第27話 君に会えることを願う歌 太古の歌
太古の歌
俺は水面に立っていた。透明のガラスが張ってあるのだろうか、水面は堅くしっかりしているが、透明で歩くたびに波紋が広がる。足の裏からひんやりとした感覚が心地よい。
はらはらと降ってきたものがあり、上を見上げると、満開の桃の巨木から淡いピンクの花びらが、俺の鼻を掠めた後に、水面に落ちる。そして数秒ゆれた後にゆっくり沈んでいった。
「精神世界……かな?」
下を見ると飲み込まれそうになる水色がやがて暗くなり底を隠している。花びらは剥き出しに張り巡らされた根を避けながら闇へと消えていった。
◆◆◆
俺はふらふらと当てもなく歩いていた
歌音と会い白い光に包まれた後、気づくと紅い世界に戻ってきていた。魂の結晶化したモノと聞いた太陽は変わらずに世界を深紅に染めている。その静かな世界を物言わぬ影と一緒に彷徨っていた。
急に寂しさを覚えた。一人きりという冷たい感覚が心をひやしてゆく。 空白に会いたいという気持ちはあった。聞きたいことも沢山あった。だけれど、彼女は去って行ってしまった。最後に残した貴方の好きなようにしてねは、もう貴方は必要ないですという意味だったのではないか。そんな事を考えてしまう。離れていってしまう。手が届かない所に行ってしまう。それは怖いことだった。
俺は歩みを止め黒いアンティークベンチに膝を抱えるように座り込んだ。
「なんか疲れたな」
思い返せば短期間に色々な事が起き、色々な事が起こった。だけれど、それらは全て自分の脇を通り過ぎて、今は独りぼっちでどうして良いか分からないでいる。
「ん?」
ふと暖かいモノを感じ、身体を起こした。それは太ももの辺り、丁度ポケットの部分である。指を滑り込ませると堅いモノが触れた。
「ロケットだ」
その見覚えがあるモノは鈍く銀色に輝くロケットの形をしたペンダントであった。自分が物心つく頃から持っていたモノとうり二つで、初めてこの世界に来た時に拾い上げたモノ。だけれど、ポケットにしまい込んだ記憶は無い。
「いつの間に持ってたんだ」
そのペンダントからは熱を感じず、もう一度ポケットに手を入れるが他には何も無い。 暖かさを感じたのは気のせいだったのだろうか。 その代わりに、手に乗せると見た目より重さを感じる。
じっとペンダントを観察すると今までは気づかなかったが、横にへこみがある。自分が長年持っていたモノはそこには大きな傷が付いていた。
「開くのかなこれ」
指をへこみに引っかけ開くと光が溢れ何も見えなくなる。
(あたたかい)
寂しさはもう消えていた。そして身体も意識も光に飲まれ消えた。
◆◆◆
「誰の世界だろうか」
下を見ないようにして人影を探す。見たところ桃の木以外はただ水平線だけが眼前に広がっている。
この世界で目覚めた時から何故か靴は履いていなかった。二回指先で地面を叩くと水面に波紋が広がる。続けてもう一回。ただぼーっと波紋を見ていた。
暫くそうしていただろうか。ふと顔を上げると遠くで何かが揺れている。俺はそれに向かって走り出した。蹴り出した水面は大きく揺れ、やがて静かな水面に花びらが落ちる。
ゆらゆらと揺れていたのは、小舟であった。木をくりぬいたような細長いそれは横たわればそれで一杯になってしまうような大きさである。周りを見回しても何も無く、俺はその小舟に乗り込んだ。
小舟は思ったより安定しており、ひっくり返る事はなさそうである。横になると、透き通った青空だけが広がっている。揺れを感じながら目を閉じる。
(そういえば家のすぐ側に桃の木があったな……)
振動は心地よい安心感となり、いつしか俺は眠りに落ちていた。
◆◆◆
「かな君起きて。かな君てば」
いつの間にか寝てしまっていたようだ。何か夢を見ていた気がするが思い出せない。
「あぁ。流歌(るか)か」
瞼をこすり、開くと白衣が目に飛び込み、視線を上にずらすとよく知った顔がある。
「全然連絡無いから来ちゃった」
「あぁ。悪い。ちょっと研究で行き詰まっていてね」
倒していた椅子を起き上がらせると書類で散らかったデスクと短い文章が表示されているパソコンの画面が目に飛び込む。
「もぅ。心配かけないでよね」
「あぁ。それより流歌の身体は大丈夫なのか?」
彼女は妊娠中で暫く前から本業の陶芸作家の仕事も休んでいる。
「今日は体調いいから大丈夫。それよりかな君の事が心配になったから。来たら案の定目の下にクマは作ってるわ、髪の毛はボサボサだわ、カップラーメンの容器が転がってるわだし。ちゃんとしたもの食べてないでしょ」
「お偉いさん方がガタガタ五月蠅いのさ。それにパパになるんだから頑張らないと」
彼女がため息をつくのが聞こえる。実際、チームのリーダーとしてプレッシャーをかけられている。働き詰めの部下を数名休ませる為に無理やり家に帰えらせた分やる事は山積みである。
「はい。これ置いとくから」
彼女は崩れかかった本を重ね直して、その横に大きめの黒い弁当箱を置き、更に栄養ドリンクの箱を置いた。
「おぉ。流歌。愛してるよ」
「はいはい。連絡はちゃんと頂戴ね」
ひらひらと手を振って彼女は部屋を出ていった。
俺はため息をついた。自分の仕事については理解はしてくれているが、本当は寂しい思いをしているだろう彼女には申し訳なく思っている。彼女の為にも結果を早く出さないと思う。そして思考は研究の事に移っていった。
記憶を取り除く薬の研究。それが今行っている事である。特定の感情を呼び起こす記憶を他の記憶と結びつける事を阻害し、思い出さないようにする。それによってトラウマを消す事を目的とした物である。
記憶は、それ単品では存在せず、他の記憶と結びついて存在している。記憶同士の結びつきが阻害されれば、理論上はその記憶を思い出す事も無くなる筈である。しかし、闇雲に記憶の繋がり阻害してしまえば、感情全てが破壊され廃人が出来上がってしまう。人の恐怖心と繋がる記憶だけを阻害しなくてはならない。
世界では情勢は悪くなり、自殺率も上昇している。またアダルトチルドレンと呼ばれる者達が増えたり、カルトじみた宗教なども台頭したりしてきている。人々は心に傷を受け、その傷が鋭利な刃物となってまた他の誰かを傷つける。そんな社会の仕組みが構築されつつあった。その傷を消すための治療薬になる。そんな想いで研究を続けている。
「産まれてくる子供に住みやすい世界を」
椅子から立ち上がり空を見ると綺麗な月が浮かんでいる。
俺は目を閉じた。そして月は消える。
ゆっくりと小舟は進む。記憶の波をかき分けながら。
「話が違うじゃないか」
俺は机を叩きつけた。
「あくまで医療用としてあの薬は開発したんだ」
強い怒りは、外に流れてもまだ身体の中で畝り滾る。
「恐怖心を感じないソルジャーを作り出す為の物ではない」
宗教の名を騙った戦争はその規模を広げ、その余波はこの国にも届いていた。社会情勢は更に悪化し、軍事政権が誕生していたのであった。そして、自分が開発している薬が軍事に使われている事をしった。
「かな君どうする?」
「俺は研究所を離れる。残された研究者達には悪いが国の圧力を受ける研究所でこのまま研究を続けていく気は無い」
「危険じゃない?」
流歌は心配そうに一歳になった奏流の頭を撫でている。先程まで泣いていたが今は疲れてしまったのか寝ている。
「現時点で薬の全容を知っているのは俺だけだし、反逆者として追われるかもしれないが、研究所に居たら今後も軍の為の薬の開発を強要されるだろう」
不安そうに奏流を撫でる彼女の手に手を重ねる。
「叔父の方に身を寄せれば一時的には何とかなるだろ。流歌と奏流には迷惑をかけるけど付いてきて欲しい」
流歌は小さく頷いた。
「取り敢えず食事にするね。簡単な物でいいかな?」
今日一日まともな食事を取っていない事に気づいた。やる事が決まって少し気持ちの余裕が出てきた。食べられる時に食べておこうと言うのは仕事の忙しさの中で生まれた思考回路である。
「あぁ。俺も準備する物があるから」
暫くして、食卓にあざやかな緑と香ばしいスパイスの香りが置かれた。
「おまたせ。昨日の温め直しただけだけど。スプーン持ってくるね」
鼻をくすぐる匂いが心を躍らせる。
ガチャ
スプーンを受け取りカレーを食べようしたとき、扉の鍵が開く音がした。鍵は自分と流歌しか持っていない筈である。
(泥棒? 合い鍵?)
流歌と奏流を護るように立ち上がる。そして扉から入って来た男の制服を見て絶望した。煙男と呼ばれる国家機関の者達だ。
「時間短縮にマスターキーを借りさせて貰ってきました。このような形で会うのは遺憾ではありますが、反逆罪の疑いありという事で、鈴音奏那汰、鈴音流歌、両名を連行します」
対応が早すぎる。ここは社宅だ。要注意人物としておおかた盗聴器でも仕掛けられて監視対象とされていたのだろう。
灰色のスーツを着て灰色の無個性な顔をした男。その後ろから同じような男が二人音もなく後ろに回り込み、後ろで腕を拘束された。葉巻の煙の匂いがする。
「離してよっ! 奏流をどうするのっ!」
奏流を取り上げられ拘束された流歌が声を荒らげる。近づこうとすると、チクッとした痛みと共に下肢の力が抜けてゆく。見ると流歌も床に崩れていた。
「優秀なお二人のお子様ですから、国で大事にお預かり致しますよ。いずれ立派な研究者になるでしょう」
抑揚のない声で男がいう
「ふざけるなっ」
視界が煙で霞んだように見えなくなってゆく。
「奪われてっ」
奏流の泣き声が聞こえる。奪われてたまるかという気持ちも、温かい家庭の匂いも灰色の闇の中に消えた。
◆◆◆
夢から醒め、膝を抱えるように小舟の中にうずくまって涙を零していた。小さい頃の記憶も両親の事も覚えていない。覚えているのは施設で育った記憶。そして周りの者達に馴染めない事に対する苛立ちと諦め。
手に持ったロケットペンダントには赤ん坊を抱えた女性の写真が入っており、蓋の裏には言葉が刻まれていた。
(流歌と奏流に永久に変わらぬ愛を)
眩しい光が顔を照らす。起き上がるとただ広がっていた水平線に太陽が顔を出していた。そしてその光は太い一本の線となり闇夜を割った。
「温かいな」
光の線から暖かく強い光が溢れ、やがて世界は光で満たされた。
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