第21話 琥珀の中の夢達 墨膳奏流の冷たい真実

5 墨膳奏流の冷たい真実



「久しぶりだね」

 琥珀が池の縁に座り手を降っている。俺はそちらに向かって歩き出した。先程は先輩の記憶だろうか、俺自身が彼そのものになったような気がしたが、今は奏流として意識ははっきりしている

「気をつけてね。身体を傷つけるものが沢山転がっているから」

 しかし俺は気にしなかった。既に全身傷ついて血が滲み出ていたが痛みの感覚は既に麻痺していた。

「ALICEは無事に君を連れて来てくれたんだね」

 池には月が浮かび、小刻みに震えている。上を見上げると其処には月は無く、ただ闇が広がっていた。

「僕は色々考えたんだ。でも結局は分からなかった。それは僕に足りない物の所為なのだろうか」

 先輩の口調はとても静かで優しく、そして水よりも闇よりも冷たかった。

「君は何故、あんな事をした?」

 その言葉に呼応するかのように池から大量の水が溢れ二人を飲み込んでゆく。冷たい感情と汚れた感情が濁流となり抗う事の出来ない身体は為すすべもなく流れに翻弄される。

 ただ思い出していた、実の首を絞めた時の冷たい感覚を。俺は今どんな顔をしているのだろうか。


  ◇◇◇


 墨膳実祈と俺は兄妹だった。しかし血は繋がっていない。実祈には有子(ゆうこ)という妹がいたが、昔に病気で亡くなってしまったらしい。自分が大きくなってから母がぽつりと言った言葉がきっかけで妹の存在を知ったのだけれど妹には会った事が無いと実祈からは聞いている。

 そんな彼女の兄として墨膳家にやって来たのは俺がまだ小学校六年の時であった。養子としてやって来た俺は当初慣れない環境に戸惑っていたが、当時実祈の母親は体調を崩し入院し、父親は今の研究所の前身ある研究機関で起きた火事の対応に追われていた。身の回りの事は家政婦が来てやってくれたものの、寂しさもあったのだろう。実祈はすぐに俺に懐き、近所の女の子が居なくなってしまった事で心に空白を抱えたばかりの俺も護るべき妹が出来た事が嬉しかった。赤の他人である二人は本当の兄妹以上と言って良いほど仲良く過ごしていた。

 その関係が変わって来たのは琥珀がやって来てからだった。彼の実績を知っていたのでもっと年配の人物を想像していたのだが実際に来た青年はずっと若く二十代後半くらいに見えた。

 その道で一流どころか神であると言われた琥珀に師事する事になった俺は、琥珀の事を実祈の婚約者として扱って欲しいと父からの頼みを聞いた。それは亡命してきた琥珀の存在を隠す為だけで、形だけのモノだと俺は思っていたが、神祈は満更でもないようで、二人は仲睦まじく日々を過ごしていた。その事で俺と実祈と仲が悪くなったりはしなかったが、以前より距離を感じ、琥珀と実祈が仲良くしている様を見て少し寂しくもあった。そのせいか二人に対して遠慮する事が増えた。

 彼自体が嫌いな訳でも無く、師として尊敬もしていたが、自分のいる場所を奪われたような気がして、またそんな事を考えている自分に対して苛ついた。琥珀にどう接してよいかも分からず、それを悟られないように見かけは陽気に接していた。博士と呼ばれる事を嫌がった琥珀を、じゃぁという理由で半ば無理やり先輩と呼んだりした。そうやって自分を自制している内にやがて二人の事を冷静に見られるようになって矢先の事だった。実祈が事故に遭ったのだ。

 そうして世界は壊れていった。

 琥珀には何の落ち度も無い。それは解っているのに、心のどこかで彼を責めている自分がいる。非がない処か世界が終わってしまったかのように嘆き、悲しみに取り憑かれて別人のようになってしまった琥珀に対して責める気持ちを持つ自分が酷く恥ずかしい存在のように思えた。

 近くにより強い感情を持つ者がいると冷静になってしまう。例えば何かに怒っていても、近くにその何かに対してより強い怒りの表現をしている者がいると怒りが収まる。自分の姿を、他人を介する事で客観視してしまうのだろう。同じ様に、琥珀があまりにも嘆いていたので、俺は妹の事故を嘆く事も出来ずに、彼の慰め役にまわった。冷静に嘆いていない自身を分析している自分があまりにも薄情な人間であると感じもした。そんな風に思ってしまったから、父や琥珀の行動を止める事は出来なかった。

 人格を他人に移植するという事は大変危険な事に思えた。成功例など一例すらなく、もし成功したとしても実祈は実祈でない別な存在に変わってしまう気がしたのだ。しかし鬼気迫る父と琥珀の姿を見てその言葉を飲み込んだ。

 やがて父が死んだ。研究所の屋上から転落死したのだ。真実ははっきりしない。既に社会は戦争の影響を受け、この国でも暴動や破壊行動が加速していたので、国家機関も一人の死など構っていられないのだ。捜査などある筈もなく、墨膳直哉の死は自殺として片付けられた。

 俺はもうよく分からなくなっていた。周りに対しては笑顔で接していたものの、父親の葬儀など手続きなどを理由に研究所には暫く顔を出さなかった。そしてある事実を突きつけられる事になる。

 父の部屋で書類を整理していた時に一通のファイルを見つけた。それはある調査機関の物で、さらに一通の封筒が挟まれていた。そこにはDNA親子鑑定の結果が書かれていた。

(擬父、墨膳直哉がその子、篠上琥珀の生物学的上の父親である可能性は99・9パーセント以上です)

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