第5話 魂は揺り籠で眠る くまとの邂逅 



 まだ消えない過去の記憶を振り払いながら私と歌音は二つの世界の境界線に来ていた。

 ここは”魂の揺籠”と呼ばれる世界。魂と肉体の境界が曖昧な世界。

 そして、私は他の世界とこの世界を行き来する事が出来た。

「心が空っぽだった。そして心が長い間無ければ肉体も一緒に消えてゆく。だから私は魂と肉体の境界が曖昧なここに神祈を連れてきた。ここなら少なくても肉体の劣化は避けられる筈だから」

 歌音は黙って聞いている。

「心配はあったわ。物を持ち込んだ事はあったけど、生物をこの世界に連れて来たのは初めてだったから。自分はともかく、神祈は普通の人間だったから。だけどこれしか方法は無かった」

 そう、そこまでは問題は無かったのに。

「悪夢の受胎はシロちゃんの所為じゃないよ」歌音がぽつりと言った。

「嘘。普通あんな事がある訳ないもの。神祈を連れて来た何かしらの影響がこの世界にあって、そしてあれが出現した」

 古典医学では人間の臓器の働きとして、肺、脾、心包、心、肝、腎があるという。その中で心包以外は実際に存在する臓器。心包は実在しない臓器とされている。心を包む臓器。それは概念としてだけの存在と定義されている。そう。それが奏流にビンと説明したもの。

 魂の揺籠ではそんなビンに入った魂が沢山眠っていた。

 やがてそのビンはゆっくりと時間をかけて溶けてゆき、中の魂ともいうべきエネルギーは世界に還元されてゆく。

 ここはそういう静かな場所であった。

 ビン自体は魂の持ち主によって色々な形をしていたが、それは動く事なくガラクタの山としてただそこに存在して、やがて静かに消える時を待っているだけの物である筈だった。

「私もあんなの初めて見たわ」

 外の世界から動く事を止めてしまった神祈の身体を魂の揺籠に運び、古びた一台の赤い車の後部座席にその身体を横たわらせ、締め付けるだろうと空白がプレゼントした腕時計を外した。

 その車は誰かの魂の容れ物がとっている形なのだが、ここではいずれ消えゆくガラクタである。

 神祈を固い地面にただ寝かせるのはなんだか悪い気がしたのだ。

 それから私達はガラクタに腰かけ、今後の事を話していた。

 十数分ほどした頃だろうか。急にエンジンが掛かる音がして車のヘッドライトが二人を照らした。

「うん。まさか、急に車が動き出すとは思ってなかったもんねー」

 そして、扉が閉まる音と共に急発進し、神祈を乗せたまま車は走り出したのだった。

「結局シロちゃんがその車を停めたけど、その時にみのるんの身体の中にその自動車の魂。つまり、そうるんが入っちゃったんだねー」

「多分ね。私もこんな事初めてだから確かな事は言えないけど、魂に触れればその人の事はなんとなくぼやっとだけど分かるわ。今、神祈の中にあるのはあの自動車の形をしていた魂よ」

「で、どうするのー?」

「身体を生かす意味ってだけなら、奏流には身体に入ってて貰った方がいいわ。あの状態なら外の世界に出ても大丈夫だと思うし。だけど……」

 感情を一度吐き出したせいか、今は比較的冷静な判断ができる。

 それでも嫌なのだ。

「他の人の魂が入った事で身体にどんな影響があるか分からないし、他の魂が入ってる事で神祈の魂が元に戻らないかもしれないし……」

「でも、そうるんの魂を無理やり追い出す事も出来ないでしょー?」

「えぇ。外的要因で魂を追い出したら、それこそ身体が朽ちてしまう可能性があるわ。一番いいのは身体から出て行って貰う。成仏というか世界に還元して貰うのがいいんだけど」

「でも、出て行って貰ってもそれでみのるんが元に戻る訳じゃないよねー?」

「そうね。最終しゅ……何っ?」

遠くから大きな音が聞こえた。

「神祈がいる方っ!」

 すぐに私達は地面を蹴って、その音も方に向かっていた。


◇◇◇


私はおもわず声を出していた。

「なにあれっ!」

 夕陽を浴び紅く照らされたビル大の熊のヌイグルミが歩いている。静かだった世界が今震えている。一度奏流の魂の容れ物が動くのを見ているとはいえ、今回はスケールが違う。遠くから見てもそれは異様な光景であった。

「おっきいねー。ビッグだねー」歌音が呑気に言った。

「呑気な事言ってる場合じゃないでしょ!」

「放っておくって訳にはいかないよねー」

「神祈を連れて来てから色々起こり始めたし、多分あれもそう。早く神祈を探し出してこの世界から連れて出ないと」

「中身はそうるんだけどねー」

「その話は後で! 歌音は神祈を保護して。私はあのヌイグルミを止めるから!」

「ばっちり。しっかり。合点だよー」

 歌音は先程の場所に向かう為離れて行った。

「さて、どうしようかな。あれが悪夢の受胎? 魂の容れ物が姿を変えたりましてや動き出したりするなんて本来は無い筈なのに」

 取り敢えず近づかないと何も出来ない。私は地面を蹴ってヌイグルミの進行方向に先回りする事にする。

「この辺でいいかな」

 あれが何処に向かおうとしているかは分からないが、こちらに向かって来ている事を確認すると私はそこで止まった。地面を伝わる振動が徐々に大きくなってきている。

 片膝立ちになり白い地面に片手をつく。そして大きく息を吸い込み止める。

 呼応するように地面は白く発光をし始め、周り三十メートル四方の正方形が盛り上がる。そして私を乗せたまま地面は高く付き上がってゆく。十数秒後にはヌイグルミの顔と同じ高さほどの巨大な足場が出来上がっていた。

「この大きさは流石に大変」

 ふらつきそうになるのを堪えて息を整えた。

 私はこの世界の管理者、死神として白い地面を操り自由に形作る事が出切る。奏流がいた部屋も私が創った物である。出来ない事もあるが、この世界では絶対的な力であり、その力を今行使した。

 ヌイグルミが音を立てながら近づいてくる。ガラスの瞳は虚ろでそこに感情は見出せなく、この大きさでは可愛いという感覚も呼び起こされない。

「熊のヌイグルミさーん」

 近づいてくるヌイグルミに対して大きく手を振った。

(意思疎通が出来るとは思わないけど)

 声に反応したのか、私の前十五メートル程前でその歩みを止める。

(止まった?)

 そしてヌイグルミは右腕をゆっくり上げた。

 ブウゥん

 腕が私のいる足場へと振り下ろされる。

「やっぱ無理かぁ」

 私は空を飛んでいた。そしてヌイグルミの肩に着地する。

それと同時に白い巨大な足場が粘土のように伸び、ヌイグルミの身体に巻きつき、身体を締め上げる。

 白い足場に巻きつけられたそれはその動きを止めた。

「捕獲完了っと。さぁ貴方の魂の声を聞かせて」

 私はヌイグルミの頭の上にいた。そして意識を集中させる。

(遊ぶ邪魔をしないで)

 声が聞こえた。

「えっ!」

 立っていた部分の熊の毛が急激に伸び身体に絡みつく。

 慌てて熊に巻きつけた足場の一部を変形させようとする。

「かはっ!」

 全身を強い力で締め上げられ肺の中の空気が無理やり外に絞り出された。

(神祈ごめん)

 意識は闇へ沈んでいった。


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