんで、いつも朝になるとジャパニーズ巫女服ってヤツなんだよ!?」


 声を高くするリズベット、彼女の指差す先に立つクラウディアの格好は、白い胴衣に黒い袴姿――なるほど、これは誤解を招いても仕方ないとクラウディアは反省する。


「すまない、リズベット。混乱させてしまったようだ。これは確かに日本の服ではあるんだが、巫女服ではなく、道着というものなんだ」


「あたしが気にしてんのそこじゃねーよ!?」


「――?」


「はいはい、どうどう。リズ、落ち着いて」


 顔を赤くし、より語気の荒くなるリズベット。その反応にクラウディアは首を傾げるばかりだが、レイリーは目尻を柔らかく下げて、


「クラウディア、リズが聞きたいのは服の種類じゃなくて、それを着てる理由の方よ。私も興味があるわ。その、とても似合っているけれど」


「ああ、そういうことか。この道着は、実は父から譲り受けたものなんだ」


「お父様の?」


「父は生前、日本に配属されていてな。そのときに日本の武道を学んで、その精神性にいたく感銘を受けたそうだ。そうした父が日本から持ち帰ったものがブラフォード家にはいくつもあって……これも、そんなものの一つと言える」


 道着の胸元を撫で下ろし、クラウディアはそっと自分の髪留めに指で触れた。飾り気のない美貌の中、唯一、クラウディアが身に着けるアクセサリがその髪留めだ。

 飛行機の翼を模した髪留めは、同じく飛行隊に所属していたクラウディアの父親の形見に当たる。それを知るリズベットとレイリーは、顔を見合わせた。


「で、お前のお父様は娘に道着でランニングするように厳命したってか。それはなんつーか、いい趣味してんな」


「いや、これは私が好きで着ている。気分と身が引き締まるので重宝するぞ。興味があるようなら、二人の分も用意するが……」


「その心遣いだけ、受け取っておきましょうか。欧州ネームドトップスリーが、揃って日本にかぶれたのかって広報に遊ばれてしまうもの」


「そうか、残念だ。だが、気が変わったらいつでも言ってくれ。すぐ用意させる」


「その飽くなきオススメ精神はなんなんだよ。そんなぐいぐいこられると、お前らしくなくて怖いぞ……」


 レイリーとリズベットに揃って辞退され、クラウディアは仕方なく引き下がる。

 やはり、わかってもらえなかったか、と少しだけ気落ちした。が、良いものは良いといずれ認められる。今日の努力がその礎になることを、今はただただ期待しよう。


「それで、二人も早朝のトレーニングか? 春だが、朝はまだ少し肌寒い。手足の腱は入念に伸ばしておいた方がいい。……手伝おうか?」


「微妙に気遣いの方向性がずれてんだよな……」


「残念だけど、トレーニングが目的ではないの。私たちの目的はあなたよ」


「私に?」


 意外だと眉を上げるクラウディアに、レイリーが「ええ」と頷く。


「私もリズも、正午までには次の基地に出発しなくちゃいけないから。その前に朝食でも一緒にどう? クラウディアとも、またしばらくお別れになるもの」


「……ありがたい誘いだ。しかし、私は」


 言葉を切り、クラウディアは長い睫毛に縁取られた目を伏せる。

 レイリーの申し出はありがたい。それは本心だ。

 しかし、クラウディアには躊躇いがあった。それは二人が、自分と一緒にいるところを他者に見られることへの不安だ。

 欧州ネームドトップスリー、ワルキューレとしてその肩書きは名誉なことだが、生憎、二人とクラウディアの間には決定的な違いがある。

 その埋め難い溝が、クラウディアと二人を隔てていて――、


「私が一緒にいては、二人の迷惑に……」


「――うるさいぞ」


「むきゅ」


 両頬を掌に挟まれて、クラウディアが唇から奇妙な音が漏れる。それを聞いて、すぐ目の前にあったリズベットもまた噴き出した。


「むきゅって! むきゅってなんだよ! 可愛い鳴き声だな!」


「……心外だ」


「そりゃこっちの台詞だっつーの。お前に、あたしらがあんなくだらない噂に振り回される腰抜けだって思われてる方がよっぽど心外だ」


 笑顔から一転、不機嫌な顔でリズベットに言われ、クラウディアは目を丸くした。そうして、至近距離で向き合う二人にレイリーが笑いかける。


「ワルキューレだもの。多かれ少なかれ、その生き方には死が付き纏う。それはあなただけじゃなくて、私たち全員が背負っていく業よ」


「――――」


「だから、私たちは姉妹として、そんな苦境を力を合わせて乗り切らないと」


「……姉妹?」


 意表を突かれてばかりいるクラウディアが、またもレイリーの言葉に驚かされる。そんなクラウディアの額を、リズベットは今度は掌で押した。


「あたしらはこの戦いのために、オーディンって神様のとこに養子縁組した立場……つまり、おんなじお父様を持つ姉妹ってわけだ」


「それは、考えてもみなかったことだな。だが……」


 言われてみれば、とクラウディアは難しい顔で考え込む。


「それじゃ、納得してくれたところでいきましょうか」


「姉妹、姉妹。家族が一緒に食卓を囲むっつーのは当然のことだからな。あと、一番年下なんだから、クラウディアが末妹だぞ」


 思案している間に結論を出して、リズベットとレイリーが宿舎に向かって歩き出す。その背中に、クラウディアは一度、眩しげなものを見るように目を細めた。

 気休めに過ぎない言葉、だけどそれに気を休められたのも疑いのない事実で。


「私は一人娘のはずなんだが、妹とはどんな風に振る舞えばいいんだ?」


「あは」


「真面目かよ!」


 追いつくクラウディアの質問にレイリーが笑い、リズベットが声高に吠える。

 遅れて、控えめな笑い声が上がり――これもまた、ワルキューレたちの日常なのだ。


《了》

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