第22話 ガラクタを超えて 有象無象の波は寄せ
第5章 ガラクタを超えて
1 有象無象の波は寄せ
紅い世界の中で俺は車の座席を勢いよく倒した。人々の魂が再結晶化して出来た太陽は変わらず彼方の地平線上で輝き、俺はその光を遮るように腕で顔を隠した。
「あー。くそっ」
ドアを叩く音が静かな世界に響く。都合よく忘れていたモノなんて思いださなければ良かった。ただ、ただ消えてしまいたかった。あの時もそう思った。
「くそっ! くそっ!」
あの時、気づくと俺は両の手を実祈の冷たい首筋に添わせていた。どうやってそこまで来たのかは覚えていない。ただ、冷たい月の光に照らされた彼女はやはり冷たく、だけれど生命を感じさせる弱い拍動が感じられた。
(俺は実祈にとっての何なんだ)
琥珀に実祈をとられたと思っていた。だけれど自分は兄だからと気持ちを抑えていた。自分に言い聞かせていた。なのに兄という肩書きすら琥珀に持っていかれてしまう。実祈の人格を取り戻す為に頭の中に琥珀がインストールされる。彼はそこでずっと彼女を護る騎士になる。 では、俺は? 実祈とは赤の他人でしかない俺は? 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
この指先に少し力を込めたら儚い生命は終わるだろう。実祈を渡したくない。
そこではっと自分している事に恐怖を覚えた。自分の感情に恐怖を覚えた。そして俺は実祈の元から逃げ出したのだった。
あの時の記憶と共に生々しい感情が流れてくる。俺は跳ね上がるように身を起こすと、ハンドルに腕を叩きつけた。クラクションが悲鳴のように響く。
「ぐぅあーーーーーーーーーーーー」
激しく湧いてくる感情を消し去りたくて、自分という恥ずかしい存在を消し去りたくて吼えた。頭の中で音と感情がぶつかっては共鳴し頭を揺らす。今まで蓋をして忘れていた記憶が濁流のように押し寄せ千の剣となって身体に突き刺さる。
「くそぅ……」
咆哮を辞めた俺は泣いていた。ただ悲しかった。
◆◆◆
「お兄ちゃんは本当に頼りになるんだか、ならないんだか」
「これでも頑張ってるだぞ」
俺は笑いながら実祈の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「うん。知ってるよ。ずっと見てたもん」
実祈も笑いながら言った。
「でも、自分の事にも頑張らないと駄目だよ。ちゃんと彼女さんとか作って」
「生意気な事を言うのはこの口かー。ほっぺ引っ張り攻撃!」
「いふぁいって。ふぉんとこともなんたから」
「痛っ」
実祈の反撃のデコピンが額にクリーンヒットした。
「痛っ」
額を抑えながら身体を起こした。いつの間にか寝てしまっていたようである。そして顔を上げた。そこには少女が立っていたが、逆光で顔がよく見えない。
「実祈か?」
「神祈じゃないわ。私が男に見えるの?」
そうだ。実祈は白い髪では無い。そうするとこの少女は。
「空白か……」
記憶を手繰り寄せてどうにか名前を思いだした。現世での記憶を思いだしたと同時に、こちらの世界で起こった事はどうも頼りなく薄ぼんやりとした物になっていた。まるで夢から醒めた後の夢の記憶のように。
「魂が抜けたような顔をしてるのね」
「あぁ。悪いけど俺の事は放って置いてくれ」
身体が怠く、何もする気が起きなかった。そういえば、篠上琥珀と死神空白の関係は何なのだろうか。一瞬湧いた疑問もすぐにどうでも良くなっていた。ただ、静かに消えたい。誰にも構って欲しくなかった。
「うーん。そういう訳に行かなくなったの。あれ」
空白が指を指した場所には山があった。
「俺に関わらないで欲しいんだ」
「よく見て」
気の所為か山が先程より近くなった気がする。いや、山が形を変えながらこちらに近づいてきているように見えた。
「なんだあれ、津波か?」
「ガラクタの集合体! こっちに向かってきてるわ」
そうしているうちにもどんどん山はこちらに近づき、地響きが大きくなってゆく。山の一部が伸びて腕のようなものに形作られてゆく。
「なんか嫌な予感がするんだけど」
「予感で済まないから早く車を出して!」
助手席に乗り込んだ空白の言葉に考える事も出来ず、言われるままにアクセルを踏んだのと山が手を振り降ろすのは同時だった。
車体が宙に浮くような激しい振動を感じた後、車の上を古びた冷蔵庫が弾丸のように飛んでいき、まるでボーリングの球がピンを倒すように前方のガラクタの山にぶつかり弾けた。背筋に冷たい物が這い上がる。
「急いでっ!」
空白はいつの間にかシートベルトをしている。彼女は目を瞑っており周りの空間にうっすらと青い光を放つ魔方陣のような物が現れていた。
ミラー越しに後ろを見ると、山のように見えていたガラクタの集合体はもはや津波に見えず、すぐに壁が迫ってくるようにしか見えなくなった。ガラクタ同士がぶつかり合う音、空白が作り出した壁にガラクタが当たる音。激しい振動にハンドルがとられそうになる。
「空白! 前っ!」
白い地面が途切れ、ガラクタの山に三方を阻まれた。このままだとガラクタの山に突っ込む事になる。少しアクセルを緩めた。
「そのまま突っ込んで!」
「いいのかっ」
そう言いながらも、俺はアクセルを踏み込んでいた。このままガラクタに突っ込んだらという考えが脳裏を掠める。
ズンっ。
身体が座席の上で大きく弾む。一瞬つぶった目を開いた。
(空?)
空白が創ったであろう白い道が空に向かって伸びてゆく。
「道なりにお願い! ガラクタの上を越えて行くからっ!」
空白の周りのに浮かんだ魔方陣はその数を増やし、青い光も強くなっている。俺はそんな彼女を横目で見たが観察している余裕など無く、すぐに前方に視線を向けた。
道は大きく曲線を描きガラクタの方へと向かっているようだ。激しい音と振動は伝わってくるが、道の下はどうなっているかは見えない。見えている道も大きく傾いている。
「強い想いで物理法則は変えられるわ。道を走る事だけ集中して」
「無茶だろ!」
死ぬ事を想像した。そして実祈の事を考えた。
「こっち向いて!」
両頬を冷たい手で挟まれたと思った瞬間、空白の瞳が目の前にあった。唇に柔らかい感触が遅れてやってくる。そして俺の頭の中で何かがショートした。
視界に入るのは彼女の睫毛だけ、だけれどその周りの様子が手に取るように分かった。
テレビ、扇風機、ベッド、マネキン、花瓶、タンス、テーブル、絵画、ドレス、鏡、椅子、布団、トラック、洗濯機、犬小屋、図鑑、置き時計、三輪車、蓄音機、ブリザードフラワー、ゲーム機、アコーディオン、アンティークドール、ストーブ、バイク、製図台、美顔器、ミシン、使い方の分からない機械、多くの物、人の魂の集合体、靴箱、照明、自動販売機、トイレ、パソコン、掃除機、エアコン、スーツケース、パチンコ台、着物、五月人形、ベビーカー、ワイン瓶、オーディオ、チェーンソー、脚立、ミキサー、ダンベル、加湿器、ピアノ、ダルマ、甕、ビデオ、電子レンジ、トランペット、見た事の無い機械、色々な物、人の想いの集合体が地面を覆い尽くしている。
(色の大洪水だな)
空白が作った道が伸び、その下面から巨大な支柱が何本も勢いよく伸びる。色々な色に白の柱が次々に突き刺さってゆく。
ガラクタの集合体は集合体で大海原のようにひしめき、波うち、そしてあちらこちらが盛り上がっては車に向かって勢いよく伸びてくる。それを道や支柱から伸びた白い柱がまた貫く。
しかし、空白と離れると強度が下がるのか、車の通り過ぎた後の道の支柱は次々にガラクタの集合体に絡まれ折り崩されてゆく、それに引っ張られるように道が大きく傾く。その上を車がはしってゆく。
気づくと何事も無かったように琥珀は助手席に座っていた。先程のキスが何かの幻だったのではないかと思うくらいだが、頭はもやが消え去ったようにはっきりして、世界が一瞬にして広がっていた。
「貴方はもう死んだの。だからしっかり前を見て」
(そうか俺は死んだんだ)
ガラクタの集合体を見た。そしてそれはこれまでとは比較にならない程大きく盛り上がり、巨大な顔を形作り、こちらを飲み込もうと大きく口を開けた。
「後はお願い」
力を使い果たしたのだろう。空白は静かに言って崩れ落ちた。周りを囲んでいた魔方陣も消失する。そして残ったのは眼を閉じた彼女と涙。その涙の理由は分からない。だけれど俺は短く言った。
「あぁ。任せろ」
言葉にはしなかった何かが通じ合った気がした。
この車は俺が長年乗っていて実祈に譲ったものと同じ型式である。そして、事故があった日彼女が乗っていたのもこの車と同じ物だった。俺はハンドルをきつく握った。白い道は目の前で途切れている。
(いけるっ)
次の瞬間、車は何も無い宙を走っていた。ガラクタの顔は白い道に激突し、その勢いのまま車の後ろを通り過ぎていった。
重力の枷は今は無い。雑多なガラクタの群衆から離れてただ自分の進みたい方向に駆け出した。
「じゃぁな」
頬を伝う熱いものがあった。俺は静かに目を閉じる。紅い光がとても眩しかったから。
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