第35話

 生徒会室の会長の椅子に座り、美空は何十回も夕の直筆の手紙を読み直した。予鈴のチャイムと共に静まり返った校舎は、その後始業式のためにまた騒がしくなる。


 そして、またもや静まり返っていた。美空はそんな静かな校舎で、たった一人取り残されたように部屋にこもっていた。


 夕の文字を何度も目で追い、何十回となく読んで、一字一句を頭の中に叩き込むかのように時間を使った。


 寿命が延びたのに、夕がいない。そんな現実を、美空は到底受け入れることができない。受け入れたくもない。あまりにも突然で、あまりにもあり得ない別れだった。


 内容は理解できたし、言っている事の理解もできた。だけども、気持ちが追い付かない。整理しようとするには、あまりにも唐突で残酷な現実を突きつけられている。


 何十回と読み返し、苦しくて喉元に嗚咽を絡ませながらも、この感情は声にさえならなかった。言葉にもできず、ただただ苦しくて、痛いだけだった。肉体を切り刻まれた方が、よっぽどよかった。こんなことになるなら、といくつものもしもに取りつかれたように、思い出を頭の中で繰り返した。


「先輩、どうして……?」


 美空の疑問に答えてくれる、優しい声はない。あのぬくもりもない。ふと腕を見れば、頑丈に作った、お揃いのミサンガが見えた。それを見つめて、美空は何もできずにただただ座ったまま、時が止まったかのように過ごした。

 

 午後になるまで、美空は生徒会室から動くことができなかった。泣き疲れて頭は働かず、顔中酷いことになっているのは、鏡を見なくとも理解できた。全身から力がふと抜け、気力が大気の中に消えてしまったかのようだった。


 美空くんと呼ぶ声が耳の奥で聞こえた気がした。それはきっと期のせいで幻聴だったけれど、思い出の中の夕に名前を呼ばれる度、美空の視界は滲んだ。


 やっと少し気持ちが収まるころになって、美空は魔法のノートに夕からの手紙を挟んでしまった。叶えられなかったお願いが書かれたまま、更新されていない。クリスマスに見る予定だった、映画のチケットも挟まったままだった。


「先輩、苦しいよ」


 美空はぐっとお腹に力を入れる。泣いて重たくなった瞼をぎゅっと瞬かせて涙を振り切る。


 午後になってやっと美空が突っ伏していた机から起き上がったのは、生徒会室で午前中をずっと過ごしたからだった。とっくに始業式は終わっていて、ホームルームも済んでいる。


 早く学校が終わったことで、部活を始める生徒たち。遊びに行くのが楽しみで、浮かれた足取りで下校するみんなを横目で見ながら、美空は泣きはらした顔が収まってから、言われたとおりに電気を消して生徒会室を出た。


 振り返って見てみたが、そこに夕の姿は当たり前のようになかった。


 心臓をズタボロにされた気分で職員室へと向かい、美空は夕のクラスの担任の教師に、夕の家の場所を聞き出そうとした。もう、それしか夕と会う方法も、事の真相を知るすべもなかった。


 夕の担任の先生は、生物の初老の男性だった。美空のやつれた様子を見て、一瞬大丈夫かと目湯根を寄せた。それに美空は大丈夫だとうなずき、夕がどこへ向かったのかを尋ねた。


「ああ、葵田は留学したんだったな。急きょすぎて、私も全然何もできなかったんだけどな……君は二年生の?」


「坂木です。葵田先輩とはおつきあいしていて……」


 夕の名前を言って、美空は身体がちぎれんばかりになった。生物教師は、なんとも哀れなものを見るように、美空を心配した。


「聞いていなかったのか? それは、そう取り乱すのも分かるけれど」


「私は、何も知らされていなくて……ですから、先輩のお家に行って、直接聞きたくて」


 美空は今にも零れ落ちそうになる涙をこらえて、腹にしっかりと力を入れた。それでも出そうになってくるものを押しとどめて、声がぎゅっと詰まって掠れた。


「気持ちは分かるし、手助けしたいけど……でも個人情報なんだよ、勝手に葵田の家の住所を教えるわけにはいかなくて」


 教師は参ったなと言うように頭をポリポリと掻いた。人がよさそうな教師で、美空と夕の関係を知って、そしてこんなに取り乱した美空を見てかわいそうに思ったのだ。しかし、どうしてもできないんだよなと、口を明後日の方向にひん曲げた。


「住所がダメなら、電話はできますか?」


「それもなあ」


 今うるさいんだよ、と盛大にため息をはく。どうにかしてあげたいと思ってくれているのは、美空にも伝わってきていた。


「参ったな。昔だったら教えても問題になるようなことなかったんだけどさ。今は色々と気をつけないことの方が多くて」


「そうですか」


 落胆して今にも死んでしまいそうな幽鬼のようになった美空を、押しとどめるかのように生物教師は組んでいた腕を解いた。


「ああ、そうだな……。先方に連絡をしておいてあげよう。二年の坂木ね。フルネームは……そうか、念のため住所と電話番号も。先方には君のことを聞かれたら伝えてもいいね?」


 それに美空はうなずいた。夕と連絡が取れるのであれば、住所も電話番号も、どうしたっていいと美空は思えた。


「先生、ありがとうございます」


 美空が深々とお辞儀をすると、眼鏡の奥の優しそうな瞳が揺れた。


「……ずいぶんと酷い顔をしているから、早く帰りなさい。気をつけて。連絡がついたら、君に必ず教えるから」


 にっこりと優しい笑顔を見せられて、美空は思わず涙が込み上げて来そうになり、大慌てで頭をもう一度下げた。それに先生は「気をつけてな」と再度声をかけた。


 それにうなずくと、美空は職員室を去った。夕のクラスに行こうか迷ったのだが、その勇気も出ず、美空はとぼとぼと一人で下校した。

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