第12話

 *


「――見た目を、変える?」


 叶えたいお願いごとを書いた魔法のノートを持って、さっそく美空は翌日の早朝に夕と屋上で密会した。


 夕は、美空が書いたノートの言葉を読むと、疑問符を投げかけた。それに美空は、変なお願いだったかなと一瞬恐ろしくなったのだが、夕は「ふむ」とでも言うように、顎に手を乗せてゆっくりと考えていた。


「美空くんは、どういう風に、変わりたいの?」


「その……」


 先輩の隣に並んで歩いても平気なように、とは言うことができず、具体的にと言われて思いつくことがなかった。


 ただただ、見た目が変われば、少しでも現状の苦しさが変わるのではないかと思っていたからだ。美海のようにと言おうとも、夕は美海を知らない。かといって、芸能人やモデルなどに憧れたこともないので、美空は言葉に思い切り詰まってしまった。


「美空くんは、そのままでも十分可愛いよ?」


 歯が浮くような台詞は、夕の前では無意味だった。紡がれる言葉の響きはまるで、天使が歌う歌のように軽やかでその場にひらりと舞い落ちる。


「えっと……でも……」


 ありがとうございます、と尻すぼみになってうつむいた。初めて男の人に可愛いと言われて、顔だけではなくて、耳まで真っ赤になっているのが分かる。夕のことが直視できなくて、美空は爆音を打ち鳴らす心臓をおさめるのに必死になった。


「僕からしたら、十分なんだけど……でも、美空くんが見た目を変えたいと思うのなら、魔法をかけてあげることができるかもしれない」


 美空は思わず、ゆっくりと夕を見つめた。相変わらず美しい顔をして、夏の暑さなど微塵も感じていないかのような涼やかな瞳で、美空にほほ笑む。


「魔法……」


 美空は思わず、魅力的なその言葉をつぶやいた。かぼちゃが馬車に変わり、ボロボロの服がドレスに変わる。そんなことが一瞬で起きるとは思えないけれども、夕にだったら何かそういった魔法のようなことができるのではないかと、胸が期待で膨らんでいく。


「つまり、容姿に自信が持てるようになりたいんだよね?」


 十分可愛いのにな、と夕は苦笑いをするが、美空は耳まで赤くしながら、自信をつけたいという部分に対して、こくこくとうなずく。もっと、もっと、この先輩の隣を堂々と歩ける自分になりたいのだ。


「君はもっと魅力的になれるよ。僕が約束する」


 夕はにっこりと笑って、ノートを持ち上げて見つめた。白い指先が、ノートに書かれた文字をつ、と撫でる。まるで、自分が撫でられているかのように思えて、美空は思わず姿勢を正した。


「女の子は誰だって、かわいくなりたいと思うものだよね。僕の知り合いの天使に聞いてみるから、ちょっと待っていてくれる?」


「天使、ですか?」


 そうだよ、と夕は不敵にほほえんだ。口元には、自信がたっぷりと乗っている。


「見た目を変えるスペシャリスト。頼むのに、一日だけ時間をくれないかな?」


「はい、もちろんです」


「じゃあ、天使に許可が取れたら連絡するから、連絡先を交換しよう」


 言われて携帯電話が差し出される。美空は驚いて目を見開いた。思わず、口をアホみたいに開けたまま、閉じられなくなった。


「いいんですか、先輩の連絡先、私なんかが知っていても」


 そう言った美空の唇に、夕の指先が触れた。あまりにもビックリしすぎて美空は息が止まるかと思った。


「私なんかって、自分を卑下しちゃダメだよって言ったよね?」


 ぐい、と覗き込んでくる瞳は、いたずらっぽさがあるものの、真剣そのものだ。自分を卑下することを、この神様は許してくれない。そして、そんな夕の表情を見て、美空は二度と止めようと思った。


 卑下するくらいなら、変わりたいなどと思う方がおこがましい。こうして手を貸してくれようとしている人に、失礼だと思って素直に謝った。


「よくできました。もう二度と、美空くんは自分なんかって言っちゃダメだよ。約束だからね」


 はい、とうなずくと、差し出されていた携帯電話が目に入る。美空はさっと夕を見つめた。


「あの、でも。先輩の連絡先は……私以外にももっと欲しい人がたくさんいるはずで」


 夕は知名度も相まって人気があるため、よく告白をされているという噂話を聞く。連絡先だけでも教えてほしいという女子生徒たちを、ことごとくかわしているという尾ひれまでついて。


 美空は、そんな人とこうして会ってもらえているだけでも、人生の幸せを使い切るほどに嬉しかったのに、さらに連絡先まで知ってしまったら、幸せがパンクするのではないかと不安になった。


 しどろもどろになる美空を見て、夕はふふふと笑う。


「僕が連絡先を教えたいって思った人に教えるのはダメなことなのかな? それとも、美空くんは、僕の連絡先を知ることが嫌?」


「滅相もないです……もちろん、ちょうだいいたします」


「やだなあ。なんで、そんなにかしこまるの?」


 夕は美空の口調にくすくすと笑い始めた。鈴が転がるような笑い方で、あまりにもおかしそうにするものだから、美空はすっかり夕のペースに飲まれてしまい、あっという間にメッセージアプリの連絡先を交換した。


 その日一日中、美空はそわそわしっぱなしだった。夕と数回、授業の合間に確認程度の連絡を取る。それが、内緒のやりとりのように思えて、心臓がずっと鳴りやまなかった。


 そして、夜に夕からきたメッセージには「明日、天使がOKって言っていたよ」と書いてあった。思わず美空は、自室でやったと笑った。


 そして、感謝の念と共に、布団に入り込むが、ちっとも眠気がやって来ない。ワクワクとドキドキに、胸が押しつぶされそうになって、まるで遠足前の小学生の気分だった。


 暗がりに慣れてきた目で天井に差し込む月明かりを見ながら、こんなに毎日が楽しいことに美空は胸がいっぱいになったのだった。

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