第11話
第十一章(行軍)
【本文】
早朝、軍勢は大坂城を出発した。
その数、3千たらずである。あまり多いとはいえない。
とにかくすぐ出発できる兵は、これだけだったのだ。
無理やりかき集めた部隊だ。もちろん、毛利勢が主体である。
大坂城を護衛する兵たちは置いてきた。
後から聞いたら、七手組というのが大坂城を守っておるのだそうじゃ。
じゃが、予は知らんかったし……
まあ、気心がしれんし、この際、兵の数は余り重要ではないからのう。
予の部下は、この際、信頼する親衛隊だけで十分じゃ。
大将は豊臣秀頼。後見人、毛利輝元の部隊である。
しかし、ほとんどが毛利勢で、秀頼は実質、お飾りである。
進軍する兵のほとんどはそう思っていた。
そう思ってなかったのは、親衛隊となった五条隊の面々だけである。
たった八歳の子供だが、その強烈な人格にふれて、すっかりとりこまれ、忠実な部下になっていたのである。
もちろん、うまくいけば大出世できるかも、という思いも手伝っているのであるが。
それから輝元も会見で毒気にあてられ、半信半疑ながら神童ではないかと思い始めていた。
先頭に、輝元率いる毛利勢が行く。
その後に、秀頼と、五条捨丸率いる親衛隊。
最後に荷駄隊の順で、粛々と朝もやの中、進んで行く。
目的地は当然、関が原である。
羽柴家の長たる豊臣秀頼が西軍にてその姿を現せば、福島正則をはじめ、豊臣にゆかりの武将たちは戦う気を失うであろう。
そして、西軍に勝利がもたらされるであろう、。
というのが、秀頼の考えであった。
もともとが彼らは三成憎しで東軍に参加しているはずなのである。
予が総大将となり、三成を遠ざければことはうまくいくはずである。
しかし、大きな不安があったのだ。
それは予が、関が原の戦が何時、始まったのか、ぜんぜん覚えていないということであった。
それはそうだろう。関が原の戦いを、詳しく知るものは多くとも、日時まで覚えてるほどのマニアはすくない。
予も時代劇は好きだったが、関が原はうろ覚えであった。
それに唯一のわが親衛隊、別名、五条隊をある程度掌握し、なんとか思い通りに動けるようにするのに、思わぬ時間がたってしまった。
まだまだではあったが、東西両軍が関が原付近に集結しつつあるとの一報を受け、とりあえず、毛利輝元の兵をかき集め、渋る輝元を後見人として、強引に出発したのだ。
ことここに至っては、さすがの輝元も観念したとみえ、精気がみなぎっている。
騎馬隊の真ん中に朝日にかがやく鎧兜をまとい、凛々しき姿である。
ひるがえって、秀頼親衛隊であるが、五条隊300人のうち、200人近くが鉄砲射撃手とその助手たち。鉄砲には人手、道具が多く必要なのだ。
その他の百人が長槍、それも、毛利勢より、一段と長い槍を持っていた。
というような編成の部隊であった。
兵站は毛利軍に依存しておる。戦闘員のみの部隊であった。
その中にあって、一騎、ばけものの様に大きく見える馬がいた。
そして奇妙な乗り手たち。
威丈夫な五条捨丸の背中に、秀頼がおんぶされてる!
それが小さき子ならまだわかるとして、秀頼は身長140cmくらいあり、目立つこと めだつこと、このうえなし。
秀頼は身体につけた足軽胴を金ぴかに塗り、頭には、雑賀衆に譲ってもらった雑賀鉢を、これまた金ぴかに塗ってかぶっている。
背中には秀頼考案の長十手をからっておる。一メートル近くあるのではないか?
これで接近してきた敵をあしらうつもりなのだ、一応(?)
馬はサラブレット、名は羅都鬼。
日本古来のまわりの馬が、ポニーに見えてしまう大きさだった。
二人をのせても平気の平左で羅都鬼はすすむ。頼もしいやつだ。
前進、前進。いざ、関が原へ、である。
ところで、関が原までどれくらいでいけるか?
関が原は、出発まえに見たチンケな絵地図によると、美濃にあるらしい。
間に合うかどうか……
とにかく、頑張らねばならん。
戦いが始まる前に着けるか、一か八かである。
途中の道は、予はわからん。捨丸の背中で連れて行かれるのみだ。
「捨よ。おぬし、関が原までの道わかるか?」
「はッ、行ったことはありませんが、調べておきました。昼も夜も行軍しても、一昼夜はかかるかと」
「ふーむ、開戦に間に合うかどうか微妙なところだのう」
「は、仰せのとおりにて」
それで、予が覚えている関が原の戦いであるが、時代小説は通りいっぺんは読んだが、江戸時代の話ばかりで、戦国時代はあまり読んでない。
覚えていることを思い出してみよう。
まず、西軍が負けた。
三成軍はかなり頑張ったが、西軍の中に、戦いに参加しないやつが多数いた。
毛利軍だったかな?そのほかにも確かいたな。
そして、決定的だったのは小早川なんとかが、裏切って西軍を攻めたのが決定的だったはず。
これぐらいしか覚えておらん。
まあ、参加した武将達は、捨丸に調べさせておいたから、聞くとするか。
「西軍は誰じゃ、調べてきてくれたか?」
「は。まず、石田三成、大谷吉継、宇喜多秀家、毛利秀元、吉川広家、小早川秀秋、小西行長、島津義弘、などが主な軍勢でござる。」
うむ、思いだした、小早川秀秋であったの。それと、吉川広家。
このふたりが裏切り者の中心じゃ。
ここでは言えぬが、関が原に着いたら、なんとかせねば。
もちろん、福島正則にこの予の旗印を見せ付けて、東軍から離脱させる。
そうすれば、勝てぬまでも、負けぬであろう。
そして、家康と予とにらみ合いを続ければ段々こちらが有利になろう。
なにしろ、あちらは爺じゃ、こちらはまだ八歳。
待つことなら、こちらが有利じゃぞ。
「ほ、ほ、ほ」
予は嬉しくなって思わず笑った。
「ブヒ、ブヒ、ブヒヒン!」
おー羅都鬼も喜んでくれるわ。大好きじゃぞ、予の羅都鬼。
手でお尻をすりすりしてやった。
あー前に乗って頭をすりすりしたいのう。後ろじゃ尻しか触れんわ。
そういえば、捨丸の尻も羅都鬼に劣らずりっぱじゃのう。
予は思わず、さらっと、さわってしもうた。
「ひ、秀頼さま!」
捨丸が悲鳴をあげた。
「おう、すまぬ。暇だったで、つい、羅都鬼と尻と比べてしまったのじゃ」
「許せ、予は男好きではない。心配無用。」
「おぬしは、やっぱりおなごの方が好きか?」
「もちろんでござる。拙者、衆道(男色)はだめでござる。」
「予もじゃ。純粋のおんな好きぞ」
とても8歳児との会話ではないのだが、いつの間にか普通となっている。
「おぬし、おなごはおるのか、女房もちか?」
「は、妻がひとり居ります。」
「堺あたりの遊女のことは、詳しかろう?旅の道ずれに詳しく話してきかせよ」
「ひ、秀頼様。拙者、行ったことがござらん」
「なに、つまらんやつだのう、嫁だけか!」
「申しわけござらん!」
「捨よ、暇つぶしに何か話をせい」
「は、さすれば、戦いの話などいかがでござろうか?」
「なに、おんなの話ではないのか。まあよい。話してみよ」
「孫一どのの親父殿の話でござるが、興味をひかれたのはこの一編で、妙に頭に残ってござるのでお聞きくださされ。
親父殿の、孫一どのは、当時、有力な鉄砲集団、雑賀衆の大将でござった。
まあ、大体において、金で大名達に雇われてあちこちに鉄砲集団を率いて戦っておられたんですが、だんだんと織田信長様が有力になられ、天下統一目前でござった。
ところが晩年、雑賀衆は信長様と何度目かの仲たがいをされ、雑賀の里が、信長様の武将の佐久間様と土橋様に攻められるが、撃退されて勢い盛んでござった。
しかし、ある時、突如、信長様配下の丹羽長秀様が不意打ちで雑賀の里を襲ってくる。
備えてなかった為、大苦戦をいたして、孫一どのも、片足、片手に怪我をされ、明日は落城かと皆が覚悟しておった時でござった。その時、奇跡がおきまする」
「何が起こったのじゃ、はよう言え」
「本能寺の変でござる。信長様が明智光秀に討ち取られたという一報がはいります。
丹羽勢は撤退、孫一どのは狂喜乱舞して祝いの席で、怪我していない方で、片手、片足おどりをされたそうです」
「ふーむ、面白いが、そちゃ、どの部分が気になったのじゃ?九死に一生ということか?」
「さにあらず、片手、片足踊りでござる。息子の孫一殿に習いましたので、何時かお目にかけましょう」
「はッ。そんなもん、見たくもないわ」
「さようで御座るか?拙者、楽しく踊りましたが」
捨丸は堅物すぎるわ。まあ、予がくだけ過ぎか、などと暇の為いろいろ考えつつ時はすぎていった。
しかし遅い!くるまはどこだ、電車に乗っていこうなどと喚きたくなるほど、ポックリ、ポックリ部隊はすすんでいく。
しかも、だんだんと尻が痛くなってくる。
八歳の柔らかい身体じゃもの、日本猿の尻のように真っ赤となっておる
なんとか暇つぶしをせねばならん。
予は捨丸と羅都鬼に語りかけた。
「しりが痛い。気分をまぎらわす必要があるのう。捨丸、この度の戦について話すぞよ。ぬしはどう思っておる?」
「は、どうといわれましても……。拙者、筆頭格の徳川家康殿と、豊臣家家来筆頭の石田三成殿の戦いだと思っておりましたが」
「ふん、誤りではないが、浅いのう。それでは、おぬしも、徳川家康の術中にはまっておるぞよ。」
「ど、どの様にでござるか?」
「そんな形に、めい目を付ければ、三成嫌いの福島正則や加藤清正などの豊臣家子飼いの武将達も引き付けられる。おかげで、三成嫌いの数多の武将が徳川側についてしまっておる。
こちら側の戦意は高くないぞ、勝てるわけがなかろう。」
「そ、それはまことでござるか?」
「ふん、嫌われ者の石田三成が、徳川征伐軍を起こしてくれて、家康は喜んだろう。
願ってもないとな!これで天下がとれるとなぁ。
予が形だけでも関が原にいっとれば、こうはいかん。とにかく、表向きだけは予の家来じゃからのう。家康は主家にはむかう、謀反人の汚名を着ねばならん。しかも豊臣家の子飼いの武士達は参加しないか、こちらに来るじゃろう。
しかし、三成が負けてしまえば、主家もへったくれもない。 天下が家康を一番と認めてしまうからのう。
そうなったら、勝つのは難しいぞ、わかるじゃろう?」
「そ、そうでござったか、それでこの様な、無茶な行軍を命じられたのでござるか。」
「そうじゃ、負け組になりたくないでのう。
それにしても三成め、戦いにむいとらんやつが軍をおこしてどうする。
ナンバー2体質が、ナンバー1をやれば失敗するのはあたりまえではないか、阿呆め!」
「な、なんばとは、なんのことでござるか?地名で?」
「あ、なんでもない、気にするな!それより三成よ、なんであいつ、あれだけ武将たちに嫌われているか、知っておるか?」
「いや、まったく」
「まったくというのは、少しどうかと思うが、まあよい。教えてつかわそう。
親父殿が、晩年、とち狂って、朝鮮を攻めたろう?あれで、送られた武将達はひどい目にあっての、それで、親父殿に言われんことも、色々やったらしい。
それを逐一しらべて、親父殿に三成め、ちくったらしい。
当然、親父殿、激怒するわな。で、うんと怒られて、罰もだいぶくらったらしい。その逆恨みよ。」
「な、なんと!その様なことで。なさけない武将達でござる」
「ふん、武将なんぞ、裏にまわれば悪餓鬼よ。正義の人は嫌われる。乱世よのう、ほ、ほ、ほ。」
「しかし、お拾い様はそのお年で、その眼力、ま、まことに……」
「うん?、い、いや。予の軍学の、お師匠様の受け売りじゃよ」
しまった、少し、しゃべりすぎたぞ、ごまかさなければのう。
「喋っていても、尻がいたいわ。気がまぎれるよう、捨丸よ、何か、話せ。そうよのう、そちの生い立ちが知りたいのう」
「拙者の生い立ちでござるか?あまり面白くもござらんが、命令とあれば仕方なし。
拙者、奈良の東大寺付近の生まれでござる。
父が本家のお参りに、ついて行った時、手をつけた農家の娘が母でござる。
その後に、拙者が生まれてから、祖父母が拙者を認知するようせまったのです。
まあ、金が欲しかったのですな。
しかし、その時、すでに今の継母、おさめどのと結婚してた為、のらりくらりと逃げたのです。
すでに父には男の子が二人居た為、子はもう、いらなかったのです。それに、分家で、家来同然でしたから。
しかし、それぐらいでまいる祖父ではござらん。本家の殿様にかけあったのですな。
本家の殿様はそりゃいい人で、拙者に同情し、父にとりなしてくれました。これにはたまらず、拙者を認知しました。
ここではじめて知らされたおさめどのは、大激怒したそうです。
子ができただけでも腹正しいのにお給金からわずかであるが、毎月届けられると。その子に、金が届けられるということですからな、は、は、は。
そのあまりの怖さに父は一週間、家に近づけなかったそうです。
で、拙者、幼名を竹松と名づけられて、百姓家で、母と供に住まい、真っ黒になって遊んでおりもうした。
わずかながら毎月お金も入ってくるし、人手としてもこき使えるしということで当主たる母の兄は、われら母子を家族の一員として暮らしておりました。
もちろん、母の兄は結婚しており、似た歳の子がおりましたが、拙者、当時から並外れて大きく、力が強かった為、いじめられたことはござらん。いじめっこをこてんぱにのしたことはあります。
まあーそんなわけでそのあたりの子供の大将として楽しくすごしておりました。
農繁期には一人前以上の働きをしておりましたゆえ、おじもわが母子に親切でしたな。
そこのところ、百姓はいっぱい、いっぱいの生活をしとりますから現金なものでござる。
それやこれやで月日がたち、十歳のころでござる。
父からの送金も途絶えがちで、世の中の仕組みも段々とわかってきた頃のことでござる。
このままおじの作男になるのか。ひいては子分にしている、おいの作次にこき使われるのか。
それは絶対、いやじゃと思っておりました。
この家、出て行くのは簡単なれど母をどうする。置いてはいけぬ、拙者のため、結婚もせずいてくれた大事な母じゃ。
当時はそう思うとりましたが、あとで母に聞くと、どこぞに嫁ぎたかったが、兄が離さなかったとのこと。
まあ、こんな大男のこぶつきじゃなかなか縁遠かったでありましょう。
で、ござる、突然、五条家から呼び出しがきました。
わけもわからず、拙者だけ京に向かいまして、本家の殿様にお会いしました。
そこで殿様の言うことには、ころりの病がはやって、父もその二人の息子もコロリと死んでしもうた。
残っているのは継母のおさめ殿だけじゃ。分家を拙者に継げとおおせじゃった。
これは願ってもない良きこと。拙者そう思い、快諾いたしました。
ただ、条件があってな、お前は元服して捨丸と名乗る。五条捨丸じゃ。
拙者、抵抗いたしました。その名はいやですと。
殿様がさもありなん、しかし、お虎の条件じゃ。これだけは頑として言うことをきかん。
なーに、適度なところで、改名すれば良い。わしが責任持つと言われ申した。
拙者、『捨丸』をしぶしぶ承知いたしました。
直ちに元服式です。
隣の部屋に控えておったおさめどのや、本家の主だったものを集めてやりました。
ほとんどコロリで死んだ為、男は拙者と殿様のみでござった。
そこで継母を始めて見たのでござるが、なんとも厭な目つきで拙者を睨んでござる。
子供心にも、前途多難を感じました。
終われば、そのまま父の家へ行き、生活が始まりました。
今考えれば、大したことのない家でござるが、その時は立派な家に感じ、わくわくしたものでござる。
ところが、次の日から箸の上げ下ろしから怒られる。
間違うたびにどん百姓め、めかけの子めと言われる。
必死で学びましたなぁ、またおさめどの、才女だったと見えて、学問が得意でしたな。
これでもか、これでもかとと拙者につめこみます。
拙者、身体のほうに栄養が行っておりまして、脳のほうには行ってません。
どれもろくにものになりませんでした。地獄でござった。。
しかし、今、曲りなりも、武士として作法を間違えなくてすむのはおさめどののおかげです。
武芸一般は殿様に手ほどきをいただきました。
筋がよい、力があるとお褒めいただきました。
甲冑武者に対しては一は力じゃ。二は負けぬ心じゃ。あとは慣れよ。そう教わり、鍛錬にはげむ毎日でござった。
そのうち、近隣では評判の力もちとなりました。
そこを見込まれ、母衣衆に取り立てられました」
「終わりか?なぜおぬし改名せなんだ?母衣武者ともなれば、継母どのも何もいえまい?」
「はあ、意地と初心を忘れぬ為でござる。同居のふたりの母からは改名を懇願されますが、替えるつもりはござらん」
「ほう、なかなかじゃなー。特にふたりの母と同居とゆうのが面白い」
「もうひとつ思い出しました。剣術家と試合したときのことでござる」
「おお!ぜひ聞きたい」
「ある時、剣術の練習をしておる時、身体の大きな侍が道場に入ってきまして、拙者に試合を申し込んできたのです。
どうも拙者の身体に目をつけたようでした。その侍も、拙者とおなじくらいの身長でした。
ま、今なら拙者のほうが大きいとおもいます。あれからもっと伸びてますので。
で、袋竹刀で戦ったのですがあっという間に負けました。変幻自在の技でござった。
しかし、見ていた殿様は笑ってその武者に申し出られました。 具足をつけて戦い、拙者に同じように勝ったら三十石で召抱えようと。
これは大変なことでござる。下々のものにとって、三十石は夢でござる。もちろん、その侍は、すぐ承諾して再び戦いました」
「捨が勝ったのであろう?」
「秀頼さまは何でもご存知じゃ……拙者の勝ちでした。ふっとばして、打ち据えて終わりです。
その時、殿が言われたのは、あの侍、戦いの姿勢が良くない。
鎧なしでは強くとも、鎧をつけたら、勝てぬ姿勢じゃと。
五条の殿様は武芸の達人です、力がないので弱いですが、は、は、は」
「ほう? 捨、おぬし冗談も言えるようになったか、良きかな良きかな。
ところで、その侍の名はなんというのじゃ?」
「たしか、新免、宮本武蔵でござったか」
「うーん、やはりの」
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