第32話  解放魂歌(レクイエム) 解放魂歌

解放魂歌(レクイエム)



ボクは息を殺しながら世界を見ていた。

そこはクレヨンで白く塗りつぶされた世界であった。

歩く人の顔は白く塗りつぶされていた。

歩く犬の顔も白く塗りつぶされていた。

見上げる空も白く塗りつぶされていた。

恐ろしくグルグルと渦巻く白が、全てを隠していた。

墨膳奏流が入っていた身体はボクの意志とは関係なく、歩き進んでゆく。

ボクの意思は小さな明かりにしがみつくような気持ちでその中に身を潜めている。小さな明かりではあるが決して白に飲み込まれない力強い明かりである事を同時にボクは知っていた。確かに父である鈴音奏那汰を感じていた。

「母さんを助けないと」

光の粒子に変わっていく時に聞いた声とボクも同じ気持ちでいた。

ただその気持ちまで塗りつぶされてしまいそうな白がそこかしこで渦巻いている。ただ、身体は自分ではなく、父の意思によって迷い無く進んでいく。顔を塗りつぶされた人々の横をすり抜け、白く塗りつぶされた信号機や、標識を置き去りにして、やがて一人の少女の元にたどり着いた。

他の人と同じ様に白く顔を塗りつぶされた少女は一心不乱にクレヨンを動かしていた。白い画用紙に白クレヨンで必死に何かを書き込んでいる。

 あれは母だ。

ボクではない俺が少女に向かって声をかけた。

「◇◇◇」

言葉はすぐに塗りつぶされて地面におち、そのまま消えてゆく。

少女はこちらを振り向く事なく一心不乱に手を動かし画用紙に白い渦を買いている。

「◇◇◇」

彼女の発している声も白いクレヨンで塗りつぶされ、周りに落ちる。

父がさらに少女に近づこうとした時だった。

少女が描いている渦が濁り始め、黒ずみ、そのまま黒くなってゆく。呼応するように世界の白は濁り、黒へと変わってゆく。

数秒もしない内に世界は白から黒へと姿を変えていた。

少女は黒い言葉を発しながら地面に更に大きく、更に早く渦を描いている。

俺は息苦しさを覚えた。塗りたくられた黒は不安となって自分を押し潰そうとしている。そして少女は全てを拒絶している。

(嫌だ。 嫌だ!)

不安で怖くて、母からの拒絶が悲しくてボクは泣いた。ただどうしたらいいか分からなくて、大声を出して泣いた。

涙で黒が滲んでゆく。

(ここだよ。ここだよ!)

 そう。常に心の中で叫んでいた言葉。

ただ父の中で大声で泣くしか出来なかった。

世界は涙に沈んでゆく。息が出来ない。苦しい。

 助けて。助けて。

 寂しい。辛い。

 助けて。

 助けて母さん。


今まで、一心不乱に渦を描いていた少女が泣き声に顔を上げる。そして立ち上がると、歌を紡ぎ出した。



「つきのゆりかごゆれ

かがやいたほしはきえた

あしたうまれるために

いまはおやすみおころりよ

りんねはころりよおころりよ

ぼうやはおやすみまたあした」


 歌声が自分を包み込んでいくのを感じる


「なみだのなみはゆれ

かなしみのやみはきえた

あしたゆめみるために

いまはなかずにおころりよ

りんねはころりよおころりよ

ぼうやはおやすみまたあした」


優しく、懐かしい音色が柔らかく不安を溶かしてゆく。暖かい体温がゆっくりと冷えた心を温めてゆく。

そこには顔を塗りつぶされた少女はもう居なかった。代わりに優しい母親が立っていた。


「流歌」

「奏流。かな君」

「おかえり」

「ただいま」

父と母が抱き合っていた。その二人の中でいつしかボクは眠りについていた。それは満たされた赤ん坊の安らぎの眠りであった。夢は見なかった。



目が醒めると俺は紅い夕陽の中にいた。

そして俺を覗き込む瞳。俺は膝枕されていたと気づくと慌てて頭を上げた。

「歌音?」

ミリタリーを着た女性は、自分の知っている少女の姿では無かったが確かに歌音で、その胸にはロケットが淡く輝いている。

「その名前も可愛いけど、流れる歌で流歌よ。まぁ、お母さんでもいいけど」

顔が熱を帯びてくる。

沢山何か言いたい気がする。しかし何一つ音にならずうなだれた。

「ほら黒神って名乗ってたじゃない。それも存在として不安定だったからその名前だったんだけど、本当はろくろ神。器作り。いわば命を作り出す役割があたえられてるんだよね。なんでそんな存在でこの世界に存在するようになったか分からないけど。奏流の身体は何も覚えていない私が作ったの。まんま父さんの若い頃の姿なんだよね」

流歌はロケットを優しく撫でながら言った。彼女の話によると、何も覚えていない流歌が疑似物理世界に流れた際に創り上げたらしい。もしかしたら空白と同じように神祈を護るという役目に縛られての行為だったのかもしれない。しかしその事をすぐ忘れ、その身体は神祈の器となり、今は奏流の器になっている。

「ほんとに何もかも、息子の名前すら忘れていたんだけど、不思議な縁だよね」

俺は黙って母の言葉を聞いていた。

そんな俺の頭を母は撫でた。

「私も、父さんも奏流の事応援してるから、行ってきな」

目の前には蛇が輪を作って行くべき場所のゲートとなっている。

 優しく、そして力強く押された背中。

「母さん若作りしすぎだから」

 恥ずかしくて顔は見られなかった。だけれど言葉を続ける。

「行ってきます」

なんだ照れ臭くなって、ただ母に見守られている事が嬉しくなって、今までいくら探しても見つからなかった心の隙間を柔らかな子守唄が満たし、それは溢れる気持ちとして俺を包んでいた。

そして俺は進んだ。



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