第19話(別視点)



 生卵事件はさらに面白かった。

ゆで卵ならぶつけられても食べられたのに、と真面目な顔でいうセイランを見て、私は笑いが止まらなかった。やはりこの子は違う。普通はまず物を投げつけられたことに腹を立てるのが当たり前だ。でもセイランは、卵が無駄になったことしか頭にないようだった。




生卵でべとべとに汚れた状態で、食べ物を粗末にするなと説教する彼女を見て、騎士団長のダレンが真っ先に己の非を認め謝罪をしていた。

まだダレンはニセモノだと知らないのに、蛇蝎のごとく嫌っていた相手に謝るほど、彼女の言葉は胸に響いた。


……セイランのような人が、聖女であるべきなのにな。


どうしてもあの聖女が本物であるとは信じたくない。セイランには癒しの力があるし、彼女が聖女であってもいいように思う。



 私は一縷の望みを持って、セイランに聖女のしるしがないか調べることにしたが……まあ当然と言えば当然だが、彼女はしるしを持っていなかった。


着替えを手伝うと称して無理やり脱がせてまで体を見たというのに、どこにもしるしは見つけられなかった。


 まあ、そんな都合のいい話があるわけない。どんなに醜くとも、あの女が聖女である事実は変えられない……そう思ってひそかに絶望していたのだが……。




 セイランの祈りの儀式を行う姿を見て、考えが変わった。



 こんな光景は見たことがない。


 位の高い司祭や大司教様が祈りを捧げると、確かに空気が浄化されることがあるが、それはあくまで体感で、目に見えるわけではない。


 セイランがおこなったそれは、祈りと共に光があふれ部屋からその場にいた者まで全てを浄化していった。


……こんなのは知らない。教会に伝わるどの魔法にもこのような術はない。祝詞は聖書にある文言と相違ないのに、彼女がそらんじるとこんな魔法が飛び出すのか。



 セイランのことは、代役として条件に当てはまっただけで、まさかこんな力を持っているとは思っていなかった。


 そもそも、彼女はシスターとして正規に教育を受けたわけでもないから、祝詞を暗記しているとも思っていなかった。だから形だけお祈りをしてもらって、あとは私の指示通りに動いてもらうつもりだったのに、全く私の出る幕などなかった。



 

 その後、周辺を歩いて領民に挨拶をして回ったのだが、ここでも私は、セイランに対する認識を改めることになる。

 


 私が何の気なしに言ったせいだが、セイランは出会った人たちに出し惜しみすることなく癒しを与え、皆の不調を次々と治していった。


 大した効果はないと本人は言っていたのに、これは逆に騙された気分だ。癒しの力を持つ司教であっても、こんなに簡単にその場で完治させてしまうほどの力を持つ者はほとんどいない。


 確かにセイランの言う通り、腰痛や歯痛などばかりで治療が困難な大怪我ではないが、痛み軽減などではなく、何の副作用もなく完全に治癒できている。それも一人二人ではない。次々と癒しをかけているが、セイランが体調を崩す様子もない。それがどれだけすごいことか、本人は全く気付いていないのだ。


 それに、セイランは垢に塗れた顔でも爛れた手でも構わず触れるし、異臭を放つ相手であっても何一つ気にする様子もなく接し平等に癒しを与えていた。


 それに泣いて感謝する相手にセイランは『たいしたことしてないですけどね』と軽く受け流す。

貢物をたくさん渡されても、そこにどれだけ高価なものがあろうが食べ物しか受け取らないし、それも食べきれる量だけ取って、あとはみんなで分けてくださいと言う。


 その姿に胸を打たれない者がいるだろうか?

 女神教に批判的だった人々も、セイランの人となりに触れるとあっという間にほだされていた。


 騎士団長のダレンも、双子のウィルとファリルも、これまで受けた仕打ちのせいで聖女のことは蛇蝎のごとく嫌っていたのに、気付けばダレンはセイランに完全服従し、双子は彼女を姉と呼びべったりくっついて離れなくなってしまった。



 だがセイランは、ダレンに傅かれても双子に懐かれるようになっても、特に態度を変えることもなく戸惑うばかりで、むしろ迷惑そうな様子だった。

彼らをいかようにも利用できる立場を得てもなお、何かを求めることもなく、変わらぬ態度で接していた。



……私は、それでもまだ彼女を信用しきれていなかった。

彼女もいずれ俗世に染まってしまうのではないかという考えが捨てられずにいた。

今はまだ自分の価値に気付いていないから謙虚なだけで、いつかそれに気づいてしまったら、いくらあの純真なセイランといえども今と同じままではいられないだろう。



セイランの存在が正当に評価されるべきだと思う一方で、あの聖女のようになってしまう可能性が捨てきれず、彼女の力の稀有さについては本人に告げられずにいた。



それに、もし彼女が選民意識を抱いてしまうようになったら、あの貧乏な村に帰りたくないと思うようになってしまうかもしれない。


兄弟たちは笑顔でセイランを見送っていたように見えたが、姉が自分たちのために大変な仕事を引き受けたのだと知っていて、せめて姉に心配をかけまいと気丈に振る舞っていたのを私は知っている。

商人に売られる予定だった末妹が『自分を買ってほしい』と私にこっそり提案してきたり、弟たちも同じように自分ではダメかと訊いてきていたのだ。


この家族は、お互いを想いあい大切にしている。セイランがあのような環境でも純粋に育ったのも家族の愛があったからだ。


私はそんな彼らを見て、借り受けたセイランを無事に家族の元へ返さなくてはと心に誓っていたので、できるだけ以前のままの彼女でいて欲しかったのだ。



どれだけ純粋な人間であっても、人は変わるものだ。

私はセイランの人間性を見てもなお、その考えに囚われて彼女を信用しきれていなかった。




 その考えが間違っていたと、はっきり気付かされたのは、双子の提案でその町で一番有名なスイーツ店に行った時だった。



 双子の提案から始まったことだが、ずっと働き詰めだった聖女の労をねぎらおうという目的で、私と騎士団長も連れ立ってそこへ赴いた。


 故郷の村からセイランは出たことがないと聞いていたから、きっとこんな流行りの菓子は食べたことがないだろう。色とりどりの美しい菓子を見て、喜ぶに違いないと単純に考えていた。



 だが、彼女はその菓子に手を付けなかった。


 震える声で、これは食べられない、と言って私たちに向かって謝った。


『このケーキひとつの値段で、貧民層の人間なら一週間は家族全員の食事が賄えるな、と思うと……私が食べるわけにはいかない気がして……』



 この言葉を聞いて、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。


 セイランが、菓子など買う余裕などない生活をしてきたのを知っていたから、こんな食べたこともないような高級な菓子をごちそうしたらきっと喜ぶと思って疑いもしなかった。



 ……私は自覚のないまま、そうやって貧困層出身の彼女を見下していたのだ。


 最初から彼女が高潔な人間だと分かっていたのに、それを認められず信用できずにいたのは、ただ私の心が汚れていたからだった。

あの聖女を醜悪だなどと罵りながら、自分も同じような人間になっていた。

 どれだけ自分が驕っていたのかと自覚して、私は羞恥で顔があげられなかった。



 口数の少なくなった私をセイランは気遣うように声をかけてくるが、申し訳なくて彼女の顔をまともに見ることができなかった。


 彼女に詫びたい。だがどうやって詫びたらよいか分からず、それからずっと曖昧な態度と取り続けてしまった。



 のちに、私はこの時にちゃんとセイランと話をしなかったことを激しく後悔することになる。



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