第13話

 翌日美空は大変緊張したまま日中を過ごし、学校から出て夕と待ち合わせ場所で落ち合うと、今にも心臓が口から出てしまいそうだった。


 昨晩から胸の高鳴りが押さえられない。どんな風に見た目が変わるのだろうと考えるだけで、楽しくて地上から浮いてしまっているような気分になった。


 そんな美空の明るい表情に、夕は嬉しそうにした。息を整えながら電車に二人で乗り込むと、美空を柔らかな視線がのぞき込んでくる。夕は楽しそうに、いたずらっぽい笑みを乗せていた。


「天使に会う前に、ちょっと寄っていきたいところがあるんだけど、大丈夫?」


「もちろんです」


「そこで一仕事するように、頼まれちゃって」


「何でもします。昨日から、ドキドキして楽しみで、眠れなかったんです」


 親には今日も生徒会の手伝いをすることになったと連絡をした。そうして重ねた嘘は、何の抵抗も無くなっていく。それよりも、自分を変えるドキドキの方が強かった。


 ついこの間まで、自分なんか死んでもと思っていたのが嘘のようだ。美空の生き生きとした表情に、夕もほっとしていた。


 どこに行くのだろうと美空は尋ねようかと思ったのだが、見越した夕に「内緒」と言われてしまって、黙ってついていくことにした。教えない方がいいから、夕は美空に言わないのだ。そう思うと、美空は夕の優しさに心が震えた。


 夕と一緒に向かった先は、ショッピングモールの中にある、何の変哲もない、コンタクトレンズのお店が併設されている眼科だった。


「ここ、ですか?」


 美空が目を瞬かせると、夕はニヤリと口元に笑みを乗せる。美空の手を握りしめて、逃げられないようにしていた。


「美空くん、天使に君のことを伝えたら、まずはコンタクトにしてみるといいって言われたんだ。だから、チャレンジしてみてほしいんだけど、どうかな?」


 美空は眼鏡やコンタクトレンズが置いてあるお店を見つめて、固まった。ずっと眼鏡だったので、コンタクトレンズの良さが分からない。しかし、せっかく連れてきてもらったのに、できないといきなり拒否したくも無かった。


 様々なカラーコンタクトや、瞳を大きく見せるもの、そして、視力を矯正するもの。美空はまるで縁が無いと思っていたそれらを前にして、ごくりとつばを飲み込む。


「怖いなら、今日だけでもいいけれど」


「いえ、行きます。せっかくノートに書いたんです。やらなくっちゃ、後悔します」


 嬉しそうな顔をした夕が手を引いてくれると、美空の身体は迷いなく進むことができる。コンタクトにしたいというのを眼科の受付に夕が告げ、美空は鼻の横にいつも赤い痕を残す眼鏡を、その日を境に手放した。


 視力を測ったり、さまざまな検査を終えると、丁寧にコンタクトの装着方法を教えてくれる。初めてのことにドキドキしながら、薄くて柔らかいそれを、恐る恐る目の中に入れた。


「――え、こんな、くっきり見えるものなんですね」


 初めて目に挿入した感じとしては、異物感もなく、痛みも全くなかった。眼鏡ではレンズから外れた部分の景色がぼやけて見えるのに、コンタクトレンズにはそれが無い。それが新鮮で、まるで視力が良くなったような錯覚になった。


 鏡を出されて、正面から見た自分の顔に、美空はびっくりした。眼鏡を外せば鏡の先の自分もぼやけて見えていたのだが、眼鏡が無くても自分の姿がくっきりと映っているのが、不思議でならない。


 辺りを見回してみても、鼻の脇や耳の横の痛みもなく、すっかり世界が違って見えた。世界が明るくなったような感じがして、美空はコンタクトレンズをとても気に入った。


「慣れるまでは無理しないほうがいいって、店員さんも言っていたね。あと、つけたまま寝るのはダメだって」


 視界が開けたようだと美空は思った。それはまるで、ゲームで強い武器を手に入れた弱小の勇者のような気分に似ている。鼻の横をいつも赤くする重たい眼鏡とさようならをしただけで、ものすごく世界が広がって明るく輝いて見えた。


「気をつけます。あの、先輩、ありがとうございます……何もかも色々としてもらって」


「何を言っているの。美空くんが叶えたいと思った願いであって、眼科に一緒に行っただけで僕は何もしていないよ。それに、お礼を言うには、まだ早いよ」


 夕がニコニコと楽しそうにしながら向かった先は、一軒の美容室だった。ただし、電気がついていない。閉まっているのは明らかだった。


「ちょっと待っててね」


 夕はポケットから携帯電話を取り出すと、誰かに電話をかける。そして、通話が終わり、しばらくすると店の横の扉が開いて、中からオシャレな女性が出てきた。


「良いわよ、入って」


 女性は夕そう告げてから、隣に立っている美空を見つめる。


「こんにちは、あなたが美空ちゃんね?」


「あ、はい……」


「さあ、入って。とびっきり可愛くしてあげる」


 ウインクをされて、思わず美空は頬が赤くなった。行こう、と夕に手を引かれて、カーテンが閉められている店内へと入った。


 これから何が起こるのか、美空には全く想像がつかない。しかし、夕の言っている通りにすれば、間違いはない。やりたいことを一緒に叶えてくれる神様がいれば、美空には怖いものなんてなかった。

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