第3話 魂は揺り籠で眠る 2 紅い世界
2 紅い世界
俺は白い壁に体重を預け、考え事をしていた。
この部屋に少女は既に居ない。
「状況説明するのに必要な物を取ってくるから待ってて頂戴」
「そんじゃ、そうるんまたねーん」
そんな言葉を残して二人は部屋から出ていってしまっている。
俺と言えば、慌てて少女達を追おうとして白い壁に激突していたりするのである。さらに、その壁を蹴っ飛ばしてうずくまったりもした。
部屋には何も無い。空き箱は何故か空白が持って行ってしまっている。
俺は二人の少女の事を思い出していた。
共に顔立ちは整っているが、印象は全く異なっていた。空白からは真面目で冷たい印象を受けた。何よりも目立つのが見事としかいえないような白い腰まで届く長い髪。その白い髪の右下部分が人差し指の長さくらいの太い黒いリボンが編み込まれ、白と黒の格子柄になっていた。
歌音は明るく、どこか猫を想像させるような少女で、こちらは腰まである黒髪の左下部分を白のリボンで編み込みやはり格子柄になっていた。恐らく輪っか状のリボンを何本か編み込んでいるのだろうが、動いても格子は崩れていないかったし、リボンが落ちたりしていなかったので違うのかももしれない。
印象は違えど、鏡で白黒を反転させたようなそんな二人の少女。その二人は軍隊のようなミリタリーのカーキ色のシャツにジーンズを穿いていた。後は空白は少女の手首には少し大きめの腕時計をしていたのが少し気になった。あれは男物だろうか。聞こうかとも思ったが、余計な御世話よと冷たく言われるのがオチである。何にせよ空白が死神に見えないことは確かであるし、歌音が何かの神であるという言葉にもピンと来ない。
ここはどこか軍の研究所だろうか。どういう原理か全然わからないが、壁をすり抜ける技術なんて今まで聞いた事が無い。軍が開発している一般人には知りえない技術なのだろう。なんにせよ分からない事が多すぎる。あの少女達の事もそうだ。まさか軍人って事も無いだろうし、研究所職員の娘か何かなのだろう。そして俺は、何かの人体実験の被験者なのだろうか。白い箱に閉じ込められたさしずめモルモットか。
俺はなめらかさんと名付けられたハムスターの事を思い出した。
実祈(みのり)は餌をやってくれているだろうか。早く家に帰らないとな。なめらかさんは本当になめらかだものなぁ。そうだ実祈。
突飛な事が起こり過ぎて感覚が麻痺していたが、妹の事を思い出した事でいてもたってもいられなくなり立ち上がった。
自分の名前もそうだが、なにか忘れているような気持ちがつきまとう。まずは思い出す事だ。なんで俺はこんな所に居るのか。
そんな俺の思考はすぐかき消される事となった。何処からか声が聞こえた気がしたのだ。
耳を澄ます。
「……」
気のせいだったのだろうか。何も無い部屋に閉じ込められて幻聴に悩まされた男の話を思い出す。結局その男は気が狂ったのだっけな。首をぶるぶるとふった。
「……おにいちゃん」
小さな声だが確かに聞こえた。幻聴ではなさそうだ。
「何処だ」
部屋を見渡しても誰も居ない。
少女達が出て行った壁の前に立った。あれから声は聞こえない。
疑問が多過ぎるが、この部屋にいて解決するとは思えない。
二人の少女の事も信用している訳ではなかった。
「やっぱり外に出ないと始まらないよな」
壁に手をついた。ツルツルしているが冷たさは感じなく、寧ろ少し温かいような不思議な材質だ。最初に触った時こんなに温かかったかな。軽く叩いてみると乾いた音がした。
(本気で出たいと思わないとそこは決して出れない。殻を破る自分を想像するんだ)
ふとそんな事を思った。なんでそんな考えが出てきたのかは分からない。
「あぁ。出たいさ」
自分ながら可笑しな事を言っていると思う。
その気持ちに応えるように掌が触れている部分の壁が仄かに発光し始め、波紋がそこから広がる。そして一瞬のうちに抵抗が消えた。
「うぉお」
一回目は急に視界が開けた事に対する驚き
「うぉ! すげぇ!」
二回目は目前に広がる物に対しての感動。
白い部屋から出ると共に現れた色彩の洪水に奏流は目を細めた。紅き魂が地平線に沈もうとしている。空は青、紺色、瑠璃色、桔梗色、紫と色を変え、そして暴力的とも言える燃えるような紅。そしてその光が世界に深い影を作り出している。
「何処だここ?」辺りを見回した。
白い地面が紅く照らされ、そこに自分の影が伸びていた。高い建物は見当たらないが、そこらじゅうにガラクタと思しき物が積み上げられて山になっている。今までいた筈の白い壁の建物は消えてしまったのか見当たらない。
「夢の島か?」
すっかり独り言が癖になってしまっている。
人の気配は無い。荒々しい色彩が支配する無音の世界。
俺はガラクタの山に近づく。そこには冷蔵庫、英雄の石膏像、手提げ提灯、柱時計、桐箪笥、使い道の分からない機械、フリルの付いた白いブラウス、熊の置物、ピアノ、額縁の中の顔。分厚い辞書。古い物、新しい物、大きな物、小さな物、そういった物が乱雑に積み重なっていた。
「まだ使えるんじゃね? これ」
倒れていた自転車を起こす。新品のような青いマウンテンバイク。
「実祈、自転車が欲しいって言ってたよな。ちょっとこれは乗り難いかなー」
自分のおかれた状況を忘れてガラクタの検分が始まった。
「持っていっていいかな? サンタクロースの物置とかじゃないよな?」
ここには汚さが無い。ゴミ捨て場という感じがしないのだ。なんとなしにロケット型のペンダントを拾い上げてぶらぶら揺らした。
(あれ? 俺の?)
「おにいちゃん……」
小さな声がした。
「何処だっ」
先程の声に辺りを見回し、声の主を探した。ちらりと赤い影が動いたような気がした。そちらに向かって走り出す。
「おーい。何処だー」
返事は無い。
「おかしいなー。こっちだと思ったんだけど」
先程とは別のガラクタの山の前で奏流は歩みを止めた。
ふとガラクタの山に積まれていたヌイグルミに目が留まる。赤いパーカーを着た熊がつぶらな瞳で空を仰いでいる。
「おっ、これ実祈が持っているやつと一緒じゃん」
手に取り上げたヌイグルミは身体を茶色のくせっ毛で覆われ、愛らしい顔立ちをしている。フード部分には製造会社のウサギのマークが縫い込まれている。実祈のお気に入りと一緒である。若干へたっているものの柔らかい触り心地がするものだった。なんとなく懐かしくなって頭を軽く叩いた。
「あそぼ……」そんな声がふいにした気がした。先程の声と一緒だ。
「えっ!」
何がおきたか分からないまま白い光に包まれ、意識は塗りつぶされた。
◇◇◇
持ち上げていた人物が消えた為、ヌイグルミが地面に落下し、二度バウンドする。
紅い世界で再び動くモノが消え静寂が訪れる。
その静寂に小さな波紋がたった。誰にも触れられていないヌイグルミが小刻みに動き出す
暫くしてそれはその小さな身体を自分で起き上がらせた。そしてまた振動を続ける。
それに合わせて元々三十センチ程度の大きさだったモノが小さな子供くらいの大きさに膨張する。
その小さな身体は徐々にその大きさを大きくしてゆく。大人くらいの大きさへ変わってもまだ膨張は続く。やがて乗用車くらいの大きさへ変わり、小型バスくらいの大きさへ変わり、それでもまだ膨張は続いていく。マウンテンバイクを押し潰し一軒家くらいの大きさへ変わり、小さなビルくらいの大きさへ変わる。最終的に十階建てのマンション同等にその大きさを変えた。
そして巨大な熊のヌイグルミはゆっくりと歩き出した。
ガラクタの山が音をあげながら崩れ、大きな足の下敷きになった。
静かな世界が今、激しい音を立てて軋みだした。
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