第18話 琥珀の中の夢達 墨膳奏流の記憶

 2 墨膳奏流


 身体が揺れる。頭が揺れる。眠っていた記憶が揺り起こされようとしている。記憶が途切れ、繋がり、途切れ、繋がり、正解を求めて試行錯誤をしている。

 問い一。関係ある物を線で繋ぎなさい。

 私――氷美子。違う。私――琥珀。違う。私――神祈。私――奏流。私――。

「奏流。奏流」

「あっ! すいません」

 壊れたオモチャのように跳ね上がり、そして無理やり頭が覚醒した。目の前には琥珀先輩が コーヒーカップに口をつけている。その目の下にはうっすらと隈ができていた。

「大丈夫? ここだと風邪ひくし、仮眠室で少し寝たら?」

 背筋がぞくぞくした。この部屋は機械類が熱を持たないように温度が低く設定されている。 いつの間にか寝てしまったのだろうか。

「大丈夫です。ちゃきちゃきやっちゃいましょう」

「そうだね。じゃぁ、僕の記憶のメモリー化お願いしようかな」

「えっ? まだそれは早いんじゃ」

「なんだか思考が働いてない今の方が理性に邪魔されずに深層にアクセスしやすい気がしてね。テストプレイでサンプルとるくらいなら大丈夫」

 琥珀先輩がそう言いながら見ていたのはガラス越しの部屋。そこには一人の女性が寝ていた。

 墨膳実祈(ぼくぜんみのる)。俺の妹であり、先輩の婚約者であるその人は事故以来、眼を覚ます事なくベッドの上に植物状態で横たわっている。

 車の事故であった。実祈はお気に入りの車で研究所から帰る途中、道に飛び出して来た少女を避け、そのまま電柱に衝突した。少女に怪我は無かったが、彼女は意識不明の重体となり、命こそ取り止めたものの、その身体は中身の無い空っぽの器になってしまった。

 当初ここら辺では最大の病院施設である昼呼(ひらよび)病院に運ばれたが、これ以上の回復は難しいとして、現在はこの研究所に引き取られている。実祈は所長の娘でもあったからだ。

 琥珀は当時別人であるかのように痩せ、瞳は獣のような光を宿していた。自傷行為が繰り返され、一時は部屋に軟禁状態にされていた。そんな折に研究所内で極秘のプロジェクトがスタートした。 所長自らが指揮をとるプロジェクトは多重人格を擬似的に作り出すというものであった。そしてその研究が始まると共に琥珀は外に出て来ている。

 俺が機械の点検をしている間に先輩は服を脱ぎ始めた。海外の研究所で弓道をやっていたという身体は引き締まっている。最近では体重も戻り、笑顔が戻ってきたとはいえ、その姿はやはり野生の獣を連想させた。以前は人懐っこい小動物的な感じさえあったのだが、今はその面影は薄くなっている。「最近、あんまり眠れなくてね」そう言って笑う先輩の目の下には隈が浮かぶようになっていた。

「機械の方は大丈夫そうっすよ」

「大丈夫じゃないと困るよ」先輩はジェルで満たされた浴槽の縁に座り笑いながら言った。

「じゃぁ、電極つける前に薬打っちゃいますよ。効果が出るのに十分くらいかかりますし」

 擬似的な多重人格とはある一つの身体に、他の記憶を入れる事である。解離性同一障害と同じ様に主人格の他に主人格を助ける存在として人格を形成させる。いわば人格のギプスを作り上げるのだ。外部から形成された人格は主人格のナイトとなり護る他に記憶同士が干渉し合う事を利用して眠っている主人格を起こす事を期待する。

 全てが実祈を元に戻す為に始まった研究である。研究所所長の墨膳直哉(ぼくぜんなおや)は娘を失った事で嘆き悲しんだ。娘に外から電気的な刺激を与えたり娘と所縁のある場所に連れて行ったりなどしたが実祈が眼を覚ます事はなかった。

 そして彼は息子である俺にこう言った

「実祈という人格はバラバラに砕けてしまった。そしてその大部分は修復が出来ないほどに破損して無くなってしまった。しかし、無いなら他から補えばいいじゃないか」

 その父親は今はもう居ない。しかしその言葉を言った時の父親と同じ目をした目の前の青年を見ていると、今自分が正しい事をしているか分からなくなる。

「じゃぁ、ちくっとしますよ。泣かないで下さいよ」

「奏流には泣かされっぱなしだからな」

「俺があまりにも優秀すぎて泣けるんですね」

「あぁ。優秀すぎる後輩がやらかした後始末をしている時が一番泣ける時だね」

「なんだか俺が泣きたくなってきましたよ。よしっ。じゃぁ、電極付けていきます」

 先輩の身体に心電図の電極を付けていく。規則正しい波長が静かに空間を刻み、すぐ消えてゆく。

「ではマスク被せますね。これを咥えて下さい」

 俺は人肌に温められたゲルで満たされた水槽に入った先輩に潜水用のフルヘルメットを被せる。やがてこの中に麻酔が満たされ、内臓された鉄の針が頭に潜り込むのだ。

 先輩は指でオッケーのサインを作るとそのまま水槽の中に沈んでゆく。胎児のように水槽の中に浮かぶ彼はこれからどんな夢を見るのだろうか。そしてガラス越しに眠っている妹を見る。彼女は今どんな夢を見ているのだろうか。俺は小さく息を吐いてからパソコンを開いた。

(彼の記憶と夢の狭間へ)

 ALICEの声と共に猛烈な睡魔に襲われる。琥珀の心電図の音が自身の心音と重なりそして消えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る