第29話 解放魂歌(レクイエム)琥珀と歌音
琥珀と歌音
僕は世界を俯瞰していた。
夢を見ているようだ。いや、実際に夢を見ているのかもしれない。研究所で僕は自身の記憶を電子の世界に垂らし続けた。本来らなこの世界で篠上琥珀を作り上げる為に。しかしながら一滴一滴とこの世界に落ちた僕の記憶は篠上琥珀として実態を結ばず、世界に拡散した。 今の自分は意識だけ残した幽霊のような物である。
神の視点という感覚だろうか。違うかもだけれど。そんな事を考えるくらいに、情報が自身に流れ込み当然のように処理されてゆく。そう。まるで本を読んでいる感覚だ。僕は自身の考えを止めて世界を観察した。
ここは疑似物理世界と一部の者に呼ばれているらしい。篠上琥珀が作り出した核に他の世界から流れて来た物、あとは篠上琥珀や現世で魂のメモリー化をしたもの達の記憶を元に世界が構成されている。
記憶が積み木のように重なった世界の中心。一軒の家とそれを囲む自然。ここは昔に住んでいた家によく似ている。手入れの行き届いた庭にはチューリップが植えられ、キジバトの置物が飾られている。
息をするように意識の根をさらに世界の外側に伸ばしてゆく。研究所が見える。その中で新しい命が産まれては消えてゆく。花畑が見える。燃える紅い花に墜落した飛行機が墓標のように刺さっている。雪だ。雪原に人形が横たわって、その瞳に月を映しいる。
僕は探していた。実と奏流を。その意識はより速くと、黒いツバメに身を変え、赤い太陽を追って、蒼い二つの海を渡り、黄金の畑を越え、鉛色の汽車と並走する。砂漠の上空に流れる流星と置き去りにして、輝く街明かりの中にある暗い部屋の毛布の下をくぐり抜け、篠上琥珀という意識はなお奔走する。横を通り過ぎる命は一瞬揺らぎ、遠くの明かりとなってゆく。本をパラパラとめくるように世界に指を添わせ探してゆく。
実祈と奏流の気配は感じていた。ただ、ミックスジュースの中の果物のように気配はするものの、その姿を見出す事は出来ない。二人とも世界にその存在を溶かしてしまっているかのようである。その気配も世界の端に行けば行くほど薄くなってきている。
この世界に降り立った場所の家に置いてあった置物を思い出し、僕はそこに戻る事にした。探し物は意外と身近な所にあるかもしれないと。
ページをめくっていた指を止め、本を閉じるように、そしてまた本の目次を開くように意識を元いた場所に戻そうとした、一瞬の意識の暗転後、自分は蒼い鳥の置物の前に居る筈だった。
何かに身体が引っ張られる感覚。
僕は目を開いた。紅いタイルと自分の脚が目に入る。
今や篠上琥珀としての身体の中に意識は収まっていた。
「こんにちは。創造主様」
顔を上げると黒い髪の少女が目の前に立っている。いや、見た目が少女の何か。
筋肉がぞわりとし、緊張する。軍服を着た少女が纏う気配が、自分の中でもうずっと忘れていた感覚を無理やり起こす。試験管で産まれ特殊な戦闘訓練を受けていた時の鋼の鈍器のような感覚だ。
「お前は誰だ?」
感情の籠もらない冷たい声が波紋となり静かな空間を揺らす。
昔の自分なら無駄な言葉をかける前に相手を制圧しようとしていただろうが、意識がまだ身体に馴染んでいなく、また相手の力量が見えない。
「わたしは歌音だよっ。全てが集まりし黒の神ねっ」
自分はこの少女を知らない。意識だけの存在だった時、この世界を把握したが歌音の情報はそこに無かった。
「この世界の住人では無いな」
得体の知れないモノに対する緊張から言葉数が多くなる。
「せいかーい。でもそんなに緊張しなくていいよー。ほらお友達もいるよっ」
お友達という言葉と少女の後ろの開きつつある扉に意識が奪われる。その扉から出てきたのは蒼いエプロンドレスの少女。その瞳は虚ろであるように見える。
「ALICE?」
少女は呼びかけに反応する事なくこちらに近づき、顔を上げた少女が此方を見つめる。その距離は手を伸ばせば触れるほどだ。
「空っぽのお人形さん。パパとちょっと遊ぼうかー」
突然伸びた少女の腕を反射的に避け、その手に握られていたナイフを処理し、細い頸部を絞める。ALICEが力なくぐったりするまで数秒もかからなかった。その間も歌音から意識を外さない。取り敢えず今の所はこちらに襲ってくる様子はないようではある。
「すごーい。やっぱり強いんだねー」
気絶しているALICEを壁にもたらせかける。少女の質問には答えなかった。
「なにがしたいんだ?」
「パパと遊びたいだけだよー」
「君の事は知らないし、パパでもない」
「そっかー。知らないんだ。パパはこの世界の創造主であり、この世界という精は魂の揺り籠を受胎させるのー」
「意味が分からないし、その苛つく間延びした言葉をどうにかしろ」
「うっ」
歌音が急に身体をかがめる。そしてその身体が一瞬ぼやけた。
「そうよね。もう子供じゃないし、くだらない自己主張が必要だとはもう思えない」
身体を起こした歌音は少女ではなくなっていた。
歳は二十代半ばくらいであろうか、一瞬のうちに少女は美しく成長していた。
無邪気を装う少女よりは同じ狂気を目に宿しているならこちらの姿の方がまだ安心できる。
「お前はなんなんだ」
「なんでしょうね。自分が何者かなんて実際分からないし」
少女の時にあった笑顔は消えている。
「なら目的は何だ。俺は奏流と実祈を探している」
「私自身の目的かは分からないけど、当初の目的はもう済んでるし、貴方を害する予定は無いわ。奏流と実祈はここには居ない」
得体が知れず、あまり長く話したいと思わない相手ではあるが、二人の手掛かりに繋がる情報源である。
「何処に居るんだ?」
「魂の揺り籠。私のいた世界」
「どうやって行けばいい」
歌音との距離を縮めながら聞いた。
「ほんとせっかちよね。残念だけど貴方には行けないと思う」
「どういう事だ?」
「魂の揺籃は死者の眠る場所。貴方はまだ死んでないでしょ。行く方法は無くもないけど」
「方法は?」
「死ぬ事。帰れなくなるけど」
ある程度予想していた答えが返ってきた。生に執着がある訳ではないが、帰れなくなるのであれば二人を現実世界に連れて帰る目的が達せられなくなる。
「実祈も奏流もまだ生きている」
「身体に生理的反応があるってだけを生きているって言うなら、貴方はここに居ないと思うけど」
こちらの状況も知っている。話も通じる。だが、こちらに無い余裕が相手にあり、相手の方が有利な状態が気持ちを苛立たせる。
「二人をこちらの世界に連れてくるのは?」
「本人達が来たいと思えば割と簡単に来れる。ただし期間限定で」
「俺の事を伝えてくれないか?」
「断るわ。貴方にお礼も言えたし、殺意を剥き出しにしている人とは極力関わりたくないから、またね可哀想な人」
歌音は背中を見せ去ろうとしている。黒髪と織り込まれた白いリボンが静かに揺れた。
「なっ……」
怒りが次に紡ぐ言葉を蒸発させ、そのエネルギーのベクトルが物理的勢いをもって歌音に向かう。
しかし、掴み掛かろうとしたその指は何の感触も得られず光の粒子を掴んだだけであった。
儚い光と共に歌音は元よりそこに居なかったように消えていた。
長く息を吐き出すと内側から自身を支えていた圧も消え、共に緊張の糸はのびた麺のように力を失い、崩れるようにその場に座り込んだ。どっと疲労感が襲ってくる。
「僕はもうソルジャーじゃ無い」
それでも戦わないといけないのかもしれない。そんな事を思いながら静かに自分と世界を切り離した。目を閉じれば闇。
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