第2話 難あり姉さんと不束アンドロイド

 県立楓高等学校。

 伊月進いつきすすむは、この学校の2年生で、AからD組まで4クラスあるうちのA組に所属している。


 自宅に何かが落下したその日の放課後──すすむは、宇佐美うさみエレナ先生に調査を依頼するためにB棟校舎の3階にある研究室を訪れていた。


 エレナ先生は古典の先生だ。

 本人の話では、大学院の教授とそりが合わず、ブチ切れて辞めて、仕方なくうちの学校で2番目に好きな古典を教えているらしい。

 でもまだ、生涯を捧げるつもりだった(これも本人談)科学への思いは捨てきれないようで、常に白衣を身に纏い、放課後になると、毎日のように先生が勝手に作った研究室に篭っている。

 一体何の研究をしてるのかわからないけど、趣味の域を遥かに超えていて、月刊の科学雑誌にコラムを持っているほどだ。

 1度、その雑誌を立ち読みしてみたが、まるで意味がわからなかった。


 外見は、長身で細身ほそみ・白衣の美人。

 だが、この人はおかしい。

 周囲に自らマッドサイエンティストだと吹聴し、どん引かれ、学校内で何らかの騒動があると、それらに必ず一枚嚙んでいる。

 それでも生徒たちにはとても人気がある。授業はわかりやすいし、退屈しない。歯に衣着せぬ物言いや、圧倒的な行動力は、どういう訳かマイナスには働かずに表現しがたい魅力へと昇華されている。


 宇佐美うさみエレナ先生を一言で評するなら、頼れる姉さん(難あり)だ。

 ちなみに、好きなものは、謎と実験と花風堂かふうどうの全部入りラーメン。嫌いなものは校長室と甘過ぎるトマト。どちらも本人が包み隠さず公表している。こういったオープンなところも皆の好感度に繋がっているのかもしれない。


「事情はわかったわ。最初によく私に相談したわね。偉い偉い」


 試験管型のアイスキャンディーを食べながら、エレナ先生はうんうんと頷く。

 俺はあえてツッコミを入れないことにする。


「見に来てくれますか?」


「もちろん。さっき見せてもらったスマホの写真じゃ何もわからないし。確か伊月いつきって自転車通学よね。必要な機材を準備して、すぐに車で行くから、住所教えて」


 俺はカバンから適当にノートを出して、未使用の後ろのページをちぎって住所を書いて手渡す。


「よろしくお願いします。俺は先に家に帰ってますね」



 **********



 エレナ先生は、約束通り伊月家にやってきた。

 両親に簡単に挨拶した後、二階にある俺の部屋の状況を見てから客間に機材を入れ、床下の穴に飛び込んで、幾つかの金属片や石の破片や土などを採取し、なんだかよくわからない測定器を置いて様々なデータを取り始めた。


 特に落下物らしきものは見つからなかった。

 調査のあいだ、先生は腑に落ちないといった顔をしていたが、データが一通り取れると、これ以上の調査をしても無意味だろうということで学校に戻っていった。


 採取した金属片や土などを調べるらしい。調査結果が出るまで、1か月はかかるとのことだった。


 こうして、謎の落下物事件は、一応の結末を迎えた──かに見えた。


 こんなことが2度あるはずがない。

 家のだれもがそう考えていた。


 だが。


 事件からちょうど二週間後の真夜中に、伊月家にまた激震が走った。

 は、修繕が終わったばかりの屋根と天井をぶち破って、音楽を聴きながら小説を読んでいた俺の目の前で逆噴射してゆっくりと着地した。


 大量の手持ち花火を束ねたような炎の束が床を焦がし、凄まじい音と衝撃波で窓ガラスが砕け散る。


 俺は吹っ飛ばされ部屋の壁に背中を打ち付ける。

 既に炎は消え、一時的に充満していた灰色の煙が、天井と割れた窓から外へ逃げていく。そのおかげで室内の様子が見えてくる。


 空から落下してきたは、一歩一歩と俺の前まで歩いてきて、静かに正座をして、深々と頭を下げてこう言った。


『こんばんは、伊月進さま。不束者ふつつかものですが、よろしくお願いいたします』


 アンドロイドだった。

 遠くから見たら人間と区別がつかないほどの、とても精巧に造られた、小柄な女の姿をしたアンドロイド。


 できる限り機械であることを隠すように、体の表面は人と見わけのつかない皮膚で覆われていて、頭髪も不自然なく生えている。


 屋根を突き破ったせいか、その後の炎のせいか、ボロボロだけど服だって着ている。

 俺のことを心配そうに見つめているその表情も豊かだ。


「お前は?」


『カナです。進さま』


「どうして俺のことを知っている? 何をしにここに来た? 2週間前のアレもお前の仕業なのか?」 


『ひとつ目の質問には答えることができません。わたしは進さまに会いに来ました。2週間前は申し訳ございませんでした。どうすればいいのわからず……』


 申し訳なさそうな表情と乖離した、抑揚のない感情に乏しい口調。

 カナの声だけは、人のものとはかけ離れている。

 どんなに人間に似せようとしても今の技術では再現できないものなのか。


 俺はどこかのアンドロイドメーカーのモニターに選ばれたのだろうか。

 仮にそうだったとしても、やり過ぎだ。こんなものは望んでいないし、計算しているのかもしれないけれど、一歩間違えれば大怪我していてもおかしくない。


「でていけ」


『……え』


「さっさと今すぐ出ていけよ」


 カナは表情を無くし、黙って焦げついた床を見つめている。


「俺はお前を必要としてないし、機械は嫌いだ。目覚まし時計を壊されたことも家に大穴を空けられたことも許してやる。だから帰れ」


 続けて、


「2度と来るな」


 とどめの一言を言い放つ。


『……いや……です』


「ぇあ?」


 予想外の言葉に、間抜けな声を上げてしまう。


『帰りません』


「なら理由を言え」


『わたしは進さまのお役に立とうと、自らの意志でやってきました。進さまに必要とされないのなら、いまこの場で破壊してください』


 どこから取り出したのか、巨大なハンマーを俺の前に置く。


「なんで俺がこんなことをしなくちゃいけねーんだよ」


『義務です』


「義務?」


『進さまには、その責任があります』


「責任って?」


『それは、お答えできません』


「わかった。お前をぶち壊す」


 俺は立ち上がり、重たいハンマーを両手で持ち、振り上げる。

 カナという名前のアンドロイドは、正座のまま顔を上げ、口元を引き締めながら俺の目をじっと見つめている。


 その黒い瞳から気持ちなんて読み取れない。


「やめなさい、すすむ


 母さんが部屋のドアの前に立っていた。いつからいたのだろうか。


「お母さんは、あなたをハンマーで女の子を叩くような、そんな酷い子に育てた覚えはありません」


 女の子?

 俺はアンドロイドを見る。は人間じゃない。

 

「私も貴様をそんなクズに育てた覚えはないッ!!」


 また面倒くさいのが出てきた。


「お前に育てられた覚えはない」


 激怒しかけた親父を、母さんが一瞬で締め落とす。


 ──怖え……。


「こいつはアンドロイドだ。人間じゃない」


 締め落とされる恐ろしさに怯えながらも、母さんに抵抗する。


「見た目は女の子です。それに進に会いに来たのなら、お客さまでしょう?」


「それは……」


「家はまた直せばいいの。目覚ましだって買い直せばいいの。でもね、この子は、壊されたら死んでしまうわ」


 言い返したかったが、こういう時の母さんには敵わない。

 俺はハンマーを床に置いた。


 母さんは座ったままのアンドロイドを背中から抱きしめ、


「いらっしゃい、カナさん」


『ありがとう……ございます』


 本当は壊されるのが怖かったのか、アンドロイドは何度も母さんにありがとうございますと言い続けた。


 ──俺は悪くない。悪くない。


 心の中で繰り返す。


「では私はアトリエに戻ることにしよう」


 復活した親父は、何事もなかったかのように口元の泡を拭っている。


「カナさんには、今夜は進の部屋に寝てもらいましょう。明日、隣の物置になっている部屋を掃除してカナさんのために空けるわね」


「ちょっと待て」


「聞いた通りだ。進よ、さっさと出ていくがよい」


「ここは俺の部屋だ」


「ワガママ小僧が。一晩くらい明け渡せ」


「お願い、進」


『あの……わたしは、どこでも寝れますから……ケンカはやめて欲しいです……』


「バカ息子の言うことは気にせず、カナさんは気兼ねなくここで寝るといい。簡単に掃除をして、天井と窓も私が一時的に補修しよう」


 話が進んでいく。

 今度は吹き飛ばされずに済んだ家康公を見ると、深夜2時を回っていた。


 もうどうでもいい。

 眠い。


「わかったよ。後よろしく」


 俺は枕を持って、部屋を出て、階段を下りて、客間に向かう。

 客間は先日修繕工事が終わり、破損した天井も畳も新しくなっている。押入れにある来客用の布団を敷いて、部屋の電気を消し、横になる。


 イ草のいい匂いがする。

 心地よい眠りへの誘いは、同時に、騒々しい日常の幕開けとなった。

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