第17話 琥珀の中の夢達 不思議の国の墨膳奏流
第4章 琥珀の中の夢達
1 不思議の国の墨膳奏流
紅い光の中で俺は一人考えていた。
「空白……神祈……」
鈍い痛みが頭の奥を走る。そしてそれは思考回路を切り裂き、また俺は切り裂かれた思考を繋ぎ合わせようとしている。
「墨膳奏流。俺。墨膳実祈。妹。母親は? 父親は?」
「こはく。空白。先輩?」
何故だか忘れていた事実が小さな穴から頭の中に急に流れてきて、頭の中が激しく撹拌される。何かを考えようとしても情報量に溺れ、その手で何も掴むことはできない。
父と母の事は覚えていない。それは記憶の欠如では無く、物心つく頃には両親は居なかった。
代わりに育ての親として研究所の所長がいて、その娘が自分の妹である。
「世界は? なんで死後の世界で皆に会う?」
「やっほー。元気ー?」
「やっほー? 挨拶。誰が? やっほー??」
ばっと顔を上げる。黒い髪にタペストリーのように織り込まれた白いリボン。音符を描くようにひらひらと指先を動かしている」
「空白は? 空白はどうした?」
「今は眠ってるよー」
歌音は傾いて積まれていた古いテレビの上から飛び降りてきた。とんっという軽い音。
「大丈夫なのか?」
「色々あったのがここに来てどっときたみたい。頭もかなり混乱してたみたいだけど」
「そうか……」
よく考えれば神祈は空白にとって大事な人の筈。それがこんな状態になったばかりなのだ。
「なぁ、歌音。聞いていいか?」
「なぁーに?」
「俺がいた世界は今どうなっているんだ? 研究所は?」
心に引っかかっている事があった。淡縞博士はまだ死んでしまうような歳ではなかった筈だ。寧ろ博士という名を持つ者としては非常に若い印象だった。何故この世界にいるのかが気になり、それは不吉な想像を産んでしまう。
「ここって魂の揺り籠だって話を白ちゃんから聞いたよね」
歌音は古びた椅子の上に倒れるように勢いよく座り空を指さした。
「あんな太陽があったら眠れなくない? とか思わなかった?」
その指先には赤い太陽が最初に来た時と変わらぬ場所、変わらぬ紅さで輝いている。
「いや、別に。そういう世界だと思ってたしな」
「眠る時間って言ったら夜だよー。本当はこの世界は真っ暗な世界だったの。おやすみぐーぐーだね」
「じゃぁ、あれは何なんだ」
「ここら辺のモノと一緒だよー。だけど一人のモノじゃないの」
「魂の集合体みたいなもんか?」
「かな? ここのモノはだんだん溶けて空気に還るんだけど、あまりにも急にここに流れてきたモノが多すぎて飽和状態になったんだよね。だから溶けたモノが再結晶化してあの太陽が出来上がったんだよー」
「ここが飽和状態になる程モノが急に流れ込んできた理由は何なんだ?」
「はい。これ」
いつの間にか持っていたのだろうか、椅子から立ち上がった歌音は熊のヌイグルミを持っていた。
それはお堂に置いていたはずのものである。
「どうしてそれを?」
「彼女が教えてくれるわ」
「ゆうこが?」
「そう」
いつの間にか熊のヌイグルミは銀色の四角い板に変わっていて、歌音はそれをを差し出して来た。
俺はその物体を知っている気がした。
「パソコンか?」
「そだよー。開いてみたらー?」
歌音から渡されたそれは鈍く銀色に輝き、ずっしりとした重みがあった。そしてそのパソコンには見覚えがある。俺は地面に胡座をかいて座り込み脚の上にパソコンを置くと画面を開き電源を入れた。
ーパスワードを入力して下さいー
カタカタカタ。使い慣れた型のキーの上を滑らすように指を動かし文字を入力してゆく。
Kollektives Unbewusstes これが研究所のパソコンであるならこれで大丈夫な筈だ。そしてその言葉は、研究所で研究されていた事を表す物でもあった。
集合的無意識又は普遍的無意識と呼ばれるそれは、人間の無意識の深層にあるものとされ、人類共通の無意識であり、全ての人類に繋がっているモノ。人間というDNAに刻まれた存在の根本でもある。つまり個人を超えた人という種全体の行動理念となる本能にアクセスするというのがこの研究所の存在意義であった。
人が争うのは種の本能である。それが人間の種として管理、調整された細胞の自殺(アポトーシス)によるものであるならば、集合的無意識にアクセスする事で人類から争いをなくせるのではないか。そういった考えの基に始められたものであった。勿論それは最終的な到着地点であり、普段は人間の記憶を対象とした研究が行われている。
決定のキーを押すと起動中の文字が出てきた。
「うしっ!」
そして画面に青いエプロンドレスを着た少女が映し出された。少女は椅子に座って毛並みの長い猫を撫でている。
それは不思議の国の少女であったが、なんとなくゆうこに似ているような気もする。
「こんにちはアリス」
(コンニチは。アナタはダレかしら?)
「俺は奏流だ」
(ハジメマシテソウル。アナタにアエテウレシいわ)
少女は黙って猫を撫でている。
「俺もだよ。君は素敵な毛並みだね」
(アリガトう。アナタはワタシにナニをキキタイの?)
ここまでは順調だ。アリスと名付けられたこの猫はプログラム通りに返答してくれている。ここからはシークレットモードに入る為の言葉が必要だ。
「真実の蓋を開けたい。君は生きているのか死んでいるのか」
これで少女の方と話ができる筈だ。人工知能ALICEと。
今まで黙っていた少女がその手を止め、その可憐な唇が言葉を紡ぐ。
(あなたは気が狂っているし、おかしいし、正気じゃないわ。ただ、あなたに秘密を教えてあげる)
ALICEの膝からアリスが飛び降りた。そして俺は光の粒子に包まれ消えた。
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