ペイントデリーター 〜アナタの落書きお消しします〜

アリエッティ

第1話 動き出すラクガキ

 「なんだこれオイ!」

 駅前の落書き、白い壁や閉店した店のシャッターなど様々な場所に描かれる。その度に業者は消しに向かうのだが次の日にはまた新たな絵が描かれている。


「コッチの気持ち考えろコラ!」

消しては描かれのイタチごっこ。止めるには犯人を突き詰めるしかないのだが、探す手間より早く新作が描かれる為その暇も無い。


「人員増やすべきかコレ?」

小さな落書き消し業者を営むコレオンは、日々の苦労に嫌気がさしていた。若干19歳で起業した会社も経営はほぼ個人、社員などいないに等しくソロプレイが基本的だ。


「好きで始めたはいいがキツ過ぎないか?

オレの体力が少な過ぎるのか..。」

凄まじく小柄で劣等生であった為、人と異なる事をしようと始めたペンキ消し。まさか路上のアーティストがここまで多いとは思ってもみなかった。


「壁にネズミの絵を描く奴は犯罪者だな、消す奴の苦労を考えてねぇもん。」

と言いつつシャッターの絵はほぼ消えている。

慣れれば速さは嫌でも上がる、これも能力だ


「取り敢えず一つ目終わりだ、次どこだ?」

落書きされやすいスポットがある程度わかってきた。そこをあらえば必ず見つかる。


「ここか、白い壁汚しやがって迷惑野郎が。

..女子かもしれねぇけど、どっちでも許さん」

色とりどりのタトゥーのような絵、何か意味があるのだろうか?


「アートにしちゃ出来が悪いな!

芸術はまるでわかんねぇけど、早く消そ。」

インク用の洗剤を布巾に染み込ませ上から強く擦っていく。力と時間が掛かるがこれで大概の絵は消えてくれる。


「...あっれ、おかしいな。消えないぞ?」

絵の表面を幾らこすっても消えてくれない。インクに洗剤をかけ直し上から拭いても滲みすらしない。


「頑固だな随分と...」

その後、様々な方法を試してみたが落書きが消える事は無かった。


「はぁ..たまにあるんだよな。こういう面倒な絵を描くやつが。仕方ない、他をあたるか」

取り敢えず上から洗剤を満遍なく掛け、他の絵を掃除する事にした。


「時間経てば洗剤で剥がれてくれるかもしれないしな、持久戦といこう」

敵はまだ沢山いる、一つの絵ばかりにかまけている暇など無い。


「そろそろ洗剤切れそうだな、また買いに行かないと替えが無い。」

容器を振って音を確認し、使用料を調節する。


「ふぅ..夜が明けなきゃいいけどねぇ。」

睡眠はいくら摂っても足りないが、重労働のお陰で寝付けないという事は無い。


「太陽さん、出来るだけ沈まないでくれ」

陽の光に手を合わせ、戦いに挑む。消えても蘇る無名アーティストの作品群たちに。



『……アテテテ、目にシミル。』

白い壁から声がする。いや正確には、かつて〝白い壁だった〟派手な色彩から。


『サァテ、そろそろ始めマスカ..!』

表面に撒いた洗剤が絵から剥がれ落ちた。


朝の日差しは夕焼けとなり、やがて太陽が眠る頃、月が輝き顔を出し始める。


「..よし、消えた!

これで一通り...あ、もう一個忘れてた」

最後と思われる落書きを漸く消した。明けはしなかったが、もうすっかり暗くなっている。


「洗剤..まだあるな?

行ってみるか、その後どうなったか様子見に」

明るい内に一度諦めた絵を眺めに駅の奥から入り口付近の白い壁の方まで戻る。


「さぁてどうなってるか...」

強力な洗剤を撒いたゆえに消えていて欲しいが見ない事にはわからない。


「さて白い壁は...ダメだな、消えてねぇ。」

散布しても消えぬのなら擦っても無駄だろう、試しにかけて布巾で拭ってみたが無駄な足掻きだ。容器の中に関しては、間抜けな音を立てて空になってしまった。


「駄目か、面倒過ぎるな。

...先ず洗剤買い足そう、この時間でも空いてるからなあの店。有難い話だよ」

コレオン御用達の洗剤屋〝ハムレット〟は、派手なドレスを着用した老婆が営んでいる老舗だが品揃えが良く、多種多様な洗剤を販売している。業者にとっては有難い店だ。


「駅前にあるってのが有難いよな、丁度作業の場が多い場所だからな。」

怪しいパソコン教室の2階、階段を登っていくと黒い扉の前に行き着く。その扉の向こうの一室に洗剤屋と称した店頭がある。


「ばぁちゃん、洗剤買いにきたぞ」

窓の方を眺める背中が椅子に座り、声を掛けると椅子ごと回転して顔を見せる。しかし今回は見知らぬ顔がこちらに振り向いた。


「どんな種類?」


「あ、あれ..ばぁちゃんは?」

偉く若返った綺麗な髪の少女が無愛想な目でこちらを見ている。


「死んだ。」「はっ、死んだ!?」

突然の訃報、あっさりと言う態度を見るとそこそこの刻が経ったと見える。


「いつ逝ったんだよ?」


「...一週間前だよ、私は孫娘。これでいい?

で、ご注文は何ですかお客様!」

聞きたい事が多々あるが気が立っているように見えたので用件を言う事にした、まだ立ち直りが上手く言っていないのかもしれない。


「インク用の洗剤を買い足したい。普通のやつと、少し強いやつ。どうしても消えない落書きがあって参ってるんだ。」


「ラクガキ..?」


「駅前は特に大変なんだ

消してもキリが無いほどまた書かれて。」


「そうか、アナタが...!」

強く反応を示している。やはり珍しい職種なのだろうか、客として多くはいないだろう。


「洗剤ある?」


「待って..」

近くの棚をガサゴソと激しい音を立てて開閉しては洗剤を探る。


「あった、コレ。」

三つ目の引き出しに入っていた筒状の容器に入った液体を複数手渡す。


「有難う...ってこれいつもの奴だよ?

もっと協力な奴ないの、これも必要だけど」


「わかってるよ、だからコレも。」

部屋の奥から持ってきたのは大きなデッキブラシ。持ち手が少し太く何かが備え付けられている、驚くほど真っ白なカラーリング。


「何これ、何この持つとこ。」


「使ってみればわかる、それあげるから。

消えないラクガキに使ってみてよ」


「これくれるのか?

...なら、使ってみるか。」

借りる訳でも購入する訳でも無いので料金はタダ、個別の洗剤代のみで済んだ。


「ありがとうな〜。」

手を振って元気に店を出るサマは深夜の客とは思えない。良い買い物をした後というのは時間を問わず上機嫌なものだ。


「アイツでよかったんだよね、おばあちゃん」


闇夜にアーティストは動くと聞く

朝の駅を塗り替えるのは、暗闇の仕事...。


「さぁ、今夜も始まるぜ?」


「この駅をオレら色に染めようじゃねぇか!」


「高ぶるぜぇー!!」


街のゴロツキ三人組 JP、アルゴラ、ラデュー。

風体からわかるようなヤンチャな仲間達が駅周辺を塗り替えていた張本人。しかしこれも一部に過ぎない、落書きというものは多くの確信犯が好き勝手に行うものだ。


「さて、今日は何の絵を描こうかなぁ!」


「チョット、ソコのお兄さんガタ!」


「..あ? 誰だお前。」

三人を呼び止める小柄な人型、道化師のような白塗りのメイクを顔に施しているため性別は定かではない。しかし雰囲気は確実に駅とは馴染みがなく、不気味な印象。


「ワタシの名はパブロ!

...ット、ソンナコトはドウデモイイのデス!

ソレヨリモ〜..コチラ!」

掌に乗せた丸型の容器、中には少し固形に近い液体がいっぱいに詰められている。


「絵を描クナラバ、コチラのインクを使ッテミテはイカガデショウ?」


「あ?」

闇に映える白い顔は、はっきりと口角を上げ笑っていた。


「よし、やるか。」

何度目のリベンジか、再びの再戦。


「よっ..!」

先ずは初手、いつもの洗剤を上から満遍なく振り掛けラクガキの表面を覆う。


「次にコレだ。」

今まではこれで終了だった、しかし今回はそうはいかない。新たな味方が良い働きをしてくれればいいのだが。


「よし、いくぞ..。」

落書きの書き始めに、デッキブラシの角を軽く沿える。するとおかしな感触に触れた。


「なんだこれ、押されてる..?」

デッキブラシを押し当てると、壁側から押し返されるような反発を感じる。


『ピ..ピギィッ!!』 「は?」

絵に押し飛ばされ、尻餅をつく。ラクガキが壁ごと蠢き形を変える。


「なんなんだ...これ。」


「始まったわね」「..お前。」

隣に立っていたのは洗剤屋の娘、目を疑うような目の前の現象が何か理解しているようだ。


『ピ..ピィッ!!』

タトゥーのような意味不明な模様が、鳥の形に変化する。新たな鳥の落書きは壁をつつきながら表へ出ようと羽をバタつかせ激しく暴れている。


「何なんだコイツ..?」


「これはバジリスクね。基本は群れで動くけど、一羽って事は無理矢理描かれたのね」


「な..バジリスク?

しっかり説明してくれよ、よくわかんねぇ!」

冷静に絵を見て判断しているが、充分におかしな光景だ。誰が彼女をここまで慣らさせたのか、考えずともばぁちゃんだろう。


「そろそろ出てくるよ。」


「オレにどうしろってんだよ」


「渡したでしょ?」「な、まさかコレか..⁉︎」

心当たりのデッキブラシ、使い勝手が良さそうだとは思っていたが用途が違う。


「ていうか何で壁から出てくるんだアイツ⁉︎」


「決まってるでしょ、書かれたからよ。」


「答えになってねぇ!」

書かれて出てくるラクガキなど聞いた事が無い。子供が喜びそうなギミックだが、業者にしてみればはた迷惑だ。


『ピ..ピギィッ!!』


「さっきからなんか苦しそうですけど?」


「洗剤のお陰よ。市販用に薄めたやつだけど充分な拘束具になるわ」


「普通の洗剤じゃ無かったのかアレ!」


「当たり前でしょ?」「なんでだよっ!」

しかし効力がやはり甘かった。洗剤の網は徐々に破れていき、バジリスクは大きく翼を広げる。


「来るわよ!」

地上に降り立つ鳥の脚、鋭い眼はコレオンを睨むと強い光を放つ。


「なんだあの目..!」


「威嚇してるんでしょう、相当怒ってるわ。

容赦なく落としてやりなさい!」


「落とす? なんだよそれ。」


『ピギーッ!!』

吠えたける虹色の鳥。壁に描かれたインクのカラーリングは、不覚にも大翼を美しく彩る。


「なんだ、アイツ飛べないのか!?」


「羽を広げるだけ、特出すべきは脚の速さよ」

セスナのように広げた翼をリーチとした突進攻撃。コレオンは反射的に腰を低くして翼の下に潜り込み、デッキブラシを縦に振る。


『ピギーッ!!』


「羽が...消えた?」

大きな翼の片翼が捥げるように無くなっている。デッキブラシの先端には、翼と同じ色のインクが付着していた。


「落とす...成程、そういう事か!」


「そうよ、そいつはラクガキ!

掃除屋のアナタなら、落とすのは簡単でしょ」

形が変わろうと素材は同じ。デッキブラシは掃除の道具だ、なら用途も変わらない。


「でもこれやり続けたら汚れるんじゃ..」


「手元を見てみなさい!」「手元?」

持ち手のタンクに液体が溜まっていく。


「インクを落とすとタンクに洗剤として還元される。だから落とせば落とす程威力は増していくのよ」

溜めた洗剤をブラシに出して使用する事も出来る。というよりそうしなければ、どんどんと溜まっていきパンクする。


「さぁどんどんやっちゃいなさい!」


「随分と便利なもん貰っちまったなぁ!」


『ピギー!!』

片翼を削がれ転げ落ちていたバジリスクが再び立ち上がり、突進攻撃を繰り出す。確実に先程よりもスピードが減少している、これならばギリギリでなくとも簡単に躱せる。


「一気にやらせて貰うぞ?」

タンクからブラシへ洗剤を満たし、正面から堂々と構える。最早突進を躱す程の猶予も与えない。


「おりゃっ!」

フルスイングで振り上げたブラシが鳥の身体を大きく抉った。カラフルなインクはタンクに全て吸収され、形を残さず洗剤になる。


「やっと消えた..。」

これで漸く眠りにつける。今日の仕事は随分と長引いた、もういい加減家が恋しい。


「いや、まだよ。」「え?」

目を疑った。日中に消した筈の落書きが、全て復活している。それもさっきみた模様と同じ、おそらくインクも同じものだろう。


「おい、ちょっと待てよ..。」


「遂に始まったわね。」

冷静な反応を示す孫娘は、どうやらこうなる事を前から察していたようだ。


「..お前、何もんだよ。」


「私の名前? レイサだよ。

..今更名乗るのもおかしいけど、おばぁちゃんが言っていた事はほんとうにだったんだね」


「ばぁちゃんの言ってた事?」


「話は後、取り敢えずラクガキ消すよ!」


「今でも別に話せるだろ...。」

文句をいいつつ仕事に取り掛かる。

気になる話は終わってからだ。













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