第6話 魂は揺り籠で眠る 墨膳奏流
墨膳奏流
俺は逆さまのまま空中に浮いている。
薄いピンク色の空間。目の前に漂っていた白いレースのリボンを摘み上げた。
「熊のヌイグルミを拾い上げた所まで覚えてるな」
二次会に行ったところまで覚えているみたいなノリで声に出してみる。
お酒で失敗したのは一回。その後何故か暫くセミ将軍と呼ばれた。
そう言った俺はふわふわと宙に浮きながら記憶を掘り返す作業をしていた。光に包まれたと思ったら次の瞬間に無重力空間に放り出されたのである。
周りには自分と同じ様に幾つもの物が漂っていた。ピンク色の魔法少女のステッキや、海外製の十二頭身の人形や、ウサギの顔のクッションや、色とりどりでキラキラ光る指輪が入った宝石箱や、色々な動物を模した沢山のヌイグルミ等が重力を忘れふわふわと浮かんでいる。
(小さな女の子が持ってそうな物ばっかだな。全部新品みたいだし)
箱に入ったままの物や、リボンを結びつけられたままのヌイグルミなどが多い。先程いた場所では古いものや使い込まれていそうな物も多かったが、ここは全てが綺麗で新しい。
キリンのヌイグルミを指で軽く突くと、ゆっくりと離れて地面にぶつかる。
「だーれだっ」
突然の声と共に目の前が真っ暗になった。
「うわっ!」
慌てて目を隠した手を外す。
「誰だ?」
少女が俺の顔を覗き込むように宙に浮いていて、その黒い長髪が顔をくすぐった。
年の端は十歳にはなっていないだろうか。白いワンピースに紅いエナメルの靴を履いていて、肌も白い所為か、何かの人形のような印象を受ける。
「ゆうこの事覚えてないの?」
「うーん。悪い。分かんないわ。会ってたら覚えてそうなもんだけど」
こんな綺麗な子なら忘れないと思うのだが、実際会った記憶は無い。
「王子様失格ね。まさか約束も忘れちゃったの?」
「多分人違いじゃないかな。君は一人? パパとママは?」
「……」
「ココが何処だか教えて欲しいんだけど。あてっ!」
水色のゾウさんが顔に直撃した。
「バカっ! もう知らない」
怒り口調で言うと少女はすーっと去っていってしまった。
「あっ! ちょっと待てって!」
ゆうこと名乗った少女を追いかけようとするも無重力の中では上手く前に進めない。
膝を曲げて勢いよく蹴る。くるっ。
うねうねとエビのように腰を上下に動かす。くるっ。
ばたばたと腕を振り回す。くるくるっ。
ちっとも前に進まず何故かくるくるとその場で回転してしまう。
「くっそー」
俺は空中でぐったりしていた。たまにばたばた動き、またぐったりする。
(くっそー)
ドン!
突如激しい振動がピンクの世界を襲った。そして宙に浮いていた物が重さを取り戻し、一斉に地面に落ちる。
勿論自分も例にもれず地面に引っ張られ、たまたま下にあったネコの大きなクッションにボフッという音と共に埋まった。
「うぐっ! 今度はなんだよ」
奏流が見渡すと、今まで浮いていた物が全て地面に落ちている。
ボコっ!
訂正。まだ落ちていない物もあった。角はだめだろ角は。頭を押さえながら落ちてきたオモチャの箱を睨む。
「そうだ。あの子の事追わんとな」
周りを見渡してもあの少女の影は無かった。
「まいったなー」
空中に浮いている間に何回も回転した所為で方向感覚が少し怪しく、少女が去っていった方向に自信が無い。
「こっちだと思うんだけどなー」
軽く走る。若干地面の偉大さを感じながら。
走っている間に周りに物がどんどん少なくなってゆく。本当にこちらでよかったのか迷い始めた頃に人影を見つけた。白いワンピースに赤い靴。
「やっと見つけた。よく分からないけどさっきは悪かった」
近寄って俯いている少女に声をかけた。幼女には取り敢えず謝る癖がついているようだ。
少女が顔を上げた。
「あれ? 人違いかな。ゴメン。妹さん来なかった?」
そこにいた少女は先程の少女とよく似ていた。だけれど明らかにこちらの少女の方が年上である。先程の子のお姉さんだと判断して聞いた。
「妹は居ないわ。私はずっと独り」
少女はゆっくり首を振った。俺は返答に困り少女を観察した。
服装は先程の少女と全く一緒だ。ゆうこは綺麗だったけれど、可愛いといった部分があったが、こちらの少女は綺麗という部分に磨きがかかっている感じで、彼女が成長したらこんな感じかなといった風貌である。
周りを見渡し少女の近くに散らばっていた小さい物を拾い上げた。
「ジグソーパズル?」
「好きだから」
少女が小さく頷いて言った。
「あー。昔やってたなー。でも全然やってないじゃん」
ピースはただ散らばっているだけで全く組み立てられていなかった。
「いいの。完成したら終わっちゃうから」
少女は一つのピースを人差し指と親指で摘み上げた。
「こうやって、ピースを眺めてるのが好き」
(なんかこの子苦手だな)
そんな事を思ったので、また話を変える。
「そういや、ここは何処? 他の人知ってる?」
少女はゆっくり首を振った。
「ここが何処だか分からないし、ここには私しか居ないわ」
「ゆうこちゃんて子に会ったけど妹じゃないの?」
「妹なんて居ないわ。私がゆうこよ」
どうも話がかみ合わない。さっき会ったのは間違いなくこの子ではなかった。
「んー。まぁいいや。この変な場所から出たいんだけど何処にいけばいいかな?」
「ここからは何処にも行く事は出来ないわ」
「どう言う事?」
「ここは閉じられた世界だから。昔は王子様がここから連れ出してくれると思ってたけど結局そんな事は無いの」
「ここがどんな場所か分からないけどさ。そうやってパズルを眺めてるだけじゃ出れないだろ。出たいなら自分でどうにかしないと」
俺は付け足すように言葉を続けた。
「本当に出たいなら俺が連れて行ってやるよ」
少女がこちらを初めて見た。それまではこちらの事を見ようともしなかったのに。
驚いたように瞳を大きく開いてこちらをじっと見ている。その茶色い瞳がやがて涙を湛え始めた。
ドンッ!
世界が再び振動した。急激な揺れに体勢を大きく崩し崩し、少女に押し倒されるように地面に尻餅をついた。
柔らかい感触。彼女の瞼は閉じられていてその端から涙が零れている。長い睫毛。黒い髪が床に広がっている。長い一瞬。それこそ永遠のような。消毒用のアルコールの匂いがした気がした。それも一瞬。
奏流は重なった身体を慌てて引き離した。速くなる鼓動。指が自分の唇を押さえた。
「あっ。悪い」「痛く無かった?」
声がうわずっている。少女がゆっくり起き上がった。
「そうちゃんだね……やっと迎えに来てくれたんだね……」
泣きながら笑う少女の姿が光に包まれてゆく。
そして世界が光の粒子を纏い、やがて何も見えなくなった。
「ありがとう」
そんな声が聞こえた気がする。
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