第22話

予が待っておった待望の絵師が来る。

 なんと、あの片桐且元のつてじゃ。

 さすが且元、古だぬきだけあって多方面に、人脈は豊富のようじゃのう。

 なんでも、狩野内膳という絵の大家の紹介で、岩佐又兵衛という男だそうじゃ。

 風俗画を得意とし、型にはまらない画家らしい……

 予の条件にぴったりではないか!

 今、ここに来る。

 なんか、ワクワクするのう。

 なんとなくスターを待つファンの心境じゃ、ほほほ……

 「秀頼様、絵師が来ましてござる」

 「おう、待ちかねたぞ、これへ」

 「失礼つかまつる」

 なんだ、パッとせん若い男じゃのう……

 中肉中背、と言っても160センチくらいかのう?

 この男、ずいぶんと痩せておるのう。

 栄養状態の悪いこの時代、あまり太ったやつはおらんが、余りにも痩せ過ぎじゃ。顔も青白い。栄養失調と違うか?

 せっかく痩せはじめたと言うに、予のデブが際立つではないか!もっとやせねばのう。

 この風采のあがらぬ男、へへーっと平伏して言った。

 「岩佐又兵衛でござる」

 「うむ、予が豊臣秀頼である。直答を許す、面を上げい!」

 又兵衛は顔をあげ、予の姿をまじまじと見つめる。

 と、その顔に激しい動揺が走った。

 「ん?なんじゃ、予の顔に何かついているのか?」

 「い、いえ、何でもありません!」

 甲高い悲鳴のような声をだすと、又兵衛は平蜘蛛のように這いつくばった。

 おかしい、何かある!

 「すて、すて!」

 予が叫ぶと、隣の部屋に控えておった五条棄丸が、直ちに入ってきて平伏した。

 「これにて」

 「うむ……この男、予の顔を見て激しく動揺しおった。

 なにかあるぞ、そのほう、理由を聞け」

 「は、直ちに!又兵衛どの、こちらに、こちらに。

 なーに、何も怖がることはござらん。ささ、これへ、これへ……」

 棄丸は、又兵衛をヒョイと抱きかかえると、素早く隣室に連れて行った。


 それから半時(一時間)、予はともえ、重成と共に、ただ黙って待っておった。

 予のカンが余りよくないことだと知らせておったからのう。

 やっと、ふたりは隣室より戻ってきた。

 予の近くまで来て、再びそろって平伏する。

 めんどうな!

 「これ、くだらぬ儀礼はなしじゃ。さっさと話せ!」

 「しからば……」

 棄丸、顔をあげ、正座しなおし、話し始める。

 「又兵衛どのは、秀頼様について、市井(街中)で話されおる事を詳しく教えてくださり申した。

 今の秀頼様はキリシタンバテレンによって乗っ取られ、操り人形である。

 中味は悪魔じゃ、気をつけろと。」 

 「な、なんと!」

 いくぶん、当たっているだけに予は大きく動揺した。

 お拾いどのが取り付かれているのは間違いない。

 バテレンの悪魔ではないが、『おたく』がいる。

 こ、これはいかん、ひょっとして、『おたく』は、悪魔かも? 

 ……守護神だと思うよ、ずいぶん出しゃばりの、すけべ神ではあるが。

 ここはひとつ、言い訳しとかねば!

 「た、確かに予の心の中には、仏様から送られた修羅王が!

 戦いの神の分身がいるが、バテレンとは違うぞ。

 むしろ、その反対じゃぞい。

 それに、戦国の世、武士には多かれ少なかれ修羅王は住み着いておる……

 ただ予のが特別大きいだけじゃ!」

 「そのこと、そのこと……

 又兵衛殿、秀頼様には確かに戦いの神が降りてきてござるが、バテレンではござらん。

 一向宗宗徒のこのわしが保障する」

 変な保障であるが、又兵衛は納得したみたいである。

 棄丸の人徳のおかげかのう……

 又兵衛、すっかり落ち着いた模様。

 「拙者、これより直ちに詳細を調べてまいります。

 これにてごめん!」

 棄丸、慌しく退席して行きおった。


 なんということだ、無茶苦茶な噂だのう。

 そんなことを皆、信じておるのか?

 やっぱ、あの宣教師、オ、オルガンナントカ……

 正確な名は忘れたわ!

 そいつに会って、てきとーに話したのがまずかったかな?

 たいしたこと言っとらんのになあ……

 火薬よこせとか、大砲よこせとか、スペイン船を長期に貸してくれとか。

 ごく普通の要求であるのになあ……

 その代わり、キリスト経を日本国の公的な宗教にしちゃると言ったのに、

 言葉を濁しよったんで、大坂城から、叩き出してやったからのう。

 まあ、条件をのんでくれたら、儲けもんと思ってやったんじゃが、あれが悪かったかな?

 もとより、公的に認めると言うだけで、独占とはいっとらん。

 仏教も、神道も、すべて公的に認めるに決まっておる。

 それがばれとったのかも、ほほほ……

 まあ、よい、とにかく今は又兵衛のことが先決じゃ。


 と、ところで、残された予と又兵衛の間に気まずい沈黙が……


 「ま、まあ……おぬし侍言葉じゃのう、武家出身か?」

 この言葉で緊張が解けたか、又兵衛、話す、話す。

 「秀頼様のお父上、秀吉様にはいかいお世話になりました。 

 拙者、もと信長様配下の武将で、落ちぶれてからは秀吉様に拾って頂き、

 秀吉様の茶坊主となった、荒木村重が子でござる。

 太閤様にお世話を受けて、織田信雄様の小姓をしておりましたが、

 武士にはむかず、お暇をいただきました。

 しかし、妻子もちの為、稼がなければならず、いつの間にか絵師となっております。

 どれだけ秀頼様のお役に立てるかわかりませんが、精一杯勤めまする。

 へへーッ」


 ふむ、まんざら豊臣家と関係なくはないな。

 そういや、荒木村重といえば、信長様に謀反をおこした武将だったよなぁ……

 明智光秀よりもっと早く謀反を起こして、失敗し、自分だけ行方をくらましたはず。

 残された家族一同、悲惨な目にあったと聞いたぞよ。すべてはりつけ、逃亡に関係したものも皆殺し。

 村重をかくまった寺も皆殺し。

 お、おそろし〜、予には真似できんぞよ……

 村重め、殺されもせず、その後、どう立ち回ったのか、茶人となっておったのか、知らなんだ。

 その息子とな、しかも謀反を起こした信長様の息子、信雄の小姓とな……

 おやじさま、絶対、皮肉でやったな。

 織田勝雄め、秀吉さまから、からかわれておるわ。

 その様な立場での小姓、こやつ、居辛かったろうな。

 で、絵師かよ、これは又、極端な……

 じゃが、面白いのう。こういうのは大好きじゃ!

 コイツ、その様な経歴なれば、良くしてやれば裏切ることもなかろう。

 絵師では、あまり、食えとらんようだしのう。


 「あいわかった。して、そちの絵を見せてみよ」

 「ハッ、これにて」

 手渡された何枚かの絵を見る。

 最初の絵は極彩色(カラー)じゃ。

 市井(まちのなか)の絵。

 女子達が何人も踊り狂っている。

 それを見つめる武士、町人たち。

 足元には犬も踊っておるわ。

 生き生きとした人々、けばけばしい色彩。

 洗練さは感じられないが魅力的じゃ。

 なかなかじゃのう、感じ入ったわ。

 二枚目を見る。

 若武者が盗賊らしき男の首をきり飛ばしておる!

 血がドバッと飛び、生々しい。

 このように荒々しく、写実的な絵がこの時代に、あったんじゃのう。

 これが浮世絵の原型かの……

 予が昔見た浮世絵は、平和な江戸時代の絵じゃったんじゃのう。

 戦乱の時代の絵のほうが、江戸時代の浮世絵より、未来の劇画に通じるものがあるぞよ。

 三枚目。

 墨だけで描いた線画じゃ……

 これなんか、漫画そっくりじゃ。

 馬が手綱を引っ張られて、顔がのびておる。

 このデフォルメなんか、漫画そのものじゃ。

 すばらしい!

 きまった!岩佐又兵衛がわが漫画工房の主じゃ。


 「気に入った!召し使えるぞ、わが漫画工房にようこそじゃ」

 「は、有難き幸せ。しかし、漫画とはなんでござろう?」

 「ま、これを見よ。重成、おぬしの漫画を見せよ」

 「はい!」

 元気よく立ち上がると、重成は又兵衛のそばに座り、自分の絵を突き出す。

 「パラパラパラ」

 「ウオッ、こ、これは!」

 又兵衛は思わず、その和紙の束を取り上げると一枚一枚しげしげと見はじめた。

 もう、予のことなど眼中になしじゃ。

 さすが芸術家じゃのう。

 「うむむ、ただの、犬の絵じゃ。

 なんでこの絵が動くのか?

 うむ?一枚一枚、馬の位置がずらしてある。

 足も少しずつ違う。

 そ、そうか……

 これを手早く見ると動いているように見えるのじゃな。

 す、すごい!」 

 小さい目をかっと見開いて、ぶつぶつつぶやいておる。

 芸術家が夢中になると、きもちわるいのう、ほ、ほ、ほ。

 「どうじゃ?これが漫画の原型よ。わかったかの?」

 ハッとここがどこか気づいた又兵衛。

 手に紙束をもったまま、ガバッと平伏した。

 「こ、これは、拙者、不調法つかまつったぁ。

 しかし、この漫画、だれが考案されたので?

 まさか、まさか、秀頼様でござるか?」

 う……これ以上はますます、悪魔の考案と言われてしまうぞ。 

 なんとか誤魔化さなければ……

 「あ、いや。これは古代中国で考案された図案でのう。

 最近、中国で、再発見されたのじゃよ。この間、予が唐人より習ったのじゃ」

 「さようでございますか……

 いずれにせよ、よき事を教わりました。

 拙者、ワクワクしてござる、ぜひ漫画をやりましょう」

 皆、納得し、うれしそうじゃ。

 自分が考えたと法螺ふけないのがちょっと残念じゃ。

 だが、実際、予の考えたことではないしのう。

 「もちろん、この形では漫画にならん。

 一枚の紙に絵を続かせて生き生きした絵にするのじゃ。

 これが漫画よ、わかったかの?」

 「は、はーッ。又兵衛、一命に変えて励みまする」

 大げさなやつじゃ、漫画に命がいるかよ。

 そうじゃ、重成もじゃ。

 「重成、本日より、漫画工房付けを命じる。

 漫画師見習いじゃ、よいな!」

 「はい、がんばります」

 いやがると思うたが、あっさり引きうけおった。

 漫画の魅力ににやられおったな。

 これで邪魔者がおらんようになるぞ。

 「おめでとう。重成様。立派な漫画師になってください。

 代わりの人は私が探しますから心配しないでください」

 「よろしくお願いします」

 おいおい、後釜はいらんとゆうに……

 ああ〜、やはり二人きりは無理かのう。


 予は又兵衛に手順を説明した。

 一、まず予がおんぶ大将となったあの戦いを漫画化すること。

 二、一枚目は極彩色、二枚目からは白黒の線画

 三、それを木版にして百部は刷ること

 四、一ヶ月以内にやること

 このことを伝えると、その大変さに色青ざめた又兵衛であったが、覚悟を決めたと見え、一礼をすると、あわてて下がって行った。

 これは現代なら、これから一ヶ月以内に、漫画を描いて、印刷機を作って刷れと言ってるようなもんである。

 だが、あいつなら、やってくれよう。

 予は信じておるぞ……


* * *



ウイキペディアから

 

荒木村重


天正6年(1578年)10月、村重は有岡城(伊丹城)にて突如、信長に対して反旗を翻した(有岡城の戦い)。一度は翻意し釈明のため安土に向かったが、途次寄った高槻城で家臣の高山右近から「信長は部下に一度疑いを持てばいつか必ず滅ぼそうとする」との進言を受け伊丹に戻った。織田軍羽柴秀吉は、村重と旧知の仲でもある黒田孝高を使者として有岡城に派遣し翻意を促したが、村重は孝高を拘束し土牢に監禁した。その後、村重は有岡城に篭城し、織田軍に対して1年の間徹底抗戦したが、側近の中川清秀と高山右近が信長方に寝返ったために戦況は圧倒的に不利となった。


天正7年(1579年)9月2日、村重は単身で有岡城を脱出して尼崎城へ、次いで花隈城に移り(花熊城の戦い)最後は毛利氏に亡命する。

同年12月13日、落城した有岡城の女房衆122人が尼崎近くの七松において惨殺された。

12月16日には京都に護送された村重一族と重臣の家族の36人が、大八車に縛り付けられ京都市中を引き回された後、六条河原で斬首された。

その後も信長は、避難していた領民を発見次第皆殺しにしていくなど、徹底的に村重を追求していった。天正9年(1581年)8月17日には、村重の家臣を匿いそれを追求していた信長の家臣を殺害したとして、高野山金剛峯寺の僧数百人が虐殺された。

信長が本能寺の変で横死すると堺に戻りそこに居住する。そして豊臣秀吉が覇権を握ると、大坂で茶人・荒木道薫として復帰を果たし、千利休らと親交をもった。はじめは妻子を見捨てて逃亡した自分を嘲って「道糞」と名乗っていたが、秀吉は村重の過去の過ちを許し、「道薫」に改めさせたと言われている。 銘器「荒木高麗」を所有していた。




【後書き】

岩佐又兵衛は実在の人物で、浮世絵の父といわれてます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る